つまずくことのないために

 「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。
 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。
 彼らがこういうことを行なうのは、父をもわたしをも知らないからです。
 しかし、わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、その時が来れば、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。わたしが初めからこれらのことをあなたがたに話さなかったのは、わたしがあなたがたといっしょにいたからです。」(ヨハネ16:1-4)

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 さくじつの記事の続き。

 会堂というのはシナゴーグ、すなわち、コミュニティーのほぼ全てという位のもの。
 そこから追放されるであろう、イエスはそう話す。
 なぜなら、神も神の子も分からない闇は、そうではない光を放逐することこそ正しいと思っているからである。

 コミュニティーからの追放というのは、大きな逆境だ。
 だがそれでも、光がつまずくことはない。
 何故なら、イエスからあらかじめ聴かされていたことが起こったというだけのことだからである。
 だから光は、ますます光としての確信を強める。
 このように、イエスと出会って「いのち」をいただいた人が、「いのち」からつまずくことはない。
 闇と比べて、「いのち」があまりにも素晴らしいものだからである。

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