2018年11月18日、月組トップ娘役・愛希れいかさんが宝塚歌劇団を卒業していきました。
私は上野のライビュで見送りました。『エリザ』についてはやっぱりおなかいっぱいかなと思いましたが(でもやっぱり病院場面でダダ泣きしましたが)、サヨナラショーが本当に本当に良かったですねえ。最近だとみりおんのワンマンショーっぷりも圧巻でしたが、今回はすーさんの扱いも素晴らしく、胸に響きました。
それにしても「愛希」とはいい芸名だなあ…
本当に立派な、ビッグな、一時代を画す娘役になりました。でも、こんなになるとは当初全然思っていませんでしたよ…(^^;)
そんな話を、今回はしたく思います。ちなみに愛希日記その1はこちら、その2はこちら。すでにして懐かしいですね…
珠城日記によれば、珠城さんのことは研2の『ラスプレ』新公できりやんの役に抜擢されたときに「おっと」と思った記憶があり、そのあたりから私の第二期ファン人生も加熱していって月組もまあまあ通うようになったはずなのですが、ちゃぴの記憶はあまりありません。『スカピン』のルイ・シャルルにも、「こういう配役をされるってことは押されている若手なんだろうな」と思った程度の記憶…舞台の記憶は特にない気がします。
しっかりした記憶があるのは『ジプシー男爵』で娘役がまわってきたときで、これまた若手男役を押すときに劇団がよくやる手ではあるけれど、二番手スターの恋人役で実質二番手娘役みたいなことをやるにはいかにも場数が足りなくて立ち居振る舞いがまだまだなってなくてメイクもなんだかなな出来で、フラフラぴよぴよしていて心配したことをよく覚えています。ダンサーではあるんだろうけど、他はまだまだ何にもできないじゃん…とかわいそうになるくらいでした。
そうしたらあれよあれよという間に娘役に転向してしまい、ということは起用する気があるってことなの劇団!?と思っていたらあっという間にトップ娘役に就任してしまった、という印象です。
しかし当時の月組はまさみりダブルトップ体制、お披露目公演の『ロミジュリ』はちゃぴにとっては相手役が毎回変わるという試練でした。なんだかなあ、気の毒だよねえ…と不憫に思いましたが、そのわりには公演自体は健闘して見えた記憶はあります。
しかしまた『ベルばら』でまさみりがオスカルとアンドレの役代わりでちゃぴはロザリー…正直トップ娘役がやる役ではないと私は思っていますし(過去最悪だったのはディアンヌ。許さん。てかもう誰か若手に譲って全面リニューアルして植Gマジで…(ToT))、せっかくトップ娘役にしたのにこんな扱いでいいんかいなと憤ったことも覚えています。必死に小さくなろうとして見えたのがまた痛々しかったなあ…
みりおが組替えして、まさおだけの相手役になってから、やっと少しおちついて、そしてそこからまさおにビシバシと鍛えられ、それにめげずにがんばったのか見違えるように垢抜けていきましたよね。ショースターっぷりが発揮されていったのも目覚ましかったです。
『1789』のアントワネットは本当に素晴らしかったですし、当人もある種の納得というか満足というか手応えを感じて卒業ということを意識し出した、というのも納得です。ただ、劇団が慰留してくれたのかまさおが残るよう言ってくれたのか、とにかくちゃぴはそこでは卒業しないでくれました。近年最も若い学年でトップスターとなる珠城さんへの代替わりの架け橋に、劇団は相手役としてやはり経験者をきちんとそばに置きたかったのでしょう。それは正しい。そしてちゃぴも、もうちょっとくらいならやってみたい、とは思ってくれたのかな? 残ってくれて本当にありがとう。だってでないとあのグルーシンスカヤに、あのルイに出会えなかった…!
