きのうは
さっそく通勤時に
捻じれて歪んだシートを
補正すべく低反発枕を
片側に埋めて運転した。
そしたら、
奇妙なもので、
正しく水平補正したのに、
なんだか少し傾いてるように
感じられるから、
如何に、体が不自然な
運転姿勢に同化・適応していたかを
知らされた。
それでも、
カラダは正直に
首痛や坐骨神経痛で
異常性をちゃんと
検知していたのだ。
最近、“よもぎ湯”のための
蓬採りがプチ・マイブームなので、
自然とヨモギ色のシャツに
グリーンのドレスウォッチを
選んでしまった。
父の形見だった
時計本体のメタルベルトから
鰐皮のグリーンベルトに
自分で差し替えたものである。
スーツは、
これまたプチ・マイブームの
“アーシング”に合わせて
大地の土色である(笑)。
きのうは
見事な快晴の青空に
弁天山の新緑が映えていた
思わずそのツートンカラーに
見とれてしまった。
ふと、前を向き直したら、
なんと、イヌみたいな耳をした人が
クルマを運転していたので
ハハハ…と、
笑えてしまった(笑)。
文科省から全国のSCに
「自殺防止」のために
入念にスクリーニングしてほしい
という「緊急要請」の通達が来たが、
朝刊でもそれが報道されていた。
「対象喪失」というのは
「うつ」の好発条件なので、
JCたちにも頻出している。
ただ、薬物療法の必要有りと
見込んで紹介医送りにしたケースで
「適応障害と思われ、
精神病性のうつ病ではない
と思われます」という
ご返事を頂いて、
「そうなんだ…」
と、いささか怪訝に思われた。
公認心理師法では、
「主治医の指示に従わねばならない」
と明記されているので、
それを尊重しながらも、
「希死念慮」に対処していかなくては
と神経を使っている。
ひとりは、
二階から飛び降りようとして
入院となり、
きのうは
「自転車で対向車に
ぶつかろうと思ったけど、
怖くて出来なかった…」
と聞いたばかりである。
もひとりも、
「死にたい…」
と漏らしたので、
ドクターにリファー(依頼)した。
希死念慮、気分の日内変動、
抑うつ気分…などがあっても、
このコロナ期という
“新しい環境”に馴染めずに
発症したので「適応障害」
という診断名となったのだろうか…と、
いろいろと考えさせられた。
25年も前、
院生の頃には、
精神病理学の泰斗
市橋 秀夫先生に
当時のDSMⅢという
診断マニュアルをテクストに
みっちり診断学を叩き込まれた。
その際、
「日本の診断学の権威でさえ、
退官講演で、自分の診断確率は
70%くらいだったかもしれない、
と謙虚に言われたので、
そしたら私は50%くらいになるのか
と考えたら愕然とした…」
と仰っていた。
そして、さらに、
「だったら、
大学病院や町医者の診断は
怪しいもんだから、
疑ってかかるように
しとかないといけないよ…」
と教えられた。
これまで、
何十人もの生徒たちを
各地域のドクターに紹介してきたが、
たしかに、診断はまちまちで、
処方薬も首をひねるものもあり、
セカンドオピニオンで転院を奨めて
改善したケースも多かった。
それは、
宮崎事件や宅間事件での
鑑定医の診断がまちまちで、
精神医学の診断そのものに
世間の疑問が向けられたことがあった。
心理師法と医師法で、
「診断」と「処方」は
主治医の専権事項なので、
口出しできないが、
最近、『アンサング・シンデレラ』
という薬剤師コミックを読んでて、
けっこう、医師の処方に
疑義を唱えるシーンを見た。
薬剤師法でも、
ドクターの単純投薬ミスや
飲み合わせ、禁忌を
チェックするのは認められているが、
処方そのものに疑義を唱えることは
許されないのだろう。
***
京アニの放火殺人犯が
逮捕された。
瞬時、マスコミに見せた
その焼け爛れた顔に
射るような形相は
まさにデヴィリッシュであった。
猟奇事件の分析は
直接面接しない心理屋には
禁忌とされているが、
「宅間事件」「やまぎし事件」
と世間を騒がせた
大量殺人事件について
何も語らないではいられない。
報道された生育歴を見ると、
9歳に母親が
離婚で家を出ていることに注目した。
エインスワースの
ストレンジ・シチュエーション法
