駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

永江朗『私は本屋が好きでした』(太郎次郞社エディタス)

2020年04月06日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 副題は「あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏」。仕事だからつくる、つくられたものは流通させる、配本が多いから書店は平積みする、そんなしくみに忠実な労働が「ヘイト本」を生み、本屋の一角で憎悪を煽ることを「普通」のこととした…と訴える、「本屋にとってヘイト本とはなにか」を考える本。

 この著者は著作の書名を編集者につけてもらっているそうですが、そこにまたこの本のちょっとおもしろいところがあるよなと私なんかは思ってしまうのでした。だってこのタイトルだと、「好きだったけれど嫌いになるまでの本」「その理由としてのヘイト本について語る本」に見えるじゃないですか。でも、著者は最終的には別に書店を嫌ってもいないし、書店員にも書店経営者にも取次にも出版社にも編集者にもライターにもあきれかえったり絶望したりはしていないように私には見えました。むしろ彼らからものすごく真面目にていねいに話を聞き、経緯や現状を真摯に受け止め、あきらめず投げ出さず絶望せず、問題点を捕らえ対策を提示して終えていました。いい本だと思いましたし、業界の人間として真摯に受け止め考え行動したいなと思いました。
 そして、ちょっとズレた話ではあるのですが、著者はヘイト本がその後ろめたさとかだけど商売になるとかの観点から言ってポルノに近いと述べていて、でもポルノよりはるかに害があるというような話になっていくのだけれど(ヘイト本に関する本であってポルノを語る本ではないので当然かもしれませんが)、私はどっちもどっちというかどっちも同じ害悪を持つものだと思ったので、そこはやはり男性・女性の違いというかむしろ加害・被害の立場の違いで見えるものが違うんだろうなと感じました。現行のポルノはほぼ男性向け、つまりシスへテロ男性向けのもので、女性への差別や搾取や加害や犯罪と完全に地続きなものです。『Will』を買う女性がほとんどいないという話もあるとおり、もしかしたら女性はヘイト本には鈍感でポルノの方に敏感かもしれません。ほぼ確実に被害を受ける側だからです。
 そして最近の私は、出版社の社員としてヘイト本の仕事をしたことはなくても、青年漫画誌で水着グラビアを扱っていたことはあるし(正確にはグラビアを担当したことはなく、その写真を流用して作成していた表紙を担当していた)、少女漫画誌でたとえば女子高生と男性教師の恋愛漫画を担当していたことはあるわけで、そういう責任についてちょっと考え始めていたりしたので、いい読書になりました。それは今から10年前とか20年前とかの時期の仕事だったのだけれど、そのときより世界は良くなっているのだろうか、悪くなっているとしたらその一端はそういった私の仕事のせいでもあるのではなかろうか、今なお続行されたりむしろ悪化している部分もあるそうしたものにNOと言わなければならないのではなかろうか、でも言いづらいというより今の自分の仕事じゃないしなとかつい思っちゃうんだよなー…とか、これでも考えているのでした。
 こういう時期だからかもしれませんが最近ちょっといろいろ考えていて、なので引き続きちょっと自分語りをさせていただきますと、私はこのまま行けばあと10年で定年退職なんですけれど、ではその10年をどう働くかとかそのあとも働くのか働くとすればなんの仕事か働かないなら何をするのか、みたいなことを最近考えるようになっていて、そもそも本が好き、本を通して何かを発信し誰かに読んでもらい幸せになってもらいたい、それを通して世界をより良くしたい、みたいな思いで就職活動し運良く入社し働いてきたつもりなのでそれは続けたいと思っていて、でも作家とかクリエイターになれる気はしないしあんまりなりたいとも思っていなくて、編集者やプロデューサーみたいな仕事の方が向いてるしちょっとはできる気がするんだけれど、では定年後にフリーでピンで商売できるかと考えると私の今までの仕事は会社や雑誌の看板(ブランドイメージとか実際の部数とか流通経路とか)ありきのものだったろうからぶっちゃけ無理じゃね?としか思えないのですよ。
 で、まあそれはともかくとするとして、そんな中でこの本を読んだときに、本当はそんな先の漠然とした話より今、なう、ここでできることがあるんだろうなと思ったということです。たとえば今は営業として担当しているライトノベルのカバーイラストの目にあまる煽情っぷりに社内で何か申し立てする、とかね…煙たがられようとなんだろうと、誰かが何か言わないとなあなあで低きに流れるのがこの業界の常なのかな、とも思いますしね。
 そんなようなことを、いろいろと考えさせられたのでした。
 今や人種や国籍などを問わない新型コロナウィルスが全世界を震撼させていることもあり、人類がそれを学習していけばヘイトに関してもまた風向きが変わっていくのかもしれませんが、人は常に志高く理想を追い求めていかないと常に低きに流れ易きにつきがちで、そのしわ寄せは常にマイノリティにいきがちです。変に楽観せず注視していかないといけない、というのは平時と変わりないのかもしれません。
 みんなで、がんばっていきましょう…!



