"…you in Me, and I in you."

 「いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。」(ヨハネ14:19-20)

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 少し戻って、再度上記聖書箇所より。
 「わたしが父におり、……」のくだりが英語聖書NKJでは 、
  "I am in My Father, and you in Me, and I in you."
となっていることも前回紹介した。

 ところで、何冊かの新書を読むと、それぞれの著者の立場は異なるのに不思議な一致を見る。
 それは、互いに承認し合う、互いに敬意を表することの大切さについて、特に強調していることである。
 ここでの「互いに」というのは、「私」と「あなた」の関係性においてであるが、一昔前までは当たり前だったこの関係性を、今は特に明示して強調する必要があるようだ。
 つまり、以前は自明であった相互承認の関係性が崩壊してしまっているのであろう。

 さて、上記聖書箇所にもどる。
 「あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。」、英語では、"……and you in Me, and I in you."
 復活のイエスに出会うとき、そのイエスが生きているのと同様に私たちが生きる。
 そのとき、私たちはイエスにおり、またイエスは私たちにおる、そのような相互的な関係が結ばれる。
 互いに認め合う、という以上に、神の子と一心同体化する。互いが互いになる。
 「私」と「あなた」との相互性もいいのだが、それはこの世でのことだ。
 その世「に」勝利する上で(ヨハネ16:33)、この神の子との相互一体化以上に大切で心強い関係性があるだろうか。
 つまり、"……and you in Me, and I in you." とは、この世にある私たちにイエスが与えてくださる何よりの約束なのだ。
 復活のイエスに出会ったとき、その約束は現実のものとなる。

 私たちがこの世を生きるのは、この世「で」勝利するためなどではなく、かえって、この世「に」勝利すること、この世を超克してしまうことにある。
 そのことのために、イエスは一心同体に、私たちと歩んでくださる。
 そう考えるとき、この "……and you in Me, and I in you." は、非常に大切な聖句ではないだろうか。

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