北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

学生服の思い出 ~ 襟元に樹脂製の白いカラーがありました

2023-04-02 23:18:25 | Weblog

 

 小学校、中学校、高校、大学と新しい学校の初日のことを皆さんはどれくらい覚えているでしょうか。

 私の場合、高校、大学になるともううすぼんやりして細かなディテールが全く思い出せないのですが、小学校と中学校は割とはっきり覚えています。

 それだけ幼心にとって、新しい環境に向かうという事が人生の一大事だったのかもしれません。

 小学校は稚内東小学校に入りましたが、ランドセルと鉄人28号の絵が描かれた靴袋を持っていたことを今でもはっきり覚えています。

 通った道の風景もよく覚えているのですが、今稚内の現地へ行くと、当時は小さな川に東西にかかっていた橋は架け替えられていて道が南北に切り替わっています。

 天北線を高架でまたいでいた国道は、天北線が廃止になったことで今では平らなところを走っています。

 当時は小学校へ通うのに国道の下にあるボックスカルバートの中を通ったもので、自分では「トンネル」と呼んでいました。

 当時は結構な距離を歩いて通っていたように思うのですが、今思えばたかだか500メートルくらいなものでした。

 当時は海がもっと近かったように思っていましたが、それもそのはずその後に海が沖までかなり埋め立てられたのでした。

 子供心の風景は記憶の中にあるだけです。


     ◆


 中学校も印象的でした。

 中学校になると初めて学生服を着るのですが、それが自分の体よりは少し大きくてブカブカだったのを覚えています。

 また、二つの爪が付いた詰襟にカラーと呼ばれるプラスチックの白い板をはめていたのを覚えている方がいるでしょうか。

 はじめは意味が分からなかったのですが、これは学生服のモチーフだった軍服の正装に似せて、学生服下にも白い襟付きシャツを着るの良いとされていたのだそう。

 ところが貧富の差で、白いシャツを持っている者といない者がいて襟元で家庭の経済事情がわかってしまうのはいかがなものか、という考えが出てきました。

 そこで黒い詰襟の襟元に白いシャツのように見える樹脂製のカラーをつけることで、白いシャツを着なくても良いという形になり、見た目の服装が統一されたという歴史があるのだそう。

 そんなことは分からなかったものの、詰襟と金色のボタンと英語の教科書でなんだか大人への入り口に立ったような気がしたのでした。

 さて、新しい年度が始まりました。

 何か初めての日を迎える学生さんや社会人の皆さんは、将来も思い出せるような印象的な一日を過ごすことができるでしょうか。

 初めてという緊張も青春でしたねえ。

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