赤坂ACTシアター、2015年5月27日マチネ。
1929年、ニュージャージー州にある刑務所の特別に用意させた監房で、アメリカ一のギャングスター、アル・カポネ(望海風斗)はハリウッドで製作中の新作映画の脚本を手にしていた。タイトルは『スカーフェイス』つまり”傷のある顔”。その言葉がアルを表していることは明白だった。アルは脚本を書いた張本人ベン・ヘクト(永久輝せあ)を前に、知られざる”アル・カポネの真実”を語り出す…
作・演出/原田諒、作曲・編曲/玉麻尚一、振付/麻咲梨乃、AYAKO。雪組二番手スター望海風斗のバウ主演第二作、初東上付き作品。全2幕。
待望の、再びの、そして雪組で初のだいもん主演作! 東上付き! 「だが原田」。
先行画像素晴らしい! ポスター素晴らしい! 振り分けメンバーすごい! 「だが原田」。
何度も何度も意識してハードルを下げ、でも小公演の作品はけっこういいものもあるしと期待してしまい…
で、やっぱり「ダーハラめ!!!」でした。私はね。
松井るみの装置はとてもお洒落でした。「樽カポネ」と言われてしまおうと、『シェルブールの雨傘』のときの装置と同じ仕組みじゃんと言われてしまおうと、雰囲気があって転換が早くて素敵だったと思いました。本公演だとナゾの暗転ラッシュになるけれど、小公演の原田作品は意外と装置のセンスがいいと思います。
それからアンサンブルと言うかコーラスと言うか、「ミュージカルらしさ」を作るのもすごく上手いと思います。ややパターンすぎる気もするけれど、様式美は悪いことではないと思うので。
禁酒法時代のお話ということで近作に似た時代設定の作品が多く、使いまわしのお衣装が見慣れすぎたものばかりだったのはまあ、致し方ないでしょうか。しかし「宝塚歌劇はフランス革命ものと禁酒法時代ものをやっていないと死ぬ病気にかかっているの?」というお友達のつぶやきは至言だと思うよホント…題材の選び方とか演目のラインナップの並べ方とか、もっと計算してくださいよ歌劇団…
それと、「同じ試験を潜り抜けて入団しているんだから、娘役に比べて男役があまりにも偏重されているのはおかしい」という男性の意見も間接的に目にしたのですが、これも妥当な指摘かと思いました。男役が就任するトップスターが演じる男性主人公の物語を上演する、というのが宝塚歌劇の基本的な決まりごとだとしても、だからって娘役をないがしろにしていいということではありません。その他大勢のショーガールだろうと舞妓・芸妓だろうとキャラクターは作れるし仕事はさせられるんですよ原田先生、裏公演(むしろこちらが裏なのだか!)ちゃんと観てますか?
そして何より、実在した人物のただの評伝以上のものを描いてくれないと、物語にならないんですよ、わかってますか? 作家がこの作品を通して何を描きたかったのかが見えない、そこが最大の問題ではなかったでしょうか。そこにこそ観客は感動するものなのに。
暗黒街の帝王と言われていたけれど、義理堅い部分もあったんだよね、「ふたつの顔を持つ男」だったんだよね、というのはわかった。でもそれはキャラクター設定みたいなものでしょう? そんな男が何をしてどうなって、そこから何を描き出すのか、それがキャラクターを使って作品を作る作家の仕事なのでは?
少なくとも私にはそれが見えませんでした。久々に、「えっ、これで終わり!?」と思っちゃいましたよ。暗転後、フィナーレが始まるまで拍手して待つのが観客のマナーとでも言うべきものでしょうが、申し訳ありませんが私はぽかんとしすぎて全然拍手できませんでした…
生徒さんにはまったく罪はありません。みんな大健闘大熱演でした。私があきれ、無言の抗議をしたのはあくまで脚本・演出に対して、です。つらい時間だったぜ…
冒頭のアトランティックシティ刑務所の場面では、私にはだいもんがちょっとやりすぎているようにも思えて、大丈夫?とか思ったものでしたが、話が1917年に巻き戻ってブルックリンで働く青年アルになってからは爽やかでナチュラルで、ああなるほどね、と思わせられました。真面目に働き義侠心のある好青年で、でもイタリア移民(二世ですが)ということで虐げられ差別されている主人公。観客の感情移入を誘うのに上々の滑り出しです。
ただし飢え故に万引きをした少年を助けてやるのはいいにしても、一応犯罪は犯罪なので、少年に「気にするな」といってしまうのはどうだろう…それにこのパン屋の主人が報復に出てしまうのはある意味で正当な行為に見えなくもない気もします。アルがその週の稼ぎを手放したからって損害がすべて回収されたとはかぎらないのだし。それじゃ駄目なんだよダーハラ、こういうところに繊細さが足りないの! 主人公はあくまで正義でヒーローで不当なことに対して戦ってがんばっていて、でもいろいろかけちがって転落していかざるをえない…というふうに描かなきゃいけないの、主人公のほうにも非があるみたいに見えちゃ駄目なの、特に冒頭は! つかみが大事なの!!
