映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ペルシャン・レッスン 戦場の教室(2020年)

2023-01-21 | 【へ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv78458/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 ナチス親衛隊に捕まったユダヤ人青年のジル(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)は、処刑される寸前に、自分はペルシャ人だと嘘をついたことで一命を取り留める。

 彼は、終戦後にテヘランで料理店を開く夢をもつ収容所のコッホ大尉(ラース・アイディンガー)からペルシャ語を教えるよう命じられ、咄嗟に自ら創造したデタラメの単語を披露して信用を取りつける。

 こうして偽の<ペルシャ語レッスン>が始まるのだが、ジルは自身がユダヤ人であることを隠し通し、何とか生き延びることはできるのだろうか──。

=====ここまで。


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 昨秋に公開された『キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱』(2019)は、東京での上映が立川にあるkino cinéma立川髙島屋S.C.館だけでした。この劇場は配給会社キノフィルムズの直営館だと思われ、都心での公開に広げてもらえないだろうかと密かに期待していたのだけれど、それはないまま終映となってしまった。がーん、、、。まあ、DVDか配信に期待するしかない。

 で、本作も同じで、公開時は立川だけで上映しており、都心の便利さに慣れた身には立川まで片道1時間半掛けて出向くのはかなりハードルが高いのですよねぇ。贅沢言ってんじゃねぇよ、と怒られそうですが、、、。都心への展開がなければ、本作も見逃しかなぁ、、、と思っていたところ、渋谷で上映開始との情報がTwitterで流れてきました。やったー!

 などと書くと、さも期待していたかと思われるでしょうが、実はそうでもなく、ウリ文句で「『戦場のピアニスト』『シンドラーのリスト』に続く、ホロコーストを題材とする戦争映画」等と書かれていて、シンドラーはともかく、マイ・ベスト5に入るだろう映画『戦場のピアニスト』が引き合いに出されているからには、食傷気味のナチものとはいえ、この目で確かめておかねば、、、という感じだったのです。

 ……で、早速見に行ってまいりました。


◆なぜ虐げられている側が罪悪感を抱くのか。

 そんなわけで、斜に構えて見に行った次第。実際、中盤くらいまではあんまし、、、だったが、やはり「いつジルの嘘が露呈するか、、、」とヒヤヒヤするので、退屈する余裕はまったくなかった。

 けれど、中盤以降は一気に引き込まれ、終盤ではハラハラし、ラストでKOされた、、、という感じだった。いや、これはかなりの逸品だと思う。

 中盤くらいまであんましだったのは、ジルが捏造するペルシャ語の語感がどうにもピンと来ない(というか、そもそもペルシャ語なんかまったく知らないのにピンと来るも来ないもないのだが、、、何か響きとかが凄くヘンだなぁ、、、と)のと、コッホ大尉のキャラがどうもなぁ、、、いや、“実はイイ人”じゃないとかそういうことではなく、キレやすくてすぐ怒鳴るし、ぶっちゃけ、あんまし頭がおよろしくないという印象だったからです、はい。

 このコッホ大尉は、他の収容者には容赦ないのに、ジルにだけは食べ物をあげたり、重労働をさせなかったりと、ジルをことのほか厚遇するのだけど、その様はかなり異様。上官にも指摘されるのだがコッホ大尉は「ペルシャ語をマスターしたいから」とかシレっと言う。

 こんなエコひいきをされていて、次第にジルも、生きて収容所を出たいという気持ちに変化が起きる。そらそーでしょう。周りはどんどん人が入れ替わり(というか、死んでいき)、自分だけはいつまでもそこにいて、、、。しかも、そこにいられる理由は嘘なのだ。これが、本物のペルシャ人であれば、この葛藤もまた違うものだったのだろうけれど、同胞は無体に殺されていくのに、自分は嘘で生き延びているのだから。

 とはいえ、ジルがそれで罪悪感を抱く必要は、本来はないはずなのだ。理不尽に殺されることに知力で抵抗しているだけなのだから。それなのに、“自分だけが、、、”等と後ろめたく思い、この映画を見た観客にさえ「自分だけ生き延びればよいのか」的な感想を持たれるという、その状況こそが非難されるべきであって、いかにこのホロコーストが狂っているかということを脇へ置いてしまう人間の思考回路が怖ろしい。

 それで、ジルは中盤で、収容者の移送の列に自ら加わる。コッホ大尉からは、移送の度に別の作業に出ていろと言われたが、そのときは、別の収容者と服を交換し、移送される身となった。移送先でどうなるかは分かった上でのことで、もう死んでもいいと思ったわけだ。けれど、そこでもコッホ大尉から救出されて生き延びてしまうことに。

 ジルは、何度もウソがバレそうになる危機に直面しながら、なぜか事態がバレない方に動く。本作は実話からインスパイアされたほぼフィクションであるけれど、現実に生還した人々も同様だったに違いない。結局、偶然が重なった上に、ほんの少し運が良かったために死ななかったということなのだろう。


◆嗚呼、片想い。

 自分がペルシャ人だと言って、適当なペルシャ語を口にするのは簡単だが、自分が出まかせで言ったペルシャ語を、自分も覚えなければいけないというのは相当の難行である。しかも、収容者たちは筆記用具を持つことが許されていないから、ジルに“書いて覚える”という手段はないのだ。これはツラい。

