駒子の備忘録

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宝塚歌劇月組『アリスの恋人』

2011年12月03日 | 観劇記/タイトルあ行
 日本青年館、2011年12月2日ソワレ(初日)。

 児童書の編集者アリス(愛希れいか)は仕事で失敗した上に恋人にも振られ泥酔していた。終電の時間が近づいたそのとき、どこからともなく助けを求めるような声が聞こえてきて、声の主を探して振り向いたとたん、彼女はマンホールに落ちてしまう。そして地下の不思議の国ファンタスマゴリアでは、ストーリーテラーであるルイス・キャロル(明日海りお)が赤の女王(愛風ゆめ)に披露する物語を書けないでいた…
 脚本・演出/小柳奈緒子、作曲・編曲/Elements Garden、手島恭子。ルイス・キャロル作『不思議の国のアリス』に題材を得たバウ・ラブ・アドベンチャー。

 青年館初日がマイ初日にしてマイ楽だったため、きちんと作品を捕らえきれているか心もとないのですが…
 そして楽しく観たのですが、一方でイロイロと思うところがありすぎまして、なんとも未整理でアレなのですが、しかしひとつ語ってみたいと思いす。

 イントロはたまきちのマーチ・ラビット(珠城りょう)による口上から。片耳折れが素晴らしい(^^)。
 そして物語は「昔々あるところに…」ではなく、「今、あなたも知っているその場所から」始まります。

 ところでヒロインの名前は本当に「アリス」なのでしょうか。

 友人(晴音アキ。もうひとつがんばってほしかった、緊張していたのか妙にいっぱいいっぱい感が見えた)は彼女の名を呼んだかな?
 私は赤の女王の城で彼女が叫んだ「アリス!」というのはもちろん名乗りではなく、思い起こしていた物語のタイトルを口に出しただけなのに、それを彼女の名前とされてしまった、と解釈していたのだけれど。
 ファンタスマゴリアの外での主人公の名前、というか役名は「青年」とされています。だとしたら、ヒロインもまた…と思ってここでいい言葉がないことに気づきました。
 私はプログラムに「女の子アリス」という表現があるのが気になっていて、「女の子」って言い方は今や微妙だろう、だからこそ「女子」なる言葉が今の世の中を席巻しているわけで、このヒロインは成人しているかどうかはともかく社会人であることは確かなんだから「女性」でいいんじゃないかな?とか思ったのです。
 しかし役名が「女性」というのは、ヘン、かな…「編集者」ってのも、な…
 「少年」に対しては「少女」という言葉がありますが、「青年」に対する言葉がないんですよね。
 これは少女漫画の上、レディースコミックの下の読者年齢層の漫画ジャンルを呼ぶときにも困ることなのですが…(青年漫画の上には成年漫画という言い方すらあるのに…女性漫画、って微妙ですよね。ヤングレディースというのも気持ち悪いカタカナなんだよな…)
 だったら「青年」をたとえば「チャールズ」にして、ヒロインは「リデル」ってのどう?と思ったのですが(ルイス・キャロルの本名はチャールズ・ドジスンであり、彼がお話を語った少女の名がアリス・リデルであることはオタク界ではわりとメジャーなことかと私は思っているのですがいかがか)、しかしここでもはたと気づきました。

 はたして「ここ」(第2場は正しくは「路上」)は欧米か?と。

 女性が働き、外で飲んで酔うことに対して、特別に後ろ指差されることはない、という程度の「現代」であることは、わかる。
 しかしマンホールのそばに立てかけられた「工事中」を示す看板に、文字はあったかな? 私は二階席からでもオペラグラスを使わないヤツですが、作業服のウサギが謝っている絵が描かれてはいましたよね? それにはニヤリとさせられたのだけれど、文字はなかったような気が…漢字も、アルファベットも。
 ということは、ここは東京であっても、ロンドンであっても、ソウルであっても、ニューヨークであってもいい街…ということなのでは?
 金髪にしている人間なんて今日日どこでも珍しくないわけですしね。
 そこまで考えて、名前をつけないことにするとよりいいかもしれないよ、と私が担当編集だったら作家にアドバイスすることでしょう(^^)。
 だって、「これはあなたの物語」(それ違う作品のコピー! しかもモジり)って言って差し出せるのがいいのだと思うから。「”女性の夢を叶える”場所である宝塚」の作品って、そういうものだと思いますよ。

