定山渓から昼に帰ってきました。気味が悪いくらい雪が降りません。道路はアスファルトが出ています。
自治体財政は嬉しいかも知れませんが、除雪業者さんの収入が心配になってきます。
【ローマの世界の終焉】
作家塩野七生さんが十五年をかけて年間一冊ずつ書き上げてきた「ローマ人の物語」シリーズの最終巻である、十五巻「ローマ世界の終焉」を読み終えてしまいました。
自分の中では「読み終えた」という達成感ではなく、「読み終わってしまった」という、ある種の寂しさが漂っています。もうこれ以上続きはないのだ、という、ドラマやマンガの最終回を見終わったあの寂しさです。
伝説によるとロムルスがローマ帝国を建国したのが紀元前753年のこと。それから千年以上を経て、西暦395年に皇帝テオドシウスが死去したことで、大した意図もないままに、ローマ帝国は東部を長男アルカディウスに、西部は次男ホノリウスに受け継がれました。
そしてこのときを後の歴史家は実質のローマ帝国の東西分離のときと考えています。
この時既に東西ともローマ帝国の皇帝はキリスト教、それもカトリックの神が任命するということになっていたために、無能であろうが何であろうが、国民の力がリーダーを決められる時代ではなくなっていたのでした。
そのため5世紀の末の特に西ローマ帝国では、共和制から帝政へと力強いリーダーが登場したかつての高度成長期とはまったく様相を異にする、侵略され、略奪され、虐殺されるがままになる哀れな姿をさらすことになります。
現代から振り返ることができて結果の分かっている私達から見ると、当事者達は真剣だったに違いない内紛と利害の争奪争いから来る統治力の喪失のおかげで、帝国の存在もやがて失われて行きました。
西暦476年に最後の皇帝が反乱によって退位され、その後に帝位につく者がいなかったことで、西ローマ帝国はここに滅亡をします。
最後の皇帝の名は、奇しくもローマ建国の祖とともに、ローマ帝国の祖の名前を併せ持った、ロムルス・アウグストゥスでした。
西暦476年に滅亡した西ローマ帝国を支配したのは幾つかの蛮族でしたが、東ローマ帝国の側も黙っていたわけではなく、その後約一世紀に渡って失われた領地の回復に努めます。
しかしそれとても、西暦565年のユスティニアヌス大帝の死と、西暦568年のイタリアに派遣されていた最後の将軍ナルセスの死によって、イタリアは蛮族の手に落ちることになるのでした。
※ ※ ※ ※
著者である塩野さんは、十五巻も使ってローマ史を書いた理由を、「素朴な疑問に端を発している」と書いています。
それは「ローマ史と言うと返ってくるのが『衰亡』であるのは、これまでの一般の傾向だった。…衰亡したのならばその前に興隆していなければならないはずで、それなのになぜ、興隆期には関心を持たずに衰退期ばかり問題にするのか、であったのだから」という言葉に言い表されています。
「歴史上に現れては消えていった国家のほとんどは、興隆した後はすぐに衰退に向かっている。興隆期と衰退期の中間に、長年に及ぶ安定成長期までも持てた国家は少ない。それゆえか、長命を保った国家は必ず、安定成長期を持っている」
「…そして帝政ローマの特色の第二は、『パクス』(平和)の達成だが、『パクス・ロマーナ』とは、『ローマ帝国による国際秩序』であったのだ。しかもこのローマ主導による平和は、長年にわたって、しかも広大な帝国の全域に渡って維持されたのだからスゴイ」
著者が、さいごにカタカナで「スゴイ」と書いているところに、心底スゴイと思っている気持ちが表れているようで面白いのです。
※ ※ ※ ※
記念すべき第一巻の冒頭で著者は、歴史家ではない、現代のちっぽけな私達でも、古代ローマ人達が残した足跡を訪れれば、自然に古代のローマ人とはどういう人達であったのだろう か、と考えるようになるのではないか、と書き記しています。
知力ではギリシア人に劣り、
体力ではケルト(ガリア)人やゲルマンの人々に劣り、
技術力では、エトルリア人に劣り、
経済力では、カルタゴ人に劣るのが、
自分たちローマ人であると、少なくない資料が示すように、ローマ人が認めていた。
それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか。一大文明圏を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。
※ ※ ※ ※
十五巻の最後に著者は、「この『ローマ人の物語』全十五巻は、なによりもまず私自身が、ローマ人を分かりたいという思いで書いたのである。書き終えた今は心から、わかった、と言える」
「そして、読者もまた読み終えた後に、『わかった』と思ってくれるとしたら、私にとってはこれ以上の喜びはない。なぜなら、書物とは、著者が書き、出版社が本にし、それを読者が読むことで初めてなり立つ媒体だが、この三者をつなぐ一本の赤い線が、『想いを共有する』ことにあるのだから」と書きました。
私にも、極めて物事に現実的に対処したローマ人の思考回路や宗教的寛容性などに覇権国となり、それを支えた彼らの生き様に触れて、現代日本との相違点などについて、思いを馳せることができました。
そして魅力的な生き方とは何か、真剣に生きる姿を塩野さんから教えてもらったのだと思っています。
これからは事に応じて読み返すことで、このローマ人という魅力的な人々の味わいをさらに深めていきたいものです。
ROMANI MUNDI FINIS ローマ世界の終焉です。
自治体財政は嬉しいかも知れませんが、除雪業者さんの収入が心配になってきます。
【ローマの世界の終焉】
作家塩野七生さんが十五年をかけて年間一冊ずつ書き上げてきた「ローマ人の物語」シリーズの最終巻である、十五巻「ローマ世界の終焉」を読み終えてしまいました。
