駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇宙組『Xcalibur エクスカリバー』

2023年08月06日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京建物Brillia HALL、2023年7月23日15時(初日)、8月4日11時。

 六世紀のイングランド。各国の王たちは無慈悲な領土争いを繰り広げていた。とりわけ暴君として名高いウーサー・ペンドラゴン(雪輝れんや)は、敵味方関係なく数多くの命を奪うことに酔いしれていた。ウーサーに聖剣エクスカリバーを授けたドルイド教の預言者マーリン(若翔りつ)は、このままでは向かいくる敵からこの土地を守ることはできないと判断し、ウーサーからエクスカリバーを取り上げて岩山に封印する。月日は過ぎ、イングランドの森の中で平凡に育ったアーサー(芹香斗亜)は自らの運命など知る由もなく、父親のエクター(松風輝)や実の兄のように慕うランスロット(桜木みなと)、村の仲間たちと共に平穏な日々が訪れることを信じて懸命に生きていた。そんな彼らの前に突如マーリンが現れ、アーサーが実はウーサーの息子なのだと告げる…
 脚本/イヴァン・メンチェル、音楽/フランク・ワイルドホーン、作詞/ロビン・ラーナー、潤色・演出/稲葉太地、音楽監督・編曲/太田健、編曲/高橋恵。2019年韓国初演のミュージカル、日本初演。全二幕。

 初日雑感はこちら。また、外部で観た『キングアーサー』の感想はこちら、その初演の月組『アーサー王伝説』はこちら
 暴君の庶子(かつ強姦の落とし子)、というのは本人のせいではないのでスルーしてもいいけれど、なんせ最も有名なエピソードが妻を臣下に寝取られること、という男を主人公に、彼の何をどうカッコ良く描こうというのだ、しかも宝塚歌劇でトップコンビが、不倫だけど真実の愛、とかなカップルならまだしも、寝取られ男と不貞妻を演じるとはどうなんだ…という問題、心配を上手い形に解決し払拭し、今まで私が見たり読んだりしてきたアーサー王ものの中では格段にキャラクターの言動と物語の整合性が取れていたので、他にもまあまあ有名なエピソードががっつりカットされていたり変更されていたりした、という点はあるにせよ、私はわりと満足しました。私は舞台始め物語に、創作物に、そういう整合性を求めるタイプなので。
 なので逆に、ここまでまあまあよくできているだけに、あと一歩惜しい、とも思いました。わりと韓国版まんまだとも聞きますが、宝塚用にダンスが増えている部分もあるそうで、そういうアダプテーションが認められている契約ならば、もっとがっつり手を入れてより練り上げてより良いものにしてほしかった、と思ってしまったのです。
 まず、ワイルドホーン楽曲が素晴らしいのはわかった、でも5曲か10曲削りましょう、削れます。イヤみんな歌えているし、素晴らしいよ? でも何かっちゃ歌、すぎるだろう。重要度が低いところで朗々と歌い続けすぎていると思うのですよ…耳が満腹で満足でむしろ眠くなる、疲れるし飽きるのです。ワイルドホーン節がわりとどれも似ている、というせいもありますが。
 どんなに上手くても同じことを歌っていて話が進まずドラマがないなら、人は声だけ音だけうっとり聞きながらも「今日の夜ごはん、何にしようかな」とか「明日の会議の資料、準備したっけな」とか、よそごとを考えちゃうものなのです。そんなのもったいないよ…その分台詞にして芝居でちゃっちゃと話を進めて観客の興味も集中させて、浮いた時間は上演時間の短縮か、フィナーレに回すべきでした。休憩とフィナーレ込みの3時間ならいいけれど、フィナーレなしの丸々3時間は今どきけっこうしんどいと思うのです…2時間40分くらいならなお良いのではないでしょうか。てかはるさくはデュエダン経験がほぼないと思うので、そのためにもフィナーレを作ってほしかったな、と思います。ああいう場面の娘役力はホント場数なのよ、どんなに器用なタイプでもやっぱり最初は下手なのよ、修行させてやってほしいのよ…(><)