 のっけから話が進まなくてすみません。

 そんなわけで「Welcome to Wonderland」です。
 なんといってもお衣装が素晴らしい。音楽も楽しくてとても良かったですが、オタク世代が違うのでくわしいコメントができなくてすみません。
 赤の女王の配下は赤いお衣装(『ロミジュリ』キャピュレット・メンバーのものかな?)、公爵夫人(妃鳳こころ)の紺のドレスとドードー(咲妃みゆ。とてもよかった!)の茶色い装いだけ外れていますが。
 女王陛下はティアラにツインテール、ハイウェストのミニドレス、ニーハイソックスで可愛いカワイイ! 王錫が魔女っ子ステッキにしか見えないところがたまりません。
 帽子屋(紫門ゆりや。女ったらしぶりが素晴らしい)が紫っぽく、チェシャ(貴千碧)はオレンジっぽく、ヤマネ(鳳月杏)はベージュっぽく、でもちゃんとなじんでいました。
 一方、白の女王(花瀬みずか。『バラ王』と同じになりそうで違うところが素晴らしい)とその配下のルーク(光月るう。「残念なハンサム」っぷりが素晴らしい)とポーン(琴音和葉。「ウザい」というつっこみがあってホッとした…わかってやっているアニメキャラの作り)は白いお衣装。
 そして赤の女王の従者とその部下なのにもかかわらず、ナイトメア(星条海斗)とレイブン(萌花ゆりあ。この日が誕生日でアドリブがいくつか。くの一っぷりが素晴らしい)は黒いお衣装。
 そこへ、ブルーのエプロンドレスでアリスが現れる。
 そしてルイスは…なので、グレー、とかでもよかったんじゃなかったのかな、なんて思ったりして…
 ホント細かくてすみません。
 まあでも黒と赤の衣装というのがルイスの立場を表しているとも確かに言えます。

 お話が書けなくなっているルイスに対し、アリスが編集手腕を発揮して、ルイスは続きを執筆し出し、物語は展開していきます。
 なのでⅠ幕はアリスが主人公に見えちゃったかな。
 それがまずいと思ったから、というわけでもないでしょうが、Ⅱ幕には逆にアリスの台詞や活躍がほとんどないように見えて、私にはちょっと不満でした。
 特にルイスがひとりでナイトメアと言い合っているように見えるシーンは引っかかった。そこでも助太刀できることがアリスにはあったはずだからです、編集者としても恋人としても。
 それはともかく、ルイスはお話をジョーカー(一色瑠加。楽しそうでよかった)の劇団に演じさせて、舞台は大成功!のはずが…

 ちなみにこのあたりでルイスとアリスでツンデレラブも進行しているようなのですが(アリスはまだ無自覚なのかもしれませんが)、ギミックに押されて埋没気味だったかも。
 役者が足りなくて作者が主人公を演じなくてはならなくなる、しかも少女役とのキスシーンつき、扮しているのは現実の思い人(かつ編集者、というのはここではあまり重要ではないのだけれど)。
 うろたえつつも嬉しいシチュエーションであり、ジョーカーなんかに冷やかされたりしてつっぱらかるみりおルイスというのは、担的にはタイヘンな萌えポイントだと思われるのですが…ちゃんと見えてるのかね、状況が追えているのかね、と余計な心配をしてしまいました。
 というのは、私はオタクでかつ担ではないので、このギミックあふれる舞台を楽しく観ていましたが、もっと普通の一般的なそして多くの(決して悪く言ったり見下しているのではない意味で)みりおファンは、もっと普通のシンプルなそして深い恋物語を観たかったな、と思っていたりするのではなかろうか、とまた余計な心配をしたりもしたので。
 バウはもっと舞台と客席が緊密だし、この日は青年館公演の初日でもあったので、これから練れてタイミングが良くなってくるといいな、と思いました。
 だって謎解きもミッション完遂も大事だけれど、恋の成就はもっと大事よ。それが宝塚よ、恋の過程はきちんと見せなきゃいけないわ!

