駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

SHOW-ismⅩⅠ『BERBER RENDEZVOUS』

2022年11月24日 | 観劇記/タイトルは行
 シアタークリエ、2022年11月22日18時。

 パリで映画撮影のはずが、サハラ砂漠にポツンと建つスタジオに連れてこられた曰くありげな女たち。謎のクライアントからのオーダーは、ここにしばらく滞在して映画を一本撮影せよ、というもの。電波圏外、交通手段なし、あるのは見渡す限りの砂と空、しかも報酬は聞いていたより何故か高いし、しょうがないやるっきゃないと、世界中から集まった女たちはドタバタと撮影を進めていくが…
 作・演出/小林香、音楽監督・編曲/前嶋康明、作曲・編曲/大岢慶子、作曲/Karen Yamaguchi,桑原まこ、振付/松田尚子、松出直也、原田薫。独自のセンスと美意識があふれる、オール女性キャストのソング&ダンス・ショー。全2幕。

 このシリーズ、『ピトレスク』『TATOO 14』『ユイット』と観ていて、どうもあまり感心していない記憶があり、今回もちえちゃんとみやちゃんは観たいんだけどさてどうかな…と手を束ねていたら、知人の代理でちょっとお安く行くことになりました。それでちょうどよかったかも…(^^;)
 ネタバレすると、クライアントの正体とはゲスト出演者演じるノーウェア(この日は愛月ひかる)と名乗る宇宙人で、地球人を滅ぼした方がいいか判定に来た、という中二設定です。で、できた映画の出来がいいから(そしてチョコレートなるものに初めて出会い、気に入ったから)見過ごしてやることにした、と言って去っていき、女たちはまた日々をがんばるか、と解散していく…というような枠組みの中で、女たちが作るいくつかの短編映画をそれぞれ一場面とするショーを展開する、という舞台でした。彼らによれば地球人は生まれた星を滅ぼしてしまいそうなくらい愚かで、彼らの星に到達できるほど賢くないそうです。まあそれはそうやね。その程度のザル判断でよしとする彼らの文明も知れたものだとは思いますが、私は退団後初めて観た愛ちゃんがあいかわらず色白でお衣装も真っ白のパンツスーツで白く発光していて、宇宙人感があったのでよかったと思いました(笑)。歌は普通、てか出ない低い音があるような歌を無理に歌わせることはないと思う。てかいくらゲストでも出番ちょっとすぎない? ゲスト目当てで来るファンも多いんじゃないかと思うんだけど、この先もこれで大丈夫? まあまあ豪華メンツだけど?
 まあでも、そんなわけでショーを作るのって難しいんだな、だから今、宝塚歌劇団以外でショーを作るところってほとんどないのかもしれないな、などと考えてしまう観劇となりました。他のキャストは私は全然名前を知らない人で、それぞれ有名なシンガーだったりダンサーだったりするのでしょうか。でもスターはあくまでちえちゃんとみやちゃんで、でも別に他がアンサンブルに徹しているというわけでもなく、さりとてメインになってものすごい歌唱を聴かせるとかダンスアクトを見せるとかもなかった気がする…となると、全体に間が保たないんですよ。宝塚のショーは下級生を端からチェックするとか、要するにスターを観る楽しみがあるんだけれど、それがないならものすごく質の高い歌やダンスにしてくれないと、あたりまえですが見るべきものがないんです。映像とかもそんなに凝っていたわけじゃない気がしたし、ものすごく斬新な振付があった気もしなかったし、ショーで何をやりたかったんだ…って気が正直してしまいました。
 また、ちえちゃんは元女優のスタントウーマンで、みやちゃんは元子役で今はお騒がせセレブみたいな扱いの女優、という設定のようでした。彼女たちはかつて映画で共演したことがあって、みやちゃんは大人の役者に生まれ変わるチャンスと賭けていたんだけれど、ちえちゃんのトチリのせいで上手くいかず、結局それでちえちゃんは女優からスタントに転向してみやちゃんもぱっとしないまま…ということになっているんだそうです。何ソレ、そっちの話をストーリー仕立てのショーで観たいんですけど?ってなりません?? 私はぶっちゃけなりました。
 今はロンドン住まいという設定のみやちゃんはあだ名というかコードネーム?が「ハロッズ」で、いかにもな派手な黄色のチェック柄のお洋服始め取っ替え引っ替え腹も出す脚も出すの大盤振る舞い、ごちそうさまでした。ちえちゃんはロサンゼルスでベルベットのパンツスーツがメインのお衣装で、要するにふたりがいがみ合いながら結局のところイチャイチャしてるとただの『オーシャンズ8』だったので、早くそれをやればいいのでは…としか思いませんでしたね。
 もちろん卒業しちゃうとミュージカルに出てもショーのような歌やダンスをすることってほぼないので、久々にバリバリ歌い踊りバンバン着替えるふたりを観て楽しかったんですけど、でももうちょっと中身が欲しかったですねえ私は…
 まあでも客入りはいいようだし、回数少ない公演だし、ファンは喜んでるのかも知れないし、これでなんとかなっているならそれでいいのかな…私は小林香はわりと好きな方な気がしているんですが(歯切れ悪いな)、やはり作品を選んで観に行かないとな、とも改めて思いました。
 クリエも規制退場をやめていました。ここもあまり導線良くなくて混むから、もうしばらく続けるといいのに…残念でした。



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劇団☆新感線42周年興行 SHINKANSEN☆RX『薔薇とサムライ 2』

