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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

春休み

2021-03-19 06:22:00 | 生活
 春風に
  似たるこころを持ちたしと
   吹く春風に
    吹かれつつ思ふ

            碧水歌



早いもので、
今日から春休みである。

幼稚園が
6歳だったから、
爾来、学校社会を一度も
出ていないので、
57回目の「春休み」となる。

もう、ベテランだ(笑)。

さあ、なにすべぇ・・・
である。

とりあえず、明日は、
「チーム山木屋」の
解散式を兼ねての
棚倉への小旅行で
三ツ星店の「小判寿司」に
行ってくる。

慢性気管支炎のようすも
いまひとつなので、
今日は、鍼に行って、
メンタル・クリニックに行って、
あとはノンビリ静養してようと思う。




きのうは
今年度最後の勤務日だったので、
T中の近所にある
Tちゃん先生の教会に寄らせて頂き、
一年間の「無事御礼」を
させて頂いた。

全120日
「無欠勤」であった。



Tちゃん先生は
愛猫家で保護活動の
NPOもされているので、
ニャンコが20匹にもなったという。

教会にも仔猫が三匹いて、
ちっとも人見知りせず、
一匹が窓枠から
ピョイと肩に飛び乗った。

ナウシカとテトみたになったので、
名シーンを真似て
両手を広げてみた(笑)。

帰り際に、
ジャンボぬいぐるみを
頂いたので、
抱きかかえて引きずるように
ウンショうんしょ
カウンセリング室まで
もち運んだ。

すると、
その姿を目撃していた
女性の事務の方や先生方が、
駆け寄って来て
そのどでかさに驚いていた。

中に詳しい方がいて、
「先生。
これ、テディベアですよ。
すごい!!
こんな大きなもの
初めて見ました。
これ、ウン万円はしますよ」
とのことだった。

言われてみて、
付いてたタグを見て、
ネットで検索してみたら
正規品のモノホンだった。

Tちゃん先生は
何かのビンゴ大会かで
当たったと仰っていたが…(笑)。

場所をとって
置き場に困っておられた
ようだった(笑)。





さっそく、
「りく坊」と命名して
ピンクの付箋を
ネームプレート代わりにした。

ついでに、
カウンセリング室の
名物キャラにしようと、
「抱っこすると、
幸運がきます!!」
という、
キャッチーな貼り紙をした(笑)。

そしたら、
案の定、
ふたりのJCが
キャーキャー言って
抱きついたり、
自分が抱かれるように
腰かけていた(笑)。

【鰯の頭も信心から】
とも言うので、
「りく坊」も
ラッキー・アイテムとなれば
有り難いと
思われるようになるかもしれない(笑)。

なんだか、
口コミで、
昼休みあたりに、
JCがぞろぞろ来そうな予感がする。

そしたら、
ギターで
『超絶技巧版・ダンゴ三兄弟』
でも弾いて
キャーキャー言わせてやろうかしらん(笑)。





学校というところは、
どこも、出勤すると
デスクやボックスに
何かしらお菓子が置かれている。

そういう、
仕来りなのだろう。

カミさんも、
出張で遠出すると、
必ずや菓子折りを買ってきて
職員に配るという。

おかしな習慣だが、
中には、自分ひとりで
職場でお菓子を食べるのが
憚られるので、
周囲にもどうぞと配るのが
発展したという説もある。
(あたいの説・・・笑)

きのうも
「さつまいもパイ」が
職員室デスクに
ポンと置かれていた。

かつては、
「被毒妄想」っぽいのが
あったので、
こういうものには
手を付けずに、
こっそりと捨てていたが、
歳ぃとって鈍ってきたのか、
今はあんがい平気になってきた。