 みんな歌えるし、ことにりっつもましろっちも素晴らしいから何曲も何曲も歌わせたくなる気持ちはわかるのです。でも、普段の宝塚歌劇ではこんなこと、ないでしょ? 主人公だってソロは2曲か3曲かそこらで、2番手やヒロインはせいぜい1曲、その他のスターは歌なんてないも同然…なのが普通でしょ? こんなに歌って、大きなお役で、ぶっちゃけりっつにこれ以上の役なんて今後ないし、ましろっちだってたとえ今後新公主演が来ても絶対こんなではないわけですよ。ここが頂点になっちゃっていいの?というのもあります。何よりバランスが悪いだろう、こんなにマリモガが立っちゃっては…と思うのです。まあモーガンは裏ヒロインならぬ裏主人公なので、立っててもいいんだけれどでも、それにしても…ってのはあるでしょう。
 何より問題なのは、脚本上、マーリンが過去のいつ、何故、モーガン(真白悠希)と「血の誓い」を交わしたのか、という説明がまったくないことです。こっちはその説明がされるのをずっと待っているのに、また関係ないこと歌うんかい!となっちゃうわけですよ。だからそのあたりをきちんと説明した、がっつりした芝居パートがあった方がよかったし、その方が格段におもしろかったろうと思っちゃうのです。
 百歩譲って、上手い形で最低限のこの説明さえ入れられていたら、観客は物語にちゃんと納得も補完もできるので、だったらオペラコンサート・タイプの歌いっぱ舞台でも十分に楽しめたと思うんですよ。てか『エリザ』や『ロミジュリ』、最近なら『1789』は、もうその域に入っている作品ですよね。キャラもストーリー展開もきっちりできあがっていてみんなが承知していて解釈され尽くしていて、だから歌オンパレード舞台でも個々の役者の個性なんかを味わう、という楽しみ方ができている作品なわけですよ、これらは。でもその完成度はこの作品の脚本にはまだ、ない。だから歌っている暇があるなら話を進めんかい、台詞を足してドラマを深めもっと濃い芝居を観せんかい、ってなっちゃう、ってことです。そこは稲葉先生にもっともっともーっと、がんばっていただきたかったです。せっかく新しいことを、おもしろいことをやっているだけにね。それはおそらく韓国オリジナルにあるものだから、そこからさらに良くしてみせんかい、それがあんたの仕事だろう、と私は思ったのでした。
 歌詞もヌルいし、世界観とか、フェミ史観とかもヌルくてホントもったいないです。もっとがっつり考えて、もっともっと大胆かつ繊細に作り込んでほしかったなー…そこが本当にもったいなく感じました。

 そうそう、初日雑感に記憶違いがありました。サクソンの斥候に襲われるくだり、アーサーがグィネヴィア(春乃さくら)に女たちを逃がせと指示していて、グィネヴィアはそれに従っていただけでしたね。彼女たちは弓を習い始めただけのまだ素人同然の女兵士なので、戦力にならないし邪魔だし危ないし、これは当然の措置ですね。グィネヴィアが勇ましいこと言ってるわりには女たちと一緒にとっとと逃げちゃって、と思ったのは私の初日の勘違いでした。すみませんでした。
 そのあとの、グィネヴィアが食事ができたとみんなを呼びに来るくだりも、他の村の女性たちは全員舞台に出ているので、炊事が女性の仕事とされているというよりはそのとき手が空いていたグィネヴィアがたまたまその任に回っていただけ、のように見えなくもなかった、かな。でもやはり何かもっと別のいい台詞で場面転換してもよかったのではないか、とは思っています。食事も補給も大事です、でもそれが女の仕事であるように手癖で表現することにはもっと自覚的になるべきですよ世の作家は…
 また、芝居が足りないのはアーサーとグィネヴィアの恋、というかグィネヴィアの恋心の描写についても、ですね。だって襲われたら助ける、とか怪我したら心配する、とかは人としてあたりまえのことであって、恋愛とは本来は別次元のことなんですよ。アーサーやランスロットが颯爽と登場したグィネヴィアをいわゆる「おもしれー女…」と見て興味を持ち心惹かれている、のは表現されています。でもその逆がほぼないので、弱いと思います。
 だって彼女は、これだけ綺麗で魅力的で、今までも男たちから散々コナかけられてきたことでしょう。でもみんなマッチョで愚鈍で、彼女のお眼鏡には適わなかったはずなのです。そこで出会ったアーサーに対して、彼が王だからではなく彼自身だから夫とする、とのちに言うに至る彼女が、彼のどこをどう愛したのかを、もっと描かないとダメだと思うのです。