2022年11月23日 | 観劇記/タイトルは行
 新橋演舞場、2022年11月21日12時。

 女海賊アンヌ・デ・アルワイダ(天海祐希)が天下の大泥棒・石川五右衛門(古田新太)とともにコルドニア王国の混乱を収め、女王となって十数年。ある日、医者で科学者のケッペル・レンテス(粟根まこと)が滞在するデルソル島がコルドニアの軍勢に襲われ、訳あって滞在していた五右衛門が追い払う。アンヌの真意を確かめるため、ケッペルとともにコルドニアへ向かう五右衛門。そのころヨーロッパではソルバニアノッソ王国の女王マリア・グランデ(高田聖子)が隣国ボスコーニュを併合していた。国王シャルル一世(浦井健治/映像出演)が海難事故で生死不明の今、弟のラウル(神尾楓珠)は不利な条件でこの併合を受け入れるしかなかったのだ。得意満面のマリアが主催する祝賀会にロザリオ・イクシタニア(石田ニコル)とともに乗り込んだアンヌだったが…
 作/中島かずき、作詞/森雪之丞、音楽/岡崎司、振付・ステージング/川崎悦子、演出/いのうえひでのり。『五右衛門ロック』のスピンオフとして2010年に上演された『薔薇とサムライ』の続編。全2幕。

 前作は生では観られずゲキシネで観ていて、そのときの記事はこちら。なので今回はなんとしても生で観たくて、チケット取りもがんばりました。
 私は新感線はそんなに観ていなくて、そんなにファンでもない自覚がありますが(当たり外れがあると思っている、と言いましょうか)、今作は過去イチおもしろかったです。というか、私にはとても観やすかった。
 まず、とってもミュージカルでした。新感線の舞台には音ものというのか、ロック音楽や演奏、歌唱を前面に出す音楽劇のバージョンがあるようですが、私は今までどうにもこれがダメで、歌詞が映像で出ようが歌詞や台詞が聞き取れず意味がわからなくて閉口したり、ガンガン鳴っているBG演奏が歌のときだけ音量を下げるのがわざとらしくてとにかく嫌いで、あまりハマれないできたのでした。でも、今回はとてもミュージカルでした。ごく普通のミュージカルだったと言ってもいいでしょう。ロックだけでなくいろいろな楽曲があってそれがどれもよかったということもあるし、心情を歌い上げるものから会話がそのまま歌になる掛け合いの軽妙さで聞かせるもの、そしてもちろんノリノリガンガンのロックまで、多彩だけれどとにかくすべて聞きやすかったです。バラード以外は歌詞が丁寧に映像で出ましたが、なくても十分聞き取れて意味がわかって、楽しめたし沁みたしアガりました。役者がみんな歌が達者だったというのもあります。ユリちゃんは一度もカマさず(そんなのユリちゃんじゃない!という一抹の寂しさすら感じました)、ストーリーテラーめいたポジションの吟遊旅団のお三方(山本カナコ、冠徹弥、教祖イコマノリユキ)が終始ノリノリかつ絶品に上手かった、というのもあります。とにかく歌や音楽の量やバランスがちょうどよかったと思いました。
 また、演出が素直でてらいがなく、スムーズでスマートでした。私は最近ちょっと歌舞伎づいている気でいるのですが、そういう目で見るとホントに歌舞伎調の作品で、盆でセットが回転して場面転換するのもミュージカルというより歌舞伎の手法なんですよね。花道やスッポンの使い方や拍子木の入り方も歌舞伎的で、提灯が並ぶ新橋演舞場の雰囲気にぴったりで、そこでのびのび展開される大芝居とエンタメっぷりに唸らされました。殺陣ももちろん見事だし、本当にストレスがありませんでした。大衆芸能、こうでなくちゃね!
 そして何より脚本がよかった! おそらくはユリちゃんにオスカルをやらせたい、みたいなところから勢いで、なんちゃってヨーロッパを舞台になんとなくお話をでっち上げていつメンでわあわあ盛り上げて作ったのだろう前作を、12年の時を経てさあ続きを、ったってそんなすぐうまくいくもんじゃないことは容易く想像できます。作者も観客側もいろいろなこと、ものに対して解像度が上がっていて、世の中は変わりなんなら世知辛く悪い方に変わっていて、実際の戦争も軍事紛争も汚職も駄目政治もみんなが目撃していて、そんな世の中をしんどく思いながらみんな必死で生きていて、そこにどうこの「世代交代」の物語を紡ぎ魅せていくのか…が、キモだったろうと思いますが、本当によくできていました。
 民の幸せのために自ら最前線に毅然と立つクイーン・アンヌの姿は、現代政権批評を体現してあまりあります。霞ヶ関だか永田町だかのおっさんたちにも観てもらいたい、せめて爪の垢を煎じて飲ませたい。さらにロザリオもラウルも、単なる世襲で国を背負おうというのではない。なんなら王位継承者は別にいて、それでも世のため人のため思うところがあって、自ら政治に関わろうとする若者たちなのです。その潔く凜々しいことよ…! そして今だと謎の流行病がとか細菌兵器がどうとかにしちゃいそうなところを、中毒性のある塩が…としたところがまたいい感じにファンタジックでおもしろく、しかし「パンとサーカス」ではなく「パンと文化」というナンバーがあったりと、ストーリーが手堅く、かつホント深くて上手いのです! ニクい!!
 そして世代交代は、ただ老兵が去って終わるのではなく、アンヌはさらに先の地平に飛び立っていくのでした。かーっこいーい! 確かに五右衛門は前作以上に完全にアンヌの見守り役みたいになっちゃっていて、中の人が「なんの得にもならないぞ、いいのか五右衛門?」とつい思ってしまうというのもむべなるかな、な枯れた、精神的隠居爺っぷりではありますが、まあ男の方が老けるの早いしな…(笑)ムッシュ・ド・ニンジャとしての活躍も一応あるわけですし、まあいいんじゃないでしょうか。前作ちょっとはあったような気もするアンヌへの色恋もすっかり枯れて、でもそこはやはりさっぱりとすがすがしく、だからこそただの友達として同志として助け合うふたりが美しくまぶしく、実に良きコンビものとして仕上がっていました。
 それからするとヤング世代は、たとえばラウルとロザリオって普通だったら恋仲に設定されそうなものなのに、全然そんな感じじゃなかったのがまたおもしろいですよね。隣国の王子王女として小さい頃から親交があったはずで、政略結婚の話があったり、そうでなくても男女がいれば色恋に仕立てるのがありがちな物語というものなのに、彼らは自国の行く末を気にし自分に出来ることを模索しているまっすぐな若者で、ナンパな空気には全然ならないのでした。イクシタニアの王位は兄王子が継ぐから、とアンヌのもとで後継者修行みたいなことをしているロザリオは、王族として為政者としての自覚をきちんと持っていて、国王の兄が行方不明で政権を担わざるをえずちょっとおたおたしているようなところがあるラウルに対しても情けないもの足りないとズバズバ言っちゃう、なかなかしっかり者の、手強い存在です。こういう少女キャラクターって、実はなかなかない気がします。すごく新鮮に感じました。
 今やコルドニアの内務大臣エリザベッタ(森奈みはる)の息子ベルナルド(西垣匠)は逆にちょっとロザリオに気があるようで、それでラウルに噛みついている節もあり、このあたりは、まあそんなに深く掘り下げなくてもいいけどもうちょっと演技で出てくるとおもしろくなるのになと思いましたが、なんせこの西垣くんは初舞台らしく芝居は棒だったので…ともあれヤングチームもあくまで真摯に政治と向き合い民のために生きようとする若き為政者で、それはコバル(河野まこと)やマクシミリアン(早乙女友貴。素晴らしき立ち回り…!)たちののちの姿にも響いていき、本当にすがすがしいのです。
 だから、無理なく世代交代できる。彼らになら、任せられる。そして、彼らとは違った場所で世のため人のためさらに新しい仕事をするために、アンヌは海に戻る…サブタイトルは「海賊女王の帰還」。素晴らしすぎます!!!
 勧善懲悪の物語において悪人の在り方も重要ですが、いつでも任せて安心な高田聖子に加えて生瀬さんのボルマン(生瀬勝久)も按配が絶品で、本当によく出来た作品になっていたと思いました。全体に説明も丁寧で過不足がなく、シリーズや前作を知らなくてもわかるように気配りされていて、かつクドすぎることもなくダレることもない休憩込み3時間半みっちり楽しい、実に良き舞台だと思いました。観られてよかった!!!