それでも、
最初に口にする時には、
(毒入ってないだろうな…)
という妄想が
チラと浮かんだ(笑)。

昭和の頃には、
毒入りコーラとか
グリコ事件とか、
混入事件がよくあったので、
そのトラウマを
令和の時代まで
引きずっている。




Tちゃん先生から
久しぶりに『金光新聞』を
手渡されて
「教主様が代替わりされたの
ご存知でしたか?」
と訊かれ、
「いえいえ。
とんと教団から
関心が離れてるんで…」
と"脱北者"や
"隠れキリシタン"みたいな
心境だった(笑)。

かつては、
『金光新聞』にも
「教育相談」を連載したこともあり、
不定期に対談や
コメントが載ったこともあり、
教徒社から無料で
何年も届けられていた。

Tちゃん先生から
ご紹介頂いた
クライエントさんが
教会参拝された時に、
手紙を置いていかれたとのことで、
受け取ったら
「クオカード」と共に
礼状が入っていて
有り難く思わせて頂いた。

後から気付いたら、
ご献費と同じ額面だったので、
なんだか、神様から
ボンビー・カウンセラーに
形を変えて還付金として
戻してくだすったような気がした(笑)。

【貧者の一灯は
 富者の万灯に勝る】
と、中村先生の
仏教学レクチャーで
聴いたばかりだった。






五輪開会式の
総合ディレクターの
"佐々木"何某が、
「おりんピッグ」と捩って、
渡辺 直美を豚に仕立てて
笑いを取ろうとしたという。

それが、
周囲の顰蹙を買って
役を辞したというから、
シンキロー(森喜朗)に続いて、
どこまでミソがついた
呪われた大会か・・・と、
嘆息がでた。

著名人や
一般人の聖火ランナー辞退も
続出している。

各社週刊誌の
中刷り広告にも
「やる意味あんのか!?」
という文言が
飛び交うようになった。

1兆6440億円もの
予算を組んでるもんだから、
今さら、引くに引けんのだろう。

バッハ会長も
ガースーも、ユリコも、
「やる、やる」の
一点張りである。

なんだか、
「やるやる詐欺」
みたいな顛末に
なんじゃねーの!?
と、毒づきたくもなる。

だから、
いっそのこと、
1兆6440億円分の
コロナ・ワクチン買って
途上国や最貧国に
無償配布したら…
っていうの(笑)。

さすれば、
五輪理念の
人類の平和と協調、
公平性の具現、
人道への献身的善意として、
開催されなかなったが
人類史に残る
「2021レジェンド」になるだろうに。

さもあれば、
アスリートも
スポンサーも
各国民も、みーんな納得の
大岡裁きの
『三方一両損』に
なるんだよね。

だから、
政治家も
落語を聴かなっきゃ
駄目なんだよ・・・。







朝方、ゴミ捨てに行き、
毎春、目を出す
近所のフキノトを愛でた。

そこは、
さすがに他家の
敷地内なので
採集するわけにはいかない(笑)。

でも、
側溝沿いの裏庭の外れなので、
当家の人たちも含め
だーれも気にもせず、
毎年、ほったらかされて
大きなフキにまで成長して
枯れてオシマイ・・・
なのである。