 彼女は女性だって尊重されたい、女だって戦えるし国の役に立つ、と考えて王のもとに参じたわけですが、しかし実際には男女の体力差は過酷な戦場ではネックでしょう。ことに剣は、エクスカリバーを始め(ちなみにこの剣はもっと金色に輝くとかして、たとえばランスロットの剣や、アーサーがエクスカリバーを投げ捨ててケイだっけ?のものを借りて戦うときの剣とかとの差異をもっと出すべきだったのではなかろうか…)当時のものは重くて鈍くて、斬るというよりは叩きつけて戦う部分が多かった武器です。これでは非力な女性には扱えない。でもたとえばもっと軽くて鋭くて、切れ味のいい剣を作る技術が開発されれば、かえって身のこなしが軽い女性の方が有利に戦えるかもしれない。あるいはグィネヴィアが得意としている弓矢も、これも筋力差があるから射程距離は男性より女性の方が短いかもしれないけれど、命中度だけなら下手な男より上手い女の方が当然上なわけで、それで立派に戦えるわけです。たとえばそういうことをグィネヴィアは考えていて、それを先に観客には見せておいて、この負傷し介抱されるくだりでアーサーに同じことを語らせて、「この人、私と同じ考えを…!?(トゥンク)」と演出するとか、ね。ホントは人はこんなふうにアタマで恋愛するものではないと思うけれど、とにかくもうちょっと具体的な何かがないと、恋する理由がないじゃないですか現状。まさか顔じゃないんだし、だって顔なら初対面時に一目惚れして話が終わっちゃうわけでさ…
 せっかくグィネヴィアは、このあとも「私は王妃ではなく、王と結婚しただけの女戦士です」と言っちゃったり、アーサーにもの申すときも「王ではなく夫に話しているつもりでした」とか言っちゃう、かなり立ったキャラにできているだけに、あと一歩惜しいんですよねー…助けられたら惚れちゃう、なんて単純な女性にしないでくれー!
 あとは、「女は男次第だ」みたいな台詞とか、「王は王妃を娶って一人前」みたいな台詞には、うるさいよと言われようと私はややイラッとしました。ことに後者は、言われてアーサーはテレて慌てるんだけれど、その前に彼がそうまでグィネヴィアを想っている描写がないので唐突だ、という問題点もあります。どっかで描いた気になっちゃってるんだよね稲葉先生、でも作品をもっと客観的に俯瞰して見る視点が必要だし、そういう精査を受けた方が舞台のクオリティが上がるんですよ…あと、女性蔑視視点再生産はホントやめましょう、ひとつひとつつぶしていきましょう。
 あと、(いくらでも出てくるな…)これはフェミニズムとは関係ないけれど、確かグィネヴィアに神なんて信じない、みたいな台詞がありませんでした? これは当時の風俗としてどうだろう、と私は別の意味で引っかかったかな…マーリンはドルイド教の司祭として人々から畏れられ尊敬され尊重されているんだろうし、アーサーの戴冠式にはキリスト教の神父が王冠を授けに登場しているし、サクソン人たちはヴァルハラがどうとか言っていてまた別の宗教を奉じているようだし、これは領土争いの侵略戦争でもあるけれど宗教戦争の面もあるはずです。モーガンは修道院で棄教、改宗を迫られているようでしたし(実際にはモーガンが捨てないでいたのはドルイドへの信心というよりはマーリンの教え、彼への愛だったわけですが)、教会組織はまだそこまで厳密に組み上がっていなかったかもしれないけれど、グイネヴィアだけがその外で生きてきた、というのは変でしょう。それとも男勝りの女は魔女扱いされて村からも疎外されて…みたいな設定があるのかしらん? でも我々、無宗教と言われる日本人ですらお天道様の恵みに感謝することくらいは知っているわけで、グィネヴィアのこの台詞はかなり強いというか、ほとんど奇妙に私には感じられました。なくても通じる、というのもある…ならカットした方が通りが良かったはずで、逆に入れるならもっとちゃんと説明、理由を描いてほしかったです。このあたりのザルさが気になったんですよ、細かくてすみません…

 でも、まあ、要するにマリモガですよ!
 私が考えるに、モーガンが修道院に入れられたのは10歳くらいなのではないかしらん。この年ごろは子供でも少女でも女でもあると思うので。
 彼女はウーサー王と王妃の長女として、王女として、まあまあ大事に育てられ、高名なマーリンが家庭教師ないし教育係としてお城に呼ばれたのだと思うのです。モーガンは才気煥発な美しい少女で、マーリンの教えを受けてすくすくと育ち、いつしか彼の知識と魔力を受け継ぐのは自分だ、彼に愛され彼と添い遂げる女になるのは自分だ、と考えるようになっていった…というのは、ありえることでしょう。マーリンがそれに気づいていたのか、気づいていたならそれを好ましく思っていたのかはたまたマズいヤバいと思っていたのか、はけっこう重要だと思うんですけど、何故その描写がないんですかねそのあたりの薄い本プリーズ!