全ツ『激情』が決まったときには本当に嬉しかったし、次はたまちゃぴコンビでいくってことだよね!?とめっちゃテンション上がったものでした。何箇所も追っかけたもんなあ、楽しかったなあ。
そして『グランドホテル』、初日を観ましたよ震えましたよ…てか『グラホ』と『AfO』は双璧だなー、どっちが作品として好きかとかちゃぴの役として好きかは、悩むなー。『グラホ』は名作だけれど再演ものだし、そもそも宝塚歌劇オリジナルではない、というのは私としては減点。でも私は実は、愛は成就したが人は死に別れる、みたいな悲劇のメロドラマが大好物で、この点は大正解。そしてちゃぴのグルーシンスカヤの素晴らしかったことよ! ちゃんと年かさの女に見えていた、けれど恋に心震わせる少女のような「ボンジュール、オムール」の愛らしさが演じられていた、そして男爵に死を与える幻の女のすごみ…! しかしてその一方で、『AfO』はオリジナルだし上手く作るのが意外に難しいと私が痛感しているラブコメで、でもこれはすごくよくできていてだからすごく評価したいのですが、一本ものなのが減点材料…ことほどさように甲乙つけがたいのです。ルイ/ルイーズみたいな役がちゃぴみたいに男役から転向した娘役にしかできない役、だとも私は思いませんしね。でもちゃぴルイのキュートさは出色だったなあ…! てか早く再演しないかな、そうして評価を固め高めていってほしい作品だわー。そういうことをきちんとやらないプロデュース力の低さは課題だぞ劇団!!
『エリザ』はおなかいっぱいだったけれどちゃぴのシシィはとてもよかったし、改めてラブストーリーとしてせつなくていいな、この役をやるのはタイトルロールだから実質主役だから嬉しいというのもあるかもしれないけれど、それより何よりヒロイン冥利に尽きるだろうなと、変な日本語ですが娘役がみんなしてこの作品をやりたがる意味がやっとわかった気がしたりしたので、そういう意味でも納得して、ちゃぴの卒業を寿げた気がします。
そして、サヨナラショーが本当に素晴らしかったですよね。ごくシンプルで、でもそれだけ、ひとりで歌だけであの大きな空間を埋められるスターになったという証で、立派でした。 髪飾りに白い花、白いドレスで「♪私はまだ何も知らない十六の乙女だけれど…」と歌うジュリエットから、年上の同性に憧れる、でもそれは確かに恋だと歌うロザリー、愛に迷い「♪わかるなら教えてよ愛がなんなのか」となかばやけっぱちに歌う人生に倦み疲れたマノン、そして妻となり母となって家族への愛と神の許しを請う歌をせつせつと聴かせるアントワネットへ…どの歌にもその情景が浮かび、泣けました。そしてセリ下がり…! 実はなかなかないことですよね!!
なかなかないと言えば続くすーさんもそうで、要するにちゃぴのお着替えタイムの捻出のためなんだけれど、いくら組長さんとはいえ娘役にこの扱いは破格だったと震撼しました。上手スッポンのセリ上がりから一曲まるまるソロ、銀橋ゆっくり渡って本舞台は下級生の二組の男女(ありちゃんと時ちゃん、おだちんとゆいちゃん。ああ、ゆいちゃんの色っぽさはマジで罪…!)を踊らせて、下手スッポンのセリ下がりまで。ないないない、普通こんなのない。組長、副組長の管理職ってものっすごく大変だと聞くし、だから慰労もかねて何年かしたら専科に移してゆっくり自分のことに専念できるようにするとも聞くけれど、そのまま専科として卒業すると下手したらひっそりご報告だけなんてとこもあるし、大劇場公演への特出で卒業したとしてもこんなショー場面が与えられることはほぼないし、組子で卒業するって大事…!とかまでいろいろ考えちゃいました、下賤ですみません。
再び現れたちゃぴは組カラーの黄色のドレスで、珠城さんとの『グラホ』は当然上演時より歌が上手くなっていて、そこにさらにまゆたんはーちゃんカゲソロでのデュエダンですよ息ぴったりでしたよ合わせなくても合ってるんですよ自然に一体になっていましたよ、たまらん…!
