駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇花組『舞姫』

2023年05月13日 | 観劇記/タイトルま行
 宝塚バウホール、2023年5月5日14時半、11日15時。

 明治十八年。日本が近代国家建設に向け、欧米諸国に追いつこうと国力を養っていた時代。日本陸軍のエリート官僚・太田豊太郎(聖乃あすか)は法律を学ぶため、国費留学生としてドイツに赴くこととなる。日本国の発展に貢献するという大きな役目を負った豊太郎は、母・倫(美風舞良)、妹・清(詩希すみれ)、そして親友の相沢謙吉(帆純まひろ)に見送られ、大海原の彼方へと旅立つ。ヨーロッパ大陸に足を踏み入れた豊太郎は、日本にはない西欧の「自由と美」の精神に触れて感動を覚えるが…
 原作/森鴎外、脚本・演出/植田景子、作曲・編曲/甲斐正人、振付/御織ゆみ乃、若央りさ。2007年花組初演の、ショルダータイトル「Musical」の再演。全二幕。

 初演は生では観ていなくて、スカステで見て「スミカ、怖ろしい子…!」となった記憶はあります。まあ事実が元とはいえ男の男による男のための、ぶっちゃけどーしよーもない小説を(おそらく読んだことがないのに、イメージだけでこうも悪し様に言ってすみません…)景子先生がまあまあ上手く舞台に仕立てていて、景子先生はバウには佳作が多いよなーなどと思ったように思います。再演の報にも、ほのかちゃんは初バウ主演品が、ちょっとなんというか、本人の役者やスターとしての幅を広げたりファンを増やしたりする効果はなかったんじゃないかなーと思えるものだっただけに、スタンダードでクラシカルで、冒険的ワクテカはないかもしれないけどしっくり似合いそうでいいんじゃなーい?と思った覚えがあります。私はあわちゃんが好きなので、ヒロインに決まったのも嬉しかったですしね。 
 でも、バウホールでは…二回とも真ん中くらいの列のほぼ真ん中の、全体をたいへん観やすいお席をいただいたのですが…だからすごく客観的に観てしまった、ということもないと思うのですが、なんか…つまらなかったとか退屈した、というのとは違うと思うんですけれど、とにかくなんか全然ピンとこなかったのでした。なんでだろう…? 自分でも、よくわかりません。
 二幕の天方大臣(一樹千尋)と再会してから以降くらいは、ドラマチックでおおおぉ、とのめり込んで観たのですけれど…なので一番感動したのが「ホッティーすごい!」みたいな、ね…下級生時代は歌に難があると思われていてそんなに役付きが良くなかった印象で、『カサノヴァ』で新公滑り込み主演をしたときも私は歌をものすごく心配して観に行った記憶があるのですが、このときは意外とそつなくこなしていて感心し、以後は貴重な上級生スターとしてポジションアップしてきていて一安心し、しかしここに来て「下級生主演作の上級生2番手としてきっちりがっちり仕事して爪痕残す!」みたいなことをやってのけるとはまさか思っていなかったので、失礼ながら私はほとんど感動してしまったのでした。てか芳さん(侑輝大弥)が2番手の作品なのかとなんとなく思っていましたが、違ったんですね…初演はここがミツルで相沢はまっつでしたっけ? 
 正直、私が作品にのめり込めないのは豊さんという人がよくわからないから好きでも嫌いでもなくて、そのせいなのかな、とかは考えたんですよね。でもそれでいうと相沢さんのことだってよくわからないし、別に好きでも嫌いでもないんです。彼は「主役のために親身に奔走してくれる親友役」なだけであって、キャラクターとしての個性や魅力が特にあるわけではない役だからです。
 豊にそうしたキャラクターがないのは、主役として作品の求心力に欠けることになるので、あまり良くないことだと思います。まあ大半の観客はほのかが白軍服着て出てくるだけで好きになって応援しちゃうんでしょうけど、本当は役の魅力をもっと作るべきじゃないですか、作品として。若くして家長になり、家族からも周囲からも頼られ期待され、実際に優秀でその任を果たし、ホントはちょっと窮屈に思っているけどそれは言えなくて、それが外国に出たら解放されて…というのは状況というか状態なのであって、それで現れた「本当の豊太郎」みたいなものはよく見えないままに、ただ優しくしたエリス(美羽愛)と親しくなって恋に落ちて…ってなんですよね。彼の個性や特徴ゆえの、これは特別な恋なのだ…!みたいなものが、ない。なので単に若いふたりがふとしたきっかけで出会って恋に落ちて、ってだけであたりまえすぎて、もっとこのふたりだからこその…!みたいな結びつきが感じられず盛り上がらず、で、結末を知っているというのもあるかもしれませんが、まあ別れるよねー、ってなっちゃって、私は全然心揺さぶられなかったし萌えられなかったのでした。
