北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人の行動を変えるコミュニケーション

2007-08-22 21:57:09 | Weblog
 甲子園は佐賀北高校が満塁ホームランで逆転して初優勝したのだそう。おめでとう。新しい伝統がまた一つできました。

    ※    ※    ※    ※

 私は医療系メルマガの、MRIC(エムリック)というところから記事を配信してもらっています。ここは医療を取り巻く様々な話題や情報をより深い視点から送ってくれて楽しみにしているのです。

 今回はここから、「これから月1回程度、医療とコミュニケーションに関する連載を始めます」という記事が送られてきました。著者は林 英恵(はやし はなえ)さんという方です。

 コミュニケーションはなんのためか考えさせられましたのでご紹介したいと思いました。

 ではまずこの記事をご一読ください。

*******【以下記事内容】*******

●二つのきっかけと連載の目的

 インドで、HIV/AIDS 分野の予防啓発活動の一環として、CM づくりに携わっていた時のこと。

「日本語にHealth Communication やBehavior Change Communicationという言葉はあるのかい?」当時の上司からの質問だった。

 それぞれ「ヘルスコミュニケーション、行動変容のためのコミュニケーション」という訳語が頭に浮かんだ。※

※ちなみに「ヘルスコミュニケーション」については、MRIC の掲載記事(2006 年 2月6日号)で別府文隆さんがとてもわかりやすく解説されている。
「Behavior Change Communication(BCC)」は、「保健分野のプロジェクトに必要不可欠な、健康教育・広報コミュニケーション活動のこと。(これらの活動においては、)必ず最終目標である、人びとの健康に結びつくような個人の行動変容が起きなければならない」
( http://www.joicfp.or.jp/jpn/problem/bcc.shtmlJOICFP より) とある。

 「それぞれに相当する訳語はある。でも、日本語に訳されたHealth Communication やBehavior Change Communication という言葉が、医療や公衆衛生に従事する人の中でも十分に共有されているとは言いにくいことを踏まえると、確実に"言葉が存在している"とは言えないのかもしれない」と答えた。

「だったら、そういう概念が伝わるように君がこれから何とかすればいいんだよ。」茶目っ気たっぷりの上司は、ウィンクしながらそう言った。

    *    *

 そしてもう一つは、全く別の機会でのこと。

 友人でもある医師(英語も堪能)に、日本語に訳されたヘルスコミュニケーション分野の資料を見せていた。

 すると、一通り目を通した後で、彼が一言。

 「これって、(カタカナばっかりで)英語で読んだほうが絶対わかりやすいね!」

 日本語になっていて、これなら理解してもらいやすいだろうと思って差し出した資料のはずだったのだが、予想外の反応だったのだ。

    *    *

 この二つの出来事が、今回、連載の目的を決めたきっかけです。

 アメリカを中心に、ヘルスコミュニケーションという分野が確立され、医療と公衆衛生の分野で政府や、国際機関、研究機関、企業など含めた様々なレベルの組織がこの分野の概念を盛り込んだプロジェクトを遂行しています。従来の広報を中心とした「業務内容を知らせる」ためのコミュニケーションではなく、ターゲットの行動変容を目的にした戦略的なコミュニケーションという考えは、日本においても、この国の社会に合った形で普及されれば、医療と公衆衛生分野において新しい風を吹き込むものになると考えます。しかし、現状は、日本語でこれらについて書かれた文献や資料は限られており、訳語としてではなく、言葉としてこの分野の概念を共有しやすいとはいえない状況にあると感じています。

 本連載では、「医療/公衆衛生・コミュニケーション・メディア」を柱に、ヘルスコミュニケーションに対するイメージを皆様と共有させて頂くことを目的としました。様々な形で医療や公衆衛生に携わっていらっしゃる皆様に、ヘルスコミュニケーションという世界の存在を知って頂くこと、そして必要な時が来たときに、その扉を開いて頂ければ幸いです。

 私の尊敬する人はいつも言います。

 「Obstacle means chance! 」(障害はチャンスである!)。

 これから、日本の医療と公衆衛生に貢献できる大きな可能性を秘めているこの分野の将来に期待して、連載を始めたいと思います。

*******【記事内容おわり】*******

 つまり、コミュニケーションというのは、大切なことを伝えた結果、相手がそれを理解した上で状況を改善するように行動をうつすところまでいって初めて目的を達するのだ、ということ。ただ「話をした」「私は伝えた」ということだけではだめ、ということです。

