毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
昨日は
初秋らしい
爽やかな晴れの日だった。
久しぶりに
街出したら
遠くに夏の名残りの
入道雲が力なく
盛り上がっていた。
信夫山トンネル前では
珍しい縦長の雲が
一本立ち上がっていて
まるでヴィーナスの背中のような
フォルムに見えた。
居間の網戸に
裏庭の植木の影が
クッキリと映り
不思議な美しさに見とれた。
からだの具合は
大分と回復してきたが、
いまだに服薬は続けている。
明日からは
なんとか出勤できそうではある。
今朝は、
久々に快晴の朝で、
体調も大分とよくなった。
ここの処、
ずっと雨降り続きで、
自宅療養で伏せってもいたので、
今日は少し陽の光を浴びに
戸外に出ようかと思う。
2週間の抗生物質治療で
なんとか
気管支炎と副鼻腔炎は
治まってくれたようだ。
今朝は
呼吸もずいぶんと
楽になっている。
この土日で
完治してくれて、
なんとか月曜からは
勤務したいものである。
久石譲の「パリコン」に
感動して、昨日も
ステレオにつないで
スピーカーからラウドネスにして
大音声で楽しんだ。
『ラピュタ』の『君をのせて』に
涙が出るほど感動したので、
編曲意欲がムクムクと沸き起こり
久しぶりに更の五線紙を取り
ベッドの上で上半身を起こして
音楽仕事をした。
「パリコン」での
天使の歌声のような
少女合歌唱団の清澄な響きを
なんとかギターでも表現したく
あれこれ和声を考えて、
久しぶりに
「くるたのしい」クリエイティヴな
時間を過ごした。
これと、
『もののけ姫』のテーマ曲を
つないで、来年のリサイタルの
オープニング曲にしようかとも思った。
コンサートのプログラムでは、
自分が感動したり
胸キュンになったものだけを
演奏している。
その感動を
どうやって聴衆に伝えられるかと
編曲や演奏効果を考える。
ユーチューブで
『君をのせて』のギター演奏が
いくつもあったが、
上手いもの、凝ったものはあったが、
感動したものは一つもなかった。
いくら指が動いても、
華麗に音が鳴っても、
思いのない演奏や
あっても伝わらない演奏では
ただの音出しに過ぎない。
「琴線に触れる」というように
「こころ」や「たましい」に
響かない演奏だけはしたくない。
レッスン室に
西日が射し、
ルネッサンスリュートの
ボウルバックを美しく
照らしていた。
リュートのボディは、
リヴという笹型の板を
何枚も張り合わせた
船底のような形状をしている。
自作のルネッサンスギターは
クリスマス用のオナメントを
ロゼッタ(薔薇窓音孔)に鋳込んだので、
それが銀色に光って煌めいていた。
来年のリサイタルでは
これで17世紀の曲(ロマネスカ)と
陽水の『少年時代』を
続けて弾く予定である。
リュートは
フルートとのデュオで
ダウランドの『涙のパヴァーヌ』の
伴奏に使うつもりである。
サマーバカンスを挟んでの
3ケ月のオフシーズンを過ごしたので、
病が癒えたら、仕事と同時に
来年のコンサート準備にも入る。
BSの録画で
久石譲の六月の
パリ公演を視、聴きし
とても感激したので、
朝・昼・夜と
続けて3回も試聴した。
武道館規模の
数千人収容のホールが
超満員で、宮崎アニメの
人気の高さ、久石音楽の
ファンがかくも多いことに
驚愕した。
オープニングに
久石が登場するや
客席は早くも
スタンディング・オベーションで迎え
その熱狂ぶりには
日本でもこうはならないだろう
と思うほどであった。
開演前のロビーで
入場者のインタヴューでは
「待ちに待っていて、ついに実現した」
「ずっと久石譲が好きだった」
という熱い声が多く聞かれた。
オープニング曲は、
なんと、こないだリサイタルで
自分が演奏した『ナウシカ』の
テーマをピアノ・ソロで聴かせた。
オケもコーラスもバンドも
客席も全部フランス人という
アウェイの環境だが、
