駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『大海賊/Amourそれは…』

2015年06月14日 | 観劇記/タイトルた行
 神奈川県民ホール、2015年6月13日マチネ。

 17世紀後半、カリブ海のスペイン領サンタ・カタリーナ島がイギリス海賊の首領エドガー(十輝いりす)によって襲撃された。両親を海賊たちに殺された総督の息子エミリオ(北翔海莉)は追っ手を逃れ、ひとり海へ飛び込む…
 作・演出/中村暁。2001年月組の紫吹淳お披露目公演で初演、全国ツアー上演したものの再演。みっちゃんふうちゃん新生星組プレお披露目公演。

 初演の感想はこちら
 演目発表の瞬間から「何故あの駄作をわざわざ再演?」と話題になったものでしたが…みっちゃんは当時研4、本公演ではエドガーの手下を演じ新公でエドガー、全ツで聞き耳をやったそうです。
 全ツの演目はある程度の選択肢の中からトップスターが選べると聞きますが、今回も確かにみっちゃんセレクトだったそうで、群集芝居が多く組子みんなとお芝居ができそうだから、ということで選んだようです。
 確かに下級生までけっこう出番は多く、主人公も常にグループ芝居の輪の中にいるようなところがあるので、新しい組で新しい関係を作っていくのにはよかったのかな、と思いました。
 リカクラよりみちふうの方が断然歌が上手い、というのもありましたし、そういう点では新鮮でした。
 ただ、新曲が増えたり歌の位置が変わっていたりはするようですが、基本的な構成やストーリーラインはまったく変わっていないので、まあ駄作は駄作ですね。凡作以下のレベル。
 幕が開いて30分、主人公が少年のままで話がまったく展開しないし、次の30分がたたないと主人公とヒロインが出会わない。そしてチャンバラやってみんな死んで主人公は再び海へ…はっきり言って学芸会レベルのお話だと思います。子供が考えたお話みたい。
 海賊に両親を殺された少年が生き延びて海賊になる、それはいい。だったら故郷の町が襲撃された場面の後はもう大人になっていて、なんならもう船長として海賊たちを率いていてもいいんですよ。プロローグで主人公が海賊であることはもう見せているんだから、間のことはあとから台詞で言ったって十分です。海賊になった彼がそれでどうするのか、仇とは出会えるのか、それがお話の眼目なはずなのですから。
 なのに何故くどくどと焼き討ちにされる街や漂着する主人公、その特訓過程なんかを描くのか。それで何を表現しているつもりなのかサッパリわかりません。キッド(礼真琴)やアン(音波みのり)、聞き耳(壱城あずさ)たちのキャラクターを見せるエピソードならエミリオが大人になってからでもいくらでも作れそうなものでしょう。時間の無駄、構成のミスですよ…
 わかりやすくて楽しい、と言えば言えるかもしれません。各所で初めて宝塚歌劇をご観劇になる方々に馬鹿にされないことを祈るばかりです…
 その点に目をつぶれば、懐かしかったり新生星組の輝きを堪能できたりして楽しかったです。
 みっちゃんは何をやっても達者だし、持ち味的に大人っぽいのでカマトトに見えないかなと心配していたふうちゃんが驚くほど可愛くてキラキラしていて、愛され力がある! トップ娘役としてとても大事!! と脳内代絶賛に忙しかったです。
 まさこが悪役を楽しそうにやっていて、まこっちゃんやしーらんやみっきぃがさすがに上手くてはるこが可愛くて…
 そして初演当時そのクールな美貌が素晴らしかった大空さんの演じたフレデリック(十碧れいや)ポコちゃん! サラサラ金髪ロングだった大空さんと変えて巻いてきた金髪がまた素敵。というか押し出しよくなったよねポコちゃん、プロローグの海賊役からもう目が釘付けでした。
 まおくんが初演のタニとまったく同じにダイコンだったのもご愛嬌。この人はいつ上手くなるの…?(ToT)
 夏樹れいのシブさがまた素晴らしかったです。

 ロマンチック・レビューは2009年宙組のタニウメのサヨナラ公演を再演。みっちゃんは当時宙組三番手で出演していましたね。私も大空さんがここに落下傘するというので観に行った記憶アリ。
 これまたタニウメよりみちふうの方が断然歌が上手いので、主題歌の聞こえ方がもう違う(笑)。そしてこのクラシカルでロマンチックで古き良き宝塚、みたいな感じは全ツにはふさわしくていいんじゃないかなー、とすごく楽しんでしまいました。星組子および組ファンにはなじみのないノリだったかもしれませんが、何ごとも勉強ですよ。
 まこっちゃんが番手的にまさこと常にシンメなのが、さすがに小さく見えて気の毒でした。私はまこっちゃんを小さいと思ったことはないので。でもしーらんみっきーで挟んでさらにその外にポコまおを置いたりすると、中低で並べたんですねって感じが出ちゃってどうにも…
 でもダンスは本当に上手いし見せ方も心得てるし歌も武器だし、いいスターですよね。初演でみっちゃんがソロを取った「夢アモール」はまこっちゃん、当然ですね。
 ふうちゃんはサンファンの娘Sみたいのはバリッと上手くやるだろうと思っていたのですが、イゾルデも可愛くキラキラやってみせたことに本当に感心しました。みちふう、ホントいいコンビになりそうで嬉しいです。少しも早くオリジナル当て書き二本立てが欲しいです。
 でもエトワールをトップ娘役にやらせるのは反対です。残念。
 ところでご当地出身者ってトップの紹介でしたっけ? 組長じゃなくて? まあいいんだけど。ノリノリでやっちゃうみっちゃんが愛しかったです。新生星組に幸多かれ!