 じつはまちづくりも同じで、いくら良いことを言ってもその結果として関係者が行動を起こしてくれなくては成果は出ないのです。

 ブログを読んだだけで読者が行動を変える…そんなことができるものでしょうか。

 そういう意味で、今後送られてくるメルマガがなおいっそう楽しみになりました。


 ちなみに
●MRICのバックナンバーはこちら
 => http://mric.tanaka.md

 メルマガを読んでみたい方はtouroku@mricj.com までメールをお送りください。


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ピンチはチャンス

2007-08-21 23:57:28 | Weblog
 夜に蝉がベランダに止まって大きな鳴き声を発し始めました。ただでさえ暑いのに、よけいに暑苦しくてタオルをもって追い払いました。かわいそうだけど許してね。

 北海道から知人が尋ねてきてくれたので職場の近くで軽く飲みました。知人は建築と土木の建設業の若手専務です。

  

 景気は相変わらず悪いようですが、そんな事ばかりも言ってはいられない、というので新たな分野に挑戦しているのだそうです。その一つがホテルのリニューアルという分野なのだとか。

「ホテルのリニューアルって、そんなに需要があるんですか」
「外資などに経営母体が変わって、チェーンのホテル全体がイメージを一新するということがありますね」

「北海道でですか?」
「そういう場合は全国チェーンですから、関西や北陸まで呼ばれていきますよ。でもリニューアルというのは、それまでの施設があるわけですから、壁紙をはがしながら次に張る壁紙を用意する…というように工程がどんどんかぶってきて苦労も多いです」

「工期だって短いのでしょう?」
「ある物件では、月曜から金曜日の五日間で仕上げて欲しいという施主からの要望で、二名の現場監督を昼夜交代で担当させて仕上げました。でもそれだと結構な金額の契約になるので、やりがいもありますね」

  

「でも厳しい条件の仕事をこなして行くと、実力もついてくるのじゃないですか」
「そうなんです。内地で民間の仕事を受ける建築の部隊は厳しい条件をクリアして当たり前という感覚が身に付いてきているのですが、道内で公共事業しかないという土木の部隊はどうしてもその辺の意識がついていかないみたいですね」

 苦しい状況を一歩ずつ超えてみると、苦しかった条件を当たり前にこなしている自分に気づくのだそうです。

 ピンチはチャンスなんですね。

 北海道にも志のある建設業者さんはいるものです。
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宮本常一著「日本の村・海を開いた人々」を読む

2007-08-20 23:58:48 | 本の感想
 暑い暑い。こんなときは食事の前に炭酸飲料が良いそうです。胃の中に炭酸が入ると胃のぜん動運動が盛んになり食物を効率的に腸に送り込んでくれるのだそう。

 夏の夕食前のビールにはそういう意味があったんだ!


 さて、ネタのない日は読書感想文と参りましょう。

 今日は宮本常一さんの「日本の村・海をひらいた人々」(ちくま文庫)をご紹介。庶民の日々の営みとその変遷を、常に暖かい目で見つめる宮本民俗学の名著です。

  

 宮本さんという方は実に旅をした方ですが、列車の窓から見える風景を写真に撮り貯めたりスケッチを描きためるのが好きでした。そんな中、民家の屋根を見つめ続けて気づいたことがありました。

  それは、屋根の形の違いなのですが、なかには比較的大きな棟とそれより小さな棟が二棟並んで建っている家があるのでした。中には二棟がくっついて建っているものもみかけます。

 そうした家に入ってみると、大きな棟は座敷になっていて、小さい家の方はカマドがあって煮炊きするようになっているものが多いのです。
 大きい方は大家などと言い、小さい方はカマヤなどと言っていたそうです。

 このとき大きい家の方では寝たり起きたりお客を迎えたり神仏を祀ったりしていて、小さい方ではご飯を炊いたり食事をすることが主な役割になっています。

 しかし家が二棟あるのは不便なので、だんだんにくっつけてきたのでしょう、一番下の絵の家では茅葺き屋根は二つあるのにその下の瓦屋根はもう一体になっている、そんな家も見かけます。

