駒子の備忘録

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あだち充『KATSU!』(小学館少年サンデーコミックス全16巻)

2020年08月18日 | 乱読記/書名か行
 里山活樹、15歳。光葉高校の一年生。水谷香月、15歳。活樹のクラスメイト。父親は水谷ボクシングジムの会長だが、現在は別居中。母親とふたり暮らしで、大のボクシング嫌い。そんな水谷家の事情を知らず、香月に近づこうとして水谷ボクシングジムに入会してしまった活樹だったが…

 引き続き「あだち充夏祭り」を開催中で、『虹色とうがらし』『いつも美空』『QあんどA』と読みました。珍しくもなんちゃってSFをやってみた『虹色~』は悪くなかったと思うのですが、いかんせん時の将軍とはいえ腹違いの子供を7人も8人も作る父親像が個人的には受け入れがたく、評価対象外としたいキモチになりました。後者2作にいたっては作品として完全に破綻していて、けれども担当編集者がおもしろいアイディアを出せなかったのだろうしそれでも編集部は人気作家の連載が欲しかったのだろうし、という事情が透けて見えて悲しかったので、ここでは取り上げません。
 この作品も、全体として見ると出来は決して良くない気もするのですが、おもしろいことをやっているとは思うので、ちょっと語りたくなりました。水泳だった『ラフ』に続いてスポーツは野球ではなく、ボクシングです。これは担当編集者にプロボクサー出身者がいたからだと思うのだけれど、そういうのがなくても格闘技はまた別枠で好きという男性は多いので、もともと作者の興味はあったのかもしれません。
 でも、ヒロインにもやらせるのはなかなか珍しい趣向だと思います。『ラフ』でヒロインが主人公と同じ水泳部だったのとはワケが違います。なので香月はいわゆる南ちゃんタイプの、女神ヒロインではありません。これだけ腕力が振るえる女性キャラクターというものは、決してそれが単なる暴力ではなくあくまでスポーツに則ったものだとしても、引く男子読者は多いことでしょう。
 しかも、彼女にどんなに才能やセンスがあって幼い頃から親に教わって十分な鍛錬を続けてきたのだとしても、そこらの男子相手のただの喧嘩ならまだまだ勝てても、ちょっとちゃんとした男子がそれなりに練習して試合するとなったら、あたりまえですがもう勝てない。体力、ウェイト、パンチ力…それはもう、明らかな性差によるものなので、太陽が西から昇っても覆らない。でもそれを描いたとて、ヒロインの悔しさや無念さを描いたとて男子読者には1ミリも響かないんですよね。なのに描く。不思議な展開です。
 そして香月は女子ボクシングで勝ちたいとか男子になりたいとかいうのとも違って、ただ男子ボクシングが好きで自分でもやっていただけなので、どこかでその死に場所みたいなものを探していたのでした。そんなヒロインに、普通の男子は明らかにどうとも絡みようがない。まあ活樹はだいぶ無頓着で、彼女に対しても可愛い顔に惹かれての一目惚れみたいな体たらくで、いろいろ因縁があったりなんたりして結果として彼女の夢や理想を負うことになってもなおそれに対してあまり頓着しないという、いたってザッツ・あだち主人公な男性キャラクターなので、なんとかお話が成立したのかもしれません。
 ともあれ作者としては香月ってけっこう描きづらかったのではなかろうかとか、そもそもヒロインとしてあまり読者の人気がなかったんじゃなかろうかとか、読んでいてけっこう心配になるレベルだったのですが、特に破綻したりキャラブレしたりしていない感じなのはすごかったかな、と思います。ま、単なるラッキーだったのかもしれませんが。
 ただ、主人公に対するライバル、恋敵として今回もザッツ・あだちキャラの紀本くんが設定されていて、彼が珍しくいわゆる「メガネくん」なことと、にもかかわらずザッツ・あだち恋敵キャラとして機能しているので、しかもそれが物語の前半だけで一山越えちゃうとキャラ変とまでは言わないまでもポジション変えしてラストなんか全然出てこなくなっちゃうので、ちょっとオイオイってなってしまった、というのは、あります。ホラ私メガネくん推しだからさ。あと、彼と活樹との試合に対して香月がしたことは、けっこうひどいことだと私は思うんですよね。自分は手加減されることをあんなに嫌っていたのに、彼らに対して同じことをしていて謝りもしないし、男子ふたりもそれをよしとしていることが納得いきませんでした。私はこの試合もラストの岬くんとの試合も、どちらも活樹は負けることにした方が良かったのではなかろうかと思っているので、ちょっと納得しづらかった、というのもあります。
 活樹って結局サラブレッドなので、あだち主人公としては珍しい設定です。この作者は天才とか二世とかではない、普通の、まあちょっと情熱はあったり努力したりはするかな、程度のスポーツマンを主人公にすることがほとんどだからです。でも今回の活樹の設定はほとんど卑怯なくらいだと思うし、それが私には、そもそもボクシングをしていたのはヒロインの方だった、という捻れに対する鏡のようなものにも思えるのでした。
 ボクシングって結局殴り合いで、拳で戦うっていうのは本当に男性的というか野蛮っていうか動物的っていうかで、いや男なら本能的にそうやって戦うもんだよとか言われても、それって女性に対して子供を持ったら必ず母性本能が発揮されるんだよみたいな、嘘くさい、信仰とか思い込みに近い性差別な気がしちゃうんですよね。そんなボクシングを当初ヒロインにやらせて、でも天地がひっくり返っても彼女は男子に勝てなくて、それは天地がひっくり返っても男性には子供が産めないのと同じ摂理で、あくまで性差によるものなんだけれど、だからその流れで、活樹は実の父親の血から才能を受け継ぎ、義理の父親の教育によって開花させたんだとなっているようで、はっきり言ってちょっとぞっとするのでした。
 ちょっと話がズレますが、こういう才能とか能力の遺伝、もっと言ってプレイスタイルみたいなものまでが遺伝するとする考え方って、とっても男性っぽいと私には思えます。それくらい男って、自分の女が産んだ子供が自分の種か自信がないんだな、と思う。自信がないのは当然で、当の女だって毎日違う男と交わって一週間過ごすことだってないこともないわけでその場合は誰の種かなんてやっぱりわからないわけですが、自分が産んだ子が自分の子であることにはあたりまえですが絶対的な自信が持てますよね。たいていの場合は自分の身体から出てきたところを目撃しているんですからね。けれど男は自信が持てない。どんなに婚姻で相手を縛ろうと、別姓を認めないくらいに支配しようと確証は決して訪れません。だからこそ、こういう能力の遺伝みたいなドリームを抱くんだと思うのです。
 それでいいのかよ、当人の個性は無視なのかよ、とか言いたくなります。今まで、そういう普通の、市井の、個性あふれるスポーツマンをたくさん描いてきたのに…この作者はそんなにマッチョな方ではないけれど、それでも格闘技というどうしてもマッチョにならざるをえないものを扱うとなると、こういうマッチョなことになるのだな、と私は思いました。親世代に因縁があって…というのは最新作『MIX』でもやっているけれど、あちらは遺伝云々に関してはここまで響かせないのでは…と私はむしろ祈るように思っています。
 これが尾を引いているせいなのかなんなのかわかりませんが、これまた作者はこれまであくまでアマチュアスポーツというか、青春模様を描くための部活動の延長のような競技ばかりを描いてきていて野球ですらプロについてはほとんど扱ってこなかったのに(
『アイドルA』などある種のプロ野球漫画がないこともないのですが)、今回に関してはプロ転向があるかないかみたいな話も終盤ぶっ込まれていて、そして完全に中途半端に終わるのが、作者自身の中で完全に意見がまとまらなかったんだろうなという気がして、作品としての完成度を著しく落とす要因のひとつにもなっていると思いました。プロ競技はなんでもそうですがボクシングの甘くなさ加減は本当にそのとおりで、少年漫画の夢あるビジョンとして提示するにはそれこそ作者自身の知見もあるだけに簡単にはできなかったのではないでしょうか。ならそれこそ活樹はあっさり岬くんに負けて、そしてやっぱりボクシングは高校までで終えるよと宣言したって、別にお話になんの変わりもなかったと思うんですよね。岬くんの生き方は岬くんのもので、またどうとでも描けたと思いますし、負けたからあきらめられるとか甘っちょろいなーとか私は正直思っちゃいましたよ。勝っちゃって、でも辞めざるをえない、という状況はありえるし、そのしんどさを描けよ、と思ってしまったのです。紀本くんに対しても岬くんに対してもコレなんだもん、いくら少年漫画の主人公は勝つものだって言ったって、あだち作品はそういう王道とはちょっと違うところに位置するからこそいいんだし、活樹がそれこそプロ転向するなら理屈としてはこの先も一生好きなだけボクシングをできるわけで、だったらそっちでいくらでも勝てるんだからここは譲るのが筋だろう、と思えてしまうのです。紀本くんも岬くんも活樹とは違う、それでもかなり重いものを背負って戦っていただけに、私は悲しくなりました。活樹は香月とくっつくんだから、せめてボクシングに関しては彼らと同様に、「ここまでね」ってなってもよかったんじゃないの? 香月も別に活樹にプロボクサーになってもらいたかったわけではないと思うんだけれど…どーにもならなくなって出したのがバレバレの理子の在り方とか、ホント許しがたいくらいです。それで言うと活樹のビジュアル(というか髪型程度、ですが)も登場時は変えようという気合いが見えたのに、すぐに手癖のいつものビジュアルになってしまっていたのも残念でした。それは甘えだよさすがに…てかキャラがかわいそうです。
 そういういろんな揺れとかブレとか不完全燃焼とか迷走とかを含んだ、でも崩壊しているというほどではなく不思議になんとなくまとまって収まった、ちょっと変わった一作だと感じました。






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