男の料理指南

知人がくれたレシピを紹介します。
アレンジも含めた男の料理です。
じーじが娘と孫に残したいレシピ

小松菜と豆腐のチャンプルー

2016年03月09日 | 野菜類
ここ数回に亘り日本語人と日本文学について、司馬遼太郎さんとドナルド・キーンさんの対談を
お伝えしてきました。キーン氏は、日本文学と日本文化研究の第一人者で、代表作に「日本文
学史」があります。1922年生まれで現在93才。5年前の東北大震災のとき、フクシマの放射能を
怖れる外国人が次々に日本を離れるのを見て残念に思い、コロンビア大学を退職し日本永住
の決意をします。’11年9月永住のため来日、’12年3月に日本国籍を取得しました。

氏の行動は、当時の日本人を励まし、感動を与えてくれました。司馬さんが存命なら、何という
だろう・・と私は思いました。司馬さんはキーンさんと肝胆相照らした仲でした。二人に共通する
のは、我が日本を愛する心を持っていたこととお思いいます。

キーンさんは、’82年~’92年、朝日新聞の客員編集員を勤めましたが、それには司馬さんが
一肌脱いだと言う実話があります。朝日新聞主催のシンポジウムの後の食事会でのこと、司馬
さんとキーンさんもその会に参加していました。同席していた朝日の編集局長に司馬さんは次の
様に言います。

「朝日が良識があるなら、キーンさんを朝日に雇いなさい。明治時代の朝日は夏目漱石を雇う
ことで良い新聞になった・・今キーンさんを雇わなければ、朝日は良い新聞になれません」。
これを編集局長が聞いた一か月後、キーンさんは朝日の社員になりました。
・・ドナルド・キーン著「日本語の美」100p「司馬さんと私」より抜粋・・

キーンさんは、太平洋戦争のとき、米海軍の通訳官として入隊していて、その時の逸話です。
’43(昭和18)年7月、北太平洋キスカ島を日本軍が撤退する時、連合艦隊が包囲する中、将兵
約5200名全員を無事撤退させました。濃霧の中、5200名を55分の短時間で、1隻の船が八つの
艦に往復し、全員を乗り組みさせた・・それも包囲する的艦隊に気づかれず・・奇跡の業でした。

この時、日本軍軍医が悪戯に「ペスト患者収容所」と書いた看板を兵舎の前に立てかけて島を
去りました。もぬけの空になった島に上陸した米海軍がこの看板を発見、キーン通訳官がこれを
翻訳、米軍は大混乱に陥ります。感染を疑われたキーン氏検査のため戦線後方に送られました。
これが、日本軍軍医の悪戯と分るのは、随分後のことでした。・・にしても面白い噺と思いました。

「Wikipedia・・キスカ島撤退作戦」のリンク。興味ある方、ご一覧下さい。


お送りするレシピは、冬菜の「小松菜」と「ホウレンソウ」を豆腐と揚げ豆腐を使いチャンプルー風
に作りました。昨秋植えつけた小松菜とホウレンソウに限らず野菜たちが、董立ちを始めました。
毎日青菜に追われ「笑点」司会者の、歌丸師匠のように、干からびてしまいそうです。そう言えば
古典落語「青菜」は、歌丸師匠の得意とする噺・・というおはなしで「オチ」にします。

冬菜の代表・小松菜と木綿豆腐をチャンプルー風にしてみました。昨秋種まきした小松菜が
が順調に育ちました。3月に入ると董立ちが始まるので、青菜の収穫に責められています。
今日は目先を変えチャンプルー風に炒めました。アッサリ・シンプルなチャンプルーです。


材 料
小松菜 3株 200g ・・根元を切り落とし、3cm巾に切る
木綿豆腐 1丁 300g ・・布巾で水気を拭き取り、指で一口大にほぐす
玉子 1こ 55g ・・割りほぐす

調味料
ごま油 大さじ 2 20cc
味塩 少々
創味つゆ 大さじ 1 10cc

作り方
小松菜をごま油で炒める

フライパンを熱し、ゴマ油大さじ1を入れて小松菜を
強火で炒める。
しんなりしてきたら、味塩を少し振り、ボールにとる。

豆腐をごま油で炒める
フライパンを熱し、ゴマ油大さじ1を入れ、崩した豆腐
を加え、強火で水気が無くなるまで炒める。
炒める時間は5~6分、最大の火力で豆腐に焦げ目
がつくまでになったら、味塩少し加え下味をつける。

豆腐と小松菜を合わせ味付けする
炒めた豆腐にボウルの小松菜を加え、創味つゆを
ふりかけ、溶き卵を回しかけて火を止め、全体をムラ
なく混ぜ合わせる。

コメント
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