きょうは
午後からテルサで
SCコーディネーター研修会の
スーパーヴァイザー仕事がある。
なので、
オフ日の半日バイトのつもりで
気軽に行ってこようと思っている。
同様のことは、
職場でいつもやってるので
特に気構えることもない。
なんたって、
それの専門職であるし、
ケースの分析やら
解説は日常茶飯事である。
近所の散歩道である
濁川の土手が整備され
舗装されるようである。
これまで、
自然状態で草が伸び放題だったが、
いい按排に、青年会館の竹林の
地下茎からタケノコが生えだして
毎年のように散歩がてらに
収穫していた。
それが出来なくなるのが
残念だなぁ…と、思ってたら、
なんと、その地下茎は
土手道を跨いで
土手の斜面にまで伸びていて
若竹が二本生えていた。
ならば、
来年はそこら片に
タケノコが目を出すかもしれない。
ギンナンのような
小っちゃな実をならせる
梨の巨木があるが、
白い花を咲かせる頃は
生い茂った枝でトンネルが出来て
とてもいい風情だったが、
その枝先もバッサリ刈られて
トンネルが失せてしまったのも
残念である。
そのうち、
土出の斜面までコンクリで
硬めだしたりしないかと、
役所のやる土木仕事を
恨めしくも思っている。
⁂
近所の八幡様の隣の空き地は
また遺跡が出たようで、
発掘作業がなされていた。
この辺りは、
掘ると必ずや
住居跡が出てくる。
おそらくは
我が家の地面下にも
あるのだろう。
長年、食卓で
日常使いしている
信楽の組皿を割ってしまったので、
金継をして使うことにした。
漆で接着したら
マスキングテープで養生し、
乾燥後にバリを鑿(のみ)で
削り落とし、
金粉と漆を練ったものを
竹串の先端をつかって
割れ目に盛っていく。
本職がやると、
この後、完全に乾燥してから
表面を「タイ(鯛)の牙」という
大きな歯を使って磨く。
なぜタイなのかとも
思ったのだが、
おそらくは
職人たちの代々の経験則で
それがベスト素材だったのだろう。
スーパーに行ったら
早くもクリスマス・ケーキの
予約注文を受け付けていたので、
カタログを持って帰った。
ここの処、
近所のシャトレーゼばかりだったので、
今年は「不二家」の
抹茶ケーキにしようかと
カミさんと相談した。
我が家は、
所帯を持って来、
家人の誕生日とクリスマスは
アントルメ(ホールケーキ)と
決まっている。
それをひとつの
家庭文化としてきた。
必ずや蝋燭を灯し、
父親が切り分けて
家人に配るのである。
これは、
キリストがパンとワインを
分け与えたという儀式を模して
「通過儀礼」的な祝祭感を味わうのと、
家族の「絆」を体感するためである。
ダンゴ三兄弟とも
ずっとそれ式で育ってきているので、
何処かにこの「家庭文化」が
刷り込まれていると思う。
フミの息子愛を見るにつけても
そんな感じがする。
ここ十数年、
愛着障害性の不適応児群を見ていて、
貧困でもない中流以上の家庭で、
ケーキで寿がれたことがない、
ディズニーランドに
連れて行かれたことがない、
年越しそば・正月の餅・おせちを
食したことがない…という
家庭が有意に多かった。
「家庭文化」がないのである。
あるいは、親たちが
子どもの喜ぶ顔を見たいと
思わないのである。
それらは、決して
ネグレクトでも虐待でもないが、
どこか寂しくはないだろうか…。
思春期以降に
非社会的(不登校)・反社会的(非行)と
さまざまな不適応が生じる背景に
こころ豊かな家庭文化の有無が
大きな因子になっている事は
当たり前すぎる常識だが、
それでは、親たちの誰もが
こころ砕いて、工夫して
文化を醸成しているかは
疑問でもある。
『聖樹のパン』の最終巻に
ワインの利き方が
描かれていた。
最初に
スワリング(くるくる回す)して
立ち上がるアロマを嗅ぐのを
「トップノート」
グラスに鼻を近づけて
嗅ぎ取るのを
「ミドルノート」
口に含み鼻腔に立ちのぼる
香りを聞くのを
「ボトムノート」
という。
この時の「note」は、