アルが働くイタリア系移民が集う酒場にアイルランド系のメアリー(大湖せしる)が連れてこられて…という流れはベタですが、わかりやすいし少女漫画的展開がきゅんきゅんだし、まったくもっていいと思います。腰履きのようにエプロンの紐を結うだいもんがたまらん。二役をするあすくんがその声の良さで二階席からノーオペラでもすぐわかる。これくらいのバイトは仕方ないかな。
しかし私はせしるのヒロインには申し訳ないですがもう飽きてしまったのですが…『春雷』はいいなと思ったんだけど『パルムの僧院』がもうつらかったんですよね。ここ、くらっちとかじゃ駄目だったのかなあ…後半出てこなくなっちゃうしそれほど重要ではないのかもしれませんが、私は宝塚歌劇には恋愛要素を求めるタイプなので、せっかくのヒロインとそのラブに萌えられなかったのもこの作品の残念要因でした。これはごく個人的な好みの問題なのかもしれませんが。
で、いろいろあってアルはブルックリンを離れシカゴに向かいます。本当は大学に行って堅い仕事について、というまっとうな人生を送りたかったのに、才覚と義侠心に恵まれたばかりに、そこにある種の不運も重なって、そして脛ならぬ顔に傷持つ身になってしまって、暗黒街に沈みそこで頭角を現していくことになる…でも最終的にその皮肉、悲劇を描くのなら、当初アルが望んでいた生き方みたいなものについてはもっと明示しておいたほうがいいかと思いました。のちにそれを体現するエリオット(月城かなと)が現われるわけですが…
私は二階席からノーオペラで観ていたのでれいこのバイト祭りにはほとんど気づきませんでしたが、抗争場面でアルに庇われた夫婦に当たるスポットライトにはそりゃ気づきましたし、「エドナ!」と妻を呼ぶ台詞の声もわかったしエドナ(透水さらさ)がエリオットの妻だと事前にプログラムを読んで知っていたので、ああこれがエリオット・ネスか、とわかりましたが、むしろエドナに「エリオット!」と呼ばせないと、さんざんバイトを観てきた観客にはこのれいこが誰なのかがわかりづらいのでは?と思いました。それじゃ駄目なんだよダーハラ以下省略。
史実がどうなのかは知りませんが、のちに連邦捜査官となる学生時代のエリオット・ネスが、堅気の人間には手を出さない、出させない主義のアルに命を救われていた…というのはおもしろい接点の作り方だな、とドキドキしただけに、もったいなかった…
なんにせよ、全体にテンポが悪いというか話の展開が遅いな、やや退屈する気がするな、という感じで一幕を観終えました。あ、銃撃戦のダンスはカッコよかったなー! 二幕冒頭よりフィナーレより、私はあのダンスにシビれました。
あとまなはるね! 素晴らしいよね!!
はっちさんの二役っぷりは…まあお約束とはいえやはり苦しいかな、誰かに振れなかったのかな…全然関係ないけどアンドリュー(夏美よう)の部下(悠斗イリヤ)の登場がなんかツボでした。エリオットとの話を切るために用意されているだけなんだけど、なんか意味深に見えてニヤニヤしましたすみません。
聖バレンタインデーの虐殺のくだりはどの程度史実なのでしょう? このあたりまで、主人公がある種巻き込まる形のピカレスク・ロマンなので『Bandito』とかを想起しながら観ていたので、サービスの警官コスもキタ!とかつい思ったのですが、史実が警官に偽装しての犯行だったからなんですよね?
まあそれはともかく、これ以降バグズ(香綾しずる)もメアリーもソニー(有沙瞳。こんな使い方をしている場合なのか…)もほぼ出てこなくなっちゃうんだもんなあ…ここ、なんのための場面なんでしょうね?
