映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

The Son/息子(2022年)

2023-04-02 | 【さ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv80345/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 高名な政治家にも頼りにされる優秀な弁護士のピーター(ヒュー・ジャックマン)は、再婚した妻のベス(ヴァネッサ・カービー)と生まれたばかりの子供と充実した日々を生きていた。

 そんな時、前妻のケイト(ローラ・ダーン)と同居している17歳の息子ニコラス(ゼン・マクグラス)から、「父さんといたい」と懇願される。初めは戸惑っていたベスも同意し、ニコラスを加えた新生活が始まる。ところが、