「求めなさい。そうすれば受けるのです」

「あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」(ヨハネ16:22-24)

---

 イエスは言う。「求めなさい。そうすれば受けるのです」。
 しかし、実のところ、求めるべきことというのは、そう多くはない。
 それどころか、たったひとつしかない。
 そのたったひとつの求めるべきこと、それは復活のイエスとの出会いである。
 「あなたがたが父に求めること」の全ては結局、このひとつのことにのみ帰結する。

 「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません」。
 復活のイエスに出会って、全てを了解するので、あえて尋ねることもない。
 イエスの受肉、十字架、復活…。
 そのことを了解した喜び、それは何物にも代え難い。
 つまり、「いのち」を頂いて、それでそのことを了解できたのだ。

 イエスは言う。「求めなさい。そうすれば受けるのです」。
 そのイエスの御名によって、ただひとつのことを求め続けるのである。
 そして、「そうすれば受けるのです」。
 受けていないとすれば、全く異なることを求めているか(これはほんとうによく見られる)、実のところ何もイエスに求めていないかのどちらかなのだろう。

---

 よろしければクリック下さい。
にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ ブログランキングへ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )