北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

求められる役割

2005-12-15 23:33:29 | Weblog
 昨日網走から帰ってきて、今日は東京へ日帰りです。ちょっと風邪気味

 さて今日は
■求められる役割 の1本です。

【求められる役割】
 連日の飛行機出張ですが、今日は東京へ日帰り。少しでも東京で過ごす時間を取って、知人に会おうと思い、朝は5時40分に起きてJRで新千歳空港へ向かう。

 エア・ドゥの朝8時発の始発便に乗り、機体が滑走路へ向かいかけたまでは良かったのだが、ここで急停止。何事かと思っていると、機長から「補助翼の不良のために欠航とさせていただきます…」、うーん、欠航はこちらにとっては結構ではない話だ。

 以前にも一番機の機材不調によって搭乗便変更ということがあったが、全く同じ目にあうことになった。降り立った搭乗カウンターにはもう長蛇の列が出来ている。早く便変更をしてもらえば早い便に乗れる可能性があるので、急いでいる人は必死の形相。

 こちらは午後からの打ち合わせということで、比較的余裕はあるのだがこれではもう早い便はおぼつかないとあきらめる。

 それにしても仕事の都合や予定もあるだろうけれど、並んでいる人たちは困った顔は多いものの怒号や罵声をあげて怒りまくっている人などは見受けられない。怒ってみたところで早い便に乗れるわけでもないし、私としては無駄な事だとは思うところで、そういう意味では大人らしい対応の出来る国民性というところだろうか。

 それは言い方を変えれば「いざとなると潔い国民」ということかもしれない。こういう姿勢や態度を好ましいと思う人も多いのではなかろうか。理性的で大人の国民性を持つ日本人というわけである。

 武士道?大和魂?私としては好きだけど。

    *   *   *   * 

 結局8時の便を10時半の便に振り返られて、9時の便を予約していた同僚には抜かされ、おまけに一時からの打ち合わせには遅刻するという、ほうほうの体の出張となってしまった。

 この日は札幌に戻ってなんとしても今日中につくらなくてはならない書類があったので19時過ぎの便で戻り、夜10時過ぎに職場へ到着し、なんとかその作成を終える事が出来た。一緒に付き合ってくれた同僚には感謝である。

 そんなところへ、かつて外務省へ派遣されて外国経験のある他の課の友人がふらりとやってきた。今朝方の飛行機のトラブルやら乗客の姿などを面白おかしく聞かせていて、日本人論になった。

「そういえば、君は海外にいたのだろうけれど、外交官という人たちはどういう人たちなんだろう?日本を一身に背負ったサムライ?それともワインをしこたま貯め込むような好き勝手な人たち?」
「うーん、その両方の人たちがいるということでしょうね。一つの事で全体を決めつけるのは危険ですよね」

「外交官って、みんな『日本はこんな国なんですよ!』という主張をちゃんとやってくれているのだろうか」
「私が会った中ではそういう人は案外少なかったですね。陰口で外交官ではなくて『内向官』と言って、外にほとんど出て行かない人もいましたよ」

「僕だったら神様でも仏様でも蕎麦でも日本文化を話してあげるんだけどな」
「小松さんだったらみんなウェルカムですよ、『オウ、ミスターコマツ、ニノミヤソントクヲオシエロ』ってね。そうなるともう語学なんて要りません、中学英語で充分ですよ、話せる内容が自分の中にあればね。でもパーティで何か話せと言われても、遠慮してしまう人が結構いますよね」

「もっと主張をしないとダメだと言う事ですか」
「外国はとにかくしたたかですよ。『自分はイギリスの植民地だったから連邦はみんな応援しろ』とか、国民にイスラム教徒が多ければイスラムの国とは仲が良いとかね」

 結局我々も一人で生きてゆけるのならばそれでも良いが、多くの利害関係が渦巻く世間の中で生きて行かなくてはならないような場面では、しっかりとした交渉と主張ができるような能力を身につけておかなくてはならないのだろう。

 今持っている自分たちの美徳や価値観は決して絶対ではないのだ。内には静かな覚悟を秘めつつ外ではねばり強く堂々と意見を戦わせるということは両立させるべき能力なのだ。自分を中心に考えずに常に外との関わりの中で自分を捕らえる柔軟さが必要なのだろう。
 夜遅くまでの残業でまた面白い視点を得たものだ。


 まあ、かといって私としては飛行機遅れに文句は言いません。文句は言わない、文句は言わないけれど、三度目の正直はあるのかー。

 
コメント
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