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凪良ゆう『流浪の月』(東京創元社)

2020年02月29日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した傑作小説。

 あらすじはいつもカバーとか帯とかから流用しているのですが、なんかよくわからない説明文ですねコレ…でも他に特に内容がわかる宣伝文句がないのです。そして私は何故これでこの本をジャケ買いできたのだろう…不思議…
 もともとBL作家さんだそうですが、非情に繊細でていねいな筆致で、関係性を描くことに注力している印象なので、さもありなんと思いました。
 簡単に言ってしまうと、いっぷう変わった両親の元でのびのび育った少女が、親を失い、養い親の家にはなじめず、性的虐待を受けて、公園で出会った青年の家に庇護されて…という物語です。昨今の似たケースの犯罪事件なんかを嫌でも想起しますが、それを奨励したり憧れさせるような描き方はしていないとは思いました。
 でも、やはりこれはファンタジーだと思いました。こういうケースももちろんあるかもしれないしそれで彼らは幸せなのかもしれないけれど、それはあくまでとてもまれな可能性でしかないし、ヒロインにはもっと選択肢があったのではないか、もっと別のチャンスがあったのではないか…と私は思ってしまうのです。まあまあ安全に育ってこられた者の傲慢さなのかもしれませんが。でもこんなにも閉じていってしまうことが、私にはやはりあまり幸せなことには思えないし、逃避にすぎないとも思えてしまうのです。そして相手の青年の設定は、いかにも嘘くさいと私は思ってしまうのでした。
 でも、やはり、物語なので、そうとしか生きられなかった人々、それで幸せな人々を描いてみせることにも意義があるのだろうとは思います。もちろん読後感は決して悪くありませんでした。というかとてもきちんと書かれた小説だと思いました。ヘンなバズり方はしなくていいけれど、もっと何かで話題になってもいい本なのではないかなーとも思いました。いい出会いをしました。


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薬丸岳『友罪』(集英社文庫)

2018年04月25日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 埼玉の小さな町工場に就職した益田は、同日に入社した鈴木と出会う。無口で陰のある鈴木だったが、同い歳のふたりは次第に打ち解けていく。しかしあるとき益田は、鈴木が十四年前に連続児童殺傷で日本中を震え上がらせた「黒蛇神事件」の犯人ではないかと疑惑を抱くようになり…

 映画になるそうですが、おそらく映画の方がいい出来になるのではないかと思います。生身の役者が苦悩の表情とかを映像で見せれば保つ話だと思う。
 小説としては、すごく浅いなと思いました。頭の中で設定として思いついただけの話で、それ以上のことが描けていない印象なのです。「あなたはその過去を知っても友達でいられますか?」みたいなキャッチが帯についていますが、その問題について、真実とか葛藤とかのドラマが描けているようには私には思えませんでした。この設定はこんな簡単な話では終わらない気がするのです。そこがちょっと期待外れだったのでした。

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窪美澄『やめるときも、すこやかなるときも』(集英社)

2017年10月07日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 家具職人の壱晴は毎年12月の数日間、声が出なくなる。過去のトラウマによるものだが、原因は隠して生きてきた。制作会社勤務の桜子は困窮する実家を経済的に支えていて、恋と縁遠い。欠けた心を抱えたふたりの出会いの行方は…

 「大切な人の死を忘れられない男と、恋の仕方を知らない女」と帯にあります。こういう経験をした人がいることも、こういう家庭の事情を抱えた人も現実にはたくさんいるのだろうとは思うのだけれど、そういうふたりが出会ってこういう恋愛を展開し結婚に至ることには私はリアリティをまったく感じられませんでした…
 でも、だからこそ、なんとなく興味本位で、というか、本当にそう展開するの?と危ぶみつつ、意外に?楽しく読んでしまいました。初めて読んだ作家さんでしたが、端正な文章を書く方ですね。女による女のためのR-18文学賞受賞でデビューした作家さんなんですね。機会があれば他の作品も読んでみたいです。


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アン・モーガン『私はヘレン』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

2017年09月01日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 七歳の夏、ヘレンはあるゲームを思いつく。服装や髪形を双子の妹エリーと交換して、お互いになりすますのだ。やってみるとお母さんも友達も気づかなかった。だが楽しかったのは最初だけ。のろまなエリーとして扱われ、入れ替わりのことを話しても相手にしてもらえないヘレンは次第に心を病んでいく…

 病んだ親によって育てられると子供はたいてい病む。しかしどこかでなんとか悪いループから脱出できることもある、希望は捨てきれない…そんな話かな、と思いました。ふたつの筋が併走するような構成はまあまあよくあるものですが、スリリングで、楽しく読みました。
 エリーは出生時のトラブルである種の知恵遅れのように周りからは思われていたけれど、実際にはむしろ父親の自殺を目撃してしまったことによる自閉みたいなものの方が大きかったのかもしれませんね。だからヘレンと入れ替わることで違う自分を手に入れたときに、回復する。一方のヘレンはエリーとして扱われることで混乱し、アイデンティティを失い、病んでいく。自分になりかわったエリーをヘレンとは呼べずヘリーと呼び、しかし自分のことも二人称で考えるようになり、離人症みたいになっていく…哀れで、怖くて、先の展開がまったく読めませんでした。
 ヘレンになったエリーは社会的に成功を収め、結婚し子宝にも恵まれましたが、やがて夫の心は離れ、交通事故に遭う…ヘレンとエリーとの最後の邂逅が幻覚だったのかどうかはなんとも、ですが、安らかな死だったのならよかった、と思います。娘のエロイーズは健やかに育っていることが救いです。
 夫の自殺を受け入れられず娘たちをゆがませてしまった母親の方は生きているのがまたなんとも…ですが、人生とはそうしたものなのかもしれません。ともあれヘレンはやっとそうしたもろもろの呪縛からやっと最後に解き放たれ、再出発するところで物語は終わります。才能に恵まれていたことは救いですが、それもまた病んだことから培養されたものだとすれば皮肉です。悲しい、美しいお話でした。



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