駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『夏の砂の上』

2022年11月17日 | 観劇記/タイトルな行
 世田谷パブリックシアター、2022年11月15日19時。

 勤めていた造船所が突然倒産して職を失い、妻・恵子(西田尚美)に捨てられた小浦治(田中圭)。ある夏の午後、家を出たはずの恵子が、4歳で亡くなった息子の位牌を引き取りにやってきた。そのとき突然、治の妹である阿佐子(松岡依都美)が、16歳の娘・優子(山田杏奈)とともに東京からやってくる。阿佐子は借金返済のために福岡でスナックを開くといい、治に「少しの間だけだから」と言って娘を押しつけるように預けて出て行ってしまう。この日から治と優子は一緒に暮らすことになるが…
 作/松田正隆、演出/栗山民也。1998年初演の長崎弁の戯曲。全1幕。

 田中圭主演、というだけでチケットを手配しましたすみません、劇作家の名前を知りませんでしたすみません、あらすじに「伯父と姪が云々」とあって「あらヤダ」とかときめきましたすみません。全然そんなエッチなお話じゃありませんでした、蝉時雨がうるさいばかりの日常まったり系のお話でした。
 主人公は息子も妻も職も失った中年男で、つまりそれらがないと何もなくなるのが男というものなんだ、というのが劇作家の思想(?)なんでしょうね、知らんけど。それぞれの因果関係はよくわかりませんが、少なくとも息子の死は不慮のもので、それまでの彼やその妻や彼らの夫婦関係、家庭には特になんの問題もなかったのでしょう。それでも見舞われるのが事故というものです。そりゃつらいでしょう、理不尽に思い怒り世を恨むでしょう。でもまっとうな人間ならそれを乗り越えて生きていくしかない、と私は思います。だって彼らは生きているのですから。どんなに不幸に思えようと、死んでしまった当人の不幸には敵いません。そのことに少しでも思い至れれば、こんなに自分を哀れんでぐちぐちとまたうだうだと、無為に日々を過ごし周りも鬱屈させるなんて贅沢は普通は出来ないはずです。事実、お腹を痛めて産んだ母親である妻の方はとっとと先に進んでいるわけじゃないですか。
 でも男は自分には落ち込む権利がある、世界を恨む権利がある、とか思ってるんですよね、ちゃんちゃらおかしいです。猫背が可愛い田中圭が演じていてなおギリギリの、いやギリギリ駄目で「ケッ」てな主人公像です。そら浮気もされるしクビにもなるっつーの!
 でも、いろいろあって、まあ駄目にはなったけど一度は再就職もしたので、彼もやっと前が向けるようになったのかもね、というところで終わる舞台なので、まあいいんじゃないですか、ってところでしょうか。私は雨のシーンで終わるのかな、それはそれで美しいのでは…とか思っていたらまだ続きがあったので、そうきましたか、とか思っちゃっんですけれどね。
 指を失い、姪の帽子が残された。でもそれくらいで済んでよかったんじゃないですか、なんと言っても彼はまだ生きている。おそらくまだ人生百年時代の折り返しにも来ていない歳でしょう。要するに結論は「生きねば。」なんですよ。そこにたどりつくまでのまあなんと長いこと、甘えてんじゃねーよとチコちゃんならずとも言いたいところですが、まあそういうお芝居なんだろうし、静かで緊密な、でも決して一本調子ではない、おもしろさのある舞台だったので、よしとしましょうか、というのが感想です。役者さんはみんな達者でしたしね。
 何故今これを、みたいなのはよくわかりませんでしたが…長崎なるものの土着性云々とかがあるのだとしても、私にはよくわかりませんでしたが…ホントすみません。でも静かに密で暑苦しい、おもしろい舞台だな、とは思いました。ホントです。
 このあと兵庫、宮崎、愛知、長野へ回るようで、長崎へは行かないんですね。各土地での反応とかがあったりするのかしらん、あまり大きいハコは似合わない作品な気もするけれど…無事の完走をお祈りしています。どうぞご安全に。


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