 で、こんなちゃんとした作品なんだから誰がやっても成立するような気がしますがしかし、やはりこの舞台のセンターにはユリちゃんが立たないとね!な天下の天海祐希姐さんアンヌが、また本当に見事なのでした。めっさ出番多いし着替えも多いし歌も多い、でも疲れも衰えも見せず颯爽とやってのけて、まあぁカッコいいこと! 銀髪というかシルバーブロンドみたいな鬘も素敵で、流行りのグレイヘアのようでもあるし、老練な政治家としての威厳と、でも未だ若々しい活気がよく出ていて、素晴らしかったです。お衣装もどれも素敵だけれど、下町で中毒患者の看護をしていたときのざっかけない服がスッキリ似合っていて素敵だったなあ。てかホント変わらずスタイルがいい、姿勢がいい、華がある、舞台役者が向いています。もちろん先日の『広島ジャンゴ2022』もすごくいい舞台、すごくいいお役で、ユリちゃんに薔薇サムみたいな芝居ばかり求めるのは間違っているとは思うのですよ。でもこういう役どころが出来る、似合う役者が限られているのも事実なわけで…やれるうちにやらしたろ、とはなるよねそら、とも思っちゃうのです。そしてそれにしっかり応えるユリちゃんね…!
 だからトートもやらせちゃうし出来ちゃうんです(笑)。てかソレっぽいのがあるとは聞いていたんだけど、ナンバーの一音目からもうわかるんだからそもそもオリジナルがすごいってことですよね。そしてそれをきっちりパロる、たまらんね! そりゃ最後のタンスどころか家財道具すべて貢ぐね!!
 からの泥棒紳士ですよ黒燕尾ですよ短髪男装ですよ下手したらマジ30年ぶりとかじゃないのユリちゃん!? いや正直後ろ姿からの登場、肩と背中はやや甘いと思ったんですよ、でもそーいう問題じゃないよねもはや! てか今も通用する、なんなら今でもものすごく際立つに違いないこのスタイル、まして30年前はそら異例のスピードで出世もしようというものですよねえホント…! イヤしかしウケましたよ、だってここのアンヌ記憶喪失なんだよね? でも形状記憶のごとくできちゃうってことが、ホントそのままユリちゃんのことのようでおもしろすぎました。
 そしてここのエリザベッタがまたイイんだ…! 彼女はずっとアンヌのそばにいて、別にアンヌは苦しそうだったりしんどそうだったりして見せたことはないんだと思うんだけれど、それでもエリザベッタは、自分がアンヌから海を、自由を、翼を奪ってしまったのではないか、この国に、政府に縛り付けてしまっているのではないか、とずっと気に病んできたんですよね。良き後継者も育ちつつある今、彼女がこのまま記憶をなくし、政権を離れ、市井で生きてもアンヌはアンヌで、元気で幸せならいいじゃない…と考えてしまう、エリザベッタのこの女っぽいところが私はとても好きです。それをミハルがやっているってのがまたたまらないわけです。思えばエリザベッタは母にもなっているし最後はいつの間にかケッペルとラブいことになっていて、ロマンスの香りが全然ないこの作品においてフェミニンなパートを一手に引き受けているようなところがあります。ベタベタしていないんだけどいい感じにウェットなの、好き! ミハルの良き持ち味だと思います。
 だからアンヌが海に戻っても、エリザベッタは国に残る。でも彼女たちの友情は続く。これはそういう物語でもあるんだろうと思うのでした。
 でも一番は、人は夢を見、幸せになるために生まれてくる、それを助け支えるのが国の務め、そういう国を作り民を幸せにし民とともに幸せになるのが為政者の務め、それが王の幸せ…という、ごくまっとうなことをアンヌが常に言い、コルドニアの民たちも言い、だからみんながこの女王を信奉している…という、美しい、国と民とのあるべき姿を見せていること、それが今回のこの作品のキモなんだろうと思います。「♪幸せは矜持であり使命」これですよ、これ。この志を作品からきちんと受け継いで、私たちは私たちの現実の荒海を生きていかなければならないのだ、と改めて思ったのでした。
 富山、新潟、大阪と来て来月の大千秋楽まで、どうか無事の航海を祈っています!





