駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ハリー・ポッターと呪いの子』

2023年08月16日 | 観劇記/タイトルは行
 TBS赤坂ACTシアター、2023年8月12日12時15分。

 ポッター一家が闇の魔法使いであるヴォルデモート卿(篠原正志)に襲われたとき、ハリー(この日は藤木直人)の両親は殺された。しかし赤ん坊のハリーはヴォルデモートがかけた「死の呪い」を跳ね返し、生き残った。稲妻型の傷跡が額に残ったハリーは、ダーズリー一家に引き取られて育ち、11歳の誕生日に魔法使いであることを告げられ、ホグワーツ魔法魔術学校に招待される。ホグワーツでの7年間から19年後、37歳のハリーは、妻ジニー(この日は白羽ゆり)とともに息子アルバス・セブルス(この日は福山康平)がホグワーツ特急に乗り込むのを見守る…
 オリジナルストーリー/J.K.ローリング、脚本・オリジナルストーリー/ジャック・ソーン、演出・オリジナルストーリー/ジョン・ティファニー、ムーブメント・ディレクター/スティーヴン・ホゲット、美術/クリスティン・ジョーンズ。翻訳/小田島恒志、小田島則子、演出補/河合範子。1997年に刊行された世界的ベストセラー小説の全7巻の「その後」を描いた舞台。2016年ロンドン初演、以後ニューヨーク、メルボルン、サンフランシスコ、ハンブルク、トロントと上演されてきた作品の、アジア初、日本ロングラン公演。