 それからすると、相沢さんもそんな親友というポジションだけの役で、どんな性格のどんな人間で豊さんとこれまでどんな友情を築いてきてどんな楽しいエピソードがあって…みたいな面は全然ないわけで、やっていることも上司が頭ごなしにした命令と同じことをただ噛み砕いて優しく説得しているだけにすぎないわけです。だからここも、たとえばエリスより彼の方が豊を愛していたんだよ!みたいな(これは極端な例ですが)ふうに萌えられるわけではない。でもなんか、そういう萌えがなくても、それこそホッティー自身の、決して超絶上手いというんじゃなくても真心と誠意のこもった親身な歌と芝居が、すごくこちらの胸を打ってきたのでした。豊に対して、エリスに対して、そして病院でのふたりに対して…
 だから、このくだりはものすごくおもしろかった。そして美しいラストシーンと、ちょっと変わったカーテンコールとがあって、まあ満足して見終えたんですけれど、でもじゃあなんだったんだろう、何故全編萌え萌えで観られなかったんだろう…と自分でちょっと呆然としてしまったくらいに、その前の場面までは観ていて全然心が動かなかったのでした。
 思えばエリスもヒロインとして、キャラクターとして弱かったのではないでしょうか。だいたいこういうお話はヒロインに感情移入して観た方がおもしろいに決まっているので。でもエリス、なんか特徴がないんですよね…事実や原作はよく知らないのですが、初演はもっとハナからエキセントリックなところがある、そういう点が危うげでも愛しげでもある、というようなヒロイン像じゃありませんでしたっけ? だから想像妊娠もしちゃうし絶望で発狂もしちゃう、それを若きスミカ・北島マヤが絶品の演技力でやってのけて見せた、そういう作品だったんじゃないのかなあ? 何故そういう危うさをなくし、実際に妊娠しかつ流産したことに変更したのでしょうか…妊娠も流産も、豊さんの男を下げさせるだけだし、それでも捨てて去るというのかおまえ…!ってなっちゃいます。同時に、胎児といえど人ひとりの命をそんな簡単に扱っていいのか景子よ…とも言いたくなるわけです(もちろんすべての女性に理由のいかんを問わず中絶を選択する権利があるべきだと私は考えています。女の身体は女のもので、こんな自明なことを未だうだうだ議論しているこんな国ホント捨ててやりたい、と絶望的な気持ちになること昨今たびたびすぎます)。
 あわちゃんは可愛かったけれど、そしてあえての、どこにでもいるごく普通の少女、ということにしたのかもしれないけれど、それだとやっぱり「まあ別れるよねー」ってなっちゃうじゃないですか、再三言いますが。当時でも今でも、若いころの恋がそのまままっとうされることはほぼないし、まして当時のこの状況で、周りは双方「踊り子風情が」「日本人なんかと」と差別し合ってて当人の内面をきちんと見る、ということができないでいて、でもその当人たちもなんかぼやんとした人間同士でたまたま知り合ってくっついて熱くなってるだけなんでしょ、そんなの運命の恋でも究極の恋でもないよ、人生や世界にはもっと大切なことがあるんだよ…ってこっちもつい思ってしまうんですよ。息子を諫めるために自害までした母、縁談もなくなり活計の道もなくそれこそあとは身を売るしかないような状態に放置されている妹を、捨てる権利があるのかはたして豊さんに?って考えちゃいますよね。愛か国家か、ならまあ悩んでもいいけど(家族、故郷、祖国と国家は厳密には全然違うので本当はいろいろアレですが)、それよりむしろエリスか清か、という問題になっちゃってるんですよ本当は。女も人間だ、自分の足で立て、なんて言えない時代なので、男の豊さんが背負うしかないのです、恋人(ないし妻)も、妹も。豊さんには、せめて妹は嫁に出して別の男に責務を肩代わりさせる責任があるわけです、生まれながらの家族からは逃れられないので(イヤここも毒親問題などあるので本当はアレですが、まあそれこそ当時のことなので)。だからエリスに子供ができちゃうと、流産しようとなんだろうとそれはもう家族なので(婚姻の有無はこの場合関係がなく、むしろ命の問題だと思う)、それだとエリスと清は本当にイーブンになってしまう。だから豊さんの今回の選択は正しいものではなくなってしまうのですが、やはりこれは作劇として失敗しているのではないでしょうか。
 だからラスト、青木くん(美空真瑠。ホットワイン売りといい、これまたいい爪痕を残していましたねー)がアドバイスを、とか言ってきたときに、「豊さん、まずは、現地の女に手を出すな、と言え。話はそれからだ」って気になっちゃったんですよね…いやホントすんません。でもそうじゃん、女の側からしたらホントたまったもんじゃないわけでさ…ローザ(万里柚美)は正しいし、嘆き喚こうともいうものよのぉ、と思っちゃうわけです。
 なんかもう、展開がしんどいというかけったくそ悪いのはそういう話なのでもうしょうがないので、それでもそこにきらりと光る真実の恋が、想いがあったのだ…みたいなのが欲しかったのですよ私は、多分。でもなんかそういうものが見えないうちに一幕がカッコよく終わり、二幕も途中までなんかよくわからないままに進み、それで私はなんかちょっとよそごとなど考えつつ舞台を眺めてしまったのでしょう…
 すみません、あくまで個人の感想です。萌え萌えで観て涙、涙で大感動だった方には申し訳ございません。