「特徴」という意味だろう。
⁂
同書に、
東京で流行りつつある
として
"プルドポーク"が出てきた。
これは、
豚の塊肉をホロホロになるまで
じっくり火を通してから
細かくほぐしてBBQソースを絡めた
アメリカ南部のテネシー州や
ノースカロライナ州の
BBQ料理である。
この時の「pull」は
「引き離す/引き裂く」
という意味で用いられ、
例文を見たら
「pull the kids apart
(喧嘩をしている)子どもを引き離す」
とか、
「I pulled some apples from the tree」
( 木からリンゴを何個かもぎ取った)
と用いられていた。
一般には「プッシュ」の逆で、
缶詰の「プル・タグ」のような
「引く」くらいにしか
認識がなかったが、
「引き離す」という
ニュアンスがあることを
こういう機会に覚えておきたい。
スピネット・チェンバロの
修復が仕上がったので、
ついでに、壁掛けヴァイオリンも
配置換えした。
1/16と1/8の子ども用もあるので、
ここに加えたら、
さながら楽器屋さんか
ヴァイオリン教室みたいに
なっちまうなぁ…(笑)。
時折、名コラムがある
朝刊の『編集手帳』には
毎朝いちばんに目を通している。
最近、初めて知った
『ハバナ症候群』は、
スパイ戦争で
電磁波銃が密かに
使われているらしい…
というので、驚いた。
電子レンジの構造を
極小化して
超指向性にしたら、
標的にマイクロ波を
浴びせる事は可能である。
なんだか、
むかし実際にあった話で、
カラダを洗ってあげたネコを
早く乾かそうとして
電子レンジに入れた
ホステスの馬鹿おネーチャンを
思い出してしまった。
ネコは
「ギャッ!!」
と叫び声をあげたあと、
ニャンとも言わなくなったという。
そりゃそーだ。
脳組織が、
茹で卵みたいに
熱変性して固まったんだから…。
想像するだに、
オソロシイ武器ができたものである。
午後からテルサで
SCコーディネーター研修会の
スーパーヴァイザー仕事がある。
なので、
オフ日の半日バイトのつもりで
気軽に行ってこようと思っている。
同様のことは、
職場でいつもやってるので
特に気構えることもない。
なんたって、
それの専門職であるし、
ケースの分析やら
解説は日常茶飯事である。
近所の散歩道である
濁川の土手が整備され
舗装されるようである。
これまで、
自然状態で草が伸び放題だったが、
いい按排に、青年会館の竹林の
地下茎からタケノコが生えだして
毎年のように散歩がてらに
収穫していた。
それが出来なくなるのが
残念だなぁ…と、思ってたら、
なんと、その地下茎は
土手道を跨いで
土手の斜面にまで伸びていて
若竹が二本生えていた。
ならば、
来年はそこら片に
タケノコが目を出すかもしれない。
ギンナンのような
小っちゃな実をならせる
梨の巨木があるが、
白い花を咲かせる頃は
生い茂った枝でトンネルが出来て
とてもいい風情だったが、
その枝先もバッサリ刈られて
トンネルが失せてしまったのも
残念である。
そのうち、
土出の斜面までコンクリで
硬めだしたりしないかと、
役所のやる土木仕事を
恨めしくも思っている。
⁂
近所の八幡様の隣の空き地は
また遺跡が出たようで、
発掘作業がなされていた。
この辺りは、
掘ると必ずや
住居跡が出てくる。
おそらくは
我が家の地面下にも
あるのだろう。
長年、食卓で
日常使いしている
信楽の組皿を割ってしまったので、
金継をして使うことにした。
漆で接着したら
マスキングテープで養生し、
乾燥後にバリを鑿(のみ)で
削り落とし、
金粉と漆を練ったものを
竹串の先端をつかって
割れ目に盛っていく。
本職がやると、
この後、完全に乾燥してから
表面を「タイ(鯛)の牙」という
大きな歯を使って磨く。
なぜタイなのかとも
思ったのだが、
おそらくは
職人たちの代々の経験則で
それがベスト素材だったのだろう。
スーパーに行ったら
早くもクリスマス・ケーキの