    ※    ※    ※    ※

 それがさらに進んでくると、こちらの絵の上の図ではもう完全に屋根はほぼ一体化してしまっています。しかしよくよく見ると、入り口が二つあるのだそうで、玄関と勝手口とを区別しているのです。

  

 少し前までは、家が一棟でも玄関と勝手口が二つあるというのが多かったのです。漫画のサザエさんの家もそうなっていましたね。

 実はそれはこうした家が、元々は二棟からなっていたのが一棟になった名残だからなのではないか、というのが宮本先生の考えです。

 ではなぜ二棟の家が必要だったのでしょうか。宮本先生はこれを、「今ではもうよく分からなくなっています。しかし、大きな家の方はもともと神様を祀るための家で、そのために地面からできるだけ上げるように作られたのではないでしょうか。そして小さな方は火をたいて日常生活をするためだったのではないか、そんな風に思うのです」と想像しています。

 先生は「もちろん違う考えがあっても良いのです。そこから先は皆さんで考えてくださいね」とも言っています。

 ひたすら屋根の形を見続けて記録をし続ける。そしてその違いから祖先が進んできた道を想像する…。

 宮本先生はそうした祖先のよりよい生活を目指して改良を加えた努力を「とうとい」と表現します。常に優しいまなざしで日本中を歩いて回った知の巨人の足跡がここにはありました。

 日本人なら読んでおきたい一冊です。 
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暑い夏には冷製揚げ出しナス

2007-08-19 22:59:56 | Weblog
 今日は再び気温が30℃を超えて、熱い一日。さすがに今日は外へ出るのはよして、家の中の整理や掃除、夏休みの読書で一日を過ごしました。

 今日の夏の涼は、冷製揚げ出しナス。先日札幌で行ったおそば屋さん「こはし」さんのところで食べた京都賀茂ナスの冷やかけが美味しかったので、見よう見まねで作ってみたものです。

 賀茂ナスが売っていないので、米ナスで代用。これのお尻とへたの部分を切り取って、真っ二つにし、ちょいと多めの油で揚げ焼きします。

 本当はたくさんの油で揚げた方が良いのでしょうが、油の後始末を考えると素人なら焼けば十分。上と下をひっくり返しながら油で焼いて行きます。

 ほどよく油を吸収して焼けたら、市販の出しつゆを暖めて煮て行きます。じっくり煮て味がしみたな、と思ったところで火から下ろし、そのまま冷えるのを待って冷蔵庫へ。

 この冷製揚げ出しナスを一昨日のうちに作っておいて、冷えたところを今日いただきました。

    

 冷たいナスに鰹節、みょうが、しょうがを加えると、うーん、薬味の香りが食用をそそる、暑い夏も幸せ。

 しかし写真は、鰹節が散らばってしまい美味しく写りませんでした。くそー、素人だから仕方ないかな。

 
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目指せ!普門館!

2007-08-18 23:15:56 | Weblog
 夕べは気温がぐっと下がって、久しぶりにエアコンをかけずに夜寝ることができました。

 今日はそれほど暑くならないようなので、またまた自転車巡りのツアーに出ることにしました。今日は世田谷から杉並区方面を巡ろうと思います。今日は最後に「普門館」というところまで行こうと思うのです。

 いつも通り、東京の西側を巡るなら三軒茶屋がスタートです。ここで自転車を借りると今日はそのまま首都高3号線の高架を眺めながら国道246号線沿いに西へ向かいます。

 駒沢あたりで右に太い通りが出てきたのでそちらへ進路変更。と、曇りだった空から細かな雨が降ってきました。(ううむ、雨が降らなきゃいいがなあ)と思った頃に、真っ赤な鳥居を過ぎました。

 赤い鳥居といえばお稲荷さん、お稲荷さんといえば自然神のシンボルみたいなものですから、ちょっとご挨拶を。

  

  

 こちらにあるのは久富稲荷という神社ですが、もうこちらには400年も鎮座されているとのことです。古いんだなあ。

 こちらは参道が随分と長いのが特徴で、なんと250mもあるのですが、鳥居がある参道に面して家が建っているのはちょっと不思議な感覚。東電の方はスクーターで回っていました。だって車は通れなさそうですもんね。

