映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ベルリン・天使の詩(1987年)

2016-05-13 | 【へ】



 ベルリンの街にも(?)天使がいる。天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)は、ある日、サーカス小屋でブランコ乗りの女性マリオンを見て、一目で恋してしまう。以来、人間になりたいと思うようになる。

 天使が人間に恋をする……、それはつまり、天使としての死を意味する。

 それでも、ダミエルは、自らの意思で晴れて人間になる。それまでモノクロだった世界に様々な色がつき、寒さを感じるようになり、コーヒーを味わうことができるようになる。そして、ダミエルはマリオンの前に恋する一人の人間の男として現れる。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 のっけから恐縮ですが、実にくだらない自分語りが少々冒頭と末尾にありますので、作品についての感想のみ読めればよいという方は、最初と最後の項目は読み飛ばしてください。


◆本作にまつわるどーでもよいハナシ

 本作を見るのは、3度目。初回は、公開時に劇場で見ています。もう30年前ですなぁ、、、。日比谷の「シャンテ シネ」でした。今回、BSでオンエアされていたので録画して見ました。

 最初に見た時は、まだ学生だったわけで、正直、今一つピンと来なかったと思います。予備知識なく見に行ったので(良いらしいよ、という先輩の言を聞いただけで見に行った)、始まって最初の15分くらいは??だったように記憶しています。ただ、不思議と退屈だとか眠いだとかは全くなく、ブランコ乗りの女性が出てきた辺りから引きこまれ、気付いたら終わっていた、、、という感じでした。

 実は、このとき一緒に行った相手が、当時、大好きだったQ男で、私が強引に誘って見に行ったわけですが、このQ男とは、その後、思いもよらないことが次々に展開し、なんと15年近い付き合いとなった挙句に、最悪な幕引きを迎えたという経緯があったので、正直、その後、この映画にまともに向き合うことが出来ずに来てしまいました。、、、ホント、鼻くそ以下の自分語りで恐縮です。でもまあ、私にとって本作とこの話は切り離せないもので、相すみません。

 ……で、2度目に見たのは、10年前。やはりBSでオンエアしているのをたまたま目にして、そのままラストまで見てしまったのでした。、、、が、見終わって、Q男についてまだ心の整理が出来ていないことを自覚させられ、がーーん、、、となり、よせばいいのに、みんシネに茶化すようなレビューを書いて自分を誤魔化すのに必死だったのでした、、、。アホですね。

 今回、見てみようと思ったのは、Q男についてのモロモロは多分もう大丈夫という確信があったし、オバハンになった今見てみたらどう感じるだろうか、という興味もあったからです。

 というわけで、やっとこさ本題の、作品に対する感想です。


◆天使とは、、、

 こんなに分かりやすい作品だったのか、、、というのが、今回見終わっての正直な感想です。最初見た時は、別に分かりにくいというほどではないけれど、うーん、、、みたいな感じだったわけで、これって、年の功なんですかね。

 “分かりやすい”という言い方は語弊があるかも知れませんが、 ストーリーは極めてシンプルで明快でしょう。だからこそ、受け止め方は人それぞれになるかと思いますが、、、。

 天使は、子どもと一部の大人にしか見えない存在で、人間たちの心の声が聞こえて、色彩のない世界に生きていて、空間移動は自由にできて、、、。という、割と類型的な設定です。純粋無垢、というと陳腐だけど、邪心がない存在の象徴、みたいな感じでしょうか。

 印象的なのは、地下鉄の中で人生に悲観して「どうせ破滅だ!」とか心の声が言っていた男に、ダミエルがそっと優しく顔を近づけると、ふと気持ちが軽くなって前向きになって、「どうした? まだ大丈夫さ。望みさえ捨てなきゃ何とかなる」という心の声に変わるところ。一方、ダミエルの親友、天使カシエル(オットー・ザンダー)が、自殺しようとビルの屋上にいる若者に気付いて、若者の背後に寄り添うのだけれど、若者は屋上から飛び降りてしまうというシーンも。

 天使は、つまり、別に万能の救世主なんかじゃなく、基本的には無力で、存在意義がよく分からないのだけれど、時にはなぜか人の心に何かを感じさせる。、、、まあ、あまり天使とは何かを追及することに意味はないと思いますが。