そして「ドリームガールズ」!
映画も大好きですが主題歌も元気が出ますよねー。原曲の歌詞としてはまんまショーガールの気概を歌っているというか、男たちに夢を見せるドリームガールズとしての私たち、というようなことを歌っているそうですが、英語で聞き流せたというのもあるけれど(^^;)そんなこたぁ全然気になりませんでした。
もちろん昨今のフェミニズム的には男性の性的搾取対象としてのみ女性が存在する、なんてことは糾弾され否定されているわけですが、それとはまた別の問題で、きちんと平等で対等で納得できているのならシスジェンダーヘテロセクシャルのマジョリティが性愛を謳歌するのは健康的で自然なことであり(というかあらゆるSOGIが健康的で自然なことなのですが、ともすれば反動的に異性愛が悪く語られすぎる面もいささかあると感じているので)、雄のクジャクが雌に羽根広げるのと同じでなんの問題もないわけで、そらいくらでも歌い上げてほしい、むしろ歌い上げるべきことなのです。
そしてそういうこととはさらに別に、誰かに夢を見させるとかそのドリームやファンタジーを演じてみせる、ということとはまったく別に、タカラジェンヌは、というか全女性は、自分の夢を夢見て進み生きるドリームガールズなのです。そういう歌なんだと思います、そうだということに今しました(笑)。
誰のためでもない、自分のための夢であり、自分のための人生です。自分の人生を、自分の夢を抱きながら生きていく。その健やかさ、強さ、まっすぐさ、けなげさを歌い上げているのだと勝手に解釈して勝手に感動したのでした。
この「ガール」という単語がまた良くてね。そりゃ我々もいい大人ですから、女性として、つまり「性」の部分もちゃんと我がこととして引き受けて、全部背負って立って初めて本当の成人ですよ。でも、それがときにかったるいこともある、わずらわしいときもある。といって性がまだ未分化な幼児の頃にはさすがに戻れない。
でも、性以前の、ぶっちゃけ初潮以前の、身体が重くなり出す前の、ただの「女の子」になら、戻れる。ここでなら、この時空でなら。そんなパワーが宝塚大劇場と東京宝塚劇場の空間には、宝塚歌劇の演目には、ある。女の子たちの歌やダンスや芝居を見て、女の子に戻れる魔法にかかれる。そのことが素晴らしい。それをひしひしと感じて、泣けて泣けて仕方がなかったのでした。
かつて花總まりにあこがれたたくさんの娘役が輩出されたように、これからは、というかすでにもう今、愛希れいかにあこがれて娘役になったという生徒さんがたくさん出るのでしょう。それくらい、時代を築き上げましたよ。それは単にトップ在任期間が長かったということだけによるものではないはずです。
そしてもっと幼い少女たちも、ちょっと前ならセーラームーン、今ならプリキュアとかがマイ・ヒロインなのかもしれませんが、ちゃぴを見られたのならそこにちゃぴは立派に加われますよね! ママが見ているDVD越しでもそのパワーは伝わると思うな(笑)。ちゃぴはそうやって、日本の、いや世界中の女の子に夢と希望と勇気とパワーを与えてくれた天使だったと思います。
ご卒業、改めておめでとうございます。今後も舞台で観られたら嬉しいです、ご活躍をお祈りしています!
