北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

できることはやってもらう ~ 冷たいようで冷たくない見守り

2024-10-09 21:16:22 | 介護の世界

 

 91歳になる母親は94歳の父と夫唱婦随でいまでも一軒家で暮らしてくれています。

 父は短期記憶が相当に怪しくなっていて昨日のことはおろか、数時間前に食べたものも思い出せないような状況です。

 それでも杖なしで歩くことができ、食事もトイレも介助なしで自分でできます。

 またデイサービス施設で入浴サービスを受けた時も、施設の担当者が見守ってくださっていた時には浴槽をまたぐことも問題なく、頭と背中を洗ってあげるだけでそれ以上の介助はなかったとのこと。

「ちなみに自分の服は分かるんですか?」と訊いてみたところ「いえ、それは担当者が『お着替えはこれですよ』と教えてあげますね」とのこと。

 父はデイサービスの施設で、「子供が3人います」と言っていたそうですが、妹の名前も先日亡くなったことも覚えていなかったそうです。

 それはそれで父なりの幸せなのでしょう。


      ◆


 一方母の方は、腰が曲がってしまっているものの時間をカートを押しながらかければ歩ける、と頑張っています。

 先日は私の買い物サポートに頼らずに一人で数百メートル先の食品スーパーまでカートを押して出かけたのだそう。

 ところがスーパーの中で携帯に電話が来て会話を終えた後で買い物を続け家に帰ってきたところ、その携帯電話を見失ってしまったのだそう。

(スーパーのどこかで落としたかしら)とまた父を連れてスーパーに戻り、サービスカウンターに届いてないかと思いきやそれもなし。

「電話をかけてみてはいかがですか」と言われて、お店の方に自分の携帯にかけてもらったところ、持参していた普段は携帯を入れない別の買い物袋の底に入っていたのだそう。

「焦って、もうどきどきだったわ」と言いながら、買い物に出かけることはあきらめません。

 私が車でスーパーまで連れて行けば、あとは店のカートを押しながら店内を歩くことはできるので、そこで商品を選んで欲しいものを買う、というのは母にとってはルーチンでありながら楽しみでもあるのでしょう。

 だから買い物の最中は、「高いところのあれを取って」と言われたりしない限りは一切余計な声をかけないようにしています。


        ◆


 「介護の三原則」というのがあります。それは
① 生活維持の原則
② 自己決定の原則
③ 残存能力活用の原則  …の三つと言われています。

 ①の生活維持の原則とは、高齢者にもできるだけこれまで通りの日常生活を送ってもらうべきという考え方です。

 日常の環境をできるだけ変えないように心がけたいところです。

 ②の自己決定の原則とは、あくまでも生き方や暮らし方は本人がきめるべきだ、という考え方です。

 本人たちの意思を尊重せずに勝手に「こうしたから」と決めてはいけないということです。

 ③の残存能力活用の原則とは、本人たちができることはなるべく自分自身でやってもらうようにするという考え方です。

「〇〇をして」と言われない限り、先を見越してやってあげるべきではありません。

 それで時間がかかったり非効率だとおもったりしても、それを自分自身で一生懸命にやることが意欲と能力の継続に繋がります。

 なので、母の買い物は本人がやりたくてやれる範囲でやっていることなので、サポートをしつつ余計なことはしない、というスタンスで臨んでいます。

 まして、「早くして」とか「こんなの買うの?」などと言うこともなく淡々と見守ることが一番です。

 私は買い物の最中に「これ買ってちょうだい」と果物などをおねだりすることもあるのですが、そういうサポートとして付き合ってあげているという貸し借りの帳消しみたいなこともあってよいと思っています。

 とにかく老いたる両親の日常をできるだけ長くぎりぎりまで続けるということを目標にしています。

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