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我が愛しの間黒男さま@れいこちゃん~月全ツ『ブラック・ジャック 危険な賭け』初日エモエモ日記

2022年11月19日 | 日記
 何度か語っていますが私にはみっつ違いの弟がいるので、「りぼん」「なかよし」を読む一方で(「ちゃお」はまだなかったのでは…)弟と一緒に週刊少年漫画誌4誌をずっと読んで育ちました。小学生時代は「ジャンプ」はまだまだ後発で、「サンデー」「マガジン」はもちろんそれぞれおもしろかったものの、なんと言っても夢中だったのが「チャンピオン」です。『ドカベン』『がきデカ』『マカロニほうれん荘』『エコエコアザラク』『750ライダー』『すくらっぷ・ブック』…好きだったなあぁ。そこに『ブラック・ジャック』はあったんだったか、それともこれは時期違いで、コミックスで読んでいたんだったかな…? 実家にはまだ「恐怖コミックス」とか謳われちゃっているボロボロの秋田書店少年チャンピオンコミックス版全巻と、のちに復刊ドットコムから出たB5版の雑誌連載順に収録された豪華版を愛蔵しています。どのひとコマを挙げられてもそのエピソードのあらすじが解説できるくらい、読み込んでいると思います。とはいえ私は世代としては手塚ファンの中では遅く若く、他に『火の鳥』くらいしか実は読んでいないのですが…大人になって『MW』とか。アトムとかジャングル大帝とかアドルフとかを履修していないのです、漫画ファンとして恥ずかしく思っています。長い休みを取って漫喫にこもって全集を端から読みたい…
 それはともかく、花組初演版は、『メラジゴ/ラ・ノーバ!』から宝塚歌劇を観始めた私にとってはまだまだファン黎明期の、しかしやはり思い出深い作品です。演目としては『ベイ・シティ・ブルース』のあと? まだ全組観られていない頃だったかも…当時のプログラムを見ると半券が挟んで残してあるので大劇場には遠征していておらず、東京公演はロンドン公演でいなかったヤンさんの代わりにミキちゃんが主演したのですがこれを観ていて、最後の3日だけヤンさんが戻ってきて演じたのでこのチケット取りに奔走した記憶もあります(前楽の半券アリ)。スカステの録画はどこかにしまってある気がしますがあまり見返したことはなく、実況CDも当時はよく聞きましたがここ最近は全然聞いていませんでした。
 雪組版が上演されたときも、作品違いだし特に復習しなかったのではないかな…ただ、ヤンさんが乗ったセリが上がると影役のチャーリーが出てきて無言で踊り出す様子を、すごく鮮明に覚えています。主題歌「かわらぬ思い」はイベントなんかでもよく歌われる名曲ですが、トップトリオの「それぞれの思い」もものすごく素敵な歌ですよね。大好き!
 今回の全ツの初日3日ほど前に、在宅勤務のお供に実況CDを再生してみましたが、うわあぁあ懐か死ぬ…!と仕事になりませんでした(笑)。ヤンさんミハルミキちゃんタモの声はもちろん、ああミユさん! ユカシさん! さっちん!(確か初めてお茶会に行ったのが彼女だったはず…)ミサノエ~ル…!!ともうエモエモのエモだったのでした。
 そしてホント正調正塚台詞、正塚会話、正塚芝居だな、としみじみ…ハリーは復権してきているのか最近再演が続きますが、今回はこれが今の月組の全ツのメンバーでどう再演されるのか、本当に楽しみになりました。れいこちゃんの先行画像やポスター画像がまた素敵でしたしね。プログラム表紙はちょっと髪を盛りすぎている印象で、頭身が低くなって原作漫画に近いのはいいんだけどスタイル的にちょっともったいないような…?と案じていたら、舞台ではちゃんと控えめに直っていましたさすがです。
 というか1階センターけっこう後列だったので、振り返ると2列後ろにハリーとミキティが並んで座って観ていたりして、これまたエモエモのエモな初日観劇となりました。