 それはともかく、その後ウーサーは王妃を遠ざけてしまったのか、それとも王妃は亡くなったのか、はたまた他にも子供が生まれても育ち上がらなかったか女ばかりだったのか、とにかくウーサーは嫡男どころかそもそも男児に恵まれることがなかった、ようです。ウーサーがまなちゃん王(真名瀬みら)のさらちゃん妃(花宮沙羅)に目をつけたとき、もちろんそれは単なる情欲だったのだけれど、マーリンはそこに男児が生まれるという未来を見て、それでウーサーに加担したのではないかしらん…というかここでマーリンがウーサーをこの王に魔法で化けさせてあげるには、理由が要るだろう! てかここのまなちゃんの「王に化けたウーサー」の演技が絶品なんですよね、いい仕事するようになったよねまなちゃん…
 で、そうして男児が無事に生まれたので、マーリンは後継ができたからいいやと安心してウーサーを誅し、エクスカリバーを封印し、モーガンを修道院に入れ、生まれた男児はエクターに預けて自分は20年間、この男児が成人するまで知らん顔を決め込んだわけです。イヤけっこうひどいね…? そりゃモーガンからしたらたまらんよね…??
 もちろん、自分では面倒を見きれないし、少女の養育には修道院が適切だろう、と適正に判断した…のかもしれません。でもエクターだって、当時妻がいたかどうかはわかりませんが、この作品ではケイ(真名瀬みら)はここの子とされていないので、赤ん坊のことなど何ひとつ知らないのに急に預けられて、とまどい試行錯誤しながらもほぼ男手ひとつで立派にアーサーを育て上げたわけです。マーリンに同じことができなかったわけはない、ましてモーガンはもうそこまで手がかかるような赤ん坊ではなかったのですから(もちろん、だからこそ一緒にいられなかったのだ、という問題があることもわかりますが)。だからやはりこのマーリンは卑怯で、逃げているように見えます。その前にモーガンと「血の誓い」を交わしているようなだけに、なおさらです。
 ふたりはこの誓いにより、片方が痛みを受ければもう片方も同じ場所に痛みを感じる、片方が死ねばもう片方も死ぬ…という関係になりました。はっきり言ってかなり重い、激しい、ヤバい一蓮托生感です。いつ、何故、どうして、という説明は要るだろう! 何故ない!? どうした脚本!?!? そうまでしておいて一方的に見捨てられたモーガンからしたら、そら恨みつらみ執着が増すに決まってるじゃん! モーガンは悪くないよ!?
 そして私は、大半が男性である世のクリエイターたちが何故こんなにもアーサー王の物語を愛し、手を変え品を変え何度となく作品化したがるのかが不思議でしたが、要するにこれは男の呪いなんだな、と思い至りました。
 伝説の聖剣を抜いて、王になる…世のすべての男性の望みなのかもしれませんが、これははっきり言って呪いでしょう。まあ剣に関しては要するに男根の象徴なんでしょ、と思うのでスルーするにしても、要するに自分は今は市井に生きる身でも実は王の息子なのだ、それがいつか露わにされて自分もまた王として人々に迎え入れられ崇め奉られるのだ…という願望、妄想は、はっきり言って害毒だと思います。男たるもの王たるべし、というこうした毒が世の男どもを蝕み、世を暗くしていることに男性たちはもっと自覚的になった方がいいと私は思うよ…
 しかもその王の息子は、王の不貞の産物なのです。でも男系が保たれているからいいんだよね、つまり男はハナから女との一対一の誠実な婚姻関係を尊重する気なんざさらさらないってことなんですよ。これが男側の理屈なんですよ、はー絶望するわ…
 もし本当に王になりたいのなら、そのために努力し手順を踏んで自力でなればよくない? 何故血筋に頼るのか、王の息子だからという理由が要るのか。しかも父である王は暴君でろくでもない男、どうしようもない君主だったというのに。中身がカスでも王座にある者でさえあればよかったというのか、そんなことで本当にいいのか。イヤ王は世襲だからさ、とか言うのかもしれないけれど、そうでない君主、リーダー、ボス像なんていくらでもあるし、要するにお山の大将になりたいってことなんだから、なんだっていいわけじゃん。なれよ勝手に、実力で、と思うんですよね。何故努力することもなく実力も持っていないのに、「あなたが王です」と言われたがるのか、そのさもしさを恥ずかしいと思わないのか、本当に謎です。
