映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

裁かれるは善人のみ(2014年)

2015-11-13 | 【さ】



 ロシア北部の海沿いの田舎町に暮らす一家。夫婦と息子1人。夫婦は再婚で、若い妻リリアは息子ロマの継母である。そして夫コーリャは、市と自分の土地を巡って係争中。何とか裁判を有利に進めたいコーリャは、かつての軍時代の後輩である弁護士ディーマをモスクワから呼び寄せ助っ人を頼む。

 一家の暮らしはつつましく一見平穏だが、小さな火種もある。リリアにロマは反発ばかりするし、リリアはこの田舎での生活に倦怠感を抱いている。一番の問題は、コーリャがそれらの火種に全く気付いていないこと。土地を巡る裁判に全神経が集中してしまっている。だから、ディーマとリリアが不倫関係になってしまったことにも気付かない。

 ディーマはなかなかのヤリ手で、市長の致命的な過去の悪事をネタに交渉を上手く進めるが、逆上した市長はディーマを脅し、モスクワへ帰らせ、いよいよコーリャに牙をむくのだが、、、。そのとき、コーリャ一家も内部崩壊し出していた、、、。

 不幸のオンパレードで、究極的に救いのない映画だけれど、鑑賞後感は意外と悪くないのが不思議。

 
 
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 冒頭の、コーリャの住む町の風景が描き出されるシーンに流れる音楽が、もう不穏さ全開で何だか怖い。町の中では景観も良い一等地だというけれど、そのもの寂しい風景といったら、、、。

 なんかもう、この土地の持つ空気感が、何とも言えず重い。鉛色の空に、朽ちた漁船の残骸、荒れた海、大きなクジラの骨、ゴツゴツした岩礁と断崖、、、と、切り取られるもの全てが心和めないものばかり。一体、これからどんな物語が待ち受けているのやら、、、。と思ったら、コーリャの家に明かりがともって、ちょっとだけホッとなる。

 市長は、見るからに悪人。強欲、自己中で、市長室の壁には若い頃のプーチンの写真が飾ってある。その前で吠える太った闘犬みたいな市長。絵になり過ぎで笑える。

 余談だけど、プーチンさん、数年前から顔変わりましたよね? 腫れぼったくなったというか、目が細くなったというか。若く見せるために何か注入しているらしいですけど、昔のスッキリ眼光鋭い方がカッコ良かったのに。基本的にマチズモ親父は嫌いなんだけど、あそこまでマッチョ全開でやってくれるとむしろアッパレだなぁと感心しちゃう。石原慎太郎なんかプーチンに比べりゃ中途半端でショボいもいいとこ。少しはプーチンを見習え、とさえ言いたくなる。まあ、御年も御年だから大人しくしてた方が良いでしょうけれど。

 この市長の過去の悪事ってのは具体的には何か明かされません。ディーマは「まるでホラー映画だ」と言っていたので、恐らく、何人か殺しているのでしょう。そりゃ、そんなことが表沙汰になったら裁判どころじゃありません。

 ディーマもなかなか男気のあるカッコイイ弁護士だ! と思って見ていたら、案の定、リリアは彼に陥落してしまう、、、。え? なぜ?? と映画を見ている間は解せなかったけど、ちょっと経ってみたら、そりゃそうだよな、と妙に腑に落ちました。我が夫コーリャと比べたり、この町とディーマのいるモスクワを比べたり、とにかく、ディーマが自分をこの泥沼みたいな現実から拾い上げてくれるかもしれない救世主に見えても無理はないか、と。

 が、悪人市長は簡単に引き下がらない。判事、検察官、警察官を抱き込み、ディーマをチンピラを雇って痛めつけるという古典的な方法で脅し、あっさりディーマは脅しに屈してモスクワへ逃げ帰ってしまいます。

 ディーマがいなくなったことで、コーリャ一家は、一気に崩壊へと進んでしまいます。コーリャも土地を市長に買い叩かれてしまうけど、一番キツかったのはリリアだったのでは。リリアの本心は作中でハッキリは分からないんだけど、多分、何もかも捨ててディーマの下へ走るほどの思いもなかったけれど、でも、心の逃げ道にはしていたんだと思う。それが、急にその逃げ道がバッサリ断たれてしまったのだから、これは案外リリアには堪えたと思いますね。リリアが自ら死を選んだのも、何となく分かる気がします。