 開演アナウンスに被るヘリコプターかプロペラ機?のSEにもうたぎる私…そうそうそうだった! シルエットでわかるブラック・ジャックの姿、ライト、拍手、正しい! ニヒルな苦笑いみたいなのを浮かべているれいこちゃん…キャー!! そして軍事政権を打ち立てた将軍の記者会見、モノクロのお衣装の記者たち、「♪クーデタークーデター、エンリケ将軍が、軍事クーデター」…覚えてる! まんまやんけ!!
 全ツ仕様にセットその他はだいぶ簡略化されていますが、その分スタイリッシュで、それこそ省略が上手く効いた漫画のよう。ところどころ「こんな台詞あったっけ?」とか「あれ、なんか飛ばされた?」と思う箇所はあったので、脚本はちょいちょい加筆・修正されていたようでしたが、基本的にはやっていることはまったくおんなじです。配役発表時に清華ちゃんと空城くんの役名が初演にはないものだったので、何かエピソードが増えるのかなとか思っていたのですが、リポーターなんかが名乗っているというだけで大筋にはまったく影響なし。というか時代設定も初演と同じ1980年代中頃ということで、パソコンのモニターがブラウン管みたいなのも変わらず、用語もそのままでしたが、これはリアリティとしてむしろアリかな。今はこんな退職者がいつまでもアクセスできるシステムにしている政府機関とか、駄目でしょう(笑)。
 でも、アップデートしている部分もちゃんとあって、くらげちゃんが二役で演じる如月恵の病気の詳細が伏せられたまま話が進み、「子宮を取って私が女でなくなる前にあなたの私への本当の気持ちを聞かせてほしい」という意味の台詞がなくなっていて、私は本当に泣きそうになりました。ありがとうハリー! 彼女の手術が子宮を摘出するものだったことが伏せられたことで、手術が成功したのに何故別れるんだ、と思う観客は出てしまったかもしれません。実際に原作では如月先生はその後やや中性的になって船医として働いている…というエピソードもあるのだけれど、このあたりは扱いが非常にデリケートな問題です。それこそ今、子宮があれば/卵巣があれば/生理があれば/女性ホルモン量が一定値あれば女性なのか、そうでないなら女性ではないのか、というのが医学的なことよりジェンダー的な意味で議論されたりしているし、性別とか性自認の問題は日進月歩で変化しています。私は実況CDを聞き直したときに「私がまだ女でいる内に」という台詞に非常にざらりとしたものを感じたので、今回カットされていて本当に安心しました。改めてありがとうハリー、信じてた!
 あとは基本的に本当にまんまで、伝わってくるメッセージは今、現代に上演されることでより強く立ち上がってくるな、と感動しました。それはつまりこの30年で残念ながら世界があまり進歩していない、ということなのかもしれませんが…でもハリーは今回のプログラムで、初演時は「原作の根底に流れるものに対して感じた事に少し力が入り硬い事を言い過ぎている感があった」と語り、「今の感覚でウェルメイドなものに仕上げたいという思いがあ」ると語っているのですが、どうしてどうして、むしろメッセージはより強くまっすぐ伝わって、作品としてさらに良くなったのではないかと思います。その上で、原作漫画の持ち味でもあるのですがユーモラスなところ、おかしみなんかも上手くちょいちょい表現されていて、本当にハートフルでウェルメイドな、ヒューマニズムあふれる佳作に仕上がっていると思いました。
 それはとにもかくにもれいこちゃんのお芝居によるものだと思うのです。彼女は本当にお芝居の人ですね。そしてどんな役柄でも素晴らしい演技をしそのキャラクターに見せその心情を上手く伝えてくれますが、今回のブラック・ジャックがこんなにハマるとは正直私は思っていませんでした。それはやっぱり初演のヤンさんの、クールそうな風貌と、でも照れ屋なだけでけっこうあったかくて実はおもしろいみたいなところもある人柄に当て書きされたようなハマり具合の印象が強かったからです。もちろんミキちゃんのブラック・ジャックはもうちょっと熱いタイプだったと思うけれど、ミキちゃんってわりとなんでもミキちゃんなところがあるから…(まあホント言うとヤンさんもそういうところはあるかも、ですが…)
 でもれいこちゃんのブラック・ジャックは、とてもとてもよかった。なんならホントに原作漫画から立ち上がってきたみたいでした。無免許のもぐりの天才外科医、高額な報酬を請求する冷酷非情で傲岸不遜な男、世間から鼻つまみ者とされるアウトロー…なんだけど、彼は実はけっこう青いし熱いし、正義感で熱血漢なのです。金なら払う、みたいな上からなヤツを嫌うし、おためごかしや綺麗事を言うだけの人のことも嫌います。今回のスノードン卿相手の会話がいい例で、国のためとか平和のためとか正義のためとか言うスノードン卿(と英国情報部、英国政府。まあ女王の名が違うのでこれは別の世界の日本や英国のことなのですが)の実は単なる利己主義、みたいなものをちゃんと見破っていて、いけすかないと感じている。そしてそのことを黙っていられない、必ず一言言ってやらないと気がすまないタイプなのです。大人げないとも言える。でもそういう、彼なりの誠意、まっすぐさがあるキャラクターなんですね。
 それをれいこちゃんは、皮肉げに唇を歪めて薄笑いしてみたり、さもへえとかほおとか言いたげなあきれ顔をしてみたり、不満を隠そうともせず唇をとんがらせてみたりといった、その至宝の美貌を多彩な顔芸で崩して表現してみせ、一見クールだけれど実は中身はかなり暑苦しい人間像を、きっちりかつ親しみやすく、魅力的に作り上げてくれているのでした。
 彼は一度死んだ人間で、だからこそ生きることに真剣で、だから命を粗末にするような真似をする人間のことが見過ごせません。痴話喧嘩に混ざれずとも、足を踏まれて虐げられてそれでもかまってもらえなくても(笑)話に割って入ろうとする、人と関わろうとする。絶対に投げない、見捨てない、あきらめない。それってものすごい情熱、いやものすごい愛ですよね。そのハートの熱さ、あたたかさをれいこちゃんは存分に演じてくれて、その上でちゃんと見た目がクールでリボンタイがキュートな(笑)漫画どおりのブラック・ジャック先生で、もうホントーに最高なのでした。
 歌がいいのもあるけれど(影役の一輝くんがさすがに全然出ない、なんならヤンさんだってかなり怪しかったとっぱしの「♪遙か群衆を…」のあの低音が出るんだからたいしたものです!)、踊りはなんかちょっとおもしろいので(笑。失礼! ブラック・ジャック本体が踊る時は影は直立不動、ってのがまたいいんだけれど、それはそれとしてやっぱり歌いながら踊るれいこちゃんブラック・ジャックはやっぱりちょっとおもしろいと思うのです。「踊るんだ…!」みたいな(笑))、そこはいいぞ、芝居だけでいいぞーと思いつつ、最後に万感の主題歌リブライズで締めて万感の幕…いやぁなかなかできませんよね! 本当にカッコよかったです。感動的でした…!!
 もちろんコロスもいいんだけれど(コロス男のツートンデザインはママとして、初演は横顔シルエットじゃなかったよね!? オペラで覗いて吹き出しかけましたよ…)、ほぼ佇んでいるだけのコロス女がことによかったなー。あれも初演にいましたっけ? なんとなくいるだけで主人公の心情を表す…すごいよなーと思いました。演劇的だし、ホント演出として、作品として好きです、この演目。
 そうそう、みうみんピノコとの電話のくだりでけっこうやに下がる感じなのもよかったなー! バレンタインの話とか、ホントこの先生とこのピノコで観たいよ…!!(笑)運転するハンドルの前に潜り込むにはちょっとでっかいかもしれないけどな(^^;)。

