大国トロイアで幸せな日々を送っていた王子ガニュメデスは成人の日、太陽神アポロンにさらわれて「箱庭」と呼ばれる不思議な空間に閉じ込められてしまう…
ジャケ買いしたのですが、アタリでした。
なんてったって私はギリシア神話おたくなので。
ガニュメデスといえばゼウスにさらわれた美少年ですが、さてアポロンは絡んできたんだったっけな…このお話に出てくる神々は、ゼウス、ポセイドン、ハーデスの三兄弟にアポロンとアルテミス姉弟くらいです。
しかしオチがないのは残念だったかなー…
絵やネームのセンスはとてもとても好みで、テーマとしてもおもしろいところをついていると思ったのですが…
神は嘘がつけない。
神は死なない。
その絶対の真理、永遠、不変、退屈…
古い言葉に言われるとおり、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作り出したのです。
そしてタニス・リーが『闇の公子』でアズュラーンに気づかせたとおり、人間が神を必要としなくなることはあるかもしれないがその逆はない。神には人間が必要なのです。
だからアポロンはガニュメデスを箱庭に連れてきたのです。
しかしハーデスが言うとおり、ガニュメデスが今後もずっとこの状態に甘んじていられることはおそらくありえない。彼が人間であるがゆえに、彼はこの永遠に耐えられない。いずれ彼は狂ってハーデスのもとにいくでしょう。そして箱庭は空になり、アポロンはまたひとり残されるのです。
もしかしたら神々の中では、常に人間とともにあらざるをえないハーデスだけが、心安んじてこの永遠を楽しめるのかもしれません。
人間を知り、アルテミスを失ったアポロンは、今またガニュメデスを亡くすことで初めてそれに気づくのかもしれない。そしてゼウスはきっと変わらず、ガニュメデスのことなどすぐに忘れてしまうのでしょう。
けれどアポロンには忘れられない。アポロンが絶望に涙して終わるのか、それともハーデスに屈して終わるのか…これはそんなあたりを目指すべき物語だったのではないかなあ。
太陽が地底に沈んでついに再び現れることがなくなったとき、確かにこの世界は終わるのですから。それことが、神々の真の望みだったのかもしれないのですから…
ジャケ買いしたのですが、アタリでした。
なんてったって私はギリシア神話おたくなので。
ガニュメデスといえばゼウスにさらわれた美少年ですが、さてアポロンは絡んできたんだったっけな…このお話に出てくる神々は、ゼウス、ポセイドン、ハーデスの三兄弟にアポロンとアルテミス姉弟くらいです。
しかしオチがないのは残念だったかなー…
絵やネームのセンスはとてもとても好みで、テーマとしてもおもしろいところをついていると思ったのですが…
神は嘘がつけない。
神は死なない。
その絶対の真理、永遠、不変、退屈…
古い言葉に言われるとおり、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作り出したのです。
そしてタニス・リーが『闇の公子』でアズュラーンに気づかせたとおり、人間が神を必要としなくなることはあるかもしれないがその逆はない。神には人間が必要なのです。
だからアポロンはガニュメデスを箱庭に連れてきたのです。
しかしハーデスが言うとおり、ガニュメデスが今後もずっとこの状態に甘んじていられることはおそらくありえない。彼が人間であるがゆえに、彼はこの永遠に耐えられない。いずれ彼は狂ってハーデスのもとにいくでしょう。そして箱庭は空になり、アポロンはまたひとり残されるのです。
もしかしたら神々の中では、常に人間とともにあらざるをえないハーデスだけが、心安んじてこの永遠を楽しめるのかもしれません。
人間を知り、アルテミスを失ったアポロンは、今またガニュメデスを亡くすことで初めてそれに気づくのかもしれない。そしてゼウスはきっと変わらず、ガニュメデスのことなどすぐに忘れてしまうのでしょう。
けれどアポロンには忘れられない。アポロンが絶望に涙して終わるのか、それともハーデスに屈して終わるのか…これはそんなあたりを目指すべき物語だったのではないかなあ。
太陽が地底に沈んでついに再び現れることがなくなったとき、確かにこの世界は終わるのですから。それことが、神々の真の望みだったのかもしれないのですから…
『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』
【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』
◇不可分性
『分けられない,』
◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,』
◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する。』
【0特性】が真理であるならば, 時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根拠が【0∞1】, 有限的無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類似事的な確定であること, である。
【零的確定論】では, 一つの時間平面が, 拡がり無き【時(とき)の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を捉え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。
△無は有を含む。