以下、公式HPよりストーリーのコピペです。
=====ここから。
クリスティアンは現代美術館のキュレーター。洗練されたファッションに身を包み、バツイチだが2人の愛すべき娘を持ち、そのキャリアは順風満帆のように見えた。
彼は次の展覧会で「ザ・スクエア」という地面に正方形を描いた作品を展示すると発表する。その中では「すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われる」という「思いやりの聖域」をテーマにした参加型アートで、現代社会に蔓延るエゴイズムや貧富の格差に一石を投じる狙いがあった。
ある日、携帯と財布を盗まれてしまったクリスティアンは、GPS機能を使って犯人の住むマンションを突き止めると、全戸に脅迫めいたビラを配って犯人を炙り出そうとする。その甲斐あって、数日経つと無事に盗まれた物は手元に戻ってきた。彼は深く安堵する。
一方、やり手のPR会社は、お披露目間近の「ザ・スクエア」について、画期的なプロモーションを持ちかける。それは、作品のコンセプトと真逆のメッセージを流し、わざと炎上させて、情報を拡散させるという手法だった。その目論見は見事に成功するが、世間の怒りはクリスティアンの予想をはるかに超え、皮肉な事に「ザ・スクエア」は彼の社会的地位を脅かす存在となっていく……。
=====ここまで。
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あの『フレンチアルプスで起きたこと』の監督作だというんで、見てみました。昨年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作だからか、新聞や雑誌でもあちこちで取り上げられているけど、論調は誉めているのか貶しているのかイマイチ不明な感じで、、、。実際に見て、なるほど、こりゃ評を書きにくいわなぁ、と納得。
◆誰だって自分が一番カワイイ。
現代美術館が舞台だというので、もっと現代美術の話がメインストーリーになっているのかと思いきや、背景として実に巧みに使われているものの、現代美術の知識がなくても、一応見ることが出来て良かった、、、。見る前は、ちんぷんかんぷんだったらどーしよー、とちょっと心配していたので。
ストーリーは上記の通り、あるにはあるのだが、割とぶつ切りであちこち飛んで展開が読めないところは『フレンチアルプス~』と似たような感じ。正直、序盤はちょっと退屈だったんだけど、掏られた財布とスマホが出て来た辺りから目が離せなくなり、、、。
まあ、ものすごく大雑把に言えば、人間の“偽善”とか“ホンネとタテマエ”をこれでもかこれでもか、と描いているので、何とも居心地の悪さを禁じ得ない。
本作では街の“物乞い”が頻繁に出てくるんだけれども、本作の舞台となったスウェーデンの人たち、基本、物乞いの前を素通りだった。あと、助けて! という叫び声が広場でしても、やはりここも基本、皆スルー。終盤のパーティでは、一人の女性が“猿男”に暴行されそうになっていても、相当の時間、誰も助けない(その後、一人の男性がやっとこさ駆け寄ってきたのを契機にわらわらと男たちが助けにやって来るが)。
よく、ネットに出没する出羽守は、「日本人は冷たい、外国(特に欧米)では皆親切」みたいなことを書き散らしているけれど、スウェーデンも日本と大差ないじゃん、本作を見る限り。でもって、私が何度か欧米に行った経験だけで言えば、日本でも外国でも、親切な人はいるし、スルーする人もいるし、その割合が日本が極端に異なる、とは思えない。
そもそも東京の街頭ではあのような物乞いの姿はほとんど見ない(ホームレスは場所によってはいるが)し、仮にたくさんいたとしても、見て見ぬふりはよろしくない、と言われたって、片っ端からお金をあげていたら、こっちの財布が空になっちゃうわけで。私は、基本的に街頭募金とかでは絶対にお金を入れない主義なんで、物乞いがいても、お金は入れないと思う。
誰だって、みんな自分がカワイイのよ。自分にある程度の余裕があるからこそ、誰かを助ける気になるのであって、自分が助けを必要とするかしないかの境目にいる状況で、見て見ぬふりするなとか言われたって、知らんわ! という話。本作のサブタイトルにある“思いやり”だってそう。自分が追い詰められた状況にあってなお、誰かに思いやりを持つことは、よほどの人格者でなければムリでしょ。
本作は、そんな人間の“アタリマエ”を敢えてほじくり返して描いているわけだ。なんとイジワルな映画でしょう、、、。
◆クリスティアン、、、嗚呼。
しかし、この主人公のクリスティアンという男、、、本作のコンセプトを具現化するためのキャラとはいえ、あまりにもアホ過ぎて呆れる。
財布とスマホを掏られた際も、GPSで場所がある程度分かっているんだから、警察に届けりゃイイじゃん、と思っちゃうんだけど。あんな脅迫チラシをばらまいたら、それこそ犯罪になりかねなくない?