 というわけでナイトメアの乱入があって、Ⅰ幕終了。
 Ⅱ幕に入って、ルイスは囚われたアリスを助けるために奔走する一方で、この世界の成り立ちと、夢の解き方をつかんでいきます。

 この不思議の国は、ルイスが見ている夢。
 もともとは、病気がちの幼い妹のために語ってみせた、架空のお話の世界。
 妹は亡くなって、物語は残ったけれど、青年は上手く現実に向き合えなくて、疲れてしまって、ついにナイトメアの誘惑に屈して溺れてしまった「永遠に覚めない夢」。
 白の女王は夢の管理者であり、「夢主」ルイスの目を覚まさせようとしています。目が覚めなければ、また夢を見ることができないから。夢の中にい続けることはすなわち、死んでいるのと同じことだから。不健全で不健康な状態だからです。

 「夢」という言葉は、睡眠中に見るものと、希望や野望や理想といったもののことと、架空の創作や物語という意味でと、混同されて使われがちで、それもあってこのあたりを説明する台詞は残念ながらかなり錯綜しわかりにくくなっていた気がします。
 特にナイトメアの長い台詞はつらかった。ナイトメアの立ち位置は特殊なもので、赤の女王との純愛(とあえて言おう! 何しろ相手は「幼女」だ!!(爆))も泣かせどころだっただけにちょっと残念でした。

 赤の女王とは青年の妹のことであり(「あめゆじゅとてちてけんじゃ」を思い出したオタクなワタシ…)、ジョーカーや帽子屋たちはみんな青年が作ったキャラクター。青年のお話の中にしか存在できません。
 でも青年が目覚めても、現実に立ち返っても、夢見る心を忘れなければこの世界は存在することになる、彼らキャラクターたちも生き続けることになるのです。
 それは夜眠って夢を見ることではない。お話を作る、という意味です。
 現実に向き合って生きても、大人になっても、物語を作らないではいられない人がいるの。それはリア充かどうかってこととはあまり関係がないの。才能とすら関係なかったりするの。業なのよ、それがオタクなのよ。
 …というのはまた別の話として、でもそんなようなことをここでアリスに言わせるとよかったと思うのですよ。

 彼女は後半、「恋する少女」ですらなくて、なんか本当にただの書き割りの「囚われの少女」になってしまっていたように私には見えてしまいましたが、ルイスを支え、ルイスとともに戦う存在になっていてほしいし、だからこそ彼も彼女を助けに来るのではないでしょうか。

 愛する赤の女王のために、彼女が望む物語を書かせるためにルイスを留めおきたいナイトメア。ルイスが目覚めてしまったらこの世界は失われてしまう、愛する女もまた…ナイトメアはそれを恐れていたのでした。
 白の女王はルイスが作った物語世界とは違う立ち位置にいる人物(?)であり、ナイトメアもまたそういった存在です。
 レイブンの餌を得るためでもあるとかなんとか言うからまたややこしくなってしまうんだけれど、白の女王が人間たちの楽しく美しい夢を管理する者なら、ナイトメアは悪夢を司り悪夢に巣食う者、人間に悪夢を見せる者、なのでしょう。
 言うなれば白の女王に対する黒の王。夢から夢へ渡り歩いて、それを悪夢に変えていくのが使命(?)のような存在なのです。
 なのに赤の女王の従者になっている。彼女を愛してしまったからです。彼は形の違うトートみたいなものなのです。
 だからルイスの夢を終わらせられなくなった。彼もまた夢に囚われてしまったのです。逆説的に、愛ゆえに。
 それを喝破するのがアリスでもよかったのでは?

 人は現実に生きてこそ夢が描ける。目が覚めても、現実に戻っても、夢見ることを忘れたりしない。ルイスはお話を書き続ける、私が書かせ続けてみせる、だって私は編集者だから!って話なんじゃないのこれは?

