駒子の備忘録

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『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』

2023年09月02日 | 観劇記/タイトルま行
 帝国劇場、2023年7月15日13時、8月30日18時(前楽)。

 1899年、パリ。退廃の美と豪華絢爛なショー、ボヘミアンや貴族、遊び人やごろつきたちの世界。ナイトクラブ「ムーラン・ルージュ」の花形スター・サティーンと、彼女との恋に苦悩するアメリカ人作曲家クリスチャンの物語。ふたりは激しい恋に落ちるが、クラブのオーナー兼興行主ハロルド・ジドラーの手引きでサティーンのパトロンになったモンロス公爵がふたりの仲を引き裂き…
 脚本/ジョン・ローガン、演出/アレックス・ティンバース、振付/ソニア・タイエ、ミュージカル・スーパーバイザー、オーケストレーション、編曲、追加作詞/ジャスティン・レヴィーン、装置デザイン/デレク・マクレーン、衣裳デザイン/キャサリン・ズーパー。日本語版台本/瀬戸山美咲、演出スーパーバイザー/上田一豪。バズ・ラーマンの同名映画の舞台化で、2019年ブロードウェイ初演。ウエストエンド、北米ツアー、ケルン、ソウルなどで上演された公演の日本初演。

 マイ初日はサティーン平原綾香、クリスチャン井上芳雄、ジドラー松村雄基、サンティアゴ中河内雅貴、ニニ加賀楓、ベイビードール大音智海で観ました。マイ楽はサティーン望海風斗、クリスチャン甲斐翔真、ジドラー橋本さとし、サンティアゴ中井智彦、ニニ藤森蓮華、ベイビードールはシュート・チェン。ロートレックはどちらも上川一哉、公爵は伊礼彼方で、ダブルキャストのもう一方が観られませんでした。
 マイ初日は1階まあまあ前方の上手端で、もう3席向こうが壁という、手数料その他いろいろあって1万8千円近く払ってるのに一部が立派に見切れる象に近いだけの席で、ヨシオの姿が見えず歌声だけが聞こえる謎の1分ほどがあったりして、作品そのものもなんというか把握しきれずノリきれないまま、なんだかなーなうちに終わりました。
 マイ楽は同じくらいの列の下手サブセンで見切れはまったくなく、前楽で客席が温まり歓声がバンバン飛ぶのは私にはうるさく思えましたが、舞台機構トラブルによる15分ほどの中断があったせいもあってか再開後は空気が落ち着き、集中して観られました。やっと台詞や歌詞が聞こえて意味がわかって、ドラマが立ち上がってくるのを観られた気がしました。
 あーやはライブでだいもんはミュージカル、と言っていた方がいましたが、そういうことなのかも。そのあたりは私も多少予想していて、それでこの組み合わせでチケットを手配したのですが、チケットを融通してくれただいもんファンのお友達によれば意外やあーやしょーまの組み合わせが歌、芝居ともよかったとのこと。なるほど、わからないものですねえ…でも私はこの形で観てよかったです。好みの差もあるでしょうしね。『イザボー』もこの主演コンビだし、毎度メンツが似すぎているのはやや気になりますが、楽しみです。
 あーやは素晴らしきディーヴァでしたが、私にはやはり見た目、つまりスタイルがもの足りなくて、そしてしょーまはなんせ若いのがいいのよ、クリスチャンはやっぱ若くないとダメだと思うので、それでこの組み合わせがベストに私には思えたのです…! いやホントはあーやしょーまも、だいもんヨシオもちゃんと観て語らないとダメだとは思うんですけれどね。
 でも、ブロードウェイ版がどんな感じかはよく知りませんが、映画よりブラッシュアップされているというか、深められている部分があるのがいいなと思いました。もちろん映像でしかできないことというものはあって、でも上手く舞台の魔法に変換できているところもあるし、劇場の客席がそのままクラブの客席になる感覚は映画館ではちょっと演出が難しいかなと思うのです。
 何よりこれはそもそもは『椿姫』なんだろうと思うんだけれど、そこからの変換の意味が舞台版ではより際立っていたのではないでしょうか。
