駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇専科・月組・宙組『オイディプス王』

2015年08月19日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚バウホール、2015年8月17日ソワレ。

 古代ギリシャ・コリントスの王子オイディプス(轟悠)は自ら授かった「父を殺し、母を娶るであろう」との予言の実現を避けるために放浪の旅に出、テーバイ国で怪物スフィンクスを追い払い、請われてテーバイの王になる。前王の妃イオカステ(凪七瑠海)を妻に迎え幸せな日々を送るが、やがて国を襲った疫病災厄から国を救うため神託を乞い、「前王ライオスを殺した犯人を罰せよ」とのお告げに従って犯人を探るが…
 原作/ソフォクレス、脚色・演出/小柳奈穂子、作曲・編曲/手島恭子。全一幕。

 私は宝塚歌劇はトップトリオの三角関係のラブロマンス・エンターテインメントを上演してほしい派なのですが、バウなどの小公演は必ずしもそうでなくてもいいと思っていますし、まして専科公演なのですから様々なチャレンジがあってしかるべきだと思っていて、なかなか楽しみに出かけました。
 戯曲をきちんと読んだことはなく、外部の舞台なども観たことはありませんでしたが、ギリシア神話としてお話は知っていましたし、難しい題材だけどさてどうするのだろう、と期待していました。
 据え置きみたいなセットで、歌はありますがストレートプレイのような台詞の多い作りで、好みでした。
 少し前にNHKの「100分de名著」でちょうど取り上げられていて見ていたのですが、続編のオチを綺麗に忘れていたこともあり、どう締めるんだろう、と興味を持って見守りました。
 このラストが明るいものなのか、希望や光を見ていいものなのかはけっこう微妙だと思います。列聖されたからって報われたことにはならなくない?みたいな。そもそもオイディプス自身には罪はないのだから、そもそも罰がひどすぎるという気もしてしまうのです。彼に罪があるとすればそれは真実を知ろうと真剣になりすぎたことかもしれないけれど、そしてそれは確かに愚かなことであったかもしれないけれど、でもだからってこんな過酷な運命を負わされこれほどの罰を一身に引き受けるほどのものだろうか…と私は思うので。
 でも当時のギリシアにおいては、神というものは、というか世界というものは、冷酷で厳格で理不尽であり、決して優しいものではなかったのだろうな…とも思うのでした。それは、八百万の神々に見守られてうっすら感謝は捧げつつも特定の宗教として崇めたりはなかなかしないような、ゆるい宗教観しか持たない現代日本人には、なかなかわかりづらい感覚なのかもしれません。
 でも確かにこの世には人智を超えた何かがあり、それは神とか運命とか宿命とか呼ばれるものなのかもしれず、だからこそこの物語は今もなお人々の心に響き、世界中で繰り返し上演され続けているのでしょう。
 そのある種のファンタジーを表現するのに、やはり「宝塚歌劇」というフィルターは適しているのだろうなあ、と思いました。
 主人公はオイディプスであるとされ、彼が父を殺し母を娶ってしまうことになる悲劇を描いている物語ですが、女の目からしたらこれは息子に夫を殺され息子の妻になったイオカステの悲劇の物語だろうと思えます。そう考えるとき、生身の男優がオイディプスを演じて苦悩していたりすると私は「けっ」とか言いそうなので、男役のオイディプスで見られてよかったな、と思ったのです。
 そのあたりが上手く作用して、最終的には一傍観者として、テーバイ市民のためにこの結末をよかったねという想いで私は見届けられたのでした。

 素晴らしいと感じたのはやはりカチャのイオカステ。カチャの声ってちょっと不思議で独特で、男役としては正直微妙な気がしなくもないと私は思うのですが(ちなみに私はヘン声好きですが、残念ながらカチャは守備範囲ではナイ)、女役でかつこういう世界観で芝居をするととてもハマる色音を持っている。素敵でした。
 先王の妻で現王の王妃、王と同じ権力を持ち、神に祈りを捧げ、民を愛し、しかし実は神託などにあまり重きを置いていない、自由でしなやかで現実的な女。すごく存在感がありましたし、でも清潔感と品格があり、かつとにかく美しい。年齢不詳っぷりといい、古代ギリシアの話なんだけれど神々に片足突っ込んでるような浮き世離れ感もあって、見惚れました。
 それからコマの羊飼いがよかった。ただの老人、みたいな感じではなく、ちゃんとキャラクターが見えました。さすがだと思いました。
 もちろんるうちゃんやすーちゃんがものすごくいい仕事をしていて、ナガさんが大事な台詞を噛んで言い直したときにはヒヤリとしましたがやはり頼もしく、はっちさんもまりんさんもすごい。要するにどこを見てもすごい。
 そしてクレオン(華形ひかる)がみつるでよかったな、と思いました。髭がないので若く見える、というのもあるけれど、義兄である王と姉である王妃と同等の権力を持ちながら、王位など望まず、気ままに暮らす自由を愛する明るい青年、というキャラクターをさわやかに演じていてくれて。だからこそ彼がこののちのテーバイ王位を継ぐのだろうとなっても、この国は大丈夫、彼がきっと確かに治めてくれる、と思える。市民のために、よかったね、と思えたのでした。

 コロスの研1さんたちも、なかなか大変な舞台だったでしょうが、いい勉強になったことでしょう。今後に生かされるといいなあ。
 なーこたんもなかなか奥深い演出家ですよね。やはりショーが見てみたいし、完全オリジナルの脚本での新作も見てみたいです。






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