これで逮捕されてアルがベンと出会うので必要、という見方もあるけれど、うーむ。あと、冒頭とラストがつながっている構成ってのはよくあるけど、冒頭と二幕中盤がつながっていてそこからは時間軸どおり進む、というのはちょっと変わった構成ですよね…イヤこういうことには決まったルールはないと思うのでいいと言えばいいのですが、やや混乱を感じました。ここから今度はベンが出なくなっちゃうしね…
しかし要するにこの作品の白眉は二幕第9場、アルの自宅でのエリオットとのやりとり、この芝居につきますよね? ここは本当に素晴らしかった。ここにはドラマがありました。れいこちゃんもよかった!
アルを追う捜査官でありながら、かつてアルに命を助けられたこともあって、彼が本当に極悪非道の犯罪者なのか決めかねて迷っているエリオット。つい保険の外交員だと嘘をつき、自宅に招かれて、法で禁じられているアルコールの饗応を受けてしまう。アルは自宅に帰れば家庭を大事にするごく普通の男で、くだらない法律には従わない大人物であり、話のおもしろい好漢だったりする。アルはエリオットになりたかった理想の自分の姿を見、エリオットはアルに憎悪し逮捕するべき悪の帝王の顔が見つけられない…
ここに飛び込んでくるジャック(真那春人)がもうホントにいじらしくてね! このくだりがドラマチックでね!! ここはたぎったよね!!!
裁判になり、陪審員を買収して無罪を勝ち取れるはずが、身内の裏切りがあって陪審員が入れ替わっていて、アルの有罪が確定する。一体誰が?となりましたよ。まさかジャック?と思ったらなんと弁護士のエドワード・オヘア(久城あす)だってどっひゃー! それこそこんなのバイトのキャラじゃないの!? 銀縁メガネがカッコいいだけのキャラじゃないの!? だってなんの伏線もドラマもなかったじゃん! 私が見逃していただけ? エエエエエーーーーっ!ってなもんでした。
そこからの怒涛のラストシーン、駅って! いかにも別れにふさわしいけどそんなところから収監されるもの? エリオットの言わずもがなの「親友だ!」発言は私はスルーします。ホント芸がないなダーハラ、それじゃ駄目なんだよ以下省略。
で、それで結局、なんだったの? フラッシュバシバシの中、正面からライト浴びてシルエットになって舞台センター奥に消えていく主人公、そりゃカッコいいよ? でも何を表しているの?
彼はひとかどの人物になりたかった、そして別の形で大物になってしまった、その皮肉、って話なの?
というか彼の罰って結局何に確定したの? 刑期は何年なの? それとも終身刑? 絞首刑? 前回の収監のときのようにすぐまた出てくるんだったらこんな大げさなことにならないよね? でも説明ないよね? それじゃ駄目なんだよダーハラもう言い疲れたよ…
彼はこれで獄死した、とかなの? これがアル・カポネの終焉なの? それがわからないんじゃどう捉えていいかわからないじゃん! 映画が改変されたからってなんだっつーのよ!
彼は真面目に生きたかった、ごく平凡な幸せを手に入れたかった、けれど別の世界で登りつめ、しかし凋落した、その悲劇、って話なの?
彼はごく普通の男だったのに、祭り上げられそれに応えてしまい、マスコミに騒がれるスターになってしまった、その皮肉、って話なの?
彼は悪の帝王だったかもしれないが、もっと悪い官憲の癒着に敗れた悲しいかわいそうな男だったんだ、とか?
わからない。作者が、アルが何を望んでいた青年だったかきちんと描かなかったし、どうなったかきちんと描かなかったし、それを通じて何を観客に見せたかったのかがなかったとしてか、私には思えませんでした。
テーマやメッセージがないのも問題だけれど、何よりもっと人間関係を描こうよ。メアリーだってジャックだってバグズだってエドワードだってもっともっとアルに思うところがあったんだよ絡めたよそれでドラマが作れたよ。言葉はアレだが主人公総受けってある種の鉄板ルールですよ、なんで二幕の真ん中すぎにエリオットとちょこっとあるだけなの?
みんながアルを愛して、アルもみんなを愛して、だけどいろいろあって、で、どうなったのか、何が残ったのか、それを描こうよ、それを見せてくださいよ。それが作品ですよ、物語ですよ。伝記や評伝が見たいんじゃないの、事実の羅列が見たいんじゃないの。
エピソードをただ並べてもドラマにはならない、テーマやメッセージが伝わるよう工夫して置き並べる必要があるの。「アル・カポネの二面性ってだいもんに通じるかも」ってのは着想にしかすぎないの。企画書だろそんなの!