 


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『TABU』

2015年06月14日 | 観劇記/タイトルた行
 新国立劇場、2015年6月7日ソワレ、12日ソワレ。

 ドイツ名家の御曹司で人並み外れた色彩に関する共感覚を持ち、写真家として成功を収めたゼバスチャン・フォン・エッシュブルク(真田佑馬)。ある日、彼が若い女性を誘拐したという通報により緊急逮捕された。是バスティアンは自らの弁護をベテラン刑事弁護士ビーグラー(橋爪功)に依頼。ビーグラーは彼の元恋人だというソフィア(大空祐飛)とともに事件の真相解明に動き出すが…
 原作/フェルディナント・フォン・シーラッハ、原作翻訳/酒寄進一、上演台本/木内宏昌、演出/深作健太。全1幕。

 原作小説を読んだときは意味がわからずおもしろくもなかったのですが(^^;)、マイ初日でもそんな感じでした。ああ、この場面をこう舞台化したのねとか、ああそういやこんな場面あったなとか、ほほうなるほどとか考えてまあまあ楽しく観たんだけれど、「で?」みたいな感じでやっぱりサッパリわからなくて。
 二度目に観たときは、ビーグラーの療養場面で毛糸球が客席に落ちるハプニングがあり、客席が笑ってちょっと空気が緩んだりして、その後もユーモラスなことには笑う、みたいな空気が生まれたのですね(ちなみに毛糸トラブルに関して言えば、私は無視するというか笑うのを抑えるのが観客のマナーなのではないかと思うのだけれど…舞台は確かにすぐそこ、手の届くことろにあるけれど、そこで演じられているのは別空間の物語であって地続きではないということになっている、という鑑賞のお約束を破ることになる気がする。こういうとき笑うのは歌舞伎で黒子に注視しちゃうのと同じで、「黒子が見える!」と言うのは「王様は裸だ!」と言うのとは意味が違うと思うのです)。
 そんな中で観ると、この話は猟奇殺人ミステリーとかではなく、芸術家の悪ふざけってことなのかな、とふと思えたのです。
 というか、事件の真相ってそういうことなの?とやっと思い至ったのですが。死体はなかった、被害者はいなかった。被害者の写真だと思われていたものは合成で、通報は妹がした嘘? 手錠についていた皮膚や残っていた血痕も嘘の仕掛け? それらすべてがインス他レーションだかなんだか知らないけどゼバスチャンの芸術だか作品だかで、裁判官たちは振り回されただけ?
 殺人事件はなかった、だからゼバスチャンは無罪である。だがそれは無実とは違う。そもそも罪とは何か? 赤、青、緑の光の三原色が混じると白に見えるがそれは無色透明と同じことではない。
 ならゼバスチャンにも罪はありますよね? こんなふうに無意味に世間を騒がせた罪が。彼にとってはそれも含めて作品だったのかもしれないけれど。
 ビーグラーはともかくモニカ(宮本裕子)やシュッツ刑事(池下重大)にはたまったもんじゃないでしょう。私はゼバスチャンを憎みますね。
 人はそもそも生まれたときから現在を背負っている、とキリスト教圏では考えられているそうだけれど、だからってよく生きようとしなくていいということにはならない。生や死や法を弄ぶようなことをして生きていくなんて、社会の一員として許されないんじゃないの? それともそんなつもりではなかったということ? それとも芸術はそうしたものの範疇外だと言いたいの?
 私はゼバスチャンが嫌いだしこの作品のこともこの作家のことも好きになれそうにありません。この解釈が全然的外れなんだとしても。私にはそう思えたしそう考えたということです。

 というワケで大空さん演じるソフィアは原作ではもっとキャリアウーマンふうだったのですが、舞台が「ビーグラーの事件簿」として編集されているので彼女のキャラクターもぐっと変わって、ゼバスチャンを心配する元カノ、ごくごく普通の女性、といった感じでした。
 大空さんは企画段階のオファーでおもしろそうだと思って引き受け、その後原作を読んでまたおもしろく感じたそうですが、それからすると舞台の脚本の中でのソフィアについてはどう思ったのかな。次のフェスタで語ってくれるでしょうか。
 私は、「普通の女のこの役の大空さん、可愛いじゃん」ときゅんきゅんしましたけどね。薄化粧、フェミニンなんだかダサいんだかよくわからないヘアスタイル、お衣装。ヒロインっぽい、娘役ちゃんっぽいオーラ。女っぽい仕草が下手だと言う人もいたけれど、私はそうは感じなかったなー。こんな女いそうじゃない?って感じで。
 確かに大空さんの起用が必要な役ではなかったかもしれないけれど、そんなのこの先もいくらでもあるだろうし、大空さんの仕事のひとつとしてはおもしろかったんじゃないのかなー、と思いました。
 でも、次の公演はミュージカルでかつコメディだろうから複数回観ても楽しいだろうけれど、今後は普通の外部公演と同じでそうそうリピートしなくなるかもな、と改めて思いました。その必要を感じない。外の舞台ならなおさら、一定のレベルが最初から最後まで求められるだろうし、だから初日から行って変化を見届けて…なんて必要ない。
 少なくとも初日が被って『王家』の方に行って私は全然それでよかったね。次も『舞音』と被っていますがそちらに行きます。現役とは見方が違う。愛が冷めた、とかではなくてね。
 そんなことも考えさせられた観劇でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする