新国立劇場オペラパレス、2023年12月10日14時。
2020年シーズンにも観ていて、そのときの記事はこちら。
今回はアイゼンシュタイン/ジョナサン・マクガヴァン、ロザリンデ/エレオノーレ・マルグエッレ、フランク/ヘンリー・ワディントン、オルロフスキー/タマラ・グーラ、アルフレード/伊達達人。ファルケ博士/トーマス・タツル、アデーレ/シュシュティン・アヴェモ、ブリント博士/青地英幸、フロッシュ/ホルスト・ラムネク、イーダ/伊藤晴。
指揮はパトリック・ハーンでした。
序曲を聴いていたら脳内でマイティーやひとこやほのかが踊り出し、『うたかたの恋』を思い出してニヤニヤしていたら幕が上がってセットが見えた瞬間に、この舞台を以前も観ていたことを思いだした私です…ちなみに今回も続けて『トスカ』を取っている。どうしてこうなんだ私…まあ知っているもの、メジャーなものをセレクトしがちなのです。来年は冒険、チャレンジを課題にしよう…
それはともかく、話も曲も知っているわけでまあのんびり楽しく観たのですが、歌唱は特に感銘を受けなかった気がします…イヤ声量が全然ないとか音を外したとかカマしたとかは全然なかったのですが、なんかフツーだった気がしたのでした。
オルロフスキー邸の仮装舞踏会場面が合唱隊含めて見事に男女カップルになっていて、まあ舞踏会って西洋の社交の様式化された頂点の場なので当然と言えば当然で、ここに多様性がどうのと言うのも野暮なんでしょうけれど(今は同性カップルくらいは認められているのかな? でもとにかく常にふたり一組、というのを息苦しく感じる人もいるだろうけれどそこはもう仕方ないのでしょうね。一ではなく二からすべてが始まり無限に通ず、みたいな思想があるんだろうしなあ…)、当のホストのオルロフスキーさんだけがひとりでいて、客たちが浮かれ騒ぐのを遠巻きにしているような芝居をしていたので、ちょっと胸つかれました。
でもこれは、彼がズボン役で両性具有なのでひとりで十分でこれでいいのだ、とも解釈できるし、要するに彼がアデーレと出会う物語でもあるのかもしれないな、とも思えました。
口説いた女が実は仮面をつけた妻だった、のだとしてもアイゼンシュタインが夜会で女を口説き警官に喧嘩を売り刑に服さず飲みに行くどうしようもない男であることに変わりはないわけで、ロザリンデは「夫は誠実だったわ」とかなんとか言っているけれどそんなことはなく、その意味ではこれはハッピーエンドなのか…?という疑問がこの作品には激しくあります。
でも、この一騒動の中でアデーレは小間使いをやめて(やめさせられて)夢だった女優への道を踏み出し、それをオルロフスキーが援助してくれることになる。もちろんそれは愛人関係の契約を思わせるものかもしれないけれど、今回は観ているともっと単純に愛や友情の芽生えに見えました。オルロフスキーは何もかも持ちすぎていて、もう何も楽しいことがない、と退屈に喘いでいたわけですが、本当はむしろ孤独に飽いていたんですよね。なのでそんな彼が良き友、良きパートナーに出会う物語だとすれば、このたわいないお話も楽しめて、シャンパンの泡に酔えるのかもしれない…と思いました。
日本語ギャグはややうるさいと感じましたし、アルフレードがわあわあ歌うのに困ったロザリンデが「たまらないわ、あの日本人テノールの歌声!」みたいに言うのは笑うところではない気がして困りましたが…
カテコがわりとあっさりめだったのは助かりました。
2020年シーズンにも観ていて、そのときの記事はこちら。
今回はアイゼンシュタイン/ジョナサン・マクガヴァン、ロザリンデ/エレオノーレ・マルグエッレ、フランク/ヘンリー・ワディントン、オルロフスキー/タマラ・グーラ、アルフレード/伊達達人。ファルケ博士/トーマス・タツル、アデーレ/シュシュティン・アヴェモ、ブリント博士/青地英幸、フロッシュ/ホルスト・ラムネク、イーダ/伊藤晴。
指揮はパトリック・ハーンでした。
序曲を聴いていたら脳内でマイティーやひとこやほのかが踊り出し、『うたかたの恋』を思い出してニヤニヤしていたら幕が上がってセットが見えた瞬間に、この舞台を以前も観ていたことを思いだした私です…ちなみに今回も続けて『トスカ』を取っている。どうしてこうなんだ私…まあ知っているもの、メジャーなものをセレクトしがちなのです。来年は冒険、チャレンジを課題にしよう…
それはともかく、話も曲も知っているわけでまあのんびり楽しく観たのですが、歌唱は特に感銘を受けなかった気がします…イヤ声量が全然ないとか音を外したとかカマしたとかは全然なかったのですが、なんかフツーだった気がしたのでした。
オルロフスキー邸の仮装舞踏会場面が合唱隊含めて見事に男女カップルになっていて、まあ舞踏会って西洋の社交の様式化された頂点の場なので当然と言えば当然で、ここに多様性がどうのと言うのも野暮なんでしょうけれど(今は同性カップルくらいは認められているのかな? でもとにかく常にふたり一組、というのを息苦しく感じる人もいるだろうけれどそこはもう仕方ないのでしょうね。一ではなく二からすべてが始まり無限に通ず、みたいな思想があるんだろうしなあ…)、当のホストのオルロフスキーさんだけがひとりでいて、客たちが浮かれ騒ぐのを遠巻きにしているような芝居をしていたので、ちょっと胸つかれました。
でもこれは、彼がズボン役で両性具有なのでひとりで十分でこれでいいのだ、とも解釈できるし、要するに彼がアデーレと出会う物語でもあるのかもしれないな、とも思えました。
口説いた女が実は仮面をつけた妻だった、のだとしてもアイゼンシュタインが夜会で女を口説き警官に喧嘩を売り刑に服さず飲みに行くどうしようもない男であることに変わりはないわけで、ロザリンデは「夫は誠実だったわ」とかなんとか言っているけれどそんなことはなく、その意味ではこれはハッピーエンドなのか…?という疑問がこの作品には激しくあります。
でも、この一騒動の中でアデーレは小間使いをやめて(やめさせられて)夢だった女優への道を踏み出し、それをオルロフスキーが援助してくれることになる。もちろんそれは愛人関係の契約を思わせるものかもしれないけれど、今回は観ているともっと単純に愛や友情の芽生えに見えました。オルロフスキーは何もかも持ちすぎていて、もう何も楽しいことがない、と退屈に喘いでいたわけですが、本当はむしろ孤独に飽いていたんですよね。なのでそんな彼が良き友、良きパートナーに出会う物語だとすれば、このたわいないお話も楽しめて、シャンパンの泡に酔えるのかもしれない…と思いました。
日本語ギャグはややうるさいと感じましたし、アルフレードがわあわあ歌うのに困ったロザリンデが「たまらないわ、あの日本人テノールの歌声!」みたいに言うのは笑うところではない気がして困りましたが…
カテコがわりとあっさりめだったのは助かりました。
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