駒子の備忘録

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フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星[新訳版]』(ハヤカワ文庫全3巻)

2021年12月24日 | 乱読記/書名た行
 アトレイデス公爵は皇帝の命を受け、惑星アラキスに移封されることになる。過酷な砂漠の惑星アラキスは、抗老化作用を持つ香料メランジの宇宙唯一の産地である。宿敵ハルコンネン家に代わりそこを支配することは、表面的には公爵家に富と名誉を約束する。皇帝やハルコンネン男爵の罠だと知りつつ、公爵は息子ポールの未来のためにアラキスに乗り込むが…ヒューゴー、ネビュラ両受賞の壮大な未来叙事詩。

 映画化されたこととは無関係に、先に新訳版が発売されていた…のかな? その後、映画ビジュアルの広帯(というかほぼカバーと同じサイズだけれど)が巻かれて再度店頭に並んだようですね。それを秋くらいに買って、やっと読む順番が回ってきました。映画は未見。でももちろん小説自体は遠き若き日に読んだことがあります。それこそ中二くらいのころに(旧訳の刊行は72年とのこと)…巻末に膨大な用語解説があったことは今でもよく覚えていて、下巻の巻末にやっと出てきたときには「これコレ!」と大喜びしてしまいました。懐かしいなあ…
 ローカスのオールタイム・ベスト不動の1位、というのは正直よくわからないけれど、今読んでもとてもおもしろい、SFらしいSFだなあ、というのは本当に感じました。初読当時の私も、こんなふうに現代社会批判を込めて新世界が設定できるんだ、人間の新たな次元を考察していけて、その上でベタなエンタメが作れるものなんだ…ということにとてもときめいた記憶があります。
 ただ、今読むと、特にフェミニズム的視点について、というかそのなさについて、やはり限界を感じますね。どんなに進んでいるように思えても所詮は男性作家ですね(わざと言っています、あしからず)。すぐ言えるのは、なんでこんな今から何世紀も先の何光年も先の世界で一夫多妻みたいな婚姻制度で長男相続なんだ、ってことですよね。主人公の母親は公爵の愛妾、だが公爵には正妻がいないので主人公は嫡男であり正統な跡継ぎとされている、公爵夫妻は愛し合っていたが、彼女に公爵と結婚する資格がなかったのと、公爵が政略結婚を餌に皇帝や貴族たちに対して権謀術数を駆使する必要があったので彼女と結婚しなかっただけであって…みたいな、なんだそのメロドラマ設定、と「ケッ」ってなりましたよね。そして主人公もそれを繰り返す。アラキスの現地人フレメンの女と恋に落ち息子を持ち、でも息子を戦闘で失い、けれど女とは愛し合い続け、一方で皇帝の長女と政略結婚して皇位継承権を得たところでこの第一部が終わるのです。全編、このプリンセスが書いた主人公の伝記からの一説をエピグラフにする構成にしているというのに…! ホント大声で「ケーーーーッ」と言いたかったです。
 血をつなごうとすることは動物としての本能だから仕方ないんだ…と男性作家は言うのかもしれませんが(しかし言われなければそもそも気づきもしないんだろうな…)、そんなに動物としてしか生きられず本能が捨てられず理性が持てないというのなら宇宙進出なんかやめておけ、としか言えませんよね。その判断ができないのが人類の不幸ですよ…なのにメランジによる高速演算とか未来予想ができるようになる新人類、みたいな夢を描いている…はっきり言って不毛です。未来にも新世界にも婚姻制度はあってもいいでしょうが、家父長制から脱却しないのなら無意味だし、財産はともかく業務や役職や地位を子供に、しかも長男だけに引き継がせるシステムは百害あって一利なしと何故何万年もかけて学習しないのか…民主的な選挙という発明を何故生かさないの? そもそもあんたの妻の息子はあんたの子供とは限らないんだよ…? いちいちつっこむのにもう疲れました。
 あとは、こういうヒーローの孤独というか、「選ばれてあることの恍惚と不安のふたつ我にあり」みたいなことを描きたがるのも男性作家特有なのかもしれないな、と今回感じました。男は一応選ばれる可能性があるから、でも大多数は選ばれないからこそ、「選ばれたらどうしよう」みたいに悩む話が書けるんですよね。女は自分が選ばれる可能性がミリもないことを知っている。だからこそこういう男を描くときに「選ばれたら応える一択だろ」となるし、でもそれが苦しいことも、望んだわけではない場合がありえるのもわかっていて、そこにドラマを描こうとする気がします。たとえば『BANANA FISH』ってそういう物語だと私は思う。アッシュと英二の物語なんじゃなくて、あくまでアッシュが主人公の話なのではないかと私は考えているので。女性がヒーローを描くとき、その孤高は織り込み済みで、だからこそ周りとの関係性の物語を描こうとするんじゃないかなと思うのです。でも男はそうじゃないんだよね、もっと自分とヒーローを同一視してただ酔って描くんだよね…スフィル・ハワトもガーニー・ハレックもダンカン・アイダホもスティルガーも、ポールの親友にも右腕にも腹心の部下にもなれない、ならないんだもん。寒いよなー…
 もちろん女が女だけを産み教育するベネ・ゲセリットという組織というか団体というか…も描かれているんだけれど、そこにはこの男性作家の女性嫌悪というか女性恐怖を感じます。女を賢い女とそうでない女に勝手に分けていて、賢い女は恐怖しそうでない女は嫌悪している。チェイニーですら教母となるような存在として描かれていて、そうでない女はキャラクターとしてほぼ出てこない始末ですからね…女を人として認めていないのです。
 別に全部アリアに任せればいいだけのことだと思うんですよね、それで宇宙は救われるはずなんですよ。でもそうならないんでしょ? それもこれも男たちが愚かな政争と戦闘に明け暮れているからですよ…そこにはもちろん主人公ポールも含まれます。
 いくら優れたSFでも、そこからは脱却できていなかったのだなあ…ということがよくわかる、おもしろい再読となりました。
 ところで続きは新訳になっていないのかなあ? 旧版は重版され続けているのかな、もう普通の書店では買えないのかな。なかなかおもしろかった記憶もあるしなんせ物語としてはまだ序盤なので、もう少し読みたいけどな…惑星改造の話は科学的にもなかなかワクワクしますよね。ちょっと探してみたいと思います。











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