書きたいものがないなら作家を辞めてください。
普通の作家はつまらない作品が何度か続くと、売れないし客は離れるし依頼が来なくなるもんですけどねえ…座付きって給料出続けるし出番回って来続けるんでしょ? いいよねえ怖いわあ…
今回チケ難だったのは作品の出来がよかったからじゃなくてあくまでだいもんのおかげだからね? 駄作でも客は通いますよ生徒のためにね、でもたまに客入りが悪いときはそれは本当に作品が駄目すぎてリピートがつらいから客が脱落するんですよ、それを組とかトップが人気ないからとか言うのやめてね? ちゃんと見極めてね歌劇団?
というわけでそらだいもんは圧巻でした。もはやこのクラスの劇場は狭いと思わせる圧倒的な歌唱力、心ある芝居、スターオーラのあるダンス。主演、座長にふさわしい、風格すら漂っていました。素晴らしい! 鮮やか! カッコいい!
れいこはそんなだいもんアルとがっつり組むお芝居でこれまた素敵でした。歌もいい感じ。また違った華やかさを持つスターさんなので、大事に育ててほしいですね。次のバウ初主演、楽しみです。
でもバウ二番手ってもっと美味しかったりするものだから、それはなくてもったいなかったなー。私はパレードで二番手ポジションで出てくるのに失礼ながら驚いてしまいました。こんな扱いなら学年順でよかったんじゃないの、という気がしてしまいましたすみません。
ひとこはカワイイよ好きだよ、もっと仕事させてー! がおりもまなはるもあすくんも素敵でした。
生徒さんがみんな素晴らしかったから、ヨシとします。イヤ散々書いてきてヨシとしてないやろ、って感じですねすみません。
私は褒めるのが下手で、というか上手かったとか素敵だったなんてのはあたりまえだからって後回しにしてついつい先に苦言を呈しがちで、そしてマイナスの言葉の方が強く響くというのも知っていて、いろいろよくないな自重せねばなと思わなくもないのですがでも、やはりリアルタイムのツイッターなどではつい一番にダーハラ校舎裏呼び出し発言などをしてしまいました。
私のアカウントは始めたのが早かったこともあってフォロワー数がありがたくも多い方だという自覚もあり、もしかしたら私の意見を参考にしてくださっている方もいるのかもしれませんが、でも、私が悪く言ったからってじゃあ観に行かない、なんて人はそうはいませんよねえ?
まあ今回は完売御礼チケ難公演だったというのもあるけれど、私のつぶやき程度が客足を左右できるとは思えない。というかそんなんで観に行かなくなる人なんてそれだけの人ってことですよね? ファンじゃない。私はファンだから、自分でお金払ってチケット取って自分の脚で出かけて自分の目で観て、自分が感じたこと思ったことをつぶやきます。嘘はつけない。
悪いことは黙っていていいことのみつぶやく、のがいいオトナ、なのかもしれません…が、私には多分無理です、すみません。
だから特に未見の方に対して、マイナスイメージを植え付けてしまいかねない、というのは責任として感じていなくもないです、すみません。
でもやっぱりそれこそいい歳なので今さら生き方を変えられない…しかも私の20数年の観劇歴の中で今が一番アツい状態だと思われるので、余計に言葉が強くなるのですよね…
ブログは、まあリンクとか検索とかで訪れてくださるケースもあるでしょうけれど、リピーターの方はある程度意識的に読みに来てくださっているものだとも思うので、私のだいたいの芸風(笑)もわかっていただいた上でのことだろう、と甘えていますが、ツイートはフォローしてなくてもタイムラインに流れて来ちゃうことがあるだろうから、それは申し訳なく思っています。ミュートやリムーブ、ブロックでは防げないこともあるのでしょうし…(実はこのあたりのシステムがよくわかっていません)
ちょっとどこに対する言い訳なのか不明瞭ですみませんが、最近ちょっと思うところがあったので、うだうだ言い訳しましたすみません。
自分で読む分には、明るくて愛と萌えに溢れたブログが好きです(笑)。自分には絶対書けないから。
これでも自然に、話すように、考えていることをただ書いてるだけなんだけどなー、つまり私はしゃべる話も脳内での考え方も理屈っぽくて可愛げがないんだろうなー。愛し方が下手なのかもしれません。
でも宝塚歌劇を愛しているし、タカラジェンヌを愛しているのです、これでも。愛があれば何をしてもいいってことではもちろんないけれど、自分の愛情を信じて、これからも観続けますし語り続けます。
去年初めて達成した全演目観劇を、今年もやりたいと思っているので。今回はチケ難の中、お友達に無事にお取り次ぎいただけて、観劇歴が途切れずにすみました、ありがとうございました!
次のくーみん作品にはなんの不安もない! 楽しみにしています!!