 開幕は去年の7月でしたから、1年後の観劇となってしまいました。キャストも2年目というのか2期目というのか、新メンバーが投入され、初期メンバーが卒業していったりしているようですね。1年間マートル(佐竹桃華)を演じた美山加恋が2年目からデルフィー(この日は鈴木結里)を演じている、というのはエモいなと思いました。となみのジニーは観られたけれど、チギちゃんのハーマイオニー(この日は笹本玲奈)には間に合いませんでした…マクゴナガル/アンブリッジ(高橋ひとみ)もたぁたんが入ってるんですね、こちらも観たかった…!
 原作は全巻読みましたが、映画はイマジネーションが映像で限定される感じが嫌で、1本目しか観ていません。シリーズのものすごいファン、ということは全然なく、今回の舞台化も、子供騙しのアトラクション・ショーかファミリー向けのミュージカルなら、チケット代もお高いし私はいいや…と目を背けてきたのです。が、ミュージカルではなくストプレなのはもちろん、アトラクションとしてもとても出来がいいし、何よりおもしろい、という評判が聞こえてきて、では一応観ておくか…と腰を上げたのでした。ま、A席にしたんですけれど…それでも一万四千円! でも2階のすぐ前が通路の列のどセンターが買えて、とても観やすく、満足度が高かったです。つーか今のところ私は『ムーラン・ルージュ!』よりこっちが刺さったし、コスパに納得しています…!
 全7巻の細かい話は全然忘れてしまっていて、ざっとでも予習した方が楽しいかも、みたいな話も聞いていたのですが、読み返す暇などもちろんなく、まあなんとかなるやろ、と出かけてきました。なので最初のうちは、誰が誰と誰の子供なんだっけ…?とかなりましたが、すぐわかりました。というか十分わかりました。そしてとてもとてもおもしろかった!
 まず、全体になんか暗いのが予想外で、でもすごくいい、と思いました。物理でも暗いんです。舞台には壮麗なセットみたいなのは出てこなくて、ほとんど黒い紗幕をバックに話が展開していくし、ホグワーツの生徒たちも沈んだ色の制服やマント姿で、鮮やかで派手な色目というものが全然存在しない世界なのです。
 この黒バックは魔法のエフェクトなんかを表現するのに必要なんだろうけれど、これは1階席だと登場人物たちが埋もれちゃってけっこう観づらかったのでは…などと余計な心配をしてしまいました。2階席からだと床が少ない照明を受けてまあまあ明るいので、そこに立つ登場人物たちもくっきり見えるわけです。遠目にも識別できる工夫がちゃんとされている、というのもありますが、観ていて混乱するようなことはまったくなく、よかったです。
 また、物理だけじゃなくノリが暗い、重いのです。アルバスは思春期まっただ中というか、「あの」ハリー・ポッターの息子、という看板が重いようで、家でも学校でも居心地が良くないらしく、また性格的にも内向的でコンプレックスの塊で、父親とも上手く話ができずすれ違うか衝突を続けていて、なんかもうザッツ・中二で重いのです。
 でも、そもそも原作のノリってこんなだったよな、と思って私はけっこうニヤニヤ楽しく観ました。やはり映画版がヒットしちゃって、明るく楽しく健全で正義は勝つ!みたいな娯楽大作シリーズになっていっちゃったようなイメージがありますが、本質的には原作小説はけっこう暗いし重い。児童文学にしてはあるまじき頻度で登場人物が死にますしね。でも、そういう暗さ、重さを抱えて、それでも生きていこう、となって大人になっていく…という姿を描くのが児童文学かなと私は考えているので、この舞台化もそのエッセンスをちゃんと捉えているんだな、と思いました。
 話はけっこうスピーディーに進むし、子供騙しなところは全然なくて、ホントの中二の子供はむしろ夢中だろう、というのもよかったです。なのでこれは、ハリーの話というよりはアルバスの物語なのではないの?などと序盤は考えていたのですが、なかなかどうして、そのあとも深くおもしろいのでした。
 大ヒット作の続編を展開するにあたり、主人公の子供世代のエピソードを作るか、はたまた主人公の親世代のエピソードを展開させるか、というのはわりとベタな手法だと思います。これはそのどちらもやっているわけですね。「呪いの子」というのは一応はヴォルデモートの娘デルフィーのことかなと思いますが、親を選べず生まれてきてしまって悩んでいる、親の存在を呪縛のように感じている、という意味ではアルバスのことでもあるのでしょう。なのでこの作品のタイトルロールはハリーとアルバスのふたり、ということなのかもしれません。
 アルバスはホグワーツ特急の中でスコーピウス(この日は西野遼)と出会い、友達になります。彼もまた「あの」ドラコ・マルフォイ(この日は内田朝陽)の息子として、また出自にあらぬ噂を立てられて周りから遠巻きにされている少年なのですが、しかしドラコは大人になっていい方に人が変わったのか、はたまたその妻の養育がよかったのか、あるいは単なる性格の違いか、スコーピウスはなんかもっとおおらかなんですよね。しょうがないじゃん、まあそのうちなんとかなることもあるよ、みたいな鷹揚さを持っている少年で、アルバスのように内向きにこじらせていない。それで彼らは無二の親友になっていくのでした。
 というかアルバスにとってはそれはもうほとんど恋であるように見えました。彼は自覚の有無はともかくゲイで、それで家庭でも学校でも居場所がなく感じ、周りから浮いていたのではないでしょうか。最終的にはこの結びつきは思春期による一過性のもの、あるいはこの状態での限定的なもので、少なくともスコーピウスの方はローズ(橋本菜摘)に関心を示して終わるような流れに見えましたが、アルバスの方はそのままずっとスコーピウスを愛していたのではないかしらん…それまでもずっとフツーにBL描写しているように思えたんですよね。そのことさらでない感じがすごくいいなと思ったし、トランス差別問題があったりしつつも(だからこそ?)ローリングの作風にはそういうところがあるよな、とも思いました。
 そういう問題を抱えつつも、いろいろあって、アルバスたちは不当に落命した、と彼らが考えているセドリック・ディゴリーを救おうとし始める。しかし過去をちょっとだけ上手いこと変える、なんてことは絶対にできないのでした。いくつもの過去や現在、未来、ありえたかもしれない可能性、あってはならない状況なんかのグルグルの中で、アルバスもハリーももう一段階成長していく。その中でハリーもやっと大人に、親になるのでした。
 彼はものごころつく前に両親と死に別れています。のちに周りから彼がどんなに両親に愛され慈しまれた子供だったかを聞かされるのですが、しかし実感としてはやはり持てなかったろうし、預けられた家での扱いは散々だったわけで、それで自分が子供を持つようになっても、それこそ性格的なものなのかいい感じに育った長男なんかと違って、アルバスがハリーと似ている分、ハリーは彼に正対しづらかったのでしょう。でも、子供は親を選べないけれど、親はある程度は意志を持って子供を持つことにしたはずですから、向き合わず逃げ出すなんて許されないのです。自分と似ていてコンプレックスを刺激されて嫌だとか、自分の思うように育ってくれないとか、いろいろ不満はあるにしても、しかし向き合わなければならない。それが親の務めです。このお話を通してハリーはそれがやっとできるようになる、そういう意味ではやはりこれはハリーが主人公の物語なのでしょう。
 改変された歴史を正す過程で、ハリーは両親が自分を守って命を落とすくだりに立ち会います。それは変えられない、手助けもできない、すべきではない。でもそこでやっと、両親が本当に命を賭して自分を守ってくれたこと、自分が彼らに愛されていたことをそれこそ身をもって知ったのでした。
 そしてその場に、アルバスもいた。これを今まで知らなかったから、僕の父親は本当のところで自分に自信がなく、なので僕にも冷たかったのだ…と、彼はやっと理解できたことでしょう。それで父親が許せて、和解できた。彼もまたひとつ大人になったのです。
 冒頭でホグワーツ特急に乗り込む生徒たちが持つトランクだった小道具が、ラストシーンでは墓地の墓石になり、父と息子がセドリックの墓参りをして、物語は終わります。起きたことは取り返しがつかない、死んだ人を蘇らせることはできない、生き残ったものはそれを背負って、死者に恥じないよう生きていくしかない。そしてまた旅立ちのときが来る…
 美しい、清々しい物語だと思いました。長かったけど全然退屈しない、集中しまくった舞台でした。おもしろかったし、なんならまた観たい! キャストの違いも観てみたいですしね。
 ロン(この日は石垣佑磨)がよかったなあ、いい大人になってるんだよねえ。あとマートルもとてもそれっぽくてよかった。ダンブルドアとスネイプ(間宮啓行)、マクゴナガルとアンブリッジをそれぞれ同じ役者にやらせているのもとてもいいなと思いました。
 原作の翻訳にはけっこう問題があったようなことも話題になりましたが、さもありそうな言い回しの台詞がいくつもあったりして、ニヤリとさせられたのも楽しかったです。これはこの舞台の翻訳家が苦心したのでしょう。
 親と観に来た子供がまた親になって子供と観に来るような、そんなロングスパンのロングラン公演になっていけるのかはなかなかに謎ですが、興行側がそれをちゃんと目指しているようなのはいいですね。しかしこのハコはロビースペースが貧弱なのが難点だぜ…物販ももっとちゃんとやったらもっとお金が落ちるんだろうに、あの狭さであの混雑では並ぶ気も半減しますよ。それは本当に残念です。
 また、このハコがしばらくは他の作品には使えないとなると、都内の劇場問題はけっこうヤバいのですが、建て替えや新規建設の場合はくれぐれも「見える劇場」を作ってくれ、とだけは口を酸っぱくして言い続けたいです。ホント頼みますよ…
 ちなみにココ、別に「ハリー・ポッター・シアター」に改名したわけではないんですね…変なの。








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