先日は1860年に日本を訪れたイギリスのプラントハンター、ロバート・フォーチュンについて記事を書きましたが、同じ1860年に函館を訪れたのがロシアのプラントハンター、カール・ヨハン・マキシモヴィッチ先生でした。
奇しくも同じ年に日本の函館を訪れて日本のそして特に北海道の植物分類学に大きな貢献を果たしたのでした。
マ先生は日本以前にはアムール川周辺の植物相を調査していたのですが、日本が開国したと聞いて日本に乗り込んできたのです。
ところが当時はまだ攘夷の気分が蔓延していた時だったので、外国人は港から十里(約40km)程までしか移動することが許されませんでした。
そこで現地で須川長之助という当時18歳の少年を雇い入れて、彼に周辺の植物採取の方法を教え、それを元に日本の植物相を研究したのでした。
長之助少年はマ先生の薫陶を受けて(後には故郷岩手県のロシア正教会で洗礼を受けている)、マ先生が函館~東京~長崎と日本にいた6年間に亘って、箱根や富士山、阿蘇山や霧島山地にまで足を伸ばして標本を採取して歩きました。
長之助はマ先生が帰国してからも信州や岩手県・秋田県などを訪れて標本をマ先生に送るなど献身的に尽くしました。
マ先生はこの働きに感謝する意味で日本から送られてきた植物に長之助の名を付ける献名という形で応えるなど主従を超えた結びつきがあったのです。
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動植物の分類は「リンネによる二命名法」といって、「属名+種小名」で表す方法が用いられています。例えばお米ならば”Oryza sativa”と言いますが、 Oryzaはアラビア語でいう米に由来する「イネ科イネ属」を表し、sativaは「栽培された」という意味のラテン語でつけられています。
長之助の名は、例えばシロバナエンレイソウ(Trillum tschonoskii Maxim)の”tschonoskii(チョウノスケの)”という表現に表れています。
ちなみに二命名法と言っておきながら、最後の三番目につけられているのは命名者の名前で、マキシモヴィッチ先生が命名したことを記すためにMaximと表現されています。私が学生の頃学名を調べていて、(なぜインスタントコーヒーの名前が付けられているのだろう?)と疑問に思ったのは内緒です。
日本の植物はマ先生以前には18世紀に来日したツンベルクや19世紀初頭と幕末に二度来日したシーボルトなどによっても調査研究が進められています。
学名にもよくthunbelgii(ツンベルクの)とか「sieboldii(シーボルトの)」などといった単語が出てくるのはそういう歴史があるから。植物の学名で近世における外交史が見えて来るというのも面白い話です。
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ところで、このマキシモヴィッチ先生が函館の地を踏んだのが1860年と言うことで、今年はそれから150周年を数える節目の年。北海道大学の二期生にして北海道の植生の大家だった宮部金吾博士もマ先生とは交流があって大変お世話になったのでした。
そこで北大の旧理学部建築を改装した北大総合博物館では現在、「日露花の交流史」と題した企画展を開催中。
http://133.50.141.58/exhibition/kikaku69/
【北大総合博物館】
【三階で開催中】
こんなに興味深い内容で無料とはありがたい企画です。
開催期間が5月9日までということで、残り少ないものですから、ゴールデンウィークには札幌にいられれば訪ねたいところです。故郷の歴史を知る絶好の機会です。どうぞお見逃しなく。
【唯一撮影が許される記念撮影コーナー:左がマ先生、右は須川長之助】
http://pub.ne.jp/karagaradou/