 なので、くらげちゃんアイリスの固さはブラック・ジャックとの対比としても二役の恵との差異としてもまあいいのかな、と思えました。ただ、アイリス自体があまりにも愛嬌がないキャラクターに見えちゃうのは、ちょっと残念でアイリスに気の毒かも。物語のヒロイン、という立場ではあまりないキャラクターですが(ヒロイン・ポジなのはむしろケインなんですよね、この話)、トップ娘役としてあまりにも地味でとっつきにくくかたくなすぎるのでは…とは思った、かな。作中ではロマンティックな場面は全然ないわけですが、過去にケインとの間にあったラブラブの恋人時代や同僚として冷戦下をともに熱く激しく戦い生き延びたドラマチックな日々…なんかをもっと想像させる余地がある、あと少しだけのウェットさがあってもいいのかなと思いました。その点ミハルは声そのものが艶やかなのでクールすぎる芝居をしてちょうどいいくらいだったし、でもそのけっこう女っぽい女性が無理して情報将校なんかやってる感じもよかったんだけどなー、とも思うので、これは解釈違いなのかもしれません。ミハルはミキちゃんともショーなんかでよく組んでいて映りもよかったから、ちゃんとカップルに見えた、というのも強かったと思います。でもくらげアイリスだとおださんケインの姉に見える…色恋で心配しているんじゃないみたいで、そこは本当に残念でした。
 なので同様におださんケインが私にはもの足りなくて、珍しくおださんにちょっと不満でした。そういう意味ではケインはそりゃミハルのアイリス以上にミキちゃん完全当て書きの役だろうから、仕方ないのかもしれませんが、それこそ解釈違いな気がしました。
 任務中に、恋人のアイリスをかばって頭に銃弾を受けて、破片が残って、神経を圧迫していて、絶えず頭痛や目眩や痺れがあって、仕事も辞めざるをえず、無許可のブックメイカーとして酒場で小銭を稼いでいる、その日暮らしの自堕落な男。元の職場からズルして引っ張った情報を賭けのネタにしていて、密かな復讐をしているようなところもあるんでしょうが、他にやりたいこともやれることもなくてただ自暴自棄になっている、というのが近いでしょう。不慮の事故とその後遺症に、なんで俺がこんな目に…と、運命を呪い人生を呪い、スネてグレている、甘えた男なわけです要するに。自分は退職したのに恋人だった女は未だバリバリ働いていて、心配してくれはするけれど辛気くさくてかえって気が滅入るし、手術したり治療したりといった快癒の目はなく、絶望にうんざりしている。せめて目先の日々は楽しくのんきに暮らそうぜ、と嘯いて、相棒のジョイとはしゃいで馬鹿騒ぎしてワルぶって生きている…そんな男なんじゃないかと思うんですよね、ケインって。でもおだちんはもっと静かでスマートで真面目そうで、そんな自暴自棄の甘えた男に見えません。もっとガチャガチャうるさい芝居をしてもいいんじゃないかなー、身振り手振りとか、と思うのですよ。そうしないとホントれいこBJのひとり勝ち存在感になっちゃわないかなー、でもケインってこのお話のヒロイン・ポジキャラじゃないと駄目なんじゃないかと思うんですよねー。でもおだちんは根が真面目なんだろうからな…冒頭のジョイとのドライブのくだりとか、ああいうのミキちゃんってホント意味なく(笑)上手かったからさー、ああいうご陽気さや空元気感、そして洒脱さが出るともっといいと思うんですよね…おだちんにはつい望みすぎてしまう。
 ケインが実はけっこう綱渡りのギリギリのところをフラフラしているような男だから、その相棒のジョイがまだ学生の卵の殻をお尻につけたようなのほほんとした好青年でちょうどいいんじゃないか、と思うんですよね。タモのジョイとグンちゃんローラのヤング・カップルには、そんなのほほんさがあったように思います。ぱるはもうちょっとだけなんか色をつけてもいいのかも。まのんたんのローラもいじらしくていいんですけどね、でもパブのウェイトレスというには未成年感があるかもしれない(^^;)。あと、ジョイと全然ベタベタしないんだけどそれはいいんでしょうか…まあ設定が「ガールフレンド」なのでまだアレなのかもしれませんが(まだ? どれ?)。またおだケインがローラの腰をがっと抱いて歩くシーンがあるもんだからさあ…ヤダわおださんったら!(トキメキ)
 まあ比べ出すとろくなことがないし、そんな初演厨みたいなことはあまり言いたくはないのですが…でもミユさんとかやっぱ印象的だったからなー。さっちんとはわりとキャラを変えたあましーのジョアンとか、ゆーゆベリンダとかはよかったかな。特にゆーゆはこういうお役もホント上手いんだよねえ…! てかベリンダヨランダ・ギャグが残ってて嬉しいよハリー!(笑)てかヨランダのりりたんもとてもよかった! 毎回ちゃんと笑いを取るんだぞー!! あとせんりちゃんのヴィクトリア女王もとてもよかった。月組も上級生娘役さんがいなくなってきたから、こういう位の高い妙齢女性役者がいなくて困るぞこれから…(><)
 あ、みうみんピノコも可愛かったけれど、受話器の小道具はあってもよかったのでは(笑)。あと原作厨としては口調がややおかしかった、「その音はピノコはそう発音しない!」みたいなのがあって。あれはわりとちゃんと法則性があゆわよのさ。
 りんきらのおぼうぼつきパジャマ姿はごちそうさまでした、良きおじさん芸で満足です。ふたり分の手術代、ちゃんと払ってあげてください。多分女王の認可は下ります(笑)。
 あとぎりぎりの三下用心棒芸ね、素晴らしいですね!
 ところで一星くんは私にはタニか麻央くんにしか見えないのですがどうしたら…あと彩路ゆりかが最近気になりますどうしよう…
 それはそうとれいこちゃんのいびきは本当に素敵でした音源ください(笑)。


 …と、楽しい遠征でした。私は次は市川でもうマイ楽ですが、どうぞ全国で毎度楽しいカテコご挨拶芸を発揮してきていただきたいです、おもしろかなとさん! ホントこんなに美人なのになんでそんなにおもしろいの…好き……
 無事の完走と、次回の本公演のさらなる充実を、熱くお祈りしています!!!











