札幌は今日も快晴。涼しいなあ
さて今日は、
■「改革とは公開ですよ」 の1本です。
【「改革とは公開ですよ」】
知人からお誘いがあって、「鳥取県の片山知事が月曜日のシンポジウムのために来道されるのですが、前日の日曜日に札幌に入られるので、囲む会に参加しませんか」と言う。
おもしろそうだなあ、と思って参加する事にした。会場は北大のなかの校舎の一角。
夜六時からと言う事だったが、この会合を聞きつけて道内各地の首長さん、市議会議員、役場の職員、マスコミ関係者など総勢40人ほどの会合となった。
司会は北大法学部教授の山口二郎さんで、片山知事とは同じ岡山県の出身で、なおかつ親同士が教員仲間だったというエピソードを紹介して始まった。
冒頭も何も、片山知事からの話題提供もなく山口教授から「会場の皆さんからの質疑応答で進めましょう」とのこと。
こういう場合は最初に質問をするのが良い、と思っているので真っ先に手を挙げて質問をした。すなわち「県くらいの人口ではマニフェストのようなわかりやすい指標を掲げなくてはならないと思いますが、人口10万人くらいまでの小さな市町村であれば、首長の熱心な説明をすれば良く、マニフェストはいらないと思うのですがいかがでしょうか」というもの。
これに対して知事からは「小さな町になると、かえって特定の団体へ行けばそこの団体に受ける事を言い、別な団体ではそこに良い事を言うような事があるのではないでしょうか。『公共事業をやる』と言う一方で『公共事業を抑えて財政改革をする』というような矛盾のある事も平気でいうかも知れません。そういうパーツごとに共感を呼ぶような姿勢ではなく、トータルのパッケージとして提示するという事が必要なのだと思います。それがマニフェストの意味なのではないでしょうか」とのこと。なるほど…。
そこから先は質問の嵐であった。
某自治体職員からは「うちの場合は首長が市民対話を一生懸命やっているが、議会との折り合いが悪く議会対応がうまくいっていない。鳥取県の状況はどうですか」という質問があれば、
「鳥取県の場合は与野党がありません。多数派や少数派と結ぶとやれないと思っています。信念に基づいて議案を提出して『決定権は議会にあって、判断は議会の見識ですよ』と言えば、議会もそう簡単に反対のための反対はできないものです。密室の罠から抜け出してご覧なさい。ただし、そう言う場合に首長や当局側から提案するその中身は、まっとうなものでなくてはならないのは当然で、それが私利私欲に走るようなものであれば、そのしっぺ返しは必ず自分に降ってきます。身を律する覚悟が必要です」
「他に改革派の知事はいますか?」
「私も知事会では浮いているんですよ。鳥取では3年前に大きな地震があって倒壊家屋が続出したんですが、そのときに民間の家の再建に税金を投入するということをやりました。政府は公費を民間に与えるという事に極めて反対だったのですが、多くの知事に私の考えを話していたら、大体十数人は私の言う事に『そうだそうだ』と言ってくれていたんです」
「なるほど」
「ところがいざ知事会でそのことを政府に要望しようとしたら、すでに根回しが入っていて1対46で完全に私だけが孤立しちゃいました。『そんなものか』と思っていたら、その年の夏に日本海側で豪雨被害でやはり民間住宅がたくさん被害にあって私に『どうしたらいいだろう?』って泣きついてくるんですよ。『あなた達が反対したからでしょ?』と言いたかったけれど、そこから巻き返したら私への賛同者がどんどん出てきました。だから勇気を持って正しいと思う信念を言い続けなくちゃならないんですよ」
ある首長からは「国からの財政援助も厳しくなってきて、中長期的に正しい自治体経営をしようと思えば思うほど、値上げ、サービスカット、増税などをしてゆかなくてはならなくなる。やればやるほど評価が下がってしまうんですがどうしたらよいでしょうか」という切実な問い。
すると「正しい事が住民から不興を買うのであればそれまでですね(笑)。自分の良心に従った政策や主張が自分の意図に反して市民が思うところから離れてしまっていれば、それはもう辞めた方が良いのだと思います。私はこの立場を去って一市民になったときに幸せになれる行政は何だろうか、いうことを目指してやっているつもりです」
また別な首長からは「かつて片山知事は『マニフェストなんて眉唾だ』という意味の発言をされましたが、その真意は何ですか」と言う質問。
「マニフェストは、自己を律する事のできる人が作って始めて意味をなすもので、いまのマニフェストを進める会もずいぶんうさんくさい人が入っているんですよ(笑)。『なんであの人が入ってるの?』という人がね。そう言う人は(マニフェストと言えば、格好良くって選挙に有利だ)と思っているのでしょうね。そう言う意味で眉唾だと言っているのです。マニフェストは志が高くて市民に立脚したような、市民が共感出来る人が作るから意味があるのであって、作ればよいというものではないのです」きびしー!