私は上野のライビュで見送りました。『エリザ』についてはやっぱりおなかいっぱいかなと思いましたが(でもやっぱり病院場面でダダ泣きしましたが)、サヨナラショーが本当に本当に良かったですねえ。最近だとみりおんのワンマンショーっぷりも圧巻でしたが、今回はすーさんの扱いも素晴らしく、胸に響きました。
それにしても「愛希」とはいい芸名だなあ…
本当に立派な、ビッグな、一時代を画す娘役になりました。でも、こんなになるとは当初全然思っていませんでしたよ…(^^;)
そんな話を、今回はしたく思います。ちなみに愛希日記その1はこちら、その2はこちら。すでにして懐かしいですね…
珠城日記によれば、珠城さんのことは研2の『ラスプレ』新公できりやんの役に抜擢されたときに「おっと」と思った記憶があり、そのあたりから私の第二期ファン人生も加熱していって月組もまあまあ通うようになったはずなのですが、ちゃぴの記憶はあまりありません。『スカピン』のルイ・シャルルにも、「こういう配役をされるってことは押されている若手なんだろうな」と思った程度の記憶…舞台の記憶は特にない気がします。
しっかりした記憶があるのは『ジプシー男爵』で娘役がまわってきたときで、これまた若手男役を押すときに劇団がよくやる手ではあるけれど、二番手スターの恋人役で実質二番手娘役みたいなことをやるにはいかにも場数が足りなくて立ち居振る舞いがまだまだなってなくてメイクもなんだかなな出来で、フラフラぴよぴよしていて心配したことをよく覚えています。ダンサーではあるんだろうけど、他はまだまだ何にもできないじゃん…とかわいそうになるくらいでした。
そうしたらあれよあれよという間に娘役に転向してしまい、ということは起用する気があるってことなの劇団!?と思っていたらあっという間にトップ娘役に就任してしまった、という印象です。
しかし当時の月組はまさみりダブルトップ体制、お披露目公演の『ロミジュリ』はちゃぴにとっては相手役が毎回変わるという試練でした。なんだかなあ、気の毒だよねえ…と不憫に思いましたが、そのわりには公演自体は健闘して見えた記憶はあります。
しかしまた『ベルばら』でまさみりがオスカルとアンドレの役代わりでちゃぴはロザリー…正直トップ娘役がやる役ではないと私は思っていますし(過去最悪だったのはディアンヌ。許さん。てかもう誰か若手に譲って全面リニューアルして植Gマジで…(ToT))、せっかくトップ娘役にしたのにこんな扱いでいいんかいなと憤ったことも覚えています。必死に小さくなろうとして見えたのがまた痛々しかったなあ…
みりおが組替えして、まさおだけの相手役になってから、やっと少しおちついて、そしてそこからまさおにビシバシと鍛えられ、それにめげずにがんばったのか見違えるように垢抜けていきましたよね。ショースターっぷりが発揮されていったのも目覚ましかったです。
『1789』のアントワネットは本当に素晴らしかったですし、当人もある種の納得というか満足というか手応えを感じて卒業ということを意識し出した、というのも納得です。ただ、劇団が慰留してくれたのかまさおが残るよう言ってくれたのか、とにかくちゃぴはそこでは卒業しないでくれました。近年最も若い学年でトップスターとなる珠城さんへの代替わりの架け橋に、劇団は相手役としてやはり経験者をきちんとそばに置きたかったのでしょう。それは正しい。そしてちゃぴも、もうちょっとくらいならやってみたい、とは思ってくれたのかな? 残ってくれて本当にありがとう。だってでないとあのグルーシンスカヤに、あのルイに出会えなかった…!