  

    ※    ※    ※    ※

 続いて今日の目的地の一つである環状八号線沿いの砧公園へ。

 この砧公園は、昭和15(1940)年に紀元2600年記念事業の一環として「防空を名目として」事業化が決定された6カ所の大規模公園のうちの一つです。

  

  

 太平洋戦争が昭和16年に始まると本土空襲は現実味を帯びた問題となり、防空緑地としてこの公園が土地を取得され整備されたのでした。

 しかし敗戦と同時にこの緑地は農地解放の対象とされて失われてしまいます。それは戦争末期に食糧増産のためにイモ畑にしていた緑地を実質的に農地と見なされてしまったからで、その後の緑地行政にとってはこの誤った農地改革は大打撃であったと言わざるを得ません。

 当初の都市計画では86haだったものも、今では46haの公園になってしまいました。残念!

    ※    ※    ※    ※

 続いて自転車は環八を北上して、神田川の支流である善福寺川の両岸に細く広がる善福寺川緑地と和田堀公園へ向かいました。

 この二つの公園は、先の防災緑地に先立つ昭和14(1939)年の東京緑地計画の中で、河川に沿って公害からくさび上に市街地に入り込むように計画された緑地です。

  

 今では貴重な緑のネットワークを形成しています。実際に善福寺川沿いのサイクリングロードを自転車で走ってみるとこれが実に長い!戦前の内務官僚は考えることのスケールが大きかったですね。

 そしてこの河川沿いにどんどんと下って行くと見えてくるのが「普門館」という巨大なホールです。

  

 このホールは立正佼成会という宗教法人のホールなのですが、もう一つの顔は、毎年秋にここで全国吹奏楽コンクール大会が開催される、その会場、つまり吹奏楽の甲子園というわけ。

 なぜここが全国コンクールの会場なのか、には諸説あるようですが、一度に約5千人を収容できるホール施設というのはそう多くはなく、しかも今では吹奏楽関係者の間で「目指せ!普門館!」がもう合い言葉になってしまっているから、ということのようです。

 実は金曜日に東京都の地図を見ていて、普門館の場所を見つけたので今日のまち巡りはこちらにしたのです。娘が志しながらついに来ることのなかった会場を、せめて代わりに見ておこうと思ってはるばるやって来たというわけ。

  

 「目指せ普門館」ということがなければ単なる大きなホールでしかないのですが、夢と希望と憧れという、多くの人たちの思いのこもった場所かと思うとまた違って見えてきます。

 別に娘の恨みを晴らそうという思いはありませんが、(そうか、娘が夢に見た場所がここなのか…)とある意味で感慨もひとしお。これも親バカなんでしょうね。

 おーい、娘よ!代わりに来てやったぞー!はっはっはー!
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小さな古書店の心意気

2007-08-17 23:28:58 | Weblog
 石屋製菓の社長が辞任を発表。これまでの対応を社長も知っていたということではもう世間にいいわけはできませんね。
 旧弊を断ち切り、質の高い製品を世に送ることで立ち直って欲しいものです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、我が家の近くの小さな駅前商店街のビルには「●ニマ書房」という古本屋の看板が掛かっています。ビルの二階へ案内するその看板は、どう見てもちょっと怪しげな雑誌ばかりが置いてありそうな名前で、いままでは無視して入らずにいました。

 しかし今日はどういう弾みか、少し覗いてみようと思い暗い階段を上がってみました。

「いらっしゃいませ~」姿の見えないおじさんの声。

 すると、「…ん?」並んでいるのは古書や全集もの、岩波文庫、平凡社ライブラリーなど質の高い古本が多いではありませんか。一般の推理小説や売れ筋の軽い読み物などがほとんどなくて、これで売れるのかなと逆に心配になるほど。

 本棚を物色するうちに、宮本常一さんの全集の一部など普段はなかなかお目にかかれない本が並んでいるのに感動して、思わずお店のご主人に声をかけました。

「並んでいる本の質が高いですね。店構えがビルの奥なので変なお店かと思っていたのですが、すみません、感心しました」

 するとご主人は「そうですかねえ」と言いながらちょっとうれしそう。
「うちは神奈川古書組合に加盟していて、そこと神田の市から本を仕入れているんですよ」
「私は探せない古本をネットで探して買ったりしています。中には送料が340円で、本は1円というものもあるんですよ」