だれもが久石にリスペクトを
抱いているのが肌で感じられた。
かつては、武満 徹が
フランスの音楽界では
神の如く崇められていたが、
久石はポビュラー界での
まさにその地位にあるように思えた。
その点では
ジョン・ウィリアムスに
似ているかもしれない。
どちらも
クラシック畑にも精通しており、
交響曲的な作・編曲が
見事である。
久石を
「現代のストランヴィンスキー」
と賞賛したCDのコピーがあったが、
一連の宮崎アニメの曲は、
まさしく、交響詩的な響きで
色彩豊かで、ほんとうに
ストラヴィンスキーっぽくもあり、
所々ドビュッシーのようでもあった。
フランス人に熱愛される所以が
その辺りにあるのだろうか。
コンサートの白眉は
少女コーラスで歌い出された
『ラピュタ』のテーマ
『君をのせて』であった。
金髪で白い肌の
天使のような少女たちが
無垢なドールのような表情と
清澄な歌声で、
しかも日本語の歌詞で
「地球は回る 君をのせて」
と歌うのを視聴きして
思わず目頭が熱くなった。
そこに混声四部の
コーラスがかぶり、
さらにはマーチングバンドと
一体化して大サウンドになっていく。
まるで、世界の平和を祈る
人類の荘厳な叫びのような音楽が
会場の隅々まで響きわたり、
人々の魂にまで届き、
劇的なエンディングの後は
スタンディング・オベーションの
大喝采となった。
恰幅のいいソプラノ歌手の
ソロによるオペラチックな
『もののけ姫』のテーマも
佳かったが、
これも日本語で歌われて
一箇所だけ
「月の光に」
というのを
「つぎの光に」
と、まるで東北弁みたいに
濁ったのがアララであった(笑)。
そういえば、
少女コーラス隊も
「懐かしい」を
「なづがしい」と
東北弁で歌っていた(笑)。
フィナーレでは
『トトロ』の『さんぽ』が
オケ+大合唱団により演奏された。
この曲は
88年の映画公開後、
世界中の幼稚園などで歌われ
教科書にも載るほど
有名になった。
フランス語で歌われたそれは
オケ団員の若い世代も
母親・父親世代も目を細めて
懐かしそうに聴き入っていた。
なにしろ、
目の前でその偉大な作曲者が
タクトを振っているのである。
御歳66才の
老爺の風貌でもある久石は、
まるで、もうレジェンドであり
マエストロのようであった。
***
このライヴ映像は
『ニューイヤー・コンサート』並みに
カメラのスイッチングが素晴らしく、
ちゃんとスコアを理解しており
全く飽きさせない
映像カット割りが見事だった。
昨日は、朝10時から
ソータ戦のライヴもあり、
パソコンのアベマ中継を
一日中つけっぱなしだったが、
夕方頃には、双方とも
持ち時間を使い果たし、
一手一分の早指し将棋になった。
どちらが勝つか
ハラハラドキドキの
攻防だったが、
ソータが秒読みに追われて、
珍しく疑問手を指してしまい
それが元で破れてしまった。
同格の四段相手に
負けたのは珍しい。
あと二つ勝てば
「新人王」のタイトルが
獲れたのだが、
竜王や王位、棋聖の予選も
負けてるので
「29連勝」記録保持者の他には
いまだ無冠のままである。
***
今日も
大事を取って、
昨日のうちから連絡して
欠勤させてもらった。
今朝の寝起きの感じでは
93%くらい回復したように思うが、
まだ全快、元気という
感じではない。
今は、さすがに
論文読みなどの勉強は出来ず、
自宅入院患者のつもりで
病休・静養の日々を送っている。
日に日に
体調が回復してきたが、
まだ時折、呼吸が
苦しく感じることがある。
小児喘息の時に
さんざん呑んだ
気管支拡張剤を
ずっと服用しているが、
薬が効いている間は
普通程度に楽になる。
昨日はなんとか
自宅カウンセリングを
2件こなせたが、
今日は完全オフ日なので、
完治に向けて
静養するつもりである。
まだ
全身から違和感が
抜けていないのと
左頬の内側に鈍痛がある。
寝養生しているので
暇をやり過ごすのに
近所のツタヤから
