駒子の備忘録

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『エリザベート』

2010年03月23日 | 観劇記/タイトルあ行
 帝国劇場、2008年11月6日ソワレ。

 1898年9月10日、オーストリア皇后エリザベート(この日は朝海ひかる)がルイジ・ルキーニ(高嶋政宏)という男に暗殺された。彼はイタリアの無政府主義者で、王侯貴族なら標的は誰でもよかったと嘯いていた。暗殺事件から11年後、彼は自殺したが、暗闇の中でエリザベートの人生を語り始める…脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ、音楽/シルヴェスター・リーヴァイ、演出・訳詞/小池修一郎。1992年ウィーン初演、1996年に宝塚歌劇団により日本初演、2000年に東宝版初演。

 この日は武田真治のトート初日。フランツ・ヨーゼフは鈴木綜馬、ルドルフは浦井健治(少年ルドルフは石川新太。よかった!)、ゾフィーは寿ひずる。

 宝塚版は最近では2005年のものなど、何度か観劇しているのですが、東宝版は長く未見でした。チケットが取りづらかったし、一路さんがどうも苦手だったんですよね。
 今回はタイトルロール変更ということでチケットを取ってみたのですが、歌唱力という意味では、涼風真世・山口祐一郎の回を取るべきだったかな…とちょっと思ってしまいました。
 武田真治は2006年好演からトートに扮しているし、他のミュージカルにもけっこう主演していますが、はたして歌が上手いのかというと意外に微妙だと思うんですよね。
 そしてコムちゃんは宝塚時代にも歌というよりあくまでダンスの人だった…退団後もソプラノになりきれていないのに、「私だけに」はそりゃつらいよね…
 ただ、山口祐一郎が老いてもう踊らないどころか動かないという話も聞いていて、カナメさんと武田くんじゃ年恰好が合わなく見えないか?と思ってこの組み合わせを選んでしまったのですよ…むむう…
 楽曲的にやはりいい音楽劇だと思うので、歌唱力のあるキャストで見ないとつらい、ということがよくわかる舞台でした。

 フランツ・ヨーゼフなんかは歌は朗々と上手いんだけど、心情的にはまったく伝わってこなかったなあ。宝塚版では大好きなキャラクターなんですが…何故だろう…
 ちなみに宝塚版とは楽曲が増えていたりしますが、大きな流れというか演出はほぼ変わらず、ドラマとしては同じモノのはずなんですけれどねえ。

 浦井くんのルドルフはとてもよかったと思います。そりゃ「闇が広がる」は盛り上がるはずだよなあ! イチロさんのトートと組ませるのもおもしろいんじゃないの?(^^)
 ゾフィーもすばらしかったです。

 しかしこの物語は、いつももやもやと考えさせられる気がするのですが…要するに西洋との死生観のちがいが問題なんだと思うのですが。
 逃げ道としての自殺、というのはやはり容認したくない。しかし所詮死は万人が逃れられないものでもあり、あがいてあがいて、がんばって最後まで生き抜いた人には、ほうびと受け取られることもあるのでしょう。
 エリザベートの死は、そういうものだったのではないでしょうか。
 トートは、最初はエリザベートの美貌を愛し、欲した。つまり我がものにしようとした、死へ誘いました。
 しかしエリザベートは撥ね退けた。死にたくなどなかったからです。
 フランツとの結婚生活に絶望しかけた時、死に誘惑されかけたことがありました。それでも彼女は立ち上がった。そういう彼女を見て、トートは本当に彼女を愛し始め、ただ自分のものにするために彼女を死なせようとするのではなく、彼女を幸せにするために、そして彼女に愛されるために、彼女が生きるのを見守り始めたのではないでしょうか。
 だからルドルフを失った彼女が死に救いを求めようとした時、そんな彼女は要らないとトートが言うのです。彼がルドルフに手を伸ばしたのは、エリザベートのこととは無関係だったのかもしれません。
 だからエリザベートを殺したルイージのナイフがトートのものだったとしても、トートには彼女を無理に殺すつもりはなかったはずなので、今のようにトートがナイフをルイージに手渡すのではなく、トートが落としたものをルイージが拾う、というふうにした方がいいのかもしれません。落とした時点でトートに潜在的にエリザベートを手に入れたいという欲望がなかったとは言えない、しかし積極的に手を下したかったわけではないのだ、という方が良くはないかな?
 だけどルイージは暴走してしまった。トートの意志を読み違えて、エリザベートを殺してしまった。
 死は誰にでも訪れるものであり、エリザベートの死もまたそのひとつです。彼女はただ淡々とその死を受け入れました。もう精一杯生きたから。
 そこにはトートが待っていた。もしかしたら、ちょっと申し訳なさそうな顔でもして。自分が彼女に愛されるのかまだ自信がないから、もじもじしたりなんかして。
 だから彼女は彼に微笑んであげる。待っていてくれてありがとう、遅くなってごめんなさい、私だいぶ老けたわよね、と。
 そして彼は答えるのです、そんなことはないよ、君は今でもきれいだ、今の方がずっとずっときれいだ、と…
 そしてふたりが踊る時がやっと来るのです。
 それがふたりの愛、エリザベートの死(「トート」)、なのではないのかなあ…

 なんか今のラストの演出って、中途半端でよくわからない。ただ死が勝っただけのように見えるけれど、それではトートの愛は実ったことにならないし、エリザベートが勝ったことにもならない。
 物語とはすべて愛の勝利と人間の幸福を歌わなければならないと思うのですよ。死ですら恋をした瞬間に死神という名の「人間」になるのです。愛によってしか幸せになれない存在になるのです。
 そういうことを描く物語として、きちんと成立したバージョンを、いつか必ず見てみたい。そう思って人は再演に足繁く通うのかもしれません。
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