年末を控えて、仕込む仕事は仕込んで置かなくてはならず、どたばたです。担当してくれる職員にも、もう一踏ん張りをお願いしたいところです。
さて今日は
■札幌市都市計画審議会 の1本です。
【札幌市都市計画審議会】
札幌市の都市計画審議会は、上司の替わりに私が出席する事が多い。
この審議会は、まず次回に決するための事前説明を行って、その次の審議会で本当に決を採るという形が取られる。今回は事前説明案件が多くてなかなかボリュームも多かった。
細かな計画の変更案件も多くて、特定の地区の事のようにも思えるのだが、小さな計画を住民全体の合意で決定するという形は大事だ。
そのことで、市の中の事は全てが我と我が事だ、ということを確認し続けられるからだ。
地区の事を地区で決める制度もそれはそれでよいが、狭い地区の事も全体が決めるというシステムも良い。相互のバランスが大事なのだ。
* * * *
前回事前説明案件として提案された、全市の中でマンションなどの高さ制限を加えるという件で、前回説明後にパブリックコメントという形で市民に対指定券募集を行ったのだが、その意見が出そろったようだ。
それらを分析して、市側からは意見に対する対応方針の説明があったが、概ね意見は意見として聞くが、当初からの提案を変えるほどではないという説明であった。
委員の一人からは先日の新聞記事で「経済界が高さ制限は経済に悪い影響与えるので反対という申し出があった」という記事に関して、経済界代表の委員の意見を代弁する形で「高さに注目した理由が情報提供不足か、理解されていないのではないか」と発言。経済界としての不満を表明する形となった。
しかし、市域全体で高さを圧倒的に抑えるわけではなく、人口を都市の中心部に誘導すると共に、緑や自然が豊かなところでは突然ののっぽマンションを規制しようと言う趣旨は明らかなのであって、この規制を行った上で、一般的な規制が妥当ではないというところについて個別に議論を行う事で良いように私は思う。
経済界としてはいずれにしても規制という事はない方がよいのだろうか。それとも何か市民のコンセンサスを取れる対案を示してくれるのか。反対のための質問よりは、対案を示すという形の議論の方が良いと思うのだが。
* * * *
逆に、もっと規制すべきと言う委員もやはりいて、こちらは特に円山付近の原始林近くにすでに着工しているのっぽマンションがありながらこれらを規制する事が出来ないという点を批判した。
また、高さ制限が成立した後には違反状態となってしまうマンションに対しても、立て替えの際には同規模同形状であれば同じだけの高さを認める、という案に対しても、「そんなことにならないように、いまのうちに事業者を説得して止めさせるべき」という論を展開する。
規制がなされる前はやはり制約させる事は出来ないし、決まりが出来た後でも現実は遡って違法状態とはしない、というのは近代法のルールと言える。
だから立て替え時にそれまで15階まで認めたものを11階までしか認めないということになると、住民の住まいがなくなってしまう事になり、そのような決めごとはやはり現実的ではないと言える。
委員の批判に対しては、市側からやんわりとそのような趣旨の説明があって、議論は平行線。分かった上で質問をされている人はやはり納得をすると言う事はないのだろう。
景観は見る人と見られる人の相互作用と相対関係である。
特別な景観を独り占めすることで、自らが景観を阻害しているようであれば、その立場を「まずいかなあ」と思うような想像力が働いて、自分がそこに住むのではなく、他から見る立場になったらどう思うか、ということを感じてもらわなくてはならないのだろう。
いつの世も、自分の外の事に感度が低くて平気な人というのはいるものだ。それじたいは仕方のない事だとした上で、良い景観や風景を子孫のための財産を妥当な範囲の経済活動と折り合いをつけながら守り残せるか、という視点が必要だ。
景観だけでも行けないが、経済だけでも行けない。その時代の常識に従って折り合いをつけることが大事なんだな。
いつの世もバランス感覚が必要なのだ。
さて今日は
■札幌市都市計画審議会 の1本です。
【札幌市都市計画審議会】
札幌市の都市計画審議会は、上司の替わりに私が出席する事が多い。
この審議会は、まず次回に決するための事前説明を行って、その次の審議会で本当に決を採るという形が取られる。今回は事前説明案件が多くてなかなかボリュームも多かった。
細かな計画の変更案件も多くて、特定の地区の事のようにも思えるのだが、小さな計画を住民全体の合意で決定するという形は大事だ。
そのことで、市の中の事は全てが我と我が事だ、ということを確認し続けられるからだ。
地区の事を地区で決める制度もそれはそれでよいが、狭い地区の事も全体が決めるというシステムも良い。相互のバランスが大事なのだ。
* * * *
前回事前説明案件として提案された、全市の中でマンションなどの高さ制限を加えるという件で、前回説明後にパブリックコメントという形で市民に対指定券募集を行ったのだが、その意見が出そろったようだ。
それらを分析して、市側からは意見に対する対応方針の説明があったが、概ね意見は意見として聞くが、当初からの提案を変えるほどではないという説明であった。
委員の一人からは先日の新聞記事で「経済界が高さ制限は経済に悪い影響与えるので反対という申し出があった」という記事に関して、経済界代表の委員の意見を代弁する形で「高さに注目した理由が情報提供不足か、理解されていないのではないか」と発言。経済界としての不満を表明する形となった。
しかし、市域全体で高さを圧倒的に抑えるわけではなく、人口を都市の中心部に誘導すると共に、緑や自然が豊かなところでは突然ののっぽマンションを規制しようと言う趣旨は明らかなのであって、この規制を行った上で、一般的な規制が妥当ではないというところについて個別に議論を行う事で良いように私は思う。
経済界としてはいずれにしても規制という事はない方がよいのだろうか。それとも何か市民のコンセンサスを取れる対案を示してくれるのか。反対のための質問よりは、対案を示すという形の議論の方が良いと思うのだが。
* * * *
逆に、もっと規制すべきと言う委員もやはりいて、こちらは特に円山付近の原始林近くにすでに着工しているのっぽマンションがありながらこれらを規制する事が出来ないという点を批判した。
また、高さ制限が成立した後には違反状態となってしまうマンションに対しても、立て替えの際には同規模同形状であれば同じだけの高さを認める、という案に対しても、「そんなことにならないように、いまのうちに事業者を説得して止めさせるべき」という論を展開する。
規制がなされる前はやはり制約させる事は出来ないし、決まりが出来た後でも現実は遡って違法状態とはしない、というのは近代法のルールと言える。
だから立て替え時にそれまで15階まで認めたものを11階までしか認めないということになると、住民の住まいがなくなってしまう事になり、そのような決めごとはやはり現実的ではないと言える。
委員の批判に対しては、市側からやんわりとそのような趣旨の説明があって、議論は平行線。分かった上で質問をされている人はやはり納得をすると言う事はないのだろう。
景観は見る人と見られる人の相互作用と相対関係である。
特別な景観を独り占めすることで、自らが景観を阻害しているようであれば、その立場を「まずいかなあ」と思うような想像力が働いて、自分がそこに住むのではなく、他から見る立場になったらどう思うか、ということを感じてもらわなくてはならないのだろう。
いつの世も、自分の外の事に感度が低くて平気な人というのはいるものだ。それじたいは仕方のない事だとした上で、良い景観や風景を子孫のための財産を妥当な範囲の経済活動と折り合いをつけながら守り残せるか、という視点が必要だ。
景観だけでも行けないが、経済だけでも行けない。その時代の常識に従って折り合いをつけることが大事なんだな。
いつの世もバランス感覚が必要なのだ。
景観法を、地域の財産を残す武器としてどう使えるのか興味深いところです。