知事が県民と約束したのは「とにかく情報を公開します」という一点だったとか。そのために最初はやはり今までとのやり方の違いにとまどい反対する職員も多かったのだが、やがてそれが当たり前になれば、次第に着いてくる者も増えたそうだ。
「なんでも公開するから、県職員の処分がしょっちゅう出されるんですよ」でも最近は県民が怒らないんです。逆に「市町村もそれくらいやれ!」という論調になってくるようになりました。信頼感が生まれてきているのだと思います。
「片山知事さんのマニフェストの成果の公表はどのようにしていますか」には「私は自分で県民との約束の点検はしません。全部マスコミが勝手にやってくれますから、それを見るだけですね。新聞を見て『ああ、もう少し雇用対策をしないとダメかな~』なんてね」
最後に「お手本になるような知事はいますか」との問いには「知事ではいませんね。でも政治家で、ということなら大臣秘書官として梶山静六さんに仕えたときに、『尊敬出来る人だな』と思いましたよ。いつも『強い奴と弱い奴がいたら弱い奴に焦点を合わせろ』と言われたものですし、それでいて『生活は質素にしなくちゃいかん』と言って本当に質素でしたよ」との事だった。
噂に違わず、自分というものとあるべき政治の姿をしっかりともたれている方だなあと感心したものでありました。
今日も良い出会いができました。こういうところへ誘ってくださる友がいるのがまた良い。感謝感謝。
さて今日は、
■「改革とは公開ですよ」 の1本です。
【「改革とは公開ですよ」】
知人からお誘いがあって、「鳥取県の片山知事が月曜日のシンポジウムのために来道されるのですが、前日の日曜日に札幌に入られるので、囲む会に参加しませんか」と言う。
おもしろそうだなあ、と思って参加する事にした。会場は北大のなかの校舎の一角。
夜六時からと言う事だったが、この会合を聞きつけて道内各地の首長さん、市議会議員、役場の職員、マスコミ関係者など総勢40人ほどの会合となった。
司会は北大法学部教授の山口二郎さんで、片山知事とは同じ岡山県の出身で、なおかつ親同士が教員仲間だったというエピソードを紹介して始まった。
冒頭も何も、片山知事からの話題提供もなく山口教授から「会場の皆さんからの質疑応答で進めましょう」とのこと。
こういう場合は最初に質問をするのが良い、と思っているので真っ先に手を挙げて質問をした。すなわち「県くらいの人口ではマニフェストのようなわかりやすい指標を掲げなくてはならないと思いますが、人口10万人くらいまでの小さな市町村であれば、首長の熱心な説明をすれば良く、マニフェストはいらないと思うのですがいかがでしょうか」というもの。
これに対して知事からは「小さな町になると、かえって特定の団体へ行けばそこの団体に受ける事を言い、別な団体ではそこに良い事を言うような事があるのではないでしょうか。『公共事業をやる』と言う一方で『公共事業を抑えて財政改革をする』というような矛盾のある事も平気でいうかも知れません。そういうパーツごとに共感を呼ぶような姿勢ではなく、トータルのパッケージとして提示するという事が必要なのだと思います。それがマニフェストの意味なのではないでしょうか」とのこと。なるほど…。
そこから先は質問の嵐であった。
某自治体職員からは「うちの場合は首長が市民対話を一生懸命やっているが、議会との折り合いが悪く議会対応がうまくいっていない。鳥取県の状況はどうですか」という質問があれば、
「鳥取県の場合は与野党がありません。多数派や少数派と結ぶとやれないと思っています。信念に基づいて議案を提出して『決定権は議会にあって、判断は議会の見識ですよ』と言えば、議会もそう簡単に反対のための反対はできないものです。密室の罠から抜け出してご覧なさい。ただし、そう言う場合に首長や当局側から提案するその中身は、まっとうなものでなくてはならないのは当然で、それが私利私欲に走るようなものであれば、そのしっぺ返しは必ず自分に降ってきます。身を律する覚悟が必要です」