なので、
生態観察と
鑑賞用にのみ
留めている。



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年金

2021-02-04 06:34:00 | 生活
立春を過ぎたが、
昨日も今日も
雪降りの朝である。

今朝は
まだ暗い夜明け前に
雪を踏みしめ
ゴミ出しに行くと
帰りに往路の足跡が
しっかり残っていた。

概算すると
誕生してから
23,054回目の朝であり、
雪がちらつく中天に
半月が照っていたのを眺め、
(二万三千回目の人生だ…)
と、独り言ちた。






茶室前の蹲(つくばい)には
薄氷が張り、
雪見灯篭には
いいあんばいに
綿帽子がかぶっていた。

まさに、
この一角に
カメラを向けて
景色をトリミングすると、
冬の朝の風情があり、
茶室で暖をとりながら
一服喫茶したくなるものである。






学校に着くと、
校門の松にも
うっすら雪がつもり、
陽光と青空に映えていた。

これはこれで、
冬の美しさ
というものだろう。

始終ブログ日記を
記していればこそ、
意識して風景に目をやり、
そこに何かを感じ、
それを記録し記述する、
という「生」への
深いコミットメントをしている。

これが、
3.11とコロナ禍で
「魂感」した
我がライフ・モットーである
【人生深生き】
の実践である。

毎日、毎瞬間を
意識的に深くコミットする。

さすれば、
【夕べに死すとも可なり】
と思っている。







就寝時の「口テープ」が
功を奏してか、
上気道炎が
順調に癒えてきて、
病時食餌療法から
再び糖質制限食餌療法に
切り替えた。

朝はコーヒー一杯と、
炒り大豆ひとつかみである。

それで出勤したら、
通勤路傍にある
ミニストップのイチゴソフトの
垂れ幕に目が奪われ、
吸い寄せられるように
朝ソフトを喰うはめになった(笑)。

でも、
その甘味と
クリスピーなコーンの
なんと美味しいかったことよ(笑)。

糖質制限食の禁を破った
忸怩たる思いよりも、
口中の恍惚感のほうが
遥かに凌いでいた(笑)。

【空腹は最良のソース】
とは至言である。






病時食で続けていた
「ニッスイ」のおにぎり弁当も
まだ惰性で続けているが、
今日あたりから
オニギリ抜きの
糖質制限食に戻そうかと
思っている。

(…それにしても、
前夜の鍋物の出汁昆布や
豆腐の切れっ端まで入ってる
ボンビー弁当であるなぁ…笑)

