映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

天才ヴァイオリニストと消えた旋律(2019年)

2022-01-07 | 【て】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv73101/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 20世紀、第二次世界大戦下のロンドン。同い年のマーティンとドヴィドルは9歳の頃に出会い、共に成長を重ねていった。しかし、将来有望なヴァイオリニストへと成長したドヴィドルが、いよいよデビューとなるコンサート当日に突然姿を消してしまう。

 35年後、マーティンはその失踪の真相を明らかにすべく、ロンドンからワルシャワ、ニューヨークへと真実を探す旅に出る。

=====ここまで。
 

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 本作は、2022年の劇場鑑賞第1作目でございました。

 元日の朝8:30からの1回のみ上映で、正直なところ「どーすっかなぁ、、、」と悩みましたが、元日は映画の日でもありお安くなるし、人もそんなにいないだろうし、見たい映画はいっぱいあるんだから行っとけ! みたいな感じで、初日の出前に起きて身づくろいして新宿ピカデリーまで行ってまいりました。


◆明かされた真相が、、

 だいたいこの邦題がダサいし、クラシック音楽ネタの映画は大抵ハズレだし、ナチものは食傷気味だし、、、なのに気になって見てしまうのが毎度の習性。

 で……。元日の朝イチで見に行ったことを後悔はしないけど、やっぱしイマイチだったな、、、というのが鑑賞後の率直な感想でござんした。

 イマイチの最大の理由は、結局ドヴィドルが姿を消した理由にパンチがないこと。これって、私が無信仰だからかしらん??ともちょっと思ったが、イロイロ考えてみても、やっぱりそうではない気がする。

~~以下、ネタバレですのでよろしくお願いします。~~

 なぜドヴィドルはコンサートをすっぽかしたのか。それは、本番前にふと“偶然”迷い込んだシナゴーグで、行方不明だった家族の消息を知ったから、、、であります。

 ユニークなのは、その消息を知った方法だけど、それはホロコーストで亡くなった人たちの名前を“詠唱”するというもの。いわゆる、オーラルヒストリー(口頭伝承)の一種ですかね。文字として記録に残せないので、ラビが歌にして記憶し、後世に伝える、、、ということらしい。このラビの歌うシーンは、NYのシナゴーグで“上級主唱者”を務めているお方が吟じておられるらしい。たしかに、この声と旋律は人の心を震わせるものがあるように思う。

 そこで、自分の親きょうだいの名前が詠われたのを聞いたドヴィドルは、もはやロンドンでイギリス人たちを前に(イギリスもユダヤ救済に積極的ではなかったから)演奏することはできなくなったということだろう、とパンフに音楽学者の樋口隆一氏が書いている。

 ……けれど、ドヴィドルがコンサートを開けるまでのヴァイオリニストになれたのは、ほかでもないそのイギリス人であるマーティンの父親ギルバートの手厚い支援があったがゆえである。このギルバートは、下手すると実の子マーティンよりもドヴィドルに対して愛情も資金も投資を惜しまなかったくらいだ。だいたい、ドヴィドルがすっぽかしたコンサートだって、ギルバートが奔走して開催に漕ぎつけたのだ。

 すっぽかした理由と、すっぽかしたという事実を天秤にかけたとき、果たして観客が「なるほど、それならば仕方がない」と思えるかどうかが本作のキモだと思うが、ここが弱いよなぁ、と。ギルバートはドヴィドルがすっぽかした数か月後、失意のうちに亡くなっているというのだから、見ている方としてはよりギルバートに情が傾いてしまう。

 ドヴィドルの行動がけしからんとまでは思わないが、本番前にバスでうたた寝して乗り過ごすとか、プロの演奏家としてどーなんだ?と感じるところもあり、どうもピンとこなかった。バスでうたた寝したのは、リハーサル後、ドヴィドルが冗談で「(本番までの間に)酒でも飲んでくるか」と言ったのに対し、マーティンが「女でも抱いて来いよ」と返した一言があったから。……しかも、このシーンが、ラストのとんでもないオチ(後述)につながっている。

 少年時代のドヴィドルのヴァイオリンに対する姿勢は、確かに天才肌で、傲慢さを垣間見せながらもストイック。そんな少年が、デビューコンサートという重要な本番前に冗談でも「酒でも飲もうか」だの「女を抱きに行く」だのという発想にはならないような気がするんだよね。最も集中し、自分と向き合う瞬間ではないだろうか、本番前の時間って。

 彼がシナゴーグに行くまでの過程が説得力がないので、その後の展開に着いていけなくなった感じだった。


◆トンデモなオチにダメ押しされる。

 35年後に事実を知ったマーティンが納得したのかどうかも、イマイチ見ていて分からなかった。

 結局、ドヴィドルは、マーティンの意向に従い、35年前に開催されるはずだったコンサートの舞台に立ち、前半、35年前に弾くはずだったブルッフの協奏曲を弾くが、後半は本来のプログラムだったバッハではなく、自作の「名前たちの歌」という曲を無伴奏で弾く。そして、ドヴィドルに「もう二度と探さないでくれ」と置手紙をして、また姿を消す、、、。