自分の中では「読み終えた」という達成感ではなく、「読み終わってしまった」という、ある種の寂しさが漂っています。もうこれ以上続きはないのだ、という、ドラマやマンガの最終回を見終わったあの寂しさです。
伝説によるとロムルスがローマ帝国を建国したのが紀元前753年のこと。それから千年以上を経て、西暦395年に皇帝テオドシウスが死去したことで、大した意図もないままに、ローマ帝国は東部を長男アルカディウスに、西部は次男ホノリウスに受け継がれました。
そしてこのときを後の歴史家は実質のローマ帝国の東西分離のときと考えています。
この時既に東西ともローマ帝国の皇帝はキリスト教、それもカトリックの神が任命するということになっていたために、無能であろうが何であろうが、国民の力がリーダーを決められる時代ではなくなっていたのでした。
そのため5世紀の末の特に西ローマ帝国では、共和制から帝政へと力強いリーダーが登場したかつての高度成長期とはまったく様相を異にする、侵略され、略奪され、虐殺されるがままになる哀れな姿をさらすことになります。
現代から振り返ることができて結果の分かっている私達から見ると、当事者達は真剣だったに違いない内紛と利害の争奪争いから来る統治力の喪失のおかげで、帝国の存在もやがて失われて行きました。
西暦476年に最後の皇帝が反乱によって退位され、その後に帝位につく者がいなかったことで、西ローマ帝国はここに滅亡をします。
最後の皇帝の名は、奇しくもローマ建国の祖とともに、ローマ帝国の祖の名前を併せ持った、ロムルス・アウグストゥスでした。
西暦476年に滅亡した西ローマ帝国を支配したのは幾つかの蛮族でしたが、東ローマ帝国の側も黙っていたわけではなく、その後約一世紀に渡って失われた領地の回復に努めます。
しかしそれとても、西暦565年のユスティニアヌス大帝の死と、西暦568年のイタリアに派遣されていた最後の将軍ナルセスの死によって、イタリアは蛮族の手に落ちることになるのでした。
※ ※ ※ ※
著者である塩野さんは、十五巻も使ってローマ史を書いた理由を、「素朴な疑問に端を発している」と書いています。
それは「ローマ史と言うと返ってくるのが『衰亡』であるのは、これまでの一般の傾向だった。…衰亡したのならばその前に興隆していなければならないはずで、それなのになぜ、興隆期には関心を持たずに衰退期ばかり問題にするのか、であったのだから」という言葉に言い表されています。
「歴史上に現れては消えていった国家のほとんどは、興隆した後はすぐに衰退に向かっている。興隆期と衰退期の中間に、長年に及ぶ安定成長期までも持てた国家は少ない。それゆえか、長命を保った国家は必ず、安定成長期を持っている」
「…そして帝政ローマの特色の第二は、『パクス』(平和)の達成だが、『パクス・ロマーナ』とは、『ローマ帝国による国際秩序』であったのだ。しかもこのローマ主導による平和は、長年にわたって、しかも広大な帝国の全域に渡って維持されたのだからスゴイ」
著者が、さいごにカタカナで「スゴイ」と書いているところに、心底スゴイと思っている気持ちが表れているようで面白いのです。
※ ※ ※ ※
記念すべき第一巻の冒頭で著者は、歴史家ではない、現代のちっぽけな私達でも、古代ローマ人達が残した足跡を訪れれば、自然に古代のローマ人とはどういう人達であったのだろう か、と考えるようになるのではないか、と書き記しています。
知力ではギリシア人に劣り、
体力ではケルト(ガリア)人やゲルマンの人々に劣り、
技術力では、エトルリア人に劣り、
経済力では、カルタゴ人に劣るのが、
自分たちローマ人であると、少なくない資料が示すように、ローマ人が認めていた。
それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか。一大文明圏を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。
※ ※ ※ ※
十五巻の最後に著者は、「この『ローマ人の物語』全十五巻は、なによりもまず私自身が、ローマ人を分かりたいという思いで書いたのである。書き終えた今は心から、わかった、と言える」
「そして、読者もまた読み終えた後に、『わかった』と思ってくれるとしたら、私にとってはこれ以上の喜びはない。なぜなら、書物とは、著者が書き、出版社が本にし、それを読者が読むことで初めてなり立つ媒体だが、この三者をつなぐ一本の赤い線が、『想いを共有する』ことにあるのだから」と書きました。
私にも、極めて物事に現実的に対処したローマ人の思考回路や宗教的寛容性などに覇権国となり、それを支えた彼らの生き様に触れて、現代日本との相違点などについて、思いを馳せることができました。
そして魅力的な生き方とは何か、真剣に生きる姿を塩野さんから教えてもらったのだと思っています。
これからは事に応じて読み返すことで、このローマ人という魅力的な人々の味わいをさらに深めていきたいものです。
ROMANI MUNDI FINIS ローマ世界の終焉です。
私の近い友人が、戦国記にこり、何事にもその事象を当てはめて発言するようになりましたが、これがなかなか説得力があるんですよ。ちょっと見直してます。
私が私淑する安岡正篤先生に「一日一言」という小冊子があります。
この本の中に、「座右の書」として次の言葉が書かれています。
心を打たれるような身に沁むような古人の書をわれを忘れて読み耽けるときに、人間は生きるということは誰もが知る体験である。それを積んでおると、しだいに時間だの空間だのという制約を離れて真に救われる。いわゆる解脱をする。
そういう愛読書を持つことが、またそういう思索・体験を持つことが人間として一番幸福であって、それを持つのと持たぬのとでは人生の幸、不幸は懸絶(著しく隔たってくる)してくる。
古谷さんも良い本に巡り会うようお祈りしています。なお、今後は本名よりは適当な匿名の方がよろしいかと思います。
ご愛読、よろしくお願いします。