牧者の声

 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。
 しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。
 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
 しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」(ヨハネ10:1-5)

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 誰が牧者なのか、わからない。
 盗人についていったこともある。
 迷い出た羊のようだ。

 だが、本当の牧者の声をはっきりと聞くときが来る。
 そのときには、牧者の声をそうとすぐに分かる。
 そうなれば、その牧者のあとにのみついてゆき、もう盗人を牧者と間違えることもない。
 救いとは畢竟、この牧者の声を聞くということにかかってくる。

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[一版]2014年 8月 8日
[二版]2017年 5月 6日(本日)

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