全ツ『激情』が決まったときには本当に嬉しかったし、次はたまちゃぴコンビでいくってことだよね!?とめっちゃテンション上がったものでした。何箇所も追っかけたもんなあ、楽しかったなあ。
そして『グランドホテル』、初日を観ましたよ震えましたよ…てか『グラホ』と『AfO』は双璧だなー、どっちが作品として好きかとかちゃぴの役として好きかは、悩むなー。『グラホ』は名作だけれど再演ものだし、そもそも宝塚歌劇オリジナルではない、というのは私としては減点。でも私は実は、愛は成就したが人は死に別れる、みたいな悲劇のメロドラマが大好物で、この点は大正解。そしてちゃぴのグルーシンスカヤの素晴らしかったことよ! ちゃんと年かさの女に見えていた、けれど恋に心震わせる少女のような「ボンジュール、オムール」の愛らしさが演じられていた、そして男爵に死を与える幻の女のすごみ…! しかしてその一方で、『AfO』はオリジナルだし上手く作るのが意外に難しいと私が痛感しているラブコメで、でもこれはすごくよくできていてだからすごく評価したいのですが、一本ものなのが減点材料…ことほどさように甲乙つけがたいのです。ルイ/ルイーズみたいな役がちゃぴみたいに男役から転向した娘役にしかできない役、だとも私は思いませんしね。でもちゃぴルイのキュートさは出色だったなあ…! てか早く再演しないかな、そうして評価を固め高めていってほしい作品だわー。そういうことをきちんとやらないプロデュース力の低さは課題だぞ劇団!!
『エリザ』はおなかいっぱいだったけれどちゃぴのシシィはとてもよかったし、改めてラブストーリーとしてせつなくていいな、この役をやるのはタイトルロールだから実質主役だから嬉しいというのもあるかもしれないけれど、それより何よりヒロイン冥利に尽きるだろうなと、変な日本語ですが娘役がみんなしてこの作品をやりたがる意味がやっとわかった気がしたりしたので、そういう意味でも納得して、ちゃぴの卒業を寿げた気がします。
そして、サヨナラショーが本当に素晴らしかったですよね。ごくシンプルで、でもそれだけ、ひとりで歌だけであの大きな空間を埋められるスターになったという証で、立派でした。 髪飾りに白い花、白いドレスで「♪私はまだ何も知らない十六の乙女だけれど…」と歌うジュリエットから、年上の同性に憧れる、でもそれは確かに恋だと歌うロザリー、愛に迷い「♪わかるなら教えてよ愛がなんなのか」となかばやけっぱちに歌う人生に倦み疲れたマノン、そして妻となり母となって家族への愛と神の許しを請う歌をせつせつと聴かせるアントワネットへ…どの歌にもその情景が浮かび、泣けました。そしてセリ下がり…! 実はなかなかないことですよね!!
なかなかないと言えば続くすーさんもそうで、要するにちゃぴのお着替えタイムの捻出のためなんだけれど、いくら組長さんとはいえ娘役にこの扱いは破格だったと震撼しました。上手スッポンのセリ上がりから一曲まるまるソロ、銀橋ゆっくり渡って本舞台は下級生の二組の男女(ありちゃんと時ちゃん、おだちんとゆいちゃん。ああ、ゆいちゃんの色っぽさはマジで罪…!)を踊らせて、下手スッポンのセリ下がりまで。ないないない、普通こんなのない。組長、副組長の管理職ってものっすごく大変だと聞くし、だから慰労もかねて何年かしたら専科に移してゆっくり自分のことに専念できるようにするとも聞くけれど、そのまま専科として卒業すると下手したらひっそりご報告だけなんてとこもあるし、大劇場公演への特出で卒業したとしてもこんなショー場面が与えられることはほぼないし、組子で卒業するって大事…!とかまでいろいろ考えちゃいました、下賤ですみません。
再び現れたちゃぴは組カラーの黄色のドレスで、珠城さんとの『グラホ』は当然上演時より歌が上手くなっていて、そこにさらにまゆたんはーちゃんカゲソロでのデュエダンですよ息ぴったりでしたよ合わせなくても合ってるんですよ自然に一体になっていましたよ、たまらん…!
そして「ドリームガールズ」!