 コーリャは、家を奪われ、土地を奪われ、妻を奪われ、と、これでもかと不幸が続くんですが、極めつけは終盤です。リリアの死が、なんと、殺人であるとされてしまう。しかも犯人はコーリャだと。冤罪で投獄されるという、想像を超える不条理が待っていました、、、。

 もちろん、これは、市長が裏で糸を引いたのだと、私は解釈しました。作中では明確な描写はないので、見ている人の判断に委ねられます。でも、作品をずっと見てきたら、あれが市長の差し金でなくて何なんでしょう。それが証拠に、あのラストの光景です。金ぴかの教会が、コーリャから奪い取った土地に燦然と輝いて建っているのです。そこで行われた司祭の説教が、もう嘘くさ過ぎで(しかも長いんだ、これが)、呆れて可笑しささえ覚えます。

 、、、と悲惨てんこ盛りみたいなオハナシなんですが、なぜか鑑賞後感は、そこまで悪くないのです。それは恐らく、コーリャたちの日常が描かれるシーンで、時折りユーモアも織り込まれているからだと思われます。

 途中、コーリャ一家とディーマ、そして、コーリャ達と親しい家族たちで“狩猟”に出掛けるシーンがあるんですが、それは野生動物を狩るのではなく、空き瓶を並べて銃の腕前を競う射撃ゲーム。しかも、皆、1発ずつ猟銃で撃っていたのに、ある人は機関銃ぶっ放して全部瓶を撃ち壊しちゃったり。で、次に彼らが「これからが面白いんだ」と言って標的として出してきたのは、レーニン、ゴルビーなどのかつての支配者の肖像写真だったり。このシーンでは劇場でも笑いが起きていました。

 あと、何かというと皆があおっていたウォツカ。コーリャは瓶からラッパ飲み。老若男女、皆、飲むわ飲むわ。ロシア人の体、ちょっと違う構造なんじゃない? と思うくらい。あのシーンで、観客もちょっと酔わされて深刻さが紛れるのかも知れません。

 そして何より、登場人物の描写が素晴らしい。タイトルは、「善人」なんて入ってるけど、コーリャは別に善人として描かれているわけじゃなく、清濁併せ持ったごくごく人間的なオジサンだし、リリアも、ロマも、ディーマも、皆、多面体で描かれています。権力者=悪、市民=善、の、やるせなさ全開の単細胞ドラマじゃないところが、見ている者に良い余韻を残してくれるのでは。

 本作は、権力の横暴ぶりだけを描いたのではなく、そこにロシア正教を絡めたのがミソです。また宗教ですよ、、、。ホント、困ったもんです、無宗教の人間には。司祭の言っていることとやっていることのデタラメぶりとか、イコンに並べて女性のヌードの写真が飾ってあったりとか、もう、頭が痛くなる。コーリャが、神はどこにいる? と言いたくなるのも道理です。

 よくぞこれがロシアで上映禁止にならなかったものです。プーチンも、余裕あるところを見せたかったのかな。

 コーリャを演じたアレクセイ・セレブリャコフ(舌噛みそう)という俳優さん、50過ぎの渋いイイ男です。顔の皺も、ただの皺じゃなくて人生が刻まれている顔で、イイ味出しています。ウオツカの瓶がすごくよく似合う。リリアのエレナ・リャドワさんは美人、色気もアリ、まあ、男ならクラッとくるでしょうなぁ。無表情でもちゃんと感情が現れている演技が素晴らしい。ディーマのウラディーミル・ヴドヴィチェンコフさんはゴツいけど、まあまあ洗練された感じをうまく出していました。なんと、本作撮影後に、エレナさんと結婚したとのこと、、、。本気で惚れちゃったんですね、まあ、分かります。






あんなにウオツカをがぶ飲みして、ロシア人は肝硬変にならないんだろうか。




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