『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

(無題)

2020-04-03 08:18:00 | 風景
志ん生の落語『らくだ』に

 当たらぬ故の
  河豚のこわさかな

という文句が出てくる。

河豚にはそうそう当たるもんじゃない、
といって喰うから当たる・・・
という理屈である。

これは、意味深な警句で、
いろんな解釈ができる。

「事始め」的には、
他の魚が当たらないから、
故に、これも無防備に食して当たる。

たまたま、卵巣や肝臓を
食べなかった人が
当たらなかったので、
真似して食べてみて、
ついつい、その部位に
手を出して当たる。

現代に於いても、
滅多に当たるもんじゃない、
と過信して食したら、
無免許者や素人料理で当たる。

自分に限っては
そういう不孝に遭う筈がない、
「自分だけは例外」という心理で
免許者の調理過程での
ヒューマン・エラーで当たる。

 当たらぬ故の
  河豚のこわさかな

・・・である。

コロナ感染も
何処かこれに似た
心理構造があって
拡大している部分も
あるように感じた。

市内の感染者は
未だ3人だけで、
いずれも入院隔離されているから、
大丈夫だろう・・・と、
誰しも油断しているかもしれない。

30万人の人口に3人というのは、
1/10万の発生確率だが、
宝クジや飛行機事故に遭う確率の
1/300万のわずか30倍という
さほどに高くないような印象なので、
【当たらぬ故の怖さかな】
という油断が生じやすい。

本屋やレンタル店なぞは
不要不急の外出の部類だろうが、
近所のツタヤは
いつもと変わらぬほどの
人が出ている。

海外帰りの若者や
都会帰りの若者が
キャリアとして各地の
感染源になっているという。

市内の小中学校は
通常どおりに
6日から始まる。

政府も「自粛要請」は
出しているものの、
「非常事態宣言」の段階ではない、
と公言している。

果たして、
現在のような状況で、
この難局を乗り越えられるのか、
いささか心許ないが、
祈るような気持ちで
始業を控えている。





いつ、足元まで
津波が到達するやもという
プレ・クライシス状況なので、
朝な夕なに
国内外の感染拡大が収束いたします様にと
神前祈念している。

書斎の窓辺にある
『祈る母』というテラコッタも
西欧・アフリカのある
西向きにして
祈りを届けている。

祈り信ずる心には
波動的なエネルギーが
あるような気がするので、
何も出来ないと嘆くよりも
「きっと乗り越えられる」
と、心を強く持って、
人類が一丸となって
集合意識を抱く方が、
事態は好転すると思う。



我が家では、
貴重なマスクを
使い捨てることはせず、
これまた貴重なアルコールで
消毒しながら使い続けている。

買い物先のスーパーでも
アルコール在庫がなくなってきたようで、
「一回、一吹きにご協力ください」
という注意書きが添えられていた。

カミさんが、
石鹸が売ってない・・・とも、
こぼしていたので、
我が家の在庫も危うくなってきた。




きのうは
自宅カウンセリングで
クライエントのYさんが、
前回、話題に出た
「花粉症バッチを見つけたので・・・」
と仰って、お土産に
買ってきて下さった(笑)。

スーパーで
ついつい咽(むせ)て、
マスク姿でゲホゲホするのに
いつもより気を遣ってしまったので、
マジ、このバッチを付けて
外出しなっきゃだなぁ・・・と、
思ってしまった。

大変な、ご時世だなぁ・・・。

(-"-;)



朝刊には、
フィリピンのドゥテルテ大統領が
当局へ抗議する者には
「射殺許可」をしたというから、
トンデモナイはなしである。

中国に対して
「補償すべきだ」
とメディアで主張した
イタリアのワイン創業者が
中国内での取引停止に屈して
謝罪したという。

なんだか、
尻腰がないなぁ・・・、
という気がしないでもなかった。

世界の巨大市場、
GDP2位の経済大国だからこそ、
金に物を言わせて
高飛車に中国も出れるのだろう。

なにせ、
国益と一党独裁政権を
維持せんがためには、
国際司法裁判所の裁定さえ
「紙屑」と断言する
狂信的政権なのである。

逆らう奴は殺しちまえ!
というドゥテルテと変わりない。

謝罪したら「補償」を要求されるから、
加害者でありながら、
被害者の心情を慮らないのは
欧米ルールにはあるが、
日本人的には理解しがたい。

日航機事故の時には、
500数十軒すべての家々を
当時の社長が何年もかけて
一軒、一軒、謝罪に廻っている。

中には、罵倒され、
泣きつかれた家も
多かっただろう。

外国人の眼には、
この社長の取った責任の取り方が
クレージーだと言われた。

日本でも、
交通事故死などでは
保険会社が仲介代理人となって、
当事者どうしの接触を棚上げにして
「金銭高」で示談にする、
という風潮になってきた。

保険社会、訴訟/弁護社会では、
代理人が登場するのである。

近代社会の
便利なシステムなのかもしれないが、
やはり何処か
非人間的であるような気がする。




新年度、卯月となり、
玄関の室礼を
珍しい楽器飾りに変えた。

庭のレンギョウの樹勢が凄いので、
その生命感に与ろうと
大胆に活けてみた。

リサイタルでも使用した
自作のルネッサンス・ギターは
唯一、不出来だったので
売りに出せないものだった。

リュートのボウルバックは
製作途中のまんま
もう何年も経っている。

これに
表面板、指板、
ペグボックスを取り付けて完成するが、
言うは易く行うは難しで、
それだけでも100以上の工程がある。

いちばん難しい
リヴ(笹型木片)を組み上げて、
そこで、時間が止まったように
長年パーツのまんまで在る。



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