コンサート明けの
月・火と
通常出勤だったので、
過労と筋肉痛と
覚醒レベル低下のまま
職場に赴いた。
棚倉路では
毎週、路傍の竹林で
ルーティンのように
タケノコ採集をしている。
昨日も、
何も考えることなく、
いつものように無意識に
出勤前に竹林内に入り、
そこここに生え出ている
タケノコを嬉々として
収穫した。
冷蔵庫には
食べきれぬタケノコ料理が
幾皿も残っているのに、
またこうして素材を
調達しているのは、
我執というか
採集民族の遺伝子の為せる
業なのかもしれない。
でも、
楽しいこと、
好きなことはせよ、
嫌なことはするな、
をモットーに生きているから
「これでいいのだ!」
(バカボン・パパ)。
根っからのビンボー性なのか、
昭和世代の性なのか、
スーパーで500円もする
タケノコが採り放題だと、
『トムとジェリー』の
アニメみたいに
目の中に「$」マークや
「¥」マークが浮かぶのだろう(笑)。
昨日は、
疲れのせいもあってか、
思わず、懐かしの
自作ソング『いちじく探検隊』の
替え歌バージョン
『タケノコ探検隊』が
口を突いて出た。
かつて、
前宅の清水町に住んでいた時、
裏庭にイチジクの大木が2本あり、
それが時節になると
大きな実をたわわに稔らせる。
それが、
また甘味と酸味が絶妙の
超美味物だったので、
まだ保育園児だったナッちゃんと
毎朝、大きな葉っぱを
掻き分け潜るようにして
イチジク・ジャングルの中で
完熟した実をもいでは
その場で〇ンコ座りして
食べていた。
感激屋のナッちゃんは
「ちょー、うまいー」
と嬉々として
毎朝、登園前に頬張っていた。
なので、
彼の卒園時のアルバムには
「好きな食べ物」欄に
「いちじく」とあって
笑えてしまった。
そりゃ、
三十年以上の古木の
完熟物は
美味いに決まっている。
この飽食の時代では、
露地の柿もイチジクも杏も
だーれも見向きもしない
ご時世だが、
美味いものはウマイことに
変わりはない。
あの頃、
口から出任せに
親子そろって
♪ きょうもいっきます
たんけんたーい
イチジクたんけんたーい ♪
というテーマ・ソングを
ふたりで口ずさみながら
裏庭の生い茂る葉の中に
もぐっていった。
なんだか、
それが十数年ぶりに
甦って
♪ きょうもいっきます
たんけんたーい
タケノコたんけんたーい ♪
と口から
懐かしのフレーズがもれた(笑)。
きのうは
プチ残業で、
6時頃の職員室には
若い女性の先生方が
四人残っておられたが、
「タケノコほしい方、
おられませんかー?」
行商のおじさんみたいに
現物の入った袋を見せたが、
見事に全員にスルーされてしまった(笑)。
_ _ _(・_.)/ コケッ…
お嬢さん方、
タケノコ料理できひんのやな、
とおじさんは少し
哀しくなった。
(´δ`;) ハリャ・・・
福大52理科クラスの
同級生でもあり
同じギター愛好会の仲間でもあった
中村君から頂いたお花に
心温まる嬉しいメッセージカードが
添えられていて、
その優しさが
コンサート後の疲れを
癒してくれた。
フェスティバル・タイム
(夢のお祭り時間)
が終わって
現実の仕事に戻ると、
ダブル・ブッキングして
気を悪くしたJCクライエントが
カウンセリング室前に
「ずっと待ってました。
もうカウンセリングきません。
ありがとうございました。
でも時間忘れるのはどうかと…。」
というメッセージカードを置いて
黙って去って行った。
本来、
昼休みに来るべきAちゃんが
担任の連絡ミスで
放課後に来てしまい、
その予約枠だった
Bちゃんとブッキングしたので、
無碍に帰すのもなんだから、
「じゃ、予約した子が
ノックするまで5分くらいでいい?」
と了解をとってやっていたが、
待てど暮らせどノックがなく、
けっきょく延々と一時間が過ぎた。
予約を忘れたのか、
もしかして、
扉の外で話し声が聴こえて、
ノックがしずらかったのか、
と懸念していた。
そしたら、
前の人がなかなか終わらず、
それでノックもしずらく、
腹を立てて帰ったんだと
解った。
カウンセリングに来る子たちは
みな繊細で傷つき易い子たちなので、
人の話の最中に
自分の予約時間だからと
ノックをするような意志の強さや
自分の契約権利だからという
自己主張性はないのである。
前もって
そう指導した子は、
話し声が外で聞こえても
きちんとノックすることができる。
Bちゃんには
まだその指導をしていなかったので、
「見捨てられ不安」を
起こしてしまったのだろう。
教頭先生とのコンサルでは、
担任の連絡間違いが
「負の連鎖」になった
インシデントとして報告した。
コンサルで
Bちゃんの担任に
フォローを御願いしたが、
はたして誤解がとけて
戻ってきてくれるか、
来週まで心配である。
喜びと哀しみの
「二つのメッセージ・カード」が
今、机上にあり、
悲喜こもごも…こそ
人生だなぁ…と、
思わされた。
またしても、
「ふたつよいこと さてないものよ」
である。
月・火と
通常出勤だったので、
過労と筋肉痛と
