駒子の備忘録

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『トライアンフ・オブ・ラヴ』

2010年02月23日 | 観劇記/タイトルた行
 銀河劇場、2008年4月7日ソワレ。

 18世紀のヨーロッパ。スパルタの王女レオニード姫(朝海ひかる)は、正統な王位継承者である前王の遺児アージス(武田真治)に王冠を返そうと決意。隠遁生活を送るアージスの元へ忍んで行くが、彼を見た瞬間、一目惚れしてしまう。一方のアージスは、哲学者である叔父のエルモクラテス(藤木孝)と叔母のヘジオニー(杜けあき)に王位簒奪者への復讐心を教育され、今日まさにレオニード暗殺に旅立とうというところだった…修辞・訳詞・演出/小池修一郎、台本/ジェームズ・マグルーダー、作曲/ジェフリー・ストック、作詞/スーザン・バークンヘッド。18世紀フランスの喜劇作家マリヴォーの小説『愛の勝利』をミュージカル化した作品で、1997年ニューヨーク初演、本邦初演(ストレート・プレイ版『愛の勝利』はデヴィッド・ルヴォー演出で1999年本邦上演あり。2001年にはベルナルド・ベルトリッチ監督による映画化もあり)。

 「男装の王女が王子の愛を得るために巻き起こす騒動を描いた傑作艶笑譚」ということで、まずコムちゃんのキャスティングありき…という企画だったのではないかと推察されるのですが、そういえば私は別に宝塚歌劇団の現役時代も彼女のファンでは特になかったのであった…
 「男装」という意味では、元男役の女優を持ってくるよりもむしろ、元娘役の女優を配した方が的確なのではないでしょうか。なんと言っても彼女たちは一番近くに「男役」を見ているので、真似しやすいのではないかと。男役当人は「男装」しているのではなく「男」を演じているので、ちょっとちがうんじゃないかと思うんですよね。
 ま、別にレオニードの男装にできすぎだったとかそういうことは特になかったので、それはいいのですが。

 というか、楽曲が非常に難しく、聴いていてもフラストレーションがたまるものが多くて爽快感に欠けていた中、主にショーアップ部分を担当していたからということもありますが、最も達者で場をさらっていたのは侍女コリーヌ役の瀬戸カトリーヌだったのですが、きれいなソプラノの彼女がヒロインをやるんでもまったく問題なかったのでは?という素朴な疑問がどうしても出てきてしまうわけです。彼女がOSK出身で宝塚音楽学校の受験は三度受けて三度落ちたというのは、なんともはや。
 とにかくコムちゃんは、退団してもう丸一年が過ぎているのに、まだまだ声はあやしいと言わざるをえないと思いました。
 そういえばカリンチョさんとコムちゃんは同じ雪組出身で、間は…6、7人のトップを挟む形になるのか? これもまた奇遇と言えば奇遇ですね。

 キャストは他にアルルカン役のtekkenと、庭師ディマース役の右近健一。コリーヌ同様、脇役なのですが、メイン四人よりずっと達者ですばらしかったです。
 しかし彼らにすら、劇中劇?での衣装替えもあったというのに、ひとり王子だけが着たきり雀とはひどい。フィナーレは結婚衣裳で出てきてもよかったはずです。

 武田真治のミュージカル・デビューは『エリザベート』だったわけですが、今回はこの楽曲では歌がうまいんだかなんなんだかわかんないなー、というのが正直なところ。ただしやはりミュージカルは別に歌がすべてでもなんでもないわけで、普通のセリフの芝居がちゃんとしていれば客席は当然反応するわけです。自分だけが肖像画をもらえなかったと知って拗ねる芝居に自然に起きた客席の笑い声が、その証。もっとセリフで、純粋培養の天然王子っぷりを演出されてもよかったのになーと思いました。でもまあよかったです。

 これは、理性とか道理とか理屈とか理論とかに凝り固まった男(とハイミス)の苑に、愛と元気に満ちあふれた女の子が乗り込んでいって征服し勝利を収め、「愛と理性を調和させて幸せにやっていきましょうね」という結論に至るという、現代的な目で見ればいかにも現代的なお話なので、そういうふうな色付けをもう少しやってもよかったかなと思いました。フェミニズムを打ち出せ、というんじゃないんだけれど、観客の多くは女性なんだから、やはりそこをくすぐられればより楽しかったろうと思うのです(だからこそ、下品な下ネタはNG。おもしろくもなんともない、ただただ不快です)。
 私には当初、レオニード姫のキャラクターがまったくつかめなかったため、けっこう混乱しました。ただの世間知らずのお嬢様とか、何もできないお姫様なんかじゃなく、バイタリティあふれ機転が利く今時の女の子なんだ…ということを、せっかくのイントロシーンでもっと印象付けるとよかったと思います。単にヒラヒラのわっかのドレスを着たコムちゃんを見せるためだけに、客席通路を渡らせるんでなく。それが抑えられていたら、彼女が美青年のふりしてヘジオニーを誘惑してしまうのも、小悪魔少女のふりしてエルモクラテスを誘惑してしまうのも、納得できるのですが…
 ところで芝居を観ている限りでは、レオニードはアージスの正体を知らずに一目惚れしているようですし、自らの王位の正当性の危うさにものちほど初めて気づいているようです。それはそれでもかまわないんだけれど、では何故彼女はのこのことこの苑にやってきたんだ?という疑問は残りますね。
 実際にはもちろん彼女にはなんらの罪はなく、担ぎ出されただけで、彼女の親もおそらくは前王の兄弟だったのでしょうがそれはもうご存命ではないんでしょうかねとかいうことはまあ些細なことです。
 ギリシア神話オタクとしては、レオニダスとかアイギストスとかヘシオーネとかいうネーミングはいたくそそられるものでした。
 ところでこの劇場のアナウンスのセンスはいつもおかしいと思う。少なくとも私は毎回恥ずかしい。
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