駒子の備忘録

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『ラ・マンチャの男』

2010年02月23日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 帝国劇場、2008年4月15日ソワレ。

 16世紀末、セビリアの宗教裁判所の牢獄に、セルバンテス(松本幸四郎)が従僕とともに投獄されてくる。刺激に飢えていた囚人たちは新入りを小突き回し、あげくに牢名主(瑳川哲郎)が裁判をやろうと言い出す。セルバンテスは即興劇の形で申し開きを始める。彼はさして若くない田舎の郷士アロンソ・キハーナに扮し、彼が自分を「遍歴の騎士ドン・キホーテ」だと思い込み始めるところから語り始める…脚本/デール・ワッサーマン、作詞/ジョオ・ダリオン、音楽/ミッチ・リー、訳/森岩雄・高田容子、訳詞/福井峻、演出/松本幸四郎。日本初演は1969年。全1幕。

 私は以前一度1999年に観劇していて、そのときのアルドンサは鳳蘭、松たか子はアントニアでした。
 内容は覚えていないもののとにかく感動した記憶があって、松たか子がアルドンサを演じるようになってからもずっと再度観たいものだと思っていたのが、やっとチャンスがめぐってきました。

 やっぱりよかったです。泣いたのは「見果てぬ夢」ではなく、「アルドンサ」でしたが。
 考えようによってはこれを親子で演じる、というのはすごいなあ。
 もちろんアルドンサ/ドルシネアはドン・キホーテの恋人ではなく「想い姫」なのであり、敬意を払い誠意を捧げる相手だから、男女じゃなくてかまわないわけではあるんですけれどね。ある意味で娘というのは父親にとってはそういう存在ではあるのかもしれない。
 しかしアルドンサがたどる道はけっこうというかかなり過酷なので、それを娘に演じさせるのは父親としては思うところはあるかもしれません。でも松たか子はとてもとてもよかったと思います。ちょっとクセのある発声で、舞台らしくていいんだけど、松本幸四郎のナチュラルさとはでももしかしたら合いづらいのかなあ? むしろあれはキハーナの天然っぷりを出していいのかなあ?

 演出補に就いている松本紀保(この名前は「キホーテ」からきているんだそうだ!)もアントニアは演じたことがあって、それはわかるんです。彼女はキハーナの姪ですからね。
 もっとも彼女も心優しいばかりの娘ではなく、むしろいき遅れ気味の自分の縁談が叔父の発狂で流れてしまうのではないかと許婚の顔色ばかりうかがっている、エセ聖女なんですけれどね。
 今回は月影瞳。宝塚時代のちょっと鼻にかかったった声は健在で、ものがたそうででもちょっとずるそうな感じもきちんと出せていて好演だったと想います。

 床屋の駒田一も『レ・ミゼラブル』でテナルディエを観たばかりでしたが、今回も楽しいコメディ・リリーフでした。

 感動したのがカラスコ博士(福井貴一。かつて『レ・ミゼ』アンジョルラスも!)。アントニアの婚約者であり、キハーナの財産を狙っていて、常識とか世間を代表する役ですが、ただの悪役に見えてしまわない説得力がありましたし、りりしい二枚ふうなのがすばらしい。つまり彼のことを否定すればいいってことではないからです。
 フィナーレでも、アルドンサが歌い始めた「見果てぬ夢」に囚人たちが唱和して行く中、彼だけが背を向けているのです。私の席からは見えなかったのですが、もしかしたら舞台の上手ではアントニアもまた背を向けていたかもしれません。そのリアルさがすばらしいと思う。彼らを簡単に転向させていい人にしてしまわないところが。彼らの言い分も認めるところが。そうであってこそ、キハーナの言い分もまた認められるのですから。

 「あるものだけを見るのではなく、あるべき姿を夢見て、そのために戦うことが大切なのだ。それをしないことこそ本当の狂気だ」というメッセージを、ドン・キホーテの姿を借りて、キハーナが、セルバンテスが、ワッサーマンが訴えます。それは本当に正しいことだと思う。けれどそれを信じて傷つくのはいつも女なのです。
 旅籠の酒場の女として、何も考えずに生きてきた女が、尊重され、そういうものの存在を初めて知った。自分もそう生きてみようとして、でも手ひどくねじられる。もちろん彼らは彼女の魂を傷つけることはできない。彼女は変わらない。でも陵辱が傷つけるものは確かにあるのです。「あたしはアルドンサよ」と叫ぶ彼女の金切り声に身をかきむしられる想いをしない女はいないのではないでしょうか。
 でも、絶望しても、彼女はもう、何も考えないでいられたころには戻れない。家に戻されたキハーナを自ら尋ね、「あたしはドルシネアよ」と言う。それは逃避でもごまかしでもないし、「アルドンサ」を捨てたことでもない。両方とも彼女自身なのであり、彼女が成長した証なのです。キハーナが死んでも、それは残るのです。
 だからみんなが「見果てぬ夢」を歌う。しかし博士は背を向けている。そのリアルさ。でもそれはニヒルなのではなく、皮肉を利かせているのでもなく、ただ事実を提示しているだけだと思う。そういう人はいつの世にも一定数いる。減ることすらないのかもしれない。けれど増えなければいい。夢見ることの大切さを訴えてさえいければいい…そんな舞台なのではないでしょうか。いや名作だ。

 地方の中学校の修学旅行らしい団体が来ていましたが、わかるかなあ。劇中劇って舞台の舞台らしい特徴のひとつだと思うんだけれど、初心者にはわかりにくいかしらん。
 そしてアルドンサのレイプシーンはショッキングでむごく(『ウエストサイドストーリー』なんかもそうですが)、教育上問題があるかもしれない。
 私は引率の先生の心理を慮ってしまいました。でも、何かが残るといい。きっと伝わるものはあるはずだ、と思いました。

 最後に、松本幸四郎。この日のマチネが公演1100回記念ということで、大変なものですが、これからもがんばってほしいです。
 セリフは滑らか、滑らか過ぎるくらいか?とも思い、歌も微妙は微妙かも?とも思いましたが、「見果てぬ夢」はさすがにさすがでした。

 オケが舞台の両サイドにいて、最初に指揮者が中央に出てきて序曲を奏でるのも、この入れ子構造の一環という感じで、いい演出でした。
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