一時リバウンドした体重が、
また、減りだしたので、
目標の「75㎏の壁」を
なんとか20年ぶりに超えて、
40年ぶりに「60㎏代」の世界に
戻ってみたい。

なんだか、
そのゴールには、
「坐骨神経痛」完治という
ご褒美が待っているような
気がしてならない。

きっと、
そうなのだろう。

それゆえの
日々の慢性的な
鈍痛なのかもしれない。

セルフ(無意識の自己)による
遠大なアレンジメント(計らい)
なのではないか…と、
近頃、薄々感づいてきた。




仕事から帰宅したら、
大きな茶封筒が
郵便受けから
はみ出していた。

見ると、
私学共済からで、
また、年金書類の書き直しかと
ゲンナリした。

これまで、
三たび、再送、再々送…と、
書き直し、訂正を要求され、
ほとほと嫌んなってたので、
さもありなんである。

重々しく
開封してみると
「証券」みたいなのが出てきて、
やっと「年金証書」なるものが
送られてきて、
給付決定と今月から
給付開始になった。

11年間奉職して
払い続けた掛け金が
360万ほどだったようで、
それに対しての
月3万の「厚生年金」が
生涯支給されることになった。

これに、
65歳から支給される
国民年金が幾ら加わるのか、
その時になってみないと
判らない。

それも
35年払い続けたので、
願わくば、
両方足して
「生活保護」の13万より
上回っていて欲しい。

そうでなければ、
全く払わずに
ボンビーになった人を
保護するのに
年金支払者と同程度の金額では
不平等、不公平感がある。






フミと「りく坊」ちゃんが
笑い合ってる1枚を見て、
なんだか、心がホンワカした。

フミが産まれたのが、
まさに、彼が父親になった歳と
同じ頃だから、
自分もこんなんだったんだなぁ…と、
世代送りの妙が
不思議でもあるような
気分になった。

歯なしの赤子と
歯のある大人が向き合って、
大きな手と小さな手が
しっかとつながり合ってる。

 あたへられしいのち
  みづから育ちゆき
   育てられゆく
    いのちといふもの

         碧水歌



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辞世の句

2021-01-29 10:17:00 | 生活
朝目覚めたら
庭木が雪化粧していた。

そういや、
また寒波がくるとか
予報でいってたなぁ…。

今週は
変則勤務で、
月曜から四日連続出勤し、
今日がオフ日となった。

土日も
自宅カウンセリングと
ギターレッスンがある。

なので、
今日を、のんびり、
駄々羅に過ごそうと
思っている。




いつもなら、
早朝にブログを書き始めるが、
今日に限っては、
十一時近くになって
やっと寝床から離れた。

まだ、
上気道に違和感があり、
黄色い痰も切れるので、
炎症が治まってないようだ。

なので、
きょうはおとなしく
安静にしていよう。




朝刊に載る
新刊広告には
毎日目を通しているが、
その見出しだけ見て、
実際に買うのは滅多にない。

『明日死んでもいいための
44のレッスン』
なるタイトルと
見出しに目を惹かれて、
どれどれ…と、
目を通して見た。

けっこう、
やってんじゃん…と、
自分の「終活」にも
当てはまるのが多かった。

中に、辞世を作っておけ、
というのがあって、
ナルホイド…とばかり、
一句、駄句を吐いてみた。

  人生を
   学び遊びて
     嗚呼愉快

こんなんが、
自分の心情にはぴったりだ。








毎日のように
中世・ルネサンス期のCDが届き、
これまであまり聴かなかった
ハスラーやプレトリウスなぞの
音楽を繰り返し耳に浴びている。

それが、
400年も昔の音楽だと思うと、
なんだか、不思議な
タイム・スリップ感がある。

最近、よくある
タイムラプスという
早送り画像のように、
その頃からコロナ禍の現在まで
人類の"愚かな"歩みが
パノラマ現象のように
振り返られる。

人の無垢なる心が、
清浄な精神性が、
真善美聖が、
今の世に顕現化されるのを
祈るばかりである。







"ぼっちランチ"でも、
たまには贅沢して
『ウニのパスタ』なぞを
こしらえる時もある。

生ウニと卵黄、
生クリームを
フードプロセッサーで撹拌し、
熱々アルデンテの
『ディチェコ#11』に絡めて
一丁出来上がり!

脳内セロトニンが
ドバッ! っと
出そうな濃厚クリーミーで
これは「麻薬」なみの
旨味の極みであるので、
年に一回くらいが
ちょうどよい(笑)。




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濃密化

2020-10-09 06:13:00 | 生活
コロナ禍の今、
【ピンチはチャンス】
でもあり、
個人的に『死と再生』の
通過儀礼の期間と捉え
“生き直し”を実践している。

もう、人生の残り時間が
少なくなってきたので、
どうやって「濃密」に生きるか
というんで、オフ日ともなると、
ゆっくり寝て居られず、
色んなことを一日に
“幕の内弁当”のように
ギューギュー詰めにしている。




去年の夏、
松川浦の灯台で
3.11の大津波で立ち枯れになった
大木の枝を持って帰ったので、
それを利用してオリジナルの
点前台子(だいす)を拵えてみた。

作りかけのパロックギターの
作業台の空スペースで
接着作業をした。

デスク正面壁には、
パリコンの製作部門で優勝した
世界一のリューティエ(製作家)
桜井 正毅さんが来福時に
頂いた色紙と
仲間のリューティエとの
スリーショットが飾ってある。