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『天使にラブ・ソングを』

2022年11月19日 | 観劇記/タイトルた行
 東急シアターオーブ、2022年11月17日18時。

 2014年にアサコのデロリスで観たときの感想はこちら。このときのカーティスは大澄賢也だったので、今回はまぁ様デロリス(朝夏まなと)に吉野圭吾カーティス回を選んでみました。もちろんきぃちゃんシスター・メアリー・ロバート(真彩希帆)も楽しみにして行きました! 思えば前回のロバートで初・宮澤エマだったんだなあ…! エディは変わらず石井一孝、オハラ神父は太川陽介になり、修道院長(鳳蘭)ツレちゃんのラスボスぶりは健在です。
 前回観たときは芝居パートがゆるいなあ、とか感じた記憶がありますが、今回はそういうタイプの作品なのである、という心構えで行ったので、不満に感じることはなく、ハッピー・ミュージカルを楽しみました。お友達のおかげでダンシング・シオタクターの後頭部がよく見える素晴らしいお席だったから、というのもあります。ただ、前すぎてオケの音はよく聞こえるんだけど歌は声量がなく感じました。音響のせいかな…
 というかさすがアラン・メンケンであの時代(1978年って言いました? SWが当たった年ってことだよね? 出てきたチューイーやR2のぬいぐるみ、欲しい!)のソウル・ミュージックだけでなく楽曲が多彩で楽しく、正直もっと歌がガチ上手いちゃんとしたメンツで観たい作品だ…とか思っちゃったんですよねすみません。個人的には満足できたのはエディのナンバーだけで、あとはきぃちゃんですらパンチに欠けると思ってしまった…てか話がたいしたことなくて楽曲がいいミュージカルなら、というかミュージカルなら!歌えるメンツで観たい!ってあたりまえの話ですよね。でもそれじゃ客が呼べないのかな、ホントかな?
 まあでももちろんまぁ様は太陽色のダイヤモンドなわけで、そういや黒人設定なんだっけ?ってのは伝わらなかったけど(あのヘアスタイルはお洒落でやっているものだ、という先入観はよくないですねすみません)、スターになりたい!歌手になりたい!輝いて、その輝きで周りも輝かせてみんなでハッピーになりたい!みたいなオーラがハンパないので、そりゃ愛嬌あふれるチャーミングなデロリスになっていて、主役として素晴らしかったです。
 でもやっぱり、既婚者でモラハラでDVで、というかぶっちゃけ犯罪者で、みたいな男に引っかかっている愚かな女感は少ないわけで、ホントはそこがあった方が後半が効いてくるのでは、とは今回も思いました。そういう男を吹っ切って、クラスメイト時代は地味で冴えなくていじめられっ子に見えた男子が誠実で正直で頼れる素敵な男性になっていて、恋が始まっちゃう、かも…?みたいなところで終わる話なんだと思うので。エディはすごく素敵な仕上がりだし(私がわりと石井一孝が好きだからというのもある)、なのでホントはカーティスがもっといい色悪になるといいんじゃないかなと思うんだけど、ちょっとおもしろ寄りすぎる気がするんですよね。
 これって男性演出家視点だからじゃないかなあ、イケメンにホント冷たいというか、その価値をわかっていないんですよね…手下の3バカがコミカルなのはいいとして、やはりむしろヒヤリとするくらいに格好良くて怖くい、イケメンの悪人にした方がいいと思うんですよ。ちょっとおバカで笑える方向に作ろうとするのは、男の甘えだと思うんですよね。男ってみんなこういうもの、とかこんな可愛いところがあるんだぜ?みたいな…馬鹿言うな犯罪は犯罪だよ、と言いたいし、女もイケメン無罪と考えているわけじゃないんです。その匙加減に男女差があるんだと思うんだよなー…
 一方で、要するにこれは駆け込み寺に行って救われるヒロインの物語であり、ヒロインを救う女たちとのシスターフッドの物語なんですね。そして教会を舞台にした欧米の作品にもかかわらず、決して宗教を押しつけない。ヒロインが回心し改宗して終わる、とかじゃない。神の愛や御手の奇跡と隣人愛、人と人との助け合いはつまり同じことだ、というのが結論なのです。素晴らしい! ホント押しつけないのが本当の信仰というものですよ、聞いてるか壺!
 デロリスがシスターにならなくても、シスターたちはただの女友達として今後もつきあってくれるでしょう。暴力彼氏から匿ってくれる友達を誰ひとり持たなかったデロリスが、やっと友達というものを得る、これはそんな物語でもあるのでした。そしてその友達たちはマジで天国に召されそうな老女から、ティーンかな?みたいな見習い修道女まで年齢も幅広い。おそらく出自も境遇も個性もみんな違う、でも愛があるところはみんな同じ。なんて素敵なお話なのでしょう!
 その奇跡に感謝し、寿ぎ、歌い踊る。正しい。テレやでつい「言わなくてもわかってるでしょ」とか考えがちな日本人にも、感謝を示しともに楽しく歌い踊る方法を教えてくれる。そんな素晴らしい作品で、だからこそ何度でも上演されるに足る、良きハッピー・ミュージカルになりえているのだな、と改めて思いました。楽しかったです!
 まあでもホントは、もう何度かリプライズされて終演の頃にはサビを覚えちゃう元気でリズミカルな曲がひとつあって、ラインナップのあとアンコールとしてそれが始まったら客席が自然とスタオベになって、ペンラを販売しているなら座長が「ペンラOKです!」とだけ宣言して、あとは客席全員手拍子足拍子ペンラ振り振り拳突き上げノリノリ合唱…は今はまだ駄目だけど、とにかくフィーバーしておしまい、となるのが美しいですよね。今、そんな歌がない(一応あるんだろうけど私には覚えられなかった)のと、振り指導タイムとかホント要らないと思いました。たいした振りじゃないし振る部分もそんなにないし、かえって振りを気にしてノレないし、何よりここで一端集中力が切れる。それに、作中のパブロ(木内健人)の片言台詞が、言語はおそらくスペイン語訛りとかかなんだろうけど外国人差別表現として今どきどうなんだ、と引っかかったのに、その役を引きずってのことなのかはたまた中の人が本当に日本語ネイティブじゃないのか、ここでも片言のまま振りを説明して笑いを取ろうとするのが本当に気になって全然笑えず、私は楽しくなかったのです。この、片言は嘲笑っていい、笑われることなんだ、恥ずかしい、不完全な外国語は話したくない…みたいになっていくザッツ日本人メンタリティを増長させるの、ホント良くない。こんなんで今後の国際社会を生き抜いていけるわけないです。
 そこが瑕瑾だったのと、混雑緩和のためにも規制退場はまだ続けるべきでは…ってのだけが気になりましたかねー。あ、まぁ様のスターブーツをそのまんま履くきぃちゃんも観たかったけど(笑)さすがにチョッキンした設定なんですねわかります。キンキーだぜ!ってなりました(笑)。ともあれ楽しかったです。いつかかつてのデロリス役者が修道院長をやるのも観たいし、本当に上手い人というならトウコとかきりやんとかだいもんとか、今でもいいけど十年後のきぃちゃんとかのデロリスもまた観たいです。卒業後のまこっちゃんとかね。契約のこととかはよくわかりませんが、それこそ演出家が変わることもあってもいいと思うし、そうやって大事に育てていく作品になるといいのでは、とか思いました。
 クリスマスまでやればいいのに、少し前に終わっちゃうんですね。でも代役スタートだった春風さんも復帰したことですし、引き続きどうかご安全な上演をお祈りしています!!