◆ピーター・フォーク

 ピーター・フォークは、彼自身の役で出演しています。そして、彼は、“元・天使”という設定。「見えないけど、いるんだろ? 見えないけど、感じる」と言って、天使ダミエルにコーヒーを飲みながら語り掛けるシーンが、なかなか好きです。彼は、見えないダミエルに向かって「手がかじかんだらこうしてこすりあわせると、暖かくなって気持ちいいんだ。君と話がしたいなあ。こっちにおいで。顔が見たい」と話し掛けて、握手を求めます。

 ダミエルが人間になる決意を固めたのは、彼とこの会話をしたからでしょう。

 ダミエルが人間になって真っ先に会いに行ったのが、元・天使のピーター・フォークです。「もっと背が高いと思った」などと彼に言われながら、この世での処世術をちらりと教示してもらったりして、ダミエルは嬉しそうにしています。

 ダミエルと、ピーター・フォークの絡むシーンは、どれも心温まります。


◆なぜ僕は僕で、君ではないのだろう?

 こういう映画に対して、“何が言いたい作品なのか”をネチネチ語るのは野暮ってもんでしょう。別に、そんなこと、本作ではどーでも良いという気がします。日常があって、人間の営みがあって、そこには、良いことも悪いこともごちゃ混ぜにあって、、、てことが、天使という存在を通して描かれているんだと思います。

 天使ダミエルが語る詩に、「なぜ僕は僕で、君ではないのだろう?」というのがあります。これ、私が子どもの頃、しょっちゅう考えていたことでした。「私」という存在、「あなた」という存在、別々の存在って何なんだろう、、、? と、不思議で不思議で仕方ありませんでした。……というより、今でも不思議に思うことがよくあります。

 同じ空間にいて、手を繋げば、互いにそのぬくもりを感じるけれど、あくまでも別々の存在。その空間から出て、別々の方向に歩きだしたら、もう別々。さっきまでそこにいたあなたは、今どこで何しているのか、私にはわからない。

 ……という、当たり前のことが、とても不思議です。だから、この詩を聴くと、何というか、心にじゅわ~~っと生暖かいものが広がる感じがするんです。


◆美しいベルリンの街並み

 本作は、そのタイトル通り、ベルリンの街並みがたくさん出てきます。今はなきベルリンの壁。中でも、西ベルリン側の、サイケな落書きだらけの壁が印象的です。この2年後、壁が壊れるなんて、本作を初めて見た時、想像もしていませんでした。

 広い図書館が何度か出てくるのですが、この図書館の建物がすごくステキです。図書館の静寂と、人々の心の声と、天使たち、、、が画になっています。モノクロが効いてるんだよなぁ。


◆元祖“意識高い系”映画

 本作は、公開当時、なんというか、今でいうところの“意識高い系”の人たちがこぞって絶賛していたことから、“気取った映画”みたいに受け取られる向きもありましたねぇ。そんな、本作には何の責任もないことでヘンな宿命づけられてしまって、ちょっと気の毒というか、、、。穿って見られていたのは否めないと思います。

 ただまあ、確かに好き嫌いが分かれる作品だとは思います。私も、ダラダラ長いなぁ、と感じる部分もあります。

 それを踏まえて、でも、嫌いじゃないです。気取った映画だとは最初から思わなかったし、30年後に見てもやはり思わなかった。ダラダラも、人間の普通の生活って、こういうダラダラというか、傍から見れば無意味なことの積み重ねだもんなぁ、と思えば、そういう描写もアリかな、と。

 最初見た時にアンチになった方も、今見てみると、案外フツーに見られるかも知れません、、、。


◆再びどーでもよいハナシ

 ちなみに、Q男は、眠ることなく最後までちゃんと見ていて、中でもダミエルが人間になって、手についた赤い血を見て感激するシーンに、いたく感じ入った様子でした。その後、Q男のことを知れば知るほど、ヒジョーに見当違いな映画に誘っていたことが分かりましたけれど。

 映画に対する感想や印象って、作品によっては、誰と見たか、いつ見たか、どんな境遇で見たか、ってことに、ヒジョーに左右されるものなんだなぁ、とつくづく思います。





あなたのそばにいるあの人は、実は元・天使かも知れない。




 ★★ランキング参加中★★

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ランジェ公爵夫人(2006年) | トップ | マイ・ブラザー(2009年) »

コメントを投稿

【へ】」カテゴリの最新記事