覚醒レベル低下のまま
職場に赴いた。
棚倉路では
毎週、路傍の竹林で
ルーティンのように
タケノコ採集をしている。
昨日も、
何も考えることなく、
いつものように無意識に
出勤前に竹林内に入り、
そこここに生え出ている
タケノコを嬉々として
収穫した。
冷蔵庫には
食べきれぬタケノコ料理が
幾皿も残っているのに、
またこうして素材を
調達しているのは、
我執というか
採集民族の遺伝子の為せる
業なのかもしれない。
でも、
楽しいこと、
好きなことはせよ、
嫌なことはするな、
をモットーに生きているから
「これでいいのだ!」
(バカボン・パパ)。
根っからのビンボー性なのか、
昭和世代の性なのか、
スーパーで500円もする
タケノコが採り放題だと、
『トムとジェリー』の
アニメみたいに
目の中に「$」マークや
「¥」マークが浮かぶのだろう(笑)。
昨日は、
疲れのせいもあってか、
思わず、懐かしの
自作ソング『いちじく探検隊』の
替え歌バージョン
『タケノコ探検隊』が
口を突いて出た。
かつて、
前宅の清水町に住んでいた時、
裏庭にイチジクの大木が2本あり、
それが時節になると
大きな実をたわわに稔らせる。
それが、
また甘味と酸味が絶妙の
超美味物だったので、
まだ保育園児だったナッちゃんと
毎朝、大きな葉っぱを
掻き分け潜るようにして
イチジク・ジャングルの中で
完熟した実をもいでは
その場で〇ンコ座りして
食べていた。
感激屋のナッちゃんは
「ちょー、うまいー」
と嬉々として
毎朝、登園前に頬張っていた。
なので、
彼の卒園時のアルバムには
「好きな食べ物」欄に
「いちじく」とあって
笑えてしまった。
そりゃ、
三十年以上の古木の
完熟物は
美味いに決まっている。
この飽食の時代では、
露地の柿もイチジクも杏も
だーれも見向きもしない
ご時世だが、
美味いものはウマイことに
変わりはない。
あの頃、
口から出任せに
親子そろって
♪ きょうもいっきます
たんけんたーい
イチジクたんけんたーい ♪
というテーマ・ソングを
ふたりで口ずさみながら
裏庭の生い茂る葉の中に
もぐっていった。
なんだか、
それが十数年ぶりに
甦って
♪ きょうもいっきます
たんけんたーい
タケノコたんけんたーい ♪
と口から
懐かしのフレーズがもれた(笑)。
きのうは
プチ残業で、
6時頃の職員室には
若い女性の先生方が
四人残っておられたが、
「タケノコほしい方、
おられませんかー?」
行商のおじさんみたいに
現物の入った袋を見せたが、
見事に全員にスルーされてしまった(笑)。
_ _ _(・_.)/ コケッ…
お嬢さん方、
タケノコ料理できひんのやな、
とおじさんは少し
哀しくなった。
(´δ`;) ハリャ・・・
福大52理科クラスの
同級生でもあり
同じギター愛好会の仲間でもあった
中村君から頂いたお花に
心温まる嬉しいメッセージカードが
添えられていて、
その優しさが
コンサート後の疲れを
癒してくれた。
フェスティバル・タイム
(夢のお祭り時間)
が終わって
現実の仕事に戻ると、
ダブル・ブッキングして
気を悪くしたJCクライエントが
カウンセリング室前に
「ずっと待ってました。
もうカウンセリングきません。
ありがとうございました。
でも時間忘れるのはどうかと…。」
というメッセージカードを置いて
黙って去って行った。
本来、
昼休みに来るべきAちゃんが
担任の連絡ミスで
放課後に来てしまい、
その予約枠だった
Bちゃんとブッキングしたので、
無碍に帰すのもなんだから、
「じゃ、予約した子が
ノックするまで5分くらいでいい?」
と了解をとってやっていたが、
待てど暮らせどノックがなく、
けっきょく延々と一時間が過ぎた。
予約を忘れたのか、
もしかして、
扉の外で話し声が聴こえて、
ノックがしずらかったのか、
と懸念していた。
そしたら、
前の人がなかなか終わらず、
それでノックもしずらく、
腹を立てて帰ったんだと
解った。
カウンセリングに来る子たちは
みな繊細で傷つき易い子たちなので、
人の話の最中に
自分の予約時間だからと
ノックをするような意志の強さや
自分の契約権利だからという
自己主張性はないのである。
前もって
そう指導した子は、
話し声が外で聞こえても
きちんとノックすることができる。
Bちゃんには
まだその指導をしていなかったので、
「見捨てられ不安」を
起こしてしまったのだろう。
教頭先生とのコンサルでは、
担任の連絡間違いが
「負の連鎖」になった
インシデントとして報告した。
コンサルで
Bちゃんの担任に
フォローを御願いしたが、
はたして誤解がとけて
戻ってきてくれるか、
来週まで心配である。
喜びと哀しみの
「二つのメッセージ・カード」が
今、机上にあり、
悲喜こもごも…こそ
人生だなぁ…と、
思わされた。
またしても、
「ふたつよいこと さてないものよ」
である。
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