1929年、ニュージャージー州にある刑務所の特別に用意させた監房で、アメリカ一のギャングスター、アル・カポネ(望海風斗)はハリウッドで製作中の新作映画の脚本を手にしていた。タイトルは『スカーフェイス』つまり”傷のある顔”。その言葉がアルを表していることは明白だった。アルは脚本を書いた張本人ベン・ヘクト(永久輝せあ)を前に、知られざる”アル・カポネの真実”を語り出す…
作・演出/原田諒、作曲・編曲/玉麻尚一、振付/麻咲梨乃、AYAKO。雪組二番手スター望海風斗のバウ主演第二作、初東上付き作品。全2幕。
待望の、再びの、そして雪組で初のだいもん主演作! 東上付き! 「だが原田」。
先行画像素晴らしい! ポスター素晴らしい! 振り分けメンバーすごい! 「だが原田」。
何度も何度も意識してハードルを下げ、でも小公演の作品はけっこういいものもあるしと期待してしまい…
で、やっぱり「ダーハラめ!!!」でした。私はね。
松井るみの装置はとてもお洒落でした。「樽カポネ」と言われてしまおうと、『シェルブールの雨傘』のときの装置と同じ仕組みじゃんと言われてしまおうと、雰囲気があって転換が早くて素敵だったと思いました。本公演だとナゾの暗転ラッシュになるけれど、小公演の原田作品は意外と装置のセンスがいいと思います。
それからアンサンブルと言うかコーラスと言うか、「ミュージカルらしさ」を作るのもすごく上手いと思います。ややパターンすぎる気もするけれど、様式美は悪いことではないと思うので。
禁酒法時代のお話ということで近作に似た時代設定の作品が多く、使いまわしのお衣装が見慣れすぎたものばかりだったのはまあ、致し方ないでしょうか。しかし「宝塚歌劇はフランス革命ものと禁酒法時代ものをやっていないと死ぬ病気にかかっているの?」というお友達のつぶやきは至言だと思うよホント…題材の選び方とか演目のラインナップの並べ方とか、もっと計算してくださいよ歌劇団…
それと、「同じ試験を潜り抜けて入団しているんだから、娘役に比べて男役があまりにも偏重されているのはおかしい」という男性の意見も間接的に目にしたのですが、これも妥当な指摘かと思いました。男役が就任するトップスターが演じる男性主人公の物語を上演する、というのが宝塚歌劇の基本的な決まりごとだとしても、だからって娘役をないがしろにしていいということではありません。その他大勢のショーガールだろうと舞妓・芸妓だろうとキャラクターは作れるし仕事はさせられるんですよ原田先生、裏公演(むしろこちらが裏なのだか!)ちゃんと観てますか?
そして何より、実在した人物のただの評伝以上のものを描いてくれないと、物語にならないんですよ、わかってますか? 作家がこの作品を通して何を描きたかったのかが見えない、そこが最大の問題ではなかったでしょうか。そこにこそ観客は感動するものなのに。
暗黒街の帝王と言われていたけれど、義理堅い部分もあったんだよね、「ふたつの顔を持つ男」だったんだよね、というのはわかった。でもそれはキャラクター設定みたいなものでしょう? そんな男が何をしてどうなって、そこから何を描き出すのか、それがキャラクターを使って作品を作る作家の仕事なのでは?
少なくとも私にはそれが見えませんでした。久々に、「えっ、これで終わり!?」と思っちゃいましたよ。暗転後、フィナーレが始まるまで拍手して待つのが観客のマナーとでも言うべきものでしょうが、申し訳ありませんが私はぽかんとしすぎて全然拍手できませんでした…
生徒さんにはまったく罪はありません。みんな大健闘大熱演でした。私があきれ、無言の抗議をしたのはあくまで脚本・演出に対して、です。つらい時間だったぜ…
冒頭のアトランティックシティ刑務所の場面では、私にはだいもんがちょっとやりすぎているようにも思えて、大丈夫?とか思ったものでしたが、話が1917年に巻き戻ってブルックリンで働く青年アルになってからは爽やかでナチュラルで、ああなるほどね、と思わせられました。真面目に働き義侠心のある好青年で、でもイタリア移民(二世ですが)ということで虐げられ差別されている主人公。観客の感情移入を誘うのに上々の滑り出しです。
ただし飢え故に万引きをした少年を助けてやるのはいいにしても、一応犯罪は犯罪なので、少年に「気にするな」といってしまうのはどうだろう…それにこのパン屋の主人が報復に出てしまうのはある意味で正当な行為に見えなくもない気もします。アルがその週の稼ぎを手放したからって損害がすべて回収されたとはかぎらないのだし。それじゃ駄目なんだよダーハラ、こういうところに繊細さが足りないの! 主人公はあくまで正義でヒーローで不当なことに対して戦ってがんばっていて、でもいろいろかけちがって転落していかざるをえない…というふうに描かなきゃいけないの、主人公のほうにも非があるみたいに見えちゃ駄目なの、特に冒頭は! つかみが大事なの!!
