駒子の備忘録

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カーリン・アルヴテーゲン『影』(小学館文庫)

2015年10月06日 | 乱読記/書名か行
 ノーベル賞作家である父アクセル・ラグナーフェルトは脳疾患で全身麻痺になり施設に入っている。息子ヤン=エリックはその威光で尊敬を集めて生活しているが、家庭は崩壊し浮気三昧の日々だった。物語は高齢で死んだ老女の身元確認から始まる。彼女はかつてラグナ―フェルト家の家政婦をしていた。葬儀のために捜し物をすることになったヤン=エリックは、事故死と聞かされていた妹の死因に不審を抱く。やがて彼は、高潔なはずの父が何かをひた隠しにしていたことを知り…人はここまで堕ちることができるのか、生きることの絶望と希望に迫る問題作。

 縁あってこの作家の本をずっと読み進めているのですが、基本的にはちょっと神経症的というか、生きづらそうな人たちが生きづらそうにしているさまを描いた作品が多く、すごくハートフルだとかニヒルだとか社会派だとかいうこともなく、決してドラマチックではなくむしろ淡々としすぎているくらいでちょっともったいないような、変わった作風の人です。
 『バタフライ・エフェクト』なんかもそうでしたが、この作品も、ひとつの事件のいろんな側面をそれぞれから描いていって、最初はどこのパーツかよくわからないんだけどだんだんつながっていって最後に全体像が把握できて「ああ!」となるタイプの構造なのですが、どちらもこの肝心の「ああ!」の部分がとても弱く、カタルシスが得にくいのが最大の弱点なのではないかと思います。
 私はミステリーとかもきちんと推理して自分でも犯人捜しをしながら読むタイプではなく、流されるままになんとなく読んでいって、探偵役が「犯人はあなただ!」とかなると素直にええっそうだったのと驚いて、そこからの種明かしというか証拠固めのくだりとかをねちねち読んでああそうだったのか、と満足して読み終える…という読書をするので(^^;)、その確認場面というかおさらい場面が欲しいんですよ。
 でもこの著者の作品にはほとんどそれがありません。ターンによって視点人物が変わることが多いのでそういうくだりが作りづらいのかもしれませんが、最後の最後につながったと思ったらそこで終わる、みたいなものがとても多い。で、訳者あとがきであらすじをおさらいしてもらってやっと「ああ、そうそうそもそもそこから始まった話だっけ」とか「あああれがここにつながったということなのか」とか確認できたりするのです。少なくとも私は、なのかもしれませんが。
 これはすごくもったいないことのように思えるなあ…だから今ひとつエンターテインメントととしてブレイクしていないのではないかしら。北欧サイコ・サスペンスの女王、とかなんとか祭り上げられているようなのに…
 でもそういう問題はあるにしろ、この作品はおもしろかったです。というかひどかった。人間のひどさを描いたざらりとした作品で、よかったです。
 おりしもノーベル賞シーズンですね。これまた訳者あとがきで知ったのですが、スウェーデンではノーベル賞というものは本当に大きなものなんだそうですね。そのあたりが実感として感じられていると、もっとおもしろく読めたかもしれません。
 人が名誉のためにどんなことをしてしまえるのか、という物語だと思います。それにしても主人公(なのかな?一応)を作家で、男性で、娘にこんなことをしてしまえる人間だとして女性作家であるこの著者が書けるだなんて、なんておそろしいことなのでしょう…そこが最大に怖いです。
 怖くない人間しか出てこない、怖い物語です。人間なんてみんなそうだよ、と言われてしまえばそれまでなのかもしれませんが…ううう、オススメの「ざらり」感です。


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