 高級娼婦は、別に置屋の心配なんかしないじゃないですか。でもサティーンは、クラブ全体を愛している。自分がトップスターだけれど、バックダンサーもコーラスもバンドマンも、フロアのギャルソンや裏方のスタッフまで、全部を愛しているのです。全員で作っている夢の世界を愛している、そういうショースターなのです。けれど客入りが落ちているのか、かつて無茶な興行を打ち過ぎたのか借金が嵩んでいて資金繰りが厳しく、今にもつぶれそうで、それでビッグなパトロン、スポンサーが欲しい。だから一肌脱ぐ、そういう選択をする、そま選択ができるショースターです。
 まだまだ盛りの、決して盛りを過ぎてはいない、しかしもはやピチピチのぽっと出ではない、その意味で決して若くはない、しかも病に冒されている身体を抱えて、サティーンは自分にできることを見据えています。そこに、若さと未来と可能性しかないクリスチャンが現れた…映画版のふたりの俳優はぶっちゃけ年齢が不詳だし、キャラとしての年齢設定も微妙です。でもこの舞台版は、サティーンは明らかにアラサーかアラフォーで、クリスチャンはまさか10代ではないだろうけれど成人したばかりくらいの、なんの実績もない、才能はあるんだろうけれどまだ誰にも認めてもらえていない、そんな若僧なのです。役者の実年齢にはそこまで差はないのかもしれませんが、そういう芝居ができている。そこがいい、と思うのです(そしてヨシオは若作りも上手い…でもやっぱ限界あるやろ、ってんで私はしょーまに軍配を上げるのです)。
 ひょんなことから公爵と間違えて、でもただの文無しの小僧だと判明して、でも歌われる歌に耳はふさげないし、そうしたらそれが素敵な曲でちょっと才気を感じさせて、さらにその甘いラブソングの甘ったるい歌詞を本気で信じて朗々と歌っている様子に惹かれてしまい、そのキラキラさ加減に当てられて、恋に落ちてしまう…わかるよサティーン! そういうことってあるよ! ともうキュンキュンしました。
 でも大人の事情があるから、公爵の歓心は買わなければならない。必要があれば身体も差し出す。今までもさんざんしてきたことで、そもそもサティーンはそうやって13歳のころから身体を売って路上生活から這い上がってきたのであり、でももはやもう二度と路上には戻れない、戻りたくない、仲間たちみんなで作り上げているこの夢のクラブを失いたくない、だから公爵は逃がさない。新作を打つ資金が必要で、それでクリスチャンの音楽を世に出し彼の才能を認めさせ彼を羽ばたかせたい…それがサティーンの愛なのです。
 それはクリスチャンもわかってはいるんだよね。でも若いから、なんならお子ちゃまだから、辛抱が効かないし、ドタバタ騒いでしまう。それはサティーンを苦しめるだけなのに。でもどうしようもない、我慢できない。それがクリスチャンの愛なのです。
 そして公爵もまた、彼のやり方で、ではありますが、サティーンを愛していたのでしょう。お金は大事です。この世にはお金で買えないものももちろんあるけれと、お金で買えるものはたーっくさんあるし、お金持ちはお金を遣ってなんぼです。何を要求しようとそれは彼の権利です、そういう契約を結んだのですから。
 ハロルドはプライドを大事にしてもいいことはない、と選択したのでしょう。彼は結局のところプロデューサー、興行師であって、それはクリエイティビティがない職業だとは言わないけれど、もっと現実に即した職種ではあるのでしょう。プライドにこだわらないだけの大人だとも、もう疲れてしまったのだとも言える。でもロートレックにはブライドが捨てられません。彼は画家で劇作家で、真の芸術家だからです。ボヘミアンと呼ばれること、お金に左右されないことに誇りを持っている。でもそれで公爵と正面から喧嘩してもいいことはひとつもないわけで、だから結局はハロルドやサティーンが間に入ることになる…そのフラストレーション、緊張の高まり…劇中劇といい、それに対する公爵の苛立ちといい、映画よりぐっと奥行きがあるドラマになっていたと思います。せつない、しんどい、たまらん…! 嘘の愛想尽かし、大好物…!!(ヒドい)
 まあ、言ってしまえばこれもまた物語のために女が死ぬ話ではあるのですが、でも、その形でしか描けないドラマというものはあるわけだから…サティーンの亡骸が運ばれ、クリスチャンが絞り出すように「命ある限り愛し続ける」みたいなことをリフレインで歌うのに重なるように、フィンガースナップが鳴り次のショーが始まる。「Show Must Go On」だからです。愛する人が亡くなっても、世界は終わらない。その残酷さ、そこにこそ生まれる永遠の輪廻、宿業のドラマ…それこそが人生だ、そういうものを描いた作品なのだ、と私は心底感動し、鮮やかな幕切れに気持ちよく拍手したのでした。
