サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

文化としての都市農業

2006-05-16 | 都市農業。
かつて農業が「文化」として世界に呼応した時代があったのだろうか。
農耕文化のことじゃない。
時代を映し出す表現としての文化のことだ。

1980年代、観葉植物(位置づけはインテリア。バブルでしたから)
1990年代、花・ハーブ(いわゆるガーデニング。癒しの時代)
2000年代、野菜(主眼は「食べる!」自給時代の到来)

もちろん、子どもの頃ウサギや小鳥にやる小松菜を庭で育てたり、
下町の一戸建てにいた頃はキュウリを苗からつくったりもしていたが、
おおざっぱにいえば、上記が個人的な植物変遷。
そしてこの流れは、どうやら世界的なものでもあるらしい。

経済的に豊かになりすぎた欧米先進国では、
“安全”や“精神的豊かさ”を求め、あるいはエコ的観点から
シティ・ファーマーを目指す人が急増中。
かたや中南米・アフリカでは、経済的貧しさからの脱却のために
ビルの谷間で地域ぐるみの自給農業に精を出す。

アプローチは真逆であるのに、やってることは同じとは!
都市の隙間に種をまき、自分の食べ物は自分でつくる。
無機的な都市空間に、有機的な循環経済をもたらす。
アーバン・アグリカルチャーは、すでに世界的傾向なのだ。

でもこの訳語は「都市農業」でいいんだろうか?
日本でこの言葉は、東京なら練馬に代表されるような
職業的農家による〝業〟をさすことが多いのだけど、そうじゃない。
アーバン・アグリカルチャーの定義には、
ベランダ菜園や屋上菜園、キッチンガーデンも含まれるようだから、
これはむしろライフスタイルであり、文化なのだ。

そして文化であれば国境を越えて呼応する。
それは中心から裾野に伝播するグローバリズムとは別物で、
共有する時代精神に突き動かされて同時多発的に発生するものだ。

このアーバン・アグリカルチャーは、ひょっとしたら
とても重要で大きな文化の潮流になりえるのかもしれないが、
そうなるためには象徴的な「形」や「スタイル」が必要だろう。
たとえば都市建造物を巻き込んだ農空間デザインとか、
植物の即興性にまかせた菜園アートとか、
そんなものがでてくると面白いのにな、と思う。
Comments (2)
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