 イヤそんなにアリスが主人公になっちゃっていいのか、という問題はありますよ。タイトルロールは「アリスの恋人」つまりルイス青年なのですからね。そしてこれは宝塚歌劇なのですからね。
 少女漫画はヒロインが主人公ですが、宝塚歌劇は男役トップスター(出演していなければそれに準じる男役スター)が扮する男性キャラクターが主人公です。少なくとも私はそう定義している。いやホントはバウで『若草物語』とか娘役メインの舞台とかも観てみたいけどネでもそれはさておき!
 だからルイスが主人公に見えるよう仕立てなければならない。
 でも大丈夫。アリスがいなくてもルイスはお話を書けるかもしれないけれど、ルイスがいないとアリスは仕事にならないからね。ルイスの方がエラいのです(^^;)。
 厳密に言うと、どんなに才能ある作家でも周りのサポートがなければそれを発揮できないことはありえるし、編集者はひとりの作家がダメでも別の作家と仕事ができる。
 でもとにかくクリエイターあってのプロデューサーだからね。猿がいないと猿回しはただの人…というのはあまりにアレなたとえかもしれませんが、しかしすまん私の実感だ。要するにそういうことですよ。
 だからアリスにいいこと言わせて、それをちゃんとルイスに拾わせて、ふたりでこそ力は十倍にも千倍にもなって、ナイトメアに打ち勝てたのでした!とすることはできるはずだし、そうすべきだったと思うのですよね。

 夢は消えない、愛する赤の女王も消えてなくなったりしない。ナイトメアがそう信じられて、ふたりが時計台に行くことを許す。爆泣き展開だったはずなのになー。

 目覚める方法は、目覚めて一番に会いたい人の顔を思い浮かべながら、月に向かって飛び込むこと。
 夢の中のことはすべて忘れてしまうという。忘れたくない、もう一度会いたい、だって…
 ここで私だったらアリスに「あなたの本を出版したいから」とボケさせますけれどね。
 アリスが特にワーカホリックってことではなくて、でもお話の世界の浮かれたキャラクターたちと違って彼女はあくまで普通の一般社会人女性であるところがいいのであって(「私なんでこんな服着ているんでしょう?」はよかった!)、そもそものきっかけであったルイスの作品のおもしろさを忘れていない、というのがいいと思うのですよね。恋に盲目になりきれないことこそ現代女性の特徴なのでは?とも思うからです。
 それに対して、真に才能があって愛し愛されている自覚と余裕のある男は、たとえ年下だろうが学生だろうが、ニヤリと笑って彼女に言うワケですよ。
「忘れられないようにしてやるよ」
 !!!!!

 出版社で再会して。
 アリスに名前がないことにしても、出版業界なんて狭いから、青年が彼女を探し当てることはできたと思うけどな。
 だから名乗り合うところから始める、というのも素敵だったと思います。
 ルイスではなく、アリスではなく、でも夢を共有する者同士として、作家と編集者として、そして恋人同士として、今ここから、ともに歩き出す…
 きゃー、ナーコたんったらもう!ってなもんです!!(^^;)
 ちなみに「ナーコたん」とは今この瞬間に私が名づけました。とある少女漫画誌では未だに漫画家にファンシーなニックネームをつけるのをルールにしているところがあり、主に担当編集がそれを考えていることを私は知っているからです。
 みんなで呼ぼう!!(爆)

***

 というワケで、私はこんな感じで楽しく観ました。
 小柳先生の次の大劇場作品が楽しみです。
 これはバウで、こういう題材だったからな、という部分もあると思うし、『めぐり会いは再び』もちょっと特殊な例だったと思うので。
 ヒヤヒヤする部分も含めて、若い萌えセンスには可能性を感じているし、より宝塚歌劇を愛し学び続けていってくれるなら大きな戦力になると思っているからです。一介のファンのくせにエラそうな物言いですみません。
 しかし劇団の中の人が考えている以上に我々「ただのファン」は生徒と作品を我がことのように考えているのであり、愛し慈しみ応援し案じ心配し怒り狂っているワケですよ。その自覚は持ってくれホント!!

