「あなたからいただいたすべての者

 「イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。
 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:1-3)

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 イエスの祈り。

 イエスを知るとは、十字架で葬られて復活したイエスと出会うということである。
 救い主イエスの存在自体は多くの人に知られている。
 だが、イエスが「永遠のいのち」をお与えになるのは、「あなたからいただいたすべての者」だ。
 この選びを、恵みという。
 「あなたからいただいた」者がどれくらいの割合なのかは、誰にも分からない。
 ごくごく一部かもしれないし、およそ全ての人かも知れない。
 ともかく、恵みによる選びということをイエスは明言している。
 恵み、ということは、行いやわざによる選びではないということだ。

 恵みにより選ばれた人々は、すべてもれなく救われ、イエスと出会って「永遠のいのち」を得る。
 イエスは、肉を極刑で処分し、それが認められてよみがえったお方である。
 このイエスを信じることができれば、その人はイエスが処分したのと同じ肉から救われる。

 一方、行いやわざを行う人間の肉は、救われるべき対象そのものである。
 そうすると、救われるべき対象を駆使することによってその対象が救われよう、ということになる。
 しかしそれは、古い約束であり、過ぎ去った過去のことである。
 また、わざによっては、誰一人救われない。
 神の求める基準が高いからだ。

 その基準の高いわざは、十字架のイエスが代行してなして下さった。
 あとは恵みによってそのイエスと出逢えるかというのが、救いについての新しい約束である。
 この新しい約束とは、いわゆる信仰義認である(ローマ3:20-24)。
 ただ、 「あなたからいただいた」者がどれくらいの割合なのかは、誰にも分からないだけなのである。

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