アルが働くイタリア系移民が集う酒場にアイルランド系のメアリー(大湖せしる)が連れてこられて…という流れはベタですが、わかりやすいし少女漫画的展開がきゅんきゅんだし、まったくもっていいと思います。腰履きのようにエプロンの紐を結うだいもんがたまらん。二役をするあすくんがその声の良さで二階席からノーオペラでもすぐわかる。これくらいのバイトは仕方ないかな。
しかし私はせしるのヒロインには申し訳ないですがもう飽きてしまったのですが…『春雷』はいいなと思ったんだけど『パルムの僧院』がもうつらかったんですよね。ここ、くらっちとかじゃ駄目だったのかなあ…後半出てこなくなっちゃうしそれほど重要ではないのかもしれませんが、私は宝塚歌劇には恋愛要素を求めるタイプなので、せっかくのヒロインとそのラブに萌えられなかったのもこの作品の残念要因でした。これはごく個人的な好みの問題なのかもしれませんが。
で、いろいろあってアルはブルックリンを離れシカゴに向かいます。本当は大学に行って堅い仕事について、というまっとうな人生を送りたかったのに、才覚と義侠心に恵まれたばかりに、そこにある種の不運も重なって、そして脛ならぬ顔に傷持つ身になってしまって、暗黒街に沈みそこで頭角を現していくことになる…でも最終的にその皮肉、悲劇を描くのなら、当初アルが望んでいた生き方みたいなものについてはもっと明示しておいたほうがいいかと思いました。のちにそれを体現するエリオット(月城かなと)が現われるわけですが…
私は二階席からノーオペラで観ていたのでれいこのバイト祭りにはほとんど気づきませんでしたが、抗争場面でアルに庇われた夫婦に当たるスポットライトにはそりゃ気づきましたし、「エドナ!」と妻を呼ぶ台詞の声もわかったしエドナ(透水さらさ)がエリオットの妻だと事前にプログラムを読んで知っていたので、ああこれがエリオット・ネスか、とわかりましたが、むしろエドナに「エリオット!」と呼ばせないと、さんざんバイトを観てきた観客にはこのれいこが誰なのかがわかりづらいのでは?と思いました。それじゃ駄目なんだよダーハラ以下省略。
史実がどうなのかは知りませんが、のちに連邦捜査官となる学生時代のエリオット・ネスが、堅気の人間には手を出さない、出させない主義のアルに命を救われていた…というのはおもしろい接点の作り方だな、とドキドキしただけに、もったいなかった…
なんにせよ、全体にテンポが悪いというか話の展開が遅いな、やや退屈する気がするな、という感じで一幕を観終えました。あ、銃撃戦のダンスはカッコよかったなー! 二幕冒頭よりフィナーレより、私はあのダンスにシビれました。
あとまなはるね! 素晴らしいよね!!
はっちさんの二役っぷりは…まあお約束とはいえやはり苦しいかな、誰かに振れなかったのかな…全然関係ないけどアンドリュー(夏美よう)の部下(悠斗イリヤ)の登場がなんかツボでした。エリオットとの話を切るために用意されているだけなんだけど、なんか意味深に見えてニヤニヤしましたすみません。
聖バレンタインデーの虐殺のくだりはどの程度史実なのでしょう? このあたりまで、主人公がある種巻き込まる形のピカレスク・ロマンなので『Bandito』とかを想起しながら観ていたので、サービスの警官コスもキタ!とかつい思ったのですが、史実が警官に偽装しての犯行だったからなんですよね?
まあそれはともかく、これ以降バグズ(香綾しずる)もメアリーもソニー(有沙瞳。こんな使い方をしている場合なのか…)もほぼ出てこなくなっちゃうんだもんなあ…ここ、なんのための場面なんでしょうね?