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『夏の砂の上』

2022年11月17日 | 観劇記/タイトルな行
 世田谷パブリックシアター、2022年11月15日19時。

 勤めていた造船所が突然倒産して職を失い、妻・恵子(西田尚美)に捨てられた小浦治(田中圭)。ある夏の午後、家を出たはずの恵子が、4歳で亡くなった息子の位牌を引き取りにやってきた。そのとき突然、治の妹である阿佐子(松岡依都美)が、16歳の娘・優子(山田杏奈)とともに東京からやってくる。阿佐子は借金返済のために福岡でスナックを開くといい、治に「少しの間だけだから」と言って娘を押しつけるように預けて出て行ってしまう。この日から治と優子は一緒に暮らすことになるが…
 作/松田正隆、演出/栗山民也。1998年初演の長崎弁の戯曲。全1幕。

 田中圭主演、というだけでチケットを手配しましたすみません、劇作家の名前を知りませんでしたすみません、あらすじに「伯父と姪が云々」とあって「あらヤダ」とかときめきましたすみません。全然そんなエッチなお話じゃありませんでした、蝉時雨がうるさいばかりの日常まったり系のお話でした。
 主人公は息子も妻も職も失った中年男で、つまりそれらがないと何もなくなるのが男というものなんだ、というのが劇作家の思想(?)なんでしょうね、知らんけど。それぞれの因果関係はよくわかりませんが、少なくとも息子の死は不慮のもので、それまでの彼やその妻や彼らの夫婦関係、家庭には特になんの問題もなかったのでしょう。それでも見舞われるのが事故というものです。そりゃつらいでしょう、理不尽に思い怒り世を恨むでしょう。でもまっとうな人間ならそれを乗り越えて生きていくしかない、と私は思います。だって彼らは生きているのですから。どんなに不幸に思えようと、死んでしまった当人の不幸には敵いません。そのことに少しでも思い至れれば、こんなに自分を哀れんでぐちぐちとまたうだうだと、無為に日々を過ごし周りも鬱屈させるなんて贅沢は普通は出来ないはずです。事実、お腹を痛めて産んだ母親である妻の方はとっとと先に進んでいるわけじゃないですか。
 でも男は自分には落ち込む権利がある、世界を恨む権利がある、とか思ってるんですよね、ちゃんちゃらおかしいです。猫背が可愛い田中圭が演じていてなおギリギリの、いやギリギリ駄目で「ケッ」てな主人公像です。そら浮気もされるしクビにもなるっつーの!
 でも、いろいろあって、まあ駄目にはなったけど一度は再就職もしたので、彼もやっと前が向けるようになったのかもね、というところで終わる舞台なので、まあいいんじゃないですか、ってところでしょうか。私は雨のシーンで終わるのかな、それはそれで美しいのでは…とか思っていたらまだ続きがあったので、そうきましたか、とか思っちゃっんですけれどね。
 指を失い、姪の帽子が残された。でもそれくらいで済んでよかったんじゃないですか、なんと言っても彼はまだ生きている。おそらくまだ人生百年時代の折り返しにも来ていない歳でしょう。要するに結論は「生きねば。」なんですよ。そこにたどりつくまでのまあなんと長いこと、甘えてんじゃねーよとチコちゃんならずとも言いたいところですが、まあそういうお芝居なんだろうし、静かで緊密な、でも決して一本調子ではない、おもしろさのある舞台だったので、よしとしましょうか、というのが感想です。役者さんはみんな達者でしたしね。
 何故今これを、みたいなのはよくわかりませんでしたが…長崎なるものの土着性云々とかがあるのだとしても、私にはよくわかりませんでしたが…ホントすみません。でも静かに密で暑苦しい、おもしろい舞台だな、とは思いました。ホントです。
 このあと兵庫、宮崎、愛知、長野へ回るようで、長崎へは行かないんですね。各土地での反応とかがあったりするのかしらん、あまり大きいハコは似合わない作品な気もするけれど…無事の完走をお祈りしています。どうぞご安全に。


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