(SSP/strange situation procedure)
という簡単な愛着実験がある。
1歳児を対象に、
母親が突然いなくなり、
その後に再会すると、
どういう反応を起こすか…
というので、いくつかの
パターンに分かれる。
アンヴィバレント(両価性)型では、
「愛着と攻撃」という
相反する行動が見られる。
このような子は、
気分屋の母親による
一貫性のない養育態度が
起因していると分析されている。
青葉容疑者も、
京アニに入れ込んで
グッズを集めたり、
小説を応募したり、
聖地巡礼をしている。
しかし、
いったん応募作が落選すると、
振り子が反対側に振れたように
激しい怒りとなって
愛した対象への「憎しみ」を
攻撃として行動化させた。
両親離婚後の青葉は、
父親と兄・妹と暮らして
しばらく平穏な生活をしていたが、
21歳頃、父親が失職して自殺する。
そこから、
彼の精神的変調が始まり、
下着ドロボーやコンビニ強盗で
逮捕されている。
下着ドロボーの
深層心理には、
母親への愛着が見て取れる。
結果的に、
彼は、母にも、父にも、
この世で見捨てられたわけである。
愛着の対象から
見捨てられた怒りを
意識化できずに悶々としていたが、
幸いにして、京アニという
2Dの幻想世界でギリギリの
バランスを保っていたが、
その愛情の対象からも
応募落選という“見捨てられ”が
怒りに反転するのは想像に難くない。
これは、いわゆる、
深層心理学的には
「親殺し」である。
本来は、
心の中で象徴的に為され、
せいぜい、反抗期として
マイルドに表現され、
やがては親からの「自立」という
真っ当な成長をすべきものだが、
彼の場合は、それをアクト・アウト
(行動化)してしまったことが、
悲劇である。
このような、悲劇は
小規模ながら、
各地の「親殺し」事件で
散見される。
かつて、会津で起こった
高校生の母親殺人事件も
同様の心理が見て取れた。
人間には、
「愛憎」が同居し、
「可愛さ余って憎さ百倍」
という心理があるのである。
さっそく通勤時に
捻じれて歪んだシートを
補正すべく低反発枕を
片側に埋めて運転した。
そしたら、
奇妙なもので、
正しく水平補正したのに、
なんだか少し傾いてるように
感じられるから、
如何に、体が不自然な
運転姿勢に同化・適応していたかを
知らされた。
それでも、
カラダは正直に
首痛や坐骨神経痛で
異常性をちゃんと
検知していたのだ。
最近、“よもぎ湯”のための
蓬採りがプチ・マイブームなので、
自然とヨモギ色のシャツに
グリーンのドレスウォッチを
選んでしまった。
父の形見だった
時計本体のメタルベルトから
鰐皮のグリーンベルトに
自分で差し替えたものである。
スーツは、
これまたプチ・マイブームの
“アーシング”に合わせて
大地の土色である(笑)。
きのうは
見事な快晴の青空に
弁天山の新緑が映えていた
思わずそのツートンカラーに
見とれてしまった。
ふと、前を向き直したら、
なんと、イヌみたいな耳をした人が
クルマを運転していたので
ハハハ…と、
笑えてしまった(笑)。
文科省から全国のSCに
「自殺防止」のために
入念にスクリーニングしてほしい
という「緊急要請」の通達が来たが、
朝刊でもそれが報道されていた。
「対象喪失」というのは
「うつ」の好発条件なので、
JCたちにも頻出している。
ただ、薬物療法の必要有りと
見込んで紹介医送りにしたケースで
「適応障害と思われ、
精神病性のうつ病ではない
と思われます」という
ご返事を頂いて、
「そうなんだ…」
と、いささか怪訝に思われた。
公認心理師法では、
「主治医の指示に従わねばならない」
と明記されているので、
それを尊重しながらも、
「希死念慮」に対処していかなくては
と神経を使っている。
ひとりは、
二階から飛び降りようとして
入院となり、
きのうは
「自転車で対向車に
ぶつかろうと思ったけど、
怖くて出来なかった…」
と聞いたばかりである。
もひとりも、
「死にたい…」
と漏らしたので、
ドクターにリファー(依頼)した。
希死念慮、気分の日内変動、
抑うつ気分…などがあっても、
このコロナ期という
“新しい環境”に馴染めずに
