駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『天翔ける風に』

2013年06月15日 | 観劇記/タイトルた行
 シアタークリエ、2013年6月14日マチネ。

 1867年、夏。「ええじゃないか」踊りに埋め尽くされた江戸では民衆の不満と変革を求めるエネルギーが爆発していた。優れた頭脳と剣の腕を持ち、女だてらに江戸開成所の熟成として学んでいた三条英(朝海ひかる)は、変革を求めて思いつめ、金貸しの老婆殺害を実行してしまう…
 原作/ドストエフスキー、脚色/野田秀樹『贋作・罪と罰』、演出・振付/謝珠栄、ミュージカル台本/TS、音楽/玉麻尚一、作詞/謝珠栄、佐藤万里、玉麻尚一。
 ドストエフスキーの『罪と罰』を日本の幕末に移した野田秀樹の戯曲をミュージカル化、2001年初演。新キャストでの上演。

 原作は未読で、大島弓子の漫画での知識くらいしかありませんでしたが、なかなかワクワクと観ました。
 だからこそ、冒頭がとても駆け足で、状況がよくわからないうちから老婆殺害が起きてしまうのはちょっともったいない気がしました。
 私はTSファウンデーションの舞台を観るのが初めてだったし、お衣装のデザインがとても素敵(衣装/西原梨恵)なだけにでもこれっていつのどこの話?ホントに幕末ものなの?とか思ってしまって、いろいろつかめないでおいていかれてしまったんですよ。
 もっと、これがいつでどこでどんな状況の話で、そんな中でヒロインはどんな立場でどういう人間とされていて、ということをきちんと見せてもらって、その上で、老婆殺害を実行してしまうヒロインを観たかった。
 シンクロするとか感情移入するとかは難しいかもしれないけれど、感情は沿わせたかったのです。
 このいかにも若者らしいねじれた理屈は誰しも思い当たるところがあるだろうし、まして今や時代がこんななんだから、もっと響いたと思うのですけれどね…
 そして、ラスコーリニコフを女性にしたことで、親友役のラズミヒンに当たる才谷梅太郎(石井一彰。あいかわらず声量がすばらしい。いい暑苦しさもある二枚目役者だと私は思っていて、意外に贔屓にしています)とはやはりラブが生まれるわけで、でも才谷梅太郎って坂本龍馬なので、原作ではラスコリーニコフを支えたのは娼婦のソーニャだったかもしれないけれど、諸馬は死んでしまうんですよ…
 明治は来たが才谷は来なかった。門は開いたが男は待っていなかった。女が男を牢の中で待つのではない、男が女を牢の外で待つのだ、そして門を開けるのだ、と男は言ったのに。女は男にあんなに熱い愛の告白を手紙でしたのに。男が死んでしまって来られなかったのは男のせいではないにしろ。こんなふうに残された女をどうしてくれるって言うの?
 才谷が来ないことをまだ知らない英が、喜びに顔を輝かせて開いた門を見つめるところで、幕は下ります。悲しすぎるわ…

 殺される老婆とその善良な妹を、英の母・清(伊東弘美)と妹・智(彩乃かなみ。あいかわらず歌唱絶品!)に二役でやらせるところがまたおもしろいと思いましたが、原作にはラスコリーニコフの家族というのはどんな感じで出るのかなあ?
 英がまた、女性キャラクターになったことで、父親の遺志を継ぎ(そして実際には父親は生きていたわけですが…岸祐二ねこれまたよかった)男勝りに生きる聡明で苛烈でエキセントリックな娘、ということになり、それがまた悲しくつらい。
 対して智は家族のために大金持ちとの意に沿わぬ結婚を了承するような、心優しくたおやかな娘で、姉妹は互いに思い合い気遣い合い、けれど言葉も想いもなかなかそのままには伝わらないのでした。悲しい…
 溜水(吉野圭吾)の政治的に立ち位置が私にはちょっとよくわからなかったのですが、それでもこういう人が意外に智を聖母のように崇め愛す、と言うのはあるだろうなと思えたので、それもまたドラマチックでした。
 ともあれ女は本来男より賢いので、自分が天才であることを立証するために犯罪を起こしてみるとか絶対にしません。でも英は父の娘として、息子以上のものとして生きようとした女だったから、そして世の男たちが議論するばかりで何も実行しなさそうな愚か者にしか見えなかったから、やってしまったんですよね。
 その後のラスコリーニコフが後悔に苛まれたりするのは下手したら潔くないとか何を今さらって感じで同情できなかったかもしれない私ですが、英が苦悩するのは女の弱さというよりは人間として当然の迷いに見えて、だからこそ余計にかわいそうでした。こんな翻案を考えつく野田秀樹は悪魔だな!

 というワケでなかなかスリリングで感慨深い観劇体験でした。
 ゴツくて凛々しいアンサンブルも素晴らしかったです。





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『不道徳教室』

2013年06月15日 | 観劇記/タイトルは行
 シアタートラム、2013年6月11日ソワレ。

 リラクゼーションルームでマッサージ嬢リカコ(黒川芽以)に問われて、高校の現代国語の教師だと答える山城(大森南朋)は、教え子の須佐あかね(二階堂ふみ)のことを思い出していた…
 作・演出/岩松了。全1幕。川端康成の『みずうみ』にヒントを得て描く禁断のラブストーリー。

 小さな舞台にもかかわらずすばやく転換するセット(舞台美術/伊藤雅子)が鮮やかでした。
 他は…なんとも言えない(^^;)。その『みずうみ』を未読なのですが、若い女をストーキングする老人の話、なのかな? プログラムの高橋源一郎との対談では『ベニスに死す』なんかの話も出ていますし、若く美しい者に惹かれた老人の話から、それを中年男性にして現代日本を舞台にしたところが肝なのでしょう。
 でも、結局どういうこと?という気がしてしまった、よくわからなかったのですよ。舞台の時間が行ったり来たりしているようだけれど、それを正しく捉えられなかったらしい私の方が悪いのかもしれませんが。
 リカコは仮名というか源氏名だそうですが、まさかこれがあかねってことでもないんでしょう?
 だいたい、あかねが山城にあんなふうに応えるなんてありえないとしか思えない…でも別に幻想ってことでもないんだろうし…
 あと、わざとだとは思うのですが、岩松了(俳優としてテレビドラマでは観ていましたが、作品を観るのは初めてかも)の脚本は、日常的な台詞をずっとつなげるもので、それがまた話をとてもわかりづらくしているわけです。
 実際の会話ってああですよ、尻切れトンボだったり話が跳んだりして一直線には進まないし、中身がないことも多い。それでその場の空気感を演出することはもちろんできると思います。でもずーっとそれだとストーリーが見えなくて対屈するし、イライラするし、集中力が続きません。
 結局あかねは、チャコ(趣里。ときどきやっぱりママに似て見えますね!)はどうしたの? 山城は何をしたの? リカコってなんなの? ってのが、私には全然わかりませんでした…
 大森南朋、色っぽかったけれどね。二階堂ふみは初舞台も観ていますが、いい存在感があっていいですけれどね。ただ上背がないのは役柄によっては舞台では不利かもね、今回のような少女役はいいんだろうけれど。
 親友ふたりのバランスを取ろうとする弥生役の大西礼芳もとても達者だと思いました。
 でも不完全燃焼であったよ…
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