半日乾燥させて、
晩には茶室に搬入したら、
なかなか侘びた風情が
いい景色であった。

なにせ、
あの大津波をかぶり
9年もの間、
潮風に吹かれて
枯れ切った枝なので
“味わひ”が有る
なんてもんじゃない。

同じく枯れた白竹と
互い違いに並ぶと
その対比の妙も
感じられる。

「真・行・草」の
台子の格式から言うと、
まさしく「草之草」とも言える
砕けにくだけた前衛的な
作風になった。

そういや、
3.11の翌年に
津波被害のあった松林から
枯れ枝を持ちかえり、
それをバロックギターの
ブリッジに仕立てて
売りに出したこともあった。

松川浦では
数百の人が犠牲になられたので、
その慰霊・鎮魂のための
製作をした。




古物店を巡っていたら、
作家物の備前茶碗が
690円という
信じられない値段だったので、
ほくそ笑んで買って帰った。

見ようによっては、
たしかに、これ以上ない
というほどの「カセ胡麻」が
一面に付いて、
今、泥水の中から上げたような
“汚れ”のようにも見える。





裏を返すと
高台にはちゃんと銘が彫ってある。

自然油の溶け流れた「垂れ玉」、
緋色の筋目の「火襷(ひだすき)」、
還元焼成による「桟切(さんぎり)」、
強還元状態による「青灰」、
白地部分が残る「抜け」、
真っ黒な「焦げ」、
…など等、肥前のあらゆる特徴が
一碗に結集している『超レア物』で
これこそ『ザ・ビゼン』である(笑)。

こんなのが、
千円以下で手に入るとは、
「ふたつ悪い事 さてないものよ」で、
先日の忌まわしい出来事を耐えた
神様からのご褒美なのかもしれない、
と思わざるを得ない。

なので、やっぱり、
【ピンチはチャンス】
なんだなぁ…。

午前に、
“侘びた”台子を拵えたら、
午後に、
“寂びた”茶碗を見出した。

【弟子の心構えができると
 師匠が現れる】
という格言のように、
まさに、シンクロニシティックな
現象である。

明日は、
この台子と茶碗で
お弟子さんに
お濃茶を立ててあげようと思う。





まだ、
持ち手になる裏側が
初(うぶ)感があったので、
贋作家が使う手法で、
麦茶パックと抹茶で
半日ほど土鍋で煮てみた。

こうすると、
茶渋が滲みて、
時代掛った風合いが
即席に出せるのである。

姑息な手段だが、
せっかく高価な濃茶を練るのに
真っ新(さら)のものでは
やりたくないのが
茶人の心情である。






茶道具屋さんには、
早くも、令和三年の
道具類カタログが届いていた。

室礼も季節を先取りするのが、
茶の流儀だが、
それでも、せいぜい、
ひと月ばかり早く…
というのが常法だが、
茶道界では、もう来年の干支作品が
創られているのである。






お昼は、
最近よく出かけている
庶民的な割烹で、
カツ重を頂いてきた。

古くからの老舗なので、
さすがにハズレのない
味であった。





オフ日で
夕飯当番だったので、
晩は、こないだ新潟土産の
スパークリング・ワインを開けようと
ワンプレート・フレンチにすべく
買い出しに出かけた。

プレートを設置してみたら、
偶然にも、バラで買ったものが
同じ「ノリタケ」のシリーズもので、
片やゴールド・フレーム、
片やシルバー・フレーム、
だったことに初めて気付いた。

二つ並べてみたら、
さながら、
夫婦茶碗のような
「金さん」「銀さん」だった(笑)。




『ポワレ・ド・ドラード・オー・テリーヌ』
(鯛のポワレ テリーヌ添え)
を拵えた。

鯛は塩胡椒してから
キッチンペーパーに包み
ほどよく脱水してから
焼いた時に身が縮まないように
1時間ほど室温に戻した。

ブール・クラリフィエ
(澄ましバター)
とレモンオリーヴ油で
皮目をパリリと焼き上げ、
あとは余熱で火入れした。

フードプロセッサーで
すり身にしたものは、
テリーヌ型と
ジャンボ・マッシュルームに
鋳込んで
オーヴンで火入れした。

マッシュルームから
滲み出たジュを
生クリームで伸ばし、
ブールモンテ
(バター繋ぎ)し、
仕上げにディルを加えて
ソースとした。

ドイツパンの
『ハルツ』で買った
クルミ入りバケットが
これによく合い、
新潟の「セイベル」種の
スパークリング・ワインも
ブリュット(辛口)で
ヴィアン・マリアージュだった。





ちょうど、夕飯前に、
大学ギター部後輩のTから
先日送ったCDの返礼として
東京の老舗店の
クッキーが送られてきた。

三十種ちかいクッキーが、
缶の中に隙間なく
みっちりと詰め込まれており、
その独特のパッキングに
カミさんと感心してしまった。

フレンチ・サパーの後、
コーヒーと共に
いいデセールになってくれた。

丁重なお礼状も添えられており、
Tの実意丁寧な人柄が偲ばれた。


***

夕飯後は、
茶室で、琴を弾じ、
書室で、志ん朝の
『二番煎じ』を聴きながら
行書の稽古をし、
眠くなった頃にベッドに潜ったが、
(充実して、濃密な一日だったなぁ…)
と、一日を振り返ってたら
眠りに落ちた。


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ネット終活

2020-09-20 04:59:00 | 生活
「ネット終活」したことで、
早くも生活のフェーズが
変わりつつある。

こうなってほしいなぁ…と、
漠然と思い描いていたことが
起こってきたり、
新たな人たちとの関係性が
始まったり…と、
なんだか階段を一段上がったような
心境である。

今までにも幾度も体験してきた
「死と再生」に
イニシェートされている今を
生きている感じである。

【新しい酒は新しい革袋に】
である。

ヴァーチャル時空よりも
リアル時空が充実する方が
いいに決まっている。

仕事面が充実してきて、
やり甲斐のあるケースが
増えてきているのも
有り難い。

真剣に取り組む人たちだけを相手に
全人的に生きる
というのは
大変だが生き甲斐にもなる。

ここに来て、
カウンター数席の店で
常連と時たまのご新規客を相手に
やれる範囲、関われる範囲で
すべき事をやるだけである。

エリクソンの提唱した通り、
65歳までの壮年期の発達課題でもある
「自己停滞」と「世代間継承」をも
今まさに、それに当たっている。



3.11やらコロナ禍やらで、
人生、何が起こっても
不思議でないことを
痛感させられたし、
予定調和なぞも怪しいものだ
とも思っている。

ならば、
「今、ここ」を生きよ、
である。

人生、深生きするには、
この瞬間を味わえ、
である。



量子には
粒子としての性質と
エネルギーとしての性質の
二面性がある。

してみれば、
量子から成る我われも
粒子(物質)的側面と
エネルギー的側面の
二側面を持ち合わせているのも
道理であるなぁ…と、
ふと気が付いた。

あらゆる宇宙的現象が
熱力学的な法則に従う、
としたならば、
エントロピーの増大には
抗えないので、
秩序あるものは必ずや崩壊し
ランダム化に向かう。

生命体のみが、
唯一、かりそめの間、
エントロピーを減少させるべく
たえず新陳代謝をしているのである。

個体がそのエントロピーを
減少できなくなった時が
死を迎える時だか、
それでも、次世代に
生物的遺伝子と文化的遺伝子を
引き渡して、その個体の
生きた証ともいえる
情報を継承するのである。

個体として滅びることにより
種の秩序は維持され、
エントロピー増大の宇宙律に
抗っているのである。

…などということを
今回の「通過儀礼」の渦中にあって
思考実験で得た。

「二つ悪い事 さてないものよ」
である。



連ドラの『はね駒(こんま)』が
終わった。

けっこう面白かった。

『エール』が
途中、コロナ禍で
中断されたので、
その代償としては
十分過ぎるほどの
内容であった。

樹木希林の存在感と好演が
ヒロインよりも
作品に重厚感と深みを与えていた。

三枝さんの得意な
劇伴“オマテ”(泣かせ節)が
作品にハマッていた。

最終回には、
若き日の三枝さんが
武士姿で登場して
驚いた。




再開した『エール』は、
本線よりもサブの
梅ちゃんとゴロちゃんの
凸凹ロマンスの方が
俄然面白い。





年に一、二度は
街出のついでに
ブラリと母校の小学校に
寄ることがある。

きのうもそうしてみて、
(あぁ…。
こりゃ、いつ死んでもいいように、
という御暇行為なんだなぁ…)
と気が付いた。

懐古趣味だとばかり
思ってたが、
いつ死んでもいいように…、
という「終活」を常に
日常でしてたんだぁ…(笑)。



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