 ロートレックはサティーンを愛していて、けれどふたりは恋仲にはならず、でも本当に良き友人同士だったところや、サティーンとハロルドのバディ感、ビジネス・パートナー感なんかもとても素敵でした。ニニがサティーンをただライバル視するんじゃないところ、さりとて親友同士でもないところ、なんかもいい。人と人にはいろいろな関係があり、その多彩さが描けていて、オトナで、豊かな作品でした。それで言えばクリスチャンなんてホントただの小僧で、色恋パートのごくわずかな部分を負っているだけにすぎない。それが何かもっと大きな、豊かなものになるためにはもっと時間が要ったのだけれど、それはふたりには、サティーンには許されていなかったのでした。人は誰しも死ぬし、若くして病に倒れる人も少なくない。それがサティーンだったことは本当に不幸なことだけれど、仲間たちと築いた夢の世界を残せて、愛した若者の才を世に出せて、彼女は幸せに死んでいけたと言えるでしょう。残された者は、つらいけれど、また明日を生きていくしかない。いつかこの想いを作品に仕立て、そしてまた次の作品に取りかかっていかなければならない。それが芸術家の宿業です。そうして人生は続いていく…
 ライブもかくやなショーアップ場面もありましたし、手拍子や歓声その他きっちり盛り上がりましたけれど、やはりこうした物語の部分こそが観客のハートに響くのではないかしらん…
 それでもやはり高くない!?と思う私は、いろいろとのぞみすぎな贅沢者なのかもしれませんが、これからもいろいろたくさん観てはいろいろ言って要求し続けたいと思っています。それも観客の権利であり義務でしょう。作品を、劇場を育てたい。人間を、この世をより豊かにし、幸せにしたい。生きているから。死んでしまった人の分も…そんなことを思うのでした。
 というわけでだいもんはそこまでおばちゃんっぽくは見えないんだけれど、そして宝塚時代はそこまでスタイルがいいというタイプのスターではなかったと思うんだけれど、外部でヒロインをやるとやはり見た目が素敵なのでそれだけで観やすく、感情移入しやすく、そして歌もダンスも芝居ももちろんさすがなので、満足なのでした。
 声だけならそりゃヨシオのほうがホントええ声かなと思うんだけれど、しょーまのナチュラルさは役に合っていてホントよかったと思いました。ホントいいミュージカル・スターになってきましたよね。
 ハロルドは圧倒的にさとっさんがよかったなあ。サンティアゴ、ニニはわりとタイプが違ってどちらも好きだったかも。ベイビードールは大音くんがなんせでっかくてよかったです。ここは男性の女装感があった方がいいんだろうと思ったので。というかアンサンブルのダンサーがみんなホントカッコよかったですよね…!
 映画とはけっこう曲の変更がありましたが、やはり有名な、知られた曲ばかりで楽しかったです。訳詞は…まあ、好みかな。私はやはりもとの歌詞の母音をせめて尊重する役の方が好きなので、「♪愛してる」はやはり違和感が大きかったです…でも他にいい言葉が思いつかないのも事実です。翻訳家ではなくアーティストに訳詞を依頼する、というのは企画としておもしろいなと思いました。
 最終的には完売して、ハナから決まっていたんだろうけど再演も発表されて、よかったです。物語は普遍的なものだし、私の知人では映画を見たことがなくて舞台を観た、という人もかなりいたので、もうそういう時代なんでしょうし、5大都市くらいでは順次やれるといいし、内容的にも『ハリバタ』よりロングラン向きなんじゃないかと思います。そしてオリジナル・キャストが尊重されつつも、もっと広くいろんなミュージカル俳優さんたちがキャスティングされていくといいな、と思いました。なんかこう、メジャーどころって20人くらいで回していない?みたいな感じがちょっとなんだかなー、だと最近とみに思うので。まあ冒険したくない、という心理は興行側も観客側も持ちがちなんでしょうけれどね、なんせ不景気ですからね…なんで減税しないんでしょうね本邦、ホントみんな選挙行って政権交代させようね! 話はそれからだ!!
 そういえばインスタのストーリーズに「エビバデカンカン!」と上げてしまったのですが、正しくは「みんなでカンカン』でしたね…イヤやっぱダサくない…?(^^;)








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