 さてしかし、ほのかちゃんはそりゃ凜々しく美しく水も滴るいい男っぷりで、素敵ではありました。歌はそろそろもう少し聞かせられるようになるといいよね、という気がしましたが…「岩井くん」とかさ、同輩をくん付けで呼んでるのとか、妙に可愛くて単に当時の風俗といえど、そこはキュンとしました。
 あわちゃんも可愛いしよかったですが、なんかもっと濃い役でがっつり芝居するのが見たいな、とか思ったりしました。別にヒロイン役者じゃないとかいう意味ではなくて、でもなんか、もしかして役不足なのかなーと感じたので。
 梅芸でキョンちゃんに感心したように、こちらではまいこつに感心しました。こういう悪役がきちんと立たないとね! たおしゅんの嫌みな美貌の生かし方も良きでした。
 「岩井くん」は泉まいら。まあまあ上級生ですがこんなに大きいお役はお初なのでは…笑いもきっちり取って、とてもちゃんとしていました。ミリィはみょんちゃん、歌の人の印象でお芝居はまあフツーかなあ…だいやはきっちり仕事をしていたと思いました。詩希すみれちゃんもまあ役割しっかり務めました、という感じだったかなあ。
殉情』ではもの足りなく感じた二葉ゆゆが綺麗にしてきて台詞も良くて、いい経験が積めたのかなと思いました。琴美くららや稀奈ゆいも顔の見せ方がわかってきた感じ。みさこちゃんはホント可愛くてすぐ識別できるんだけど、あんなちょっとの芝居でもやはり棒に感じました…『うたかた』新公を経て七彩はづきの顔もわかるようになり、なのでほぼニコイチみたいな出番の真澄ゆかりと静乃めぐみもわかって、娘役ファンとしては満足です。

 カテコというか、一度幕が下りたあとに再度幕が上がると役者はそのままのポーズでいて、そのあと役から降りて微笑み合って抱き合って、レベランスして終わり、パレードへ…という流れでした。あわちゃんのデュエダンが見たかったなー! それはともかく、私はこのパターンの「役者が役を降りる瞬間を見せる演出」を毛嫌いしているのですが、今回はライトが横から当たって表情が見えないようになっていたので、まだ大丈夫でした。微笑み合って抱き合う部分が、尺があればデュエダンで表現される天国エンドというか本当ならこうなってほしかったハッピーエンド、みたいなターンだったんだな、と思うので、納得です。

 初日は奇しくも憲法記念日でした。豊さんが発布に協力したのは大日本帝国憲法で、そこからさらにいろいろあって生まれた今の日本国憲法は、まさに世界に誇るべきものです。でもまだその理念をこの国は残念ながら全然まっとうできていません。なのに、憲法を遵守すべき政府が率先してしょーもない改憲をしようとしている現状がホント情けなくて、ごめんね豊さん、せっかくエリスを捨ててまで帰国して尽力してくれたのに、未だこのざまですよ…と泣きたくなります。恨みに思った豊さんが化けて出ないよう、我々はさらにがんばらないといけないのだな…などと、考えたりしました。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『エリザベス・アーデンvs.... | トップ | 劇団四季『クレイジー・フォ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

観劇記/タイトルま行」カテゴリの最新記事