 少年ドヴィドルがなかなか鮮烈な印象なので、この35年後の言動は同一人物とは理解しにくいものがある。けれど、35年という時間は、一人の人間を根底から変えてしまうには十分な時間でもあると思うので、やはり、映画としてそこの変化の描き方が弱過ぎるということだろう。

 私が決定的にイマイチだと思ったのは、最後の最後にマーティンの妻ヘレンが放ったセリフがちゃぶ台返しなオチだったから。

 ドヴィドルが再びマーティンの前から姿を消した後、ドヴィドルの置手紙を読んで放心しているマーティンに対し、ヘレンが「35年前、ドヴィドルが本番前に抱きに来た女は私よ」と明かすのだ。

 え゛、、、それ今言う?? 何なのこの人、、、。大体、マーティンと結婚したのはその後だし、何より、マーティンがドヴィドルの失踪で人生を支配されるほど苦しんでいるのを間近で見ながら、35年間ずー--っと黙っていて、それでも墓場まで持っていくならまだしも、この期に及んでそんなトンデモぶちまけ話するなんて、どういう神経しているんだ??

 このエピソードは完全に蛇足だったと思うなぁ。なくてもゼンゼン問題ない話でしょ。そのときのマーティンの反応も、別に、、、って感じだったし。普通だったら修羅場だと思うけどねぇ。


◆その他もろもろ

 鮮烈な印象を残す少年ドヴィドルを演じているのはルーク・ドイル君というイギリス人のリアル・ヴァイオリニスト。演奏シーンに嘘がないのは見ていてホッとする。その他のシーンでも映画初出演とは思えぬ、なかなかの演技っぷり。

 一方で、おじさんドヴィドルを演じたのはクライヴ・オーウェン。彼も演奏シーンがあって、生まれて初めてヴァイオリンを触ったにしては、なかなかの演技だったが、まあ、やっぱりイマイチなのは仕方がないよね。楽器の演奏シーンは全くの未経験者にはやっぱり難しいと思う。こういう、演奏シーンが肝になる映像作品の場合は、少しでも演奏経験がある役者を探した方がいいと思う。ほんの少しでも経験が有るかないかでは、雲泥の差だろう。

 余談だが『戦場のピアニスト』でポランスキーがブロディを主役に起用した理由の一つが、ブロディが過去にピアノを短期間ながら習っていたことがあったからだった。最も重要なシーンがピアノを演奏するシーンなので、演奏経験がない役者は難しいと思っていたと、ポランスキーも語っている。……そういうことよ、つまり。

 ラストに爆弾カミングアウトをするヘレンは、キャサリン・マコーマックが演じている。彼女は『娼婦ベロニカ』(1998)ではすごくかわいくて素敵だったのが印象に残っている。本作では、トンデモなオチ以外、存在感は薄い。『母との約束、250通の手紙』(2017)にも出てたんだ??

 おじさんマーティンを演じるのは、ティム・ロスだけど、彼の作品、ほとんど見ていない。35年後のマーティンもドヴィドルも、どうもパッとしない感じだった。イロイロあって冴えないおじさんなのは分かるが、やっぱりこれは脚本が悪いと思うなぁ。

 私が本作で一番良かったと思うシーンは、第二次大戦中のロンドンで、空襲時に避難している防空壕内で、少年ドヴィドルと、兄弟子に当たる少年ヨゼフがパガニーニの奇想曲で競演するところ。ヨゼフを演じた少年(名前が分からない)も、おそらくドイル君同様、リアル・ヴァイオリニストだろう。ちなみにこのヨゼフは、この後、精神を病んでしまう。

 ドヴィドルの実父(ユダヤ系ポーランド人)は、ナチスを恐れて、せめて息子のドヴィドルだけでも迫害を免れ世界的なヴァイオリニストになってほしい、という願いをこめて、ギルバートに大事な息子を託したのだ。そんな実父の思いも、育ての親のギルバートの思いも、ドヴィドルは結果的に踏みにじったことになる。

 いくら虐殺された親きょうだいのことを思って、、、とはいえ、結局ドヴィドルにとって音楽とはその程度のものでしかなかったということか、、、と非常に残念な気持ちにさせられる映画だった。世界的なプロは、何があってもやっぱり命がけで音楽に向き合っていると思うので。辛い過去を踏まえて、それでも命がけで音楽に向き合う真の天才の姿が見たかった。


 

 

 

 

 

 

 


原題“The Song of Names”が、どうしてこのヘンな邦題になるのか?

 

 

 

 

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