「他に改革派の知事はいますか?」
「私も知事会では浮いているんですよ。鳥取では3年前に大きな地震があって倒壊家屋が続出したんですが、そのときに民間の家の再建に税金を投入するということをやりました。政府は公費を民間に与えるという事に極めて反対だったのですが、多くの知事に私の考えを話していたら、大体十数人は私の言う事に『そうだそうだ』と言ってくれていたんです」
「なるほど」
「ところがいざ知事会でそのことを政府に要望しようとしたら、すでに根回しが入っていて1対46で完全に私だけが孤立しちゃいました。『そんなものか』と思っていたら、その年の夏に日本海側で豪雨被害でやはり民間住宅がたくさん被害にあって私に『どうしたらいいだろう?』って泣きついてくるんですよ。『あなた達が反対したからでしょ?』と言いたかったけれど、そこから巻き返したら私への賛同者がどんどん出てきました。だから勇気を持って正しいと思う信念を言い続けなくちゃならないんですよ」
ある首長からは「国からの財政援助も厳しくなってきて、中長期的に正しい自治体経営をしようと思えば思うほど、値上げ、サービスカット、増税などをしてゆかなくてはならなくなる。やればやるほど評価が下がってしまうんですがどうしたらよいでしょうか」という切実な問い。
すると「正しい事が住民から不興を買うのであればそれまでですね(笑)。自分の良心に従った政策や主張が自分の意図に反して市民が思うところから離れてしまっていれば、それはもう辞めた方が良いのだと思います。私はこの立場を去って一市民になったときに幸せになれる行政は何だろうか、いうことを目指してやっているつもりです」
また別な首長からは「かつて片山知事は『マニフェストなんて眉唾だ』という意味の発言をされましたが、その真意は何ですか」と言う質問。
「マニフェストは、自己を律する事のできる人が作って始めて意味をなすもので、いまのマニフェストを進める会もずいぶんうさんくさい人が入っているんですよ(笑)。『なんであの人が入ってるの?』という人がね。そう言う人は(マニフェストと言えば、格好良くって選挙に有利だ)と思っているのでしょうね。そう言う意味で眉唾だと言っているのです。マニフェストは志が高くて市民に立脚したような、市民が共感出来る人が作るから意味があるのであって、作ればよいというものではないのです」きびしー!
知事が県民と約束したのは「とにかく情報を公開します」という一点だったとか。そのために最初はやはり今までとのやり方の違いにとまどい反対する職員も多かったのだが、やがてそれが当たり前になれば、次第に着いてくる者も増えたそうだ。
「なんでも公開するから、県職員の処分がしょっちゅう出されるんですよ」でも最近は県民が怒らないんです。逆に「市町村もそれくらいやれ!」という論調になってくるようになりました。信頼感が生まれてきているのだと思います。
「片山知事さんのマニフェストの成果の公表はどのようにしていますか」には「私は自分で県民との約束の点検はしません。全部マスコミが勝手にやってくれますから、それを見るだけですね。新聞を見て『ああ、もう少し雇用対策をしないとダメかな~』なんてね」
最後に「お手本になるような知事はいますか」との問いには「知事ではいませんね。でも政治家で、ということなら大臣秘書官として梶山静六さんに仕えたときに、『尊敬出来る人だな』と思いましたよ。いつも『強い奴と弱い奴がいたら弱い奴に焦点を合わせろ』と言われたものですし、それでいて『生活は質素にしなくちゃいかん』と言って本当に質素でしたよ」との事だった。
噂に違わず、自分というものとあるべき政治の姿をしっかりともたれている方だなあと感心したものでありました。
今日も良い出会いができました。こういうところへ誘ってくださる友がいるのがまた良い。感謝感謝。
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