北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

御用納めの一日

2005-12-28 23:23:00 | Weblog
 朝から猛吹雪の一日。各地で通行止めも発生してもう大変です。

 今日は
■御用納めの一日 です

【御用納めの一日】
 今年の仕事もいよいよ今日でお終い。4月に掛川から札幌へ帰ってきたときには浦島太郎のような状態で、故郷とはいえ知らない人ばかりに囲まれてのスタートだったが、9ヶ月でどこまで仕事面で貢献が出来たろうか。

 席にいない事が多くて、回りにだいぶ迷惑もかけているし申し訳ないと思いつつも、人生の残り時間を考えると「あれも、これも」とつい手を広げてしまう。一体何を焦っているのやら。

 自分のテーマに対して、一つの事を深く掘り下げるという迫り方もあるし、様々なことに接して違う角度から見てみる事で新しい繋がりを発見してゆくという迫り方もあるだろうと思う。

 僕は多分自分の世界は、広がることで深みを増しその深みがさらに広がりを求めるのだろう、と信じているので、広い方向だろうが深い方向だろうがとにかく好奇心を持ってその一歩を歩むことが大事なのだと考える質なのだろう。

 掛川で世話になったonimasaさんはその後「なだれこみ研究所の一日」というブログを立ち上げて、小さなまちで人々が出会いながら、驚きながら、そして感心しながら何か新しい出来事が起こって行く様を面白く発進し続けてくれている。

 結果の見えちゃっている行動ではなくて、何が起こるか分からないすぐ先の未来にちょっとだけ勇気を持って飛び込んでみる事。それを「なだれ込む」と表現する彼女だけれど、僕もそこにこそ今を超えるチャンスが転がっているに違いないと信じている一人である。

    *   *   *   * 

 年末最後の一日は机の上を始めとして整理をしたい事がたくさんあったのだが、年末の挨拶で訪れてくる人も多ければ「なだれ込む」ようにして訪ねてきてくれる方も多く、こうなるとやはり放ってはおけない。

 ある町の建築系の先生が訪ねてきてくれて、「北の雪国に暮らす」ということがどういうことかをもう一度良く考えてみましょうよ、という話になった。

 私にはすぐに掛川の建築家の人たちと話をした事が思い出されて、「例えば、家を建てるという事は建物を作るという事ではなくて、どういう生活や人生を過ごしたいかということが建て主にまずあって、その思いを形にするのが建築家という創造的職業なのだという話を聞きました」と言った。
「そんな建築家がいるんだったら、それは素晴らしい事ですよ」

僕は少々鼻高々に「掛川にはそういう人が何人もいましたよ」と言った。続けて「どうでしょう、そこにあるのは、住まうという『こと』と住まいという『もの』の不可分の関係なのではありませんか」と問うてみた。

すると先生は「同じ事が都市計画やまちをつくることにも当てはまると思うのです。住まいに自分の生活を合わせるように、我々はまちを作っているのではなくて町に合わせて住んでいるのではないでしょうか」と言う。

「公園を冬の雪捨ての拠点にするという考えはいかがですか」と訊いてみると、先生は「私も昔札幌に住んでいたときに、地域で公園をそのように利用していました。そのときには地域のお年寄りから『公園の奥を踏み固めて、そこから置くんですよ』と教えられました。雪国の雪かきは地域が交流しながら進めなくてはならない冬のイベントで、公園は地域コミュニティを生み出す拠点になるのだと思います。そこでは挨拶やらルールの伝授での世代間交流だって果たせるのではありませんか」
「まさに私の考えと同じです。町をどう使うかを考えて、そう使いたいからこういう町の形にして欲しいという真面目なまちづくりへのアプローチがもっと必要なのですね」

 住まう事と住まいと同じように、我々がどういう生活をしたいかという思いを形にするような町作りのアプローチを考えてみよう。

 なだれ込みの先にはどちらにも出会いがあるものだ。

    *   *   *   * 

 さて、終業後の挨拶回りで今日で退職という隣の課の女性から「いつもブログを拝見していました」と言われ恐縮してしまった。これからも読んでくれる方が元気になるようにがんばります。

 年が明けたらすぐに中国出張が待っています。そろそろ準備をしなくては。
コメント (4)
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