予約注文を受け付けていたので、
カタログを持って帰った。
ここの処、
近所のシャトレーゼばかりだったので、
今年は「不二家」の
抹茶ケーキにしようかと
カミさんと相談した。
我が家は、
所帯を持って来、
家人の誕生日とクリスマスは
アントルメ(ホールケーキ)と
決まっている。
それをひとつの
家庭文化としてきた。
必ずや蝋燭を灯し、
父親が切り分けて
家人に配るのである。
これは、
キリストがパンとワインを
分け与えたという儀式を模して
「通過儀礼」的な祝祭感を味わうのと、
家族の「絆」を体感するためである。
ダンゴ三兄弟とも
ずっとそれ式で育ってきているので、
何処かにこの「家庭文化」が
刷り込まれていると思う。
フミの息子愛を見るにつけても
そんな感じがする。
ここ十数年、
愛着障害性の不適応児群を見ていて、
貧困でもない中流以上の家庭で、
ケーキで寿がれたことがない、
ディズニーランドに
連れて行かれたことがない、
年越しそば・正月の餅・おせちを
食したことがない…という
家庭が有意に多かった。
「家庭文化」がないのである。
あるいは、親たちが
子どもの喜ぶ顔を見たいと
思わないのである。
それらは、決して
ネグレクトでも虐待でもないが、
どこか寂しくはないだろうか…。
思春期以降に
非社会的(不登校)・反社会的(非行)と
さまざまな不適応が生じる背景に
こころ豊かな家庭文化の有無が
大きな因子になっている事は
当たり前すぎる常識だが、
それでは、親たちの誰もが
こころ砕いて、工夫して
文化を醸成しているかは
疑問でもある。
『聖樹のパン』の最終巻に
ワインの利き方が
描かれていた。
最初に
スワリング(くるくる回す)して
立ち上がるアロマを嗅ぐのを
「トップノート」
グラスに鼻を近づけて
嗅ぎ取るのを
「ミドルノート」
口に含み鼻腔に立ちのぼる
香りを聞くのを
「ボトムノート」
という。
この時の「note」は、
「特徴」という意味だろう。
⁂
同書に、
東京で流行りつつある
として
"プルドポーク"が出てきた。
これは、
豚の塊肉をホロホロになるまで
じっくり火を通してから
細かくほぐしてBBQソースを絡めた
アメリカ南部のテネシー州や
ノースカロライナ州の
BBQ料理である。
この時の「pull」は
「引き離す/引き裂く」
という意味で用いられ、
例文を見たら
「pull the kids apart
(喧嘩をしている)子どもを引き離す」
とか、
「I pulled some apples from the tree」
( 木からリンゴを何個かもぎ取った)
と用いられていた。
一般には「プッシュ」の逆で、
缶詰の「プル・タグ」のような
「引く」くらいにしか
認識がなかったが、
「引き離す」という
ニュアンスがあることを
こういう機会に覚えておきたい。
スピネット・チェンバロの
修復が仕上がったので、
ついでに、壁掛けヴァイオリンも
配置換えした。
1/16と1/8の子ども用もあるので、
ここに加えたら、
さながら楽器屋さんか
ヴァイオリン教室みたいに
なっちまうなぁ…(笑)。
時折、名コラムがある
朝刊の『編集手帳』には
毎朝いちばんに目を通している。
最近、初めて知った
『ハバナ症候群』は、
スパイ戦争で
電磁波銃が密かに
使われているらしい…
というので、驚いた。
電子レンジの構造を
極小化して
超指向性にしたら、
標的にマイクロ波を
浴びせる事は可能である。
なんだか、
むかし実際にあった話で、
カラダを洗ってあげたネコを
早く乾かそうとして
電子レンジに入れた
ホステスの馬鹿おネーチャンを
思い出してしまった。
ネコは
「ギャッ!!」
と叫び声をあげたあと、
ニャンとも言わなくなったという。
そりゃそーだ。
脳組織が、
茹で卵みたいに
熱変性して固まったんだから…。
想像するだに、
オソロシイ武器ができたものである。
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