そのチラシが元で、男の子に謝れと執拗に迫られたときも、さっさと謝った方が身のためなのに謝らず、挙げ句、男の子を階段から突き落とすとか、、、。考えられん。
もし、筋金入りの自己チューだったら、、、自分の身の安全を第一に考えたら、警察に届けて、男の子にはさっさと謝って、、、となると思うのだけど。だから、クリスティアンは、自己チューというよりは、アホというか、愚かしいというか。
ただ、炎上したPR動画の件は、まあ、ありがちだなぁと思った。炎上を狙ったけど、狙った以上に炎上しちゃって逆効果、、、で、その対応を完全に誤っているパターン。しかし、組織のミスにおける初動を誤るケースは多い。つい最近の財務省セクハラ事案なんかもまさにそうで、火に油、、、ということはやってしまいがち。動画が炎上したから取り下げる、ましてやそれを美術館がやってしまったら、表現の自由についてメディアに突っ込まれるのは当然なわけで、、、。これは、身につまされるエピソードかも。
◆教科書よりもコメディの方が効き目がある。
面白かったし、監督が描きたいことはヒシヒシと伝わってきたんだけれど、監督が観客に一番感じさせたかった“いたたまれなさ”を、全体を通して、私はあまり感じることはなかった。
それは、別に自分がクリスティアンなんぞより上等な人間だと思っているからでは決してない。むしろ、クリスティアン的な要素はいっぱい持っているし、私もこすい一小市民に過ぎない自覚は十分ある。
けれども、本作に関しては、あまりにも監督の意図が見えすぎて白けた、というのが大きい。ただ、そうはいっても、本作は大変な意欲作だと思うし、クリエイターとしての志は非常に素晴らしいと思う。それを踏まえた上で、敢えて言えば、多分、テーマありきでストーリーが作られたことによる現象ではないかと思う。
『フレンチアルプス~』には、物語としての流れと必然性が感じられたし、そこからテーマが浮き彫りになって、見ている者としては唸らされたわけだが、本作は、テーマが最初からウンザリするほどに突き付けられているために、少々押しつけがましさを感じた、ということかなぁと。
卵が先か、鶏が先か、という話だけど、どちらが先であっても、見ている者に、露骨に意図が分かってしまうのは、場合によっては逆効果になる典型例かも知れない。
そして、何より本作では、正義とは何か、を織り込んでいるところが、私としては引いてしまった。今さら正義も何も、、、。正義の二文字がちらついた途端、このような偽善をシニカルに描いた芸術は一気に陳腐化すると思うのだがどうだろう、、、。敢えてそこに踏み込む必要があったのか。人間社会で生きていく、ということは、ことほどさように単純ではないし、そんなことは監督は百も承知なはずなわけで。
そこが、やはり見ている私に、いたたまれなさ、恥ずかしさ、痛さを感じさせることがなかった所以だと思う。
こういう作品は、笑いに徹したブラックコメディにした方が良かったのでは? 何か、高尚な、道徳の教科書みたいになってしまったのが、いささか残念。
PR動画がエグすぎて嫌悪感、、、。
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