毎日5冊ずつ未読のマンガを
借りてきては
気慰みに読んでいる。
Eテレの『漫勉』にも登場し、
浦沢直樹が「達人」と評した
東村アキコの自伝的作品を
全巻読んで感動し、
師が急逝する巻末では涙した。
彼女の「先生」というのが
もの凄い人物で、
奇天烈でありながら
情もあり、才人でもあった。
『漫勉』でも
そのエピソードが出て、
浦沢をして
「すごい先生だったよね」
と言わしめ、
東村も
「あんな人には
今まで出会ったことない」
と涙していた。
まさしく
「全身アーティスト」
というような
怪傑である。
それゆえに
生き様、死に様が
鮮烈であった。
肩凝り用に買ってあった
メンソールを就寝前に
喉と胸にたっぷり塗っている。
そうすると、
その刺激で
いくらか呼吸が楽になる。
むかし、
よくテレビで
ヴェポラップという
胸に塗る薬のCMをやっていた。
今も大正製薬から
出ているようで、
成分を見たら
やっぱりメンソールが
入っていた。
肺や気管支まで
届くわけもないが、
表面だけでもスースーしていると
その生理的な刺激に
いくらか息が楽になったような
錯覚がするのかもしれない。
ナツの小学校の時の
「書写」のテキストを
捨てずに取っておいた。
いまだに、
学校カウンセリグの
日報を記すのが
手書きなので、
自分の悪癖のある字を
矯正するために、
時折、書写のテキストで
ペン字の練習をしている。
小児喘息で
しょっちゅう小学校を
休んでいたので、
書道歴もないから、
いい歳をして金釘流の字を
我ながら恥ずかしく思っている。
カミさんは
書道もペン字もやったらしく、
ほんとうにキレイで
大人らしい先生らしい字が書ける。
息子三人も
字はトーチャンと同じく
下手糞だが
気にしている様子もない。
スマホ、パソコン全盛の世だから
現代っ子たちは、
さして手書き字には
拘らないのかもしれない。
長らく
ヘタ字コンプレックスがあったが、
30代の頃、ワープロ専用機が登場してから、
それまで溜まっていたものが
溢れるように、いろいろな思いや
考えを書き出せるようになって、
アウトプット表現する道具の
有り難さを感じたものである。
ウィンドウズ95頃の
ワードに代わるまで、
ワープロ専用機を
何台買い替えたかわからない。
いまだに、
ホコリを被ったものが
3、4台、故障もせずにある。
咽頭炎から
気管支炎、副鼻腔炎へと
症候移動して、
今は全身のダルさと
鼻声、左頬の鈍痛程度に
治まってきたが、
完全復活とは言い難い。
T中のコーディネーターから
今週いっぱい休みにしてはどうか、
というメールを頂いたので、
お言葉に甘えて
大事を取ってそうすることに
させてもらおうと思った。
18年前の厄年の時には、
過労性うつ病で
3ケ月病休を取ったことがある。
それから
子どものムンプス(おたふく)を
うつされて一月のドクターストップを
くらったこともある。
今回の不調は
26日間の長雨と
日照不足が影響していると
睨んでいる。
加齢もあって
免疫力が低下して
常在菌による
日和見感染したのだと思う。
数日間の晴れ間には
できるだけ陽の光を
短時間でも浴びようと
外出した。
そしたら、
昨晩からまた雨降りで
今朝も曇天で
今にも降りそうである。
自分の見立てでは
八割五部方ほど回復してきたが、
まだまだ風邪引きのような
ボーッとした感じが
全身を支配しているので
自律神経系が正常化しては
いなさそうである。
コンサート前には
時々、野外練習に行く
小倉邸下の隈畔の
船附場。
大雨で増水すると
すぐに水没してしまう処でもある。
患ってから
2週間ほど、
まったくギターを触っていない。
今年は
10月のコスキン(中南米音楽祭)に
出場を申し込まなかったので、
気が楽ではある。
時々、
ネットサーフィンで見つけた
アート素材の裸婦を
画像処理を施して
作品に仕上げている。
野外で陽光を浴びる裸婦は
ルノワールの裸婦像を
想い起こさせる。