 ジルがとった手段は、人の名前と関連させて覚えるというもの。でも、それだって、誰にでもできることではない。……というか、少なくとも私には絶対ムリだと自信を持って言える。しかも相手のコッホ大尉は勉強熱心で、一生懸命覚えるのだから、ますますジルは苦しい。

 実際、不意に「木はペルシャ語で何というのか?」と問われて、慌てたジルが咄嗟に口にした単語は、既に使用済みだった、、、ので、マジメに暗記していたコッホ大尉はすかさず気付いて「やっぱりお前は嘘をついていたのか!!」とボコボコにされる。ジルは「同じ音でも意味の違う単語がある!」と言い逃れようとするのだが。

 この危機をどう脱出したか、、、というと、気を失ったジルがうわ言で、偽ペルシャ語を口走っているのをコッホ大尉が見て「うわ言をペルシャ語で言うのだから、やっぱりコイツは本物のペルシャ人なんだ!!」と思う、、、というわけ。……やっぱし、この大尉、ちょっと、、、でしょ。

 まあ、とにかく、ジルにとっては、自身の記憶力の素晴らしさと、大尉のあまり良いとは言えない頭が、これ以上ないというくらいに運良く奏功したのだった。

 大尉のオメデタさは終盤いかんなく発揮され、自分が厚遇しているからと、ジルも自分のことを信頼し、好感を抱いているだろうと勝手に思い込み、どんどんジルに肩入れしていく。冷静に考えて“そんなわけねーだろ!”と分からないのだ。さながら壮絶な片想いをしている様に見えるほど。そして、片想いだと分かったときには、、、という、かなり憐れなオチが待っている。このオチも、コッホ大尉のオメデタさに合っている。もう少し、大尉が賢い人なら、きっと違った行動に出ていただろうな、と。

 ちなみに、ジルは、無事に生還する。


◆SS(親衛隊)って、、、

 本作は、ラストにジルが膨大な偽ペルシャ語を覚えて生還したことの“意義”が描かれており、このシナリオは巧いなぁ、と思った。実際、歌による犠牲者の名前の伝承、いわゆるオーラルヒストリー(口頭伝承)は、『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』(2019)にも描かれており、そういうことは実際にあったのだと思われる。

 また、本作では、ナチ側の人々の人間ドラマをかなりの尺を割いて描いているのも特筆すべきかと。“ナチもの”では、大体ナチの組織内力学に係る人間関係を描くことは多いが、彼らも人間として恋愛したり、嫉妬したり、どーでも良いことをチクったり、、、と言ったことを結構丁寧に描写している映画は珍しいのでは。

 私がコッホ大尉にあんまし好感を持てなかったのは、頭の悪そうなオメデタイ人だからというだけではなく、SS隊員であることも大きい。『戦場のピアニスト』でトーマス・クレッチマンが演じたホーゼンフェルト大尉もやはり主人公シュピルマンの生還に大いに貢献したが、彼は陸軍(国軍)の大尉だった。SS(親衛隊)か国軍かの違いに意味はない、という見方もあるかもだが、私は、この違いは結構見逃せないと感じている。コッホ大尉は、その口ぶりから恐らくイデオロギー的に大した考えもなく雰囲気でSSに加入したようで、それがますます彼のオメデタさや頭の悪さを象徴しているように思えてならない。

 そんな印象を、パンフでマライ・メントライン氏が書いているコラムを読んで、さらに強くした。

 コラムでは親衛隊の説明も結構詳しく書かれているが、その中で面白いと思ったのは、「親衛隊の内的な問題は……ぶっちゃけ実業的な大口のコネがないゆえ(軍事的にも民事的にも)あまり仕事がなく、「軍事官僚組織ごっこ」を肥大化させつつ展開するしかなかったことだ」というところ。「親衛隊の戦犯でもそれなりの割合でイデオロギーに無関心な者が居た」とも書かれていて、コッホ大尉は、まさにコレであると思う。そして、本作は「そんなナチス親衛隊内の空気が見事に活写された珍しい映画で、正直、それだけでも価値がある」と。さらにコッホ大尉のことを「知的権威性を渇望する、満ち足りぬ、悲痛な悪」と手厳しい。……けど、まあそういう描写だったもんね。

 このコッホ大尉を演じたラース・アイディンガーは、ドイツでも有名な個性派俳優とのことで、メントライン氏曰く「日本でいえば遠藤憲一みたいなタイプだ」とのこと。へぇー。この人が演じている、というだけで、ドイツ人にとっては「ただのナチものじゃないでしょ」と察しが付くらしい。また、「本当は、原作となった短編小説は映画と別の意味でスゴい」ともあって、是非とも原作であるヴォルフガング・コールハーゼ著の短編小説を読んでみたいものだが、、、邦訳は出ていない様なのが残念。

 ジルを演じたのは、ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート。『BPM ビート・パー・ミニット』でブレイクしたお方。『天国でまた会おう』(2017)での演技も良かったが、本作では、ドイツのエンケンにちょっと食われ気味。彼自身も、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、フランス語の4か国語を話せるのだそうな。言語のセンスがあるのだね。

 

 

 

 

 

 


「何語を喋っているんだ??」とテヘランの空港で言われてしまうコッホ大尉、、、嗚呼。

 

 

 

 

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