「古本をネットで売っている古書店は全体の2割にも満たないのではないでしょうか。1円の本というのはどんなものかよく分かりませんが、配送業者と契約をすればその値段で元が取れるんでしょうね」

「こちらの本には値段がついていませんけど…」
「本の裏にとれるような値段表が折り込んであるはずです。本はどんな形でも汚すべきではないと思うので、値段のシールを貼ることもしないようにしているんです」

 ううむ、本に感動したところにはガシガシと鉛筆で印を付ける私のような読み方は本には申し訳ないのかもしれません。

「作家順に並んでいるということもないんですね」
「本は出会いだから、少しお客さんも苦労して探した方がいいんですよ、ははは」

  

 こんなに店は小さくても、こんなに本に対する思い入れのある古書店が身近にあったとは。やはり都会ゆえなのかな。

 古書店で塩野七生さんのローマ人の物語の文庫版が1巻から28巻までそろっているのは初めて見ましたよ。
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ゴロブニン著「日本幽囚記」が届きました

2007-08-16 23:03:32 | 本の感想
 夏休み中に函館旅行をして知った高田屋嘉兵衛の物語。そこで知ったのがゴローニン事件と当のゴローニンの筆による「日本幽囚記」です。

 江戸時代半ばの、黒船が来るまだ50年も前の日本対ロシアによる国境付近での小競り合いがゴローニン事件。江戸幕府によって松前に捕らえられたゴローニンによる日本での記録は、そのまま当時の西洋人の目による日本の生活記録であり、また西洋人から見た日本人感が生き生きと描かれています。

 この本、函館の資料館では岩波文庫から出版されているものと思いこみ、札幌の書店で探したところなんとすでに絶版になっていたのです。

 困ったと思いましたが、古本でも良いと言うことに気づき、早速Amazon.comにアクセスしてみたところ、おお、上中下の三巻セットで2500円という価格で入手可能ということが分かり、札幌を出る直前に注文をしておいたのでした。

 それが今日の夕方に届きました。状態は悪くありません。この3冊は、1996年秋の岩波文庫リクエスト復刊として復刻したものですが現在の目録にはもう載っていない今や幻の文庫本です。手に入って良かった~。

   

 中身はこれから読むところですが、漢字が旧字体なのと訳文が古めかしいために、慣れないと少し読みづらいかも知れません。

 高田屋嘉兵衛を主人公とした小説「菜の花の沖」の著者である司馬遼太郎さんは雑誌のインタビューに答えて、「日本幽囚記は当時のヨーロッパの日本人感がよく表されていて大変に優れた書物です。今の日本人はこういう本を読まなくなりましたが、大変残念なことです」と嘆かれておりました。
 北海道に縁のあるものとして楽しみな本です。

 ちなみにこの3冊、定価の合計が2220円で、入手した費用は2500円+送料340円。古本なのでカードでしか購入できませんが、高い?それとも安い?

    ※    ※    ※    ※

 改めて、インターネットがあればこうした埋もれた蔵書にも巡り会い入手することができる社会になったのだなあ、と感心しました。
 同時にまた「なんだ、本に関する限り、都会も田舎も関係ないじゃないか」という思い。道路さえつながっていて日本語が読めさえすれば、すぐれた知恵にたどりつくことは可能なのです。
 
 本や知識への出会いの連鎖を前向きに捕らえましょう。
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それでも私は応援する!~ガンバレ!石屋製菓

2007-08-16 22:20:10 | Weblog
 石●製菓のお菓子の賞味期限改ざん延長の問題は、11年前からのことで、社長も知ってのことだったということが判明。新聞やニュース、そしてネットをにぎわしています。

 事件の背景は、「包装技術の発達で、社内規定では4ヶ月の賞味期限も実際は6ヶ月はもつから」ということだったとか。しかし事は「一担当者の判断ミス」から、「会社全体の信用問題」ということに拡大しそうです。まずいなあ。

