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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

釧路市立博物館へ行く

2010-08-13 23:44:56 | Weblog
 日中少し時間が取れたので、市内の様々な施設を見て回りました。

 昔からの釧路市民ならば当たり前の施設ばかりですが、新参者には目新しくまだ一度も言ったことのない施設が多いのです。

 半分は仕事ながら半分は楽しみだったのが釧路市立博物館。見学時間30分の予定で収まるわけがありませんでした(笑)。

 
 博物館はまず建物自体のデザインがすばらしくて、釧路出身の建築家、毛綱毅曠(もづなきこう)氏によるもので、タンチョウが両翼をひろげた形をイメージしているそうで、この建物は日本建築学会賞に輝きました。



 【市立博物館の正面】


 【病院の屋上から全景】

 博物館内の展示も吹き抜けの中を階段で巡るシステムは、作品の見せ方が独特で通産大臣(当時)によるディスプレイ産業大賞を受賞しています。

 展示の内容は釧路周辺の考古学的歴史、自然、生き物、近世から近代までの社会、アイヌの人たちと文化、タンチョウなど、釧路にちなんだものがいっぱいで、「釧路とはどのようなところですか?」と訊かれて答えるためにはもっとも良い勉強の場です。


    ※     ※     ※     ※     ※  

 博物館の向かって右側の棟は実は収蔵庫になっているのですが、ただ収蔵していてもつまらないというので、一回の部分が縄文時代の土器を見せてくれる収蔵庫になっています。

「昔は展示物を見せたら収蔵庫ではなく展示場だから補助できない、などといろいろやり取りがあったみたいですが、これくらいなら良いだろうということで展示にならない程度にお見せしています」とのこと。

 実は釧路周辺は縄文時代の土器の研究において取り組みが早かったために釧路式とか 幣舞(ヌサマイ)式など釧路の地名にちなんで呼ばれる型式が結構多いのだとか。





 【幣舞式なんてすごいね】 



 縄文時代に気温が上がって海が陸地奥深くまで進行した縄文海進と呼ばれる時代に釧路湿原は海だったのですが、その海に半島状に突き出していた陸地と海の境は海の幸がふんだんに獲れる格好の住居適地でした。

 そのため湿原の周辺には縄文時代の遺跡がとっても多く、都市化に伴う発掘事業によって非常に多くの縄文時代の土器が出て研究が進んだのです。縄文時代研究の最前線が釧路だったとは驚きです。

「最近はどうですか?」という問いに担当の学芸員の方は、「最近は少なくて道南の方での研究が進んでいます」とのこと。

「それはなぜですか?」
「最近釧路周辺では開発事業が少なくて、道路や新幹線などで道南の方で発掘が進んでいるんです(苦笑)」

 公共事業って実はそれによって新しい遺跡が発見されて、それを保存するための費用も見てもらえるので考古学研究にとってはありがたい側面もあるのです。

 それが少ないというのはちょっと残念ですが、これまでの成果も十分に地域の自慢にしたいものです。

 今度は日を改めて近世の歴史を勉強に行ってきます。



【釧路市立博物館】
 http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1141274577994&SiteID=0
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