 なりたい者が、なるだけの力がある者が、なればいい。その意味で、自覚的に勉強し研鑽を重ねていたモーガンと、何も知らされず田舎でのんびり育ったアーサーとでは、どちらが真に王の器にふさわしいのか、はわかりきっています。なのにマーリンは、あるいは世の中は、ただ男だからというだけでアーサーの方を選ぶ。そんなの、モーガンがキレるに決まってるじゃん。というか私たち女性観客だってキレますよ。これはそういうことを描いた物語だと思います。だからモーガンが裏主人公なのです。思うに『キング~』ではモーガンはヒロイン格でしたが、そこからさらに前進したわけですね。さすがは韓国ミュージカル、です。
 正統な王女であり年長でもある者より、庶子で年少でもとにかく男子なのでその方が格上、という考え方には本当に問題があるし、もし本当にそれでいくというなら女性はそれこそ結婚なんざしなくなりますよね。というか今の日本の非婚化とかも結局のところそれじゃん。女性を、母系を尊重してもらえないんじゃ、やってられないもん。そんな男社会に協力してやるのなんかもうやーめた、降りた、イチ抜けた、ってしてるんですよ女性側が。てかいちいちDNA鑑定するならまだしも、そうでなければ子の母親が誰かは明快でも父親は怪しいものなので、男系に頼るとかホント男ってバカ…としか思えませんよね。まあだから妻に貞操帯つけたり他の男から遠ざけて囲い込んだりするんだけれど、根本的な解決になっていないことにどうして思い至らないのでしょうか。そんなやり方ではダメなんだよ、絶対に漏れが出るの。だから前提が間違っているってことなの。男女は平等で、親の財産は長子相続か子供全員で等分に相続、それが合理的に決まってるじゃん。
 ただ今回のモーガンは、別に自分が父王の跡継ぎになりたいとか、王になりたいとかいうよりは、ただ正当に認められたい、いなかったものとされたくない、という要求の方が強く、また王国よりもマーリンその人を求めていたので、マーリンがそこを引き受けてくれたのでキャメロットはアーサーの手に残り、それでなんとか話は決着したのでした。アーサーは民と土地の他は、父も兄も姉も妻も師匠も失うことになったけれど、それは彼の問題だし仕方がない。それでも彼は王になったのであり、これからも王として生きていく…完、という物語なのだから、それはそれでいいのです。
 モーガン始め他のフェミ要素がもっとしっかり描けていたら、これは宝塚歌劇なんだし新トップコンビのプレお披露目公演なんだから、グィネヴィアはアーサーのもとに戻ってきて復縁して大団円、でもよかったろうな、とも思いますけれどね…
 今回のマーリンはあくまでアーサーのために、身を挺してモーガンを止めるために最後の行動に出たように見えて、モーガンへの愛とか情とか憐憫とか、責任を取るためとか約束を守るため、といった面は少ないように見えたのも不満ですが、ともあれ彼はモーガンに殉じ、ともに死に地獄に行くことである種の愛をまっとうした…と言っていいのでしょう。少なくともモーガンの方は、少女のころに戻ったような晴れやかな笑顔で彼を抱きしめ、満足して散っていきました。それだけが救いです。
 そしてアーサーもまた、ひとり岩山に上り、装置が回って剣が降りてきてペンドラゴンの紋章のような王冠のような形になって、そんな中でエクスカリバーを振りかざし、微笑みます。失ったものも多いし、背負い込んだものも多い。それでも彼は晴れやかに笑ったのです。敵を退け、民とともに平和な国を作ろう、そのために尽力しよう、と決意し、希望に燃えて、その幸福に酔い、笑ったのです。それこそが救いであり、大ハッピーエンドの物語でした。よかった、よかった…こんなアーサー王もの、なかなかないです。素晴らしい。よかったです。
 もしかしたら、彼がエクスカリバーを谷底にでも投げ捨てて、ひとり空手で立つ…とかまで描くとベストだったのかもしれませんが、タイトルの否定になっちゃうし、そこまで描く覚悟や度胸がある男性クリエイターはまだいない、ということなのかもしれないな、とも思いました。