 さて、以下、ちょっとだけ自分語り。
 要するに私の本業は分野は違えど編集なのですが。
 私は仕事のときは恋愛スイッチが切れるタイプなので、担当作家と色恋沙汰とか、若いころですらなかったなー(^^;)。
 作家が異性のときは、既婚者かステディな彼女がいる人だと気が楽でした。
 うぬぼれているようですが、この人に女として求められることはないんだ、仕事だけしていればいいんだ、と思えた方が、当然ですが仕事がしやすかったからです。
 ずっと上の世代だと作家さんと結婚した編集者は多いし、後輩にも何人かいて、狭間の世代なのかもしれません。てかそもそも結婚していない。バブリーでブライトが高いんだよね(^^;)。
 でも年下男子には頼られたし告白されたりしましたよ…
「結婚を前提におつきあいしてください」
 と言われたこともある。勝手に人生初被プロポーズとカウントしていますが(^^;)、しかし当時は侮辱に感じました。
 私たちは仕事をしているのであって、そういうことをしているのではないしするつもりもない。そういう考えを持たれるのもイヤだ、と思った。
 これがまた売れてる作家なら違ったのかもしれないけれど、イヤ本当は違わないんだけど、明らかに新人さんで死ぬほどがんばってもどうにもならないかもしれないみたいなところでがんばっていたはずだったのに、そんな余裕かましていられるのかと腹が立ったし。
 売れてて才能があっても、尊敬することはあっても異性として惚れるかどうかは別問題だと思うしなー。
 でも私のこのスイッチを切る習性がもしかしたら数々のチャンスを逃してきたのだろうかと思わないこともない…
 作家とは経験ないけど同僚編集者とは恋愛しました。でもこれは要するにごく普通のよくある職場恋愛ってことだからなー。
 今は同性の作家が多い部署で仕事をしているので、また別の問題があります。
 私は要するに作家とは仕事をしたいのであって、女の子同士のトイレもツルんで行くようなべったりしたお友達になることが苦手なんですよ。てか友だちは別に作る、あなたはお仕事相手なので仕事をしましょう、と言いたいタイプ。
 もちろん仕事で会っても仕事を離れて友達になる人ってのもいますけれどね…
 とにかくどっかり頼られると疲れるんですよ…
 私はあなたのために仕事しているんじゃないのよ、読者のために仕事しているの、あなたもそうしなきゃダメなのよ、と言いたいわけです。イヤ言ってるけど。
 ただ、最近私が仕事にお疲れ気味なのは、こういう作家特有(なのか?)のワガママに疲れて、あえて管理部門を引き受けていてクリエイティビティあふれる最先端の仕事からちょっと手を引き気味なので、それがつまらなくてよくないのかもしれないな、とはこの公演を観ていて思いました。
 むむむ、がんばろう。


 しかし身も蓋もない言い方をすれば、『アリスの恋人』は、才能ある年下男子のビジネスパートナーで姉さん女房、女の人生勝ったも同然!って話ですよね。
 真理だわー、と思いますよ………

 おしまい。


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2 コメント

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この感想は面白すぎる (hanihani)
2012-06-22 14:04:25
すいません、私、いますごく忙しくて
でもエクセルの表に疲れてしまい、私がアシストしている本部長が会議に行ったのを
これ幸いとこちらをふらふらと彷徨ってます。

>>しかし身も蓋もない言い方をすれば、(後略)

いや~、言われて見たらその通り!!!
いますごく楽しい気持ちになって仕事に戻れそうです。

そうですよね、この公演1回しか観てないのですが(しかも前方の端だったから音がうるさく、
しかも限られた人しか見えなかった)
もう一度見たかったな。

私はDVDとかでなかなか集中して見れないので
本公演を生で観るだけなんですよね、
CSも入ってませんし
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駒子より (hanihaniさんへ)
2012-06-25 21:26:39
再びこちらもありがとうございます。

実は私も映像で見るのがけっこう苦手で、でも贔屓主演でなければそんなに何度もリピートしないので、いろいろつかみきれないことも多いのですが…
(まあでも作品はすべて一度見ただけで十全の理解がなされるよう作られるべきだとは思いますが)

これは、萌えたり考えさせられたり、おもしろい作品だったという記憶が残っています。

最後のぶっちゃけ真理は失礼いたしました(^^;)。
でもすべての女子が目指すべきところなんじゃないの?とはやっぱり思います(^^;)。

またお仕事に疲れたときには彷徨いに来てください。
なにしろ2001年からの観劇記がありますから…!
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