発症したので「適応障害」
という診断名となったのだろうか…と、
いろいろと考えさせられた。
25年も前、
院生の頃には、
精神病理学の泰斗
市橋 秀夫先生に
当時のDSMⅢという
診断マニュアルをテクストに
みっちり診断学を叩き込まれた。
その際、
「日本の診断学の権威でさえ、
退官講演で、自分の診断確率は
70%くらいだったかもしれない、
と謙虚に言われたので、
そしたら私は50%くらいになるのか
と考えたら愕然とした…」
と仰っていた。
そして、さらに、
「だったら、
大学病院や町医者の診断は
怪しいもんだから、
疑ってかかるように
しとかないといけないよ…」
と教えられた。
これまで、
何十人もの生徒たちを
各地域のドクターに紹介してきたが、
たしかに、診断はまちまちで、
処方薬も首をひねるものもあり、
セカンドオピニオンで転院を奨めて
改善したケースも多かった。
それは、
宮崎事件や宅間事件での
鑑定医の診断がまちまちで、
精神医学の診断そのものに
世間の疑問が向けられたことがあった。
心理師法と医師法で、
「診断」と「処方」は
主治医の専権事項なので、
口出しできないが、
最近、『アンサング・シンデレラ』
という薬剤師コミックを読んでて、
けっこう、医師の処方に
疑義を唱えるシーンを見た。
薬剤師法でも、
ドクターの単純投薬ミスや
飲み合わせ、禁忌を
チェックするのは認められているが、
処方そのものに疑義を唱えることは
許されないのだろう。
***
京アニの放火殺人犯が
逮捕された。
瞬時、マスコミに見せた
その焼け爛れた顔に
射るような形相は
まさにデヴィリッシュであった。
猟奇事件の分析は
直接面接しない心理屋には
禁忌とされているが、
「宅間事件」「やまぎし事件」
と世間を騒がせた
大量殺人事件について
何も語らないではいられない。
報道された生育歴を見ると、
9歳に母親が
離婚で家を出ていることに注目した。
エインスワースの
ストレンジ・シチュエーション法
(SSP/strange situation procedure)
という簡単な愛着実験がある。
1歳児を対象に、
母親が突然いなくなり、
その後に再会すると、
どういう反応を起こすか…
というので、いくつかの
パターンに分かれる。
アンヴィバレント(両価性)型では、
「愛着と攻撃」という
相反する行動が見られる。
このような子は、
気分屋の母親による
一貫性のない養育態度が
起因していると分析されている。
青葉容疑者も、
京アニに入れ込んで
グッズを集めたり、
小説を応募したり、
聖地巡礼をしている。
しかし、
いったん応募作が落選すると、
振り子が反対側に振れたように
激しい怒りとなって
愛した対象への「憎しみ」を
攻撃として行動化させた。
両親離婚後の青葉は、
父親と兄・妹と暮らして
しばらく平穏な生活をしていたが、
21歳頃、父親が失職して自殺する。
そこから、
彼の精神的変調が始まり、
下着ドロボーやコンビニ強盗で
逮捕されている。
下着ドロボーの
深層心理には、
母親への愛着が見て取れる。
結果的に、
彼は、母にも、父にも、
この世で見捨てられたわけである。
愛着の対象から
見捨てられた怒りを
意識化できずに悶々としていたが、
幸いにして、京アニという
2Dの幻想世界でギリギリの
バランスを保っていたが、
その愛情の対象からも
応募落選という“見捨てられ”が
怒りに反転するのは想像に難くない。
これは、いわゆる、
深層心理学的には
「親殺し」である。
本来は、
心の中で象徴的に為され、
せいぜい、反抗期として
マイルドに表現され、
やがては親からの「自立」という
真っ当な成長をすべきものだが、
彼の場合は、それをアクト・アウト
(行動化)してしまったことが、
悲劇である。
このような、悲劇は
小規模ながら、
各地の「親殺し」事件で
散見される。
かつて、会津で起こった
高校生の母親殺人事件も
同様の心理が見て取れた。
人間には、
「愛憎」が同居し、
「可愛さ余って憎さ百倍」
という心理があるのである。
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