これで逮捕されてアルがベンと出会うので必要、という見方もあるけれど、うーむ。あと、冒頭とラストがつながっている構成ってのはよくあるけど、冒頭と二幕中盤がつながっていてそこからは時間軸どおり進む、というのはちょっと変わった構成ですよね…イヤこういうことには決まったルールはないと思うのでいいと言えばいいのですが、やや混乱を感じました。ここから今度はベンが出なくなっちゃうしね…
しかし要するにこの作品の白眉は二幕第9場、アルの自宅でのエリオットとのやりとり、この芝居につきますよね? ここは本当に素晴らしかった。ここにはドラマがありました。れいこちゃんもよかった!
アルを追う捜査官でありながら、かつてアルに命を助けられたこともあって、彼が本当に極悪非道の犯罪者なのか決めかねて迷っているエリオット。つい保険の外交員だと嘘をつき、自宅に招かれて、法で禁じられているアルコールの饗応を受けてしまう。アルは自宅に帰れば家庭を大事にするごく普通の男で、くだらない法律には従わない大人物であり、話のおもしろい好漢だったりする。アルはエリオットになりたかった理想の自分の姿を見、エリオットはアルに憎悪し逮捕するべき悪の帝王の顔が見つけられない…
ここに飛び込んでくるジャック(真那春人)がもうホントにいじらしくてね! このくだりがドラマチックでね!! ここはたぎったよね!!!
裁判になり、陪審員を買収して無罪を勝ち取れるはずが、身内の裏切りがあって陪審員が入れ替わっていて、アルの有罪が確定する。一体誰が?となりましたよ。まさかジャック?と思ったらなんと弁護士のエドワード・オヘア(久城あす)だってどっひゃー! それこそこんなのバイトのキャラじゃないの!? 銀縁メガネがカッコいいだけのキャラじゃないの!? だってなんの伏線もドラマもなかったじゃん! 私が見逃していただけ? エエエエエーーーーっ!ってなもんでした。
そこからの怒涛のラストシーン、駅って! いかにも別れにふさわしいけどそんなところから収監されるもの? エリオットの言わずもがなの「親友だ!」発言は私はスルーします。ホント芸がないなダーハラ、それじゃ駄目なんだよ以下省略。
で、それで結局、なんだったの? フラッシュバシバシの中、正面からライト浴びてシルエットになって舞台センター奥に消えていく主人公、そりゃカッコいいよ? でも何を表しているの?
彼はひとかどの人物になりたかった、そして別の形で大物になってしまった、その皮肉、って話なの?
というか彼の罰って結局何に確定したの? 刑期は何年なの? それとも終身刑? 絞首刑? 前回の収監のときのようにすぐまた出てくるんだったらこんな大げさなことにならないよね? でも説明ないよね? それじゃ駄目なんだよダーハラもう言い疲れたよ…
彼はこれで獄死した、とかなの? これがアル・カポネの終焉なの? それがわからないんじゃどう捉えていいかわからないじゃん! 映画が改変されたからってなんだっつーのよ!
彼は真面目に生きたかった、ごく平凡な幸せを手に入れたかった、けれど別の世界で登りつめ、しかし凋落した、その悲劇、って話なの?
彼はごく普通の男だったのに、祭り上げられそれに応えてしまい、マスコミに騒がれるスターになってしまった、その皮肉、って話なの?
彼は悪の帝王だったかもしれないが、もっと悪い官憲の癒着に敗れた悲しいかわいそうな男だったんだ、とか?
わからない。作者が、アルが何を望んでいた青年だったかきちんと描かなかったし、どうなったかきちんと描かなかったし、それを通じて何を観客に見せたかったのかがなかったとしてか、私には思えませんでした。
テーマやメッセージがないのも問題だけれど、何よりもっと人間関係を描こうよ。メアリーだってジャックだってバグズだってエドワードだってもっともっとアルに思うところがあったんだよ絡めたよそれでドラマが作れたよ。言葉はアレだが主人公総受けってある種の鉄板ルールですよ、なんで二幕の真ん中すぎにエリオットとちょこっとあるだけなの?
みんながアルを愛して、アルもみんなを愛して、だけどいろいろあって、で、どうなったのか、何が残ったのか、それを描こうよ、それを見せてくださいよ。それが作品ですよ、物語ですよ。伝記や評伝が見たいんじゃないの、事実の羅列が見たいんじゃないの。
エピソードをただ並べてもドラマにはならない、テーマやメッセージが伝わるよう工夫して置き並べる必要があるの。「アル・カポネの二面性ってだいもんに通じるかも」ってのは着想にしかすぎないの。企画書だろそんなの!