 というわけでキキちゃん、改めてトップスター就任、おめでとうございました。歴代最長2番手経験があろうとまあまあいい学年だろうと、冒頭のロミオもかくやというキラキラ青年がきちんと演じられるというのは本当にすごいです。二幕で闇堕ちしてから本領発揮、と言われたりもしていましたが、私は白い役ができるということはやはり大事だし貴重だし、その先宝塚歌劇のトップの役って白い役がどうしても多くなるだろうから、その中でがんばっていってよー、と思うのでした。スカステの「はじまりの時」で言っていたんだったか、演技の優劣はわかりにくいのでさておくとして歌やダンスにものすごく長じている、というような特徴はないタイプだっただけに、若いころからスター扱いされてはいても結局突破力がなくて、その他周りとの兼ね合いもいろいろあって結果的に就任まで時間がかかった、のかもしれないけれど、その間腐らずコツコツと自分を磨き実績を積み重ねてきたことはやはり報われるもので、これからさらに大きな花を咲かせるのではないか、と期待しています。ナウオンだったかでも下級生にたくさん言及していて、いいトップさんになるな、いい組になるな、と思えました。トップだと特技はなくてもバランスがいいことが長所になると思うので、それも強みだと思いますしね。
 そしてはるさくちゃん、さーちゃんはもちろんまだまだいろいろこれからなんだけれど、綺麗で潔くて清々しくて明るくてまっすぐで物怖じしていなくて、いいお役だったしぴったりだったし、ここからさらにいろんなヒロイン像を見せてくれそうで楽しみしかありません。今のところ素化粧がまだまだなのがアレですが、これも場数ですし、どんどん磨かれていくことでしょう。現代的なトップ娘役像を構築してくれそうですし、良きトップコンビになりそうなのも楽しみです。つーか早くショーが観たいな、どんな感じになるのかな…ワクテカです。
 ずんちゃんもホント硬軟なんでもできる人ですし、これから美味しい2番手時代を充実させていってほしいなと思います。『カルト~』までは主演作に正直アタリがない印象だったので、これからの別箱主演も楽しみです。いろんな娘役さんと組んでみてもらいたいですしね。
 新組長のまっぷー、信頼しかありません。ご挨拶もしっかりしているし、人格者っぽいし、安泰です。
 りっつはともかく、モーガンはオーディションだったのでしょうか…しかしましろっちはホントすごかった。もちろんこのあと男役としてもっと評価されていくべきだし本人もそう望んでいるだろうけれど、この経験は間違いなく財産だし、たとえばじゅっちゃんとかがやっていたらやはりもっとウェットなモーガンなっていたろう気もするので、この起用は正しかったんだと思います。すごいぞ、がんばれ。
 娘役ではりずちゃん、さらちゃん、ここさくちゃんに有愛きいちゃんが顔がわかりやすいですが、サクソン女も美女揃いだったし、もっと識別できるようになりたい!と思いました。美人美人していたのは楓姫るるちゃんかなあ、気になったなあ。
 男役はおかゆなるりせあたりが売り出し中ですが、まあもうちょっとちゃんとした役がないとな…ってところかなあ。まなちゃんの上手さ手堅さは今後の組の貴重な戦力になっていくと思います。
 まりんさんは役不足にも思えたけれど、組子は勉強になったことでしょう。

 下級生に休演が出ちゃったけれど、公演は無事に完走できて、よかったです。短くてちょっと残念でしたね、ブラッシュアツプして来年に梅芸とかで再演してもいいですよ?(^o^)
 スタイリッシュで爽やかで長身揃いでスマートで…という長所は生かして、さらに良き組になっていくよう、祈っています!


 最後に。スカステで放送していた宙組お披露目公演『エクスカリバー』を久々に観ました。イケコオリジナルの、主題歌「未来へ」が印象的なアレです。正直ハナちゃんが男装していたことしか覚えていなかったんですが、これは良きアーサー王ものの翻案でしたね。ほぼアーサー王ものではない、というのがいい(笑)。当時はあえてこういう、やや学芸会的にも見えるお伽話ふう仕立てにしていたんでしょうけれど、もっとスタイリッシュにやることにすれば再演、いけると思うなあ。役はもうちょっと足したい気もするけれど。あと、これくらいの話の単純さなら楽曲のボリュームが効いてくるので、こういうホンでワイルドホーン先生に依頼するといいものになったりするんじゃないの…?とか、思ったりしました。
 ともあれここから二十数年、いよいよ九代目の王の誕生です(そして十代目にして初生え抜きトップはずんちゃんだと私は信じている…!)。お披露目本公演も楽しみです!!









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