 こういう場合の危機管理は、とにかくやれる限りのことを全部やってあとは世間の気持ちが静まるのを待つということだけ。世間が驚くような対応まですることで企業としての誠意を示す、というのが最善の対処方法ですが、それをちびちびと小出しにすると世間の心証は悪化しこそすれ収まるものではありません。
 迅速かつ最大限の対応をして欲しいものです。

    ※    ※    ※    ※

 またこういう場合には、よく身内や普段はその恩恵をこうむっている地元からも「怪しいと思っていたんだ、もう買わない」などというような足を引っ張るような意見が出がちです。

 道外からのお客さんからそういう声が出るのは仕方がないとしても、せめて身内からは厳しい中にも「そうは言っても早く立ち直って欲しい」という応援のメッセージが欲しいところ。

 この会社が普段どれだけ地域貢献をしているかを考えると、北海道や札幌の人たちは軽々しい批判者の立場に立つことはできないのではありませんか。

 一緒に北海道を世界に売り込んでくれた仲間として、道民や北海道としての立ち位置が問われているように思います。

 反省しろ!そしてガンバレ!石屋製菓! あ~、実名を出しちゃった…けどいいや、もう。

 私一人でも応援すっからね
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信用という財産~お土産は「●い恋人」

2007-08-15 22:53:38 | Weblog
 久しぶりの職場も今はお盆と言うことで半分以上は夏休み。パソコンのメールがたまりにたまっていました。

 職場の同僚たちには、北海道からのおみやげを配ろうと汗をかきながらおみやげ袋を通勤電車で持ってきたのは私です。

 新千歳空港ではおみやげをいろいろと探しながらも、一番無難なところで北海道の定番である「●い恋人」を買い求めました。ところが今朝ネットを見ていたら、なんとこの超有名商品に賞味期限のごまかしがあったのだとか!

  

 返品された品をまだ大丈夫だからと再度包装して売ったのだそうですが、なんとも情けないことです。

 「賞味期限が改ざんされた商品には賞味期限が『平成19年8月31日』『平成19年9月30日 』と記載されている」とのことで、まさか私の買った品はそういうことはないよね、と思いながら賞味期限の表示を見ると、11月になっていたので問題の品とは違うことが確認できました。

  

 職場で配るときも「今話題のお土産です」というのが洒落にならなくて、皆苦笑いです。

 それにしても、数あるおみやげの中からわざわざこの品を選んだのにという、残念な気持ちも。信用は作り上げるのには時間がかかるけれど、失うのは一瞬で事足りてしまうから恐ろしいものです。

 この商品、返品のために空港からは一斉に姿を消しているという報道も。せっかく北海道が生み育てた有名ブランドなのですから、【反省すべきところは反省して】再び良い品作りで信用を回復して欲しいものですね。

 …ん?つい最近も聞いたようなセリフだなあ

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夏休みの終わりに

2007-08-14 23:14:37 | Weblog
 お昼頃に見知らぬ電話番号から携帯に電話がかかってきました。

「誰だろう?」と思いながら電話に出ると、「あのう、こままささんでしょうか…?」とおずおずとした声。「私は、札幌に住んでいるSと申します…」
「ああ、あの落とし物の…」

 実は日曜日にまちなかに出かけた際に、本屋さんの前で財布を拾ったのでした。相手が分かればすぐに連絡してあげようと思って中身を見ましたが、銀行のキャッシュカードや保険証なども入っていて落とし主の名前は分かったのですが、連絡先を示すものがありません。そのため自分で連絡することをあきらめて交番に届けたのでした。

 交番では私の住所や電話番号などを連絡し、「持ち主にこの電話番号を教えてもよろしいですか?」と言われたときに「まあ、連絡くらいでしたら」と答えたので、お礼の電話というわけです。

「いや、もう本当になんと言ったらよいか…」
「大変でしたね。財布の中にはいろいろ大事なものが入っていたのでさぞ困ったことでしょう。特にお礼はいりませんし、お互いに落とし物には気をつけましょう」
「はい、ありがとうございました」 

 大事なものを落としたときのことを考えると、明日は我が身。社会が信頼できるということは良いことです。

    ※    ※    ※    ※

 夕方の飛行機で東京へ。夏休みも終わりです。



 降り立った羽田空港からは富士山がくっきりと見えました。明日からは仕事に復帰。まだ暑い夏が続きそうです。
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