書きたいものがないなら作家を辞めてください。
普通の作家はつまらない作品が何度か続くと、売れないし客は離れるし依頼が来なくなるもんですけどねえ…座付きって給料出続けるし出番回って来続けるんでしょ? いいよねえ怖いわあ…
今回チケ難だったのは作品の出来がよかったからじゃなくてあくまでだいもんのおかげだからね? 駄作でも客は通いますよ生徒のためにね、でもたまに客入りが悪いときはそれは本当に作品が駄目すぎてリピートがつらいから客が脱落するんですよ、それを組とかトップが人気ないからとか言うのやめてね? ちゃんと見極めてね歌劇団?
というわけでそらだいもんは圧巻でした。もはやこのクラスの劇場は狭いと思わせる圧倒的な歌唱力、心ある芝居、スターオーラのあるダンス。主演、座長にふさわしい、風格すら漂っていました。素晴らしい! 鮮やか! カッコいい!
れいこはそんなだいもんアルとがっつり組むお芝居でこれまた素敵でした。歌もいい感じ。また違った華やかさを持つスターさんなので、大事に育ててほしいですね。次のバウ初主演、楽しみです。
でもバウ二番手ってもっと美味しかったりするものだから、それはなくてもったいなかったなー。私はパレードで二番手ポジションで出てくるのに失礼ながら驚いてしまいました。こんな扱いなら学年順でよかったんじゃないの、という気がしてしまいましたすみません。
ひとこはカワイイよ好きだよ、もっと仕事させてー! がおりもまなはるもあすくんも素敵でした。
生徒さんがみんな素晴らしかったから、ヨシとします。イヤ散々書いてきてヨシとしてないやろ、って感じですねすみません。
私は褒めるのが下手で、というか上手かったとか素敵だったなんてのはあたりまえだからって後回しにしてついつい先に苦言を呈しがちで、そしてマイナスの言葉の方が強く響くというのも知っていて、いろいろよくないな自重せねばなと思わなくもないのですがでも、やはりリアルタイムのツイッターなどではつい一番にダーハラ校舎裏呼び出し発言などをしてしまいました。
私のアカウントは始めたのが早かったこともあってフォロワー数がありがたくも多い方だという自覚もあり、もしかしたら私の意見を参考にしてくださっている方もいるのかもしれませんが、でも、私が悪く言ったからってじゃあ観に行かない、なんて人はそうはいませんよねえ?
まあ今回は完売御礼チケ難公演だったというのもあるけれど、私のつぶやき程度が客足を左右できるとは思えない。というかそんなんで観に行かなくなる人なんてそれだけの人ってことですよね? ファンじゃない。私はファンだから、自分でお金払ってチケット取って自分の脚で出かけて自分の目で観て、自分が感じたこと思ったことをつぶやきます。嘘はつけない。
悪いことは黙っていていいことのみつぶやく、のがいいオトナ、なのかもしれません…が、私には多分無理です、すみません。
だから特に未見の方に対して、マイナスイメージを植え付けてしまいかねない、というのは責任として感じていなくもないです、すみません。
でもやっぱりそれこそいい歳なので今さら生き方を変えられない…しかも私の20数年の観劇歴の中で今が一番アツい状態だと思われるので、余計に言葉が強くなるのですよね…
ブログは、まあリンクとか検索とかで訪れてくださるケースもあるでしょうけれど、リピーターの方はある程度意識的に読みに来てくださっているものだとも思うので、私のだいたいの芸風(笑)もわかっていただいた上でのことだろう、と甘えていますが、ツイートはフォローしてなくてもタイムラインに流れて来ちゃうことがあるだろうから、それは申し訳なく思っています。ミュートやリムーブ、ブロックでは防げないこともあるのでしょうし…(実はこのあたりのシステムがよくわかっていません)
ちょっとどこに対する言い訳なのか不明瞭ですみませんが、最近ちょっと思うところがあったので、うだうだ言い訳しましたすみません。
自分で読む分には、明るくて愛と萌えに溢れたブログが好きです(笑)。自分には絶対書けないから。
これでも自然に、話すように、考えていることをただ書いてるだけなんだけどなー、つまり私はしゃべる話も脳内での考え方も理屈っぽくて可愛げがないんだろうなー。愛し方が下手なのかもしれません。
でも宝塚歌劇を愛しているし、タカラジェンヌを愛しているのです、これでも。愛があれば何をしてもいいってことではもちろんないけれど、自分の愛情を信じて、これからも観続けますし語り続けます。
去年初めて達成した全演目観劇を、今年もやりたいと思っているので。今回はチケ難の中、お友達に無事にお取り次ぎいただけて、観劇歴が途切れずにすみました、ありがとうございました!
次のくーみん作品にはなんの不安もない! 楽しみにしています!!