映画も大好きですが主題歌も元気が出ますよねー。原曲の歌詞としてはまんまショーガールの気概を歌っているというか、男たちに夢を見せるドリームガールズとしての私たち、というようなことを歌っているそうですが、英語で聞き流せたというのもあるけれど(^^;)そんなこたぁ全然気になりませんでした。
もちろん昨今のフェミニズム的には男性の性的搾取対象としてのみ女性が存在する、なんてことは糾弾され否定されているわけですが、それとはまた別の問題で、きちんと平等で対等で納得できているのならシスジェンダーヘテロセクシャルのマジョリティが性愛を謳歌するのは健康的で自然なことであり(というかあらゆるSOGIが健康的で自然なことなのですが、ともすれば反動的に異性愛が悪く語られすぎる面もいささかあると感じているので)、雄のクジャクが雌に羽根広げるのと同じでなんの問題もないわけで、そらいくらでも歌い上げてほしい、むしろ歌い上げるべきことなのです。
そしてそういうこととはさらに別に、誰かに夢を見させるとかそのドリームやファンタジーを演じてみせる、ということとはまったく別に、タカラジェンヌは、というか全女性は、自分の夢を夢見て進み生きるドリームガールズなのです。そういう歌なんだと思います、そうだということに今しました(笑)。
誰のためでもない、自分のための夢であり、自分のための人生です。自分の人生を、自分の夢を抱きながら生きていく。その健やかさ、強さ、まっすぐさ、けなげさを歌い上げているのだと勝手に解釈して勝手に感動したのでした。
この「ガール」という単語がまた良くてね。そりゃ我々もいい大人ですから、女性として、つまり「性」の部分もちゃんと我がこととして引き受けて、全部背負って立って初めて本当の成人ですよ。でも、それがときにかったるいこともある、わずらわしいときもある。といって性がまだ未分化な幼児の頃にはさすがに戻れない。
でも、性以前の、ぶっちゃけ初潮以前の、身体が重くなり出す前の、ただの「女の子」になら、戻れる。ここでなら、この時空でなら。そんなパワーが宝塚大劇場と東京宝塚劇場の空間には、宝塚歌劇の演目には、ある。女の子たちの歌やダンスや芝居を見て、女の子に戻れる魔法にかかれる。そのことが素晴らしい。それをひしひしと感じて、泣けて泣けて仕方がなかったのでした。
かつて花總まりにあこがれたたくさんの娘役が輩出されたように、これからは、というかすでにもう今、愛希れいかにあこがれて娘役になったという生徒さんがたくさん出るのでしょう。それくらい、時代を築き上げましたよ。それは単にトップ在任期間が長かったということだけによるものではないはずです。
そしてもっと幼い少女たちも、ちょっと前ならセーラームーン、今ならプリキュアとかがマイ・ヒロインなのかもしれませんが、ちゃぴを見られたのならそこにちゃぴは立派に加われますよね! ママが見ているDVD越しでもそのパワーは伝わると思うな(笑)。ちゃぴはそうやって、日本の、いや世界中の女の子に夢と希望と勇気とパワーを与えてくれた天使だったと思います。
ご卒業、改めておめでとうございます。今後も舞台で観られたら嬉しいです、ご活躍をお祈りしています!
うちの娘は特に真咲さんが大好きだったというのもあるかもしれませんね。
ちゃぴちゃんご卒業の日に放送されたプリキュアのタイトルが「アムールそれは」だったらしく、(たまたまその日はライビュに行くのに浮かれて録画しそびれてしまいました)プリキュアやセーラームーンとちゃぴちゃんの親和性はきっと高いですよね。歌お姉さんや体操のお姉さんもなんでもできそうだけど、大人の女性にも受け入れられる魅力もありますし、これからのご活躍も期待しちゃいます。
彼女たちが大きくなるにつれてより、ちゃびの偉大さがさらにわかったりするのでしょうね。
今のあこがれを胸に、まっすぐのびのび育って、素敵な女の子に、そして女性になっていってほしいですねえ。
そしてちゃび自身も、芸能界で活動するとなったら「女の子」「フェアリー」なだけではない、
まさしく「女性」として輝くことを求められていくと思うので、
そこはがんばっていっていただきたいです。
その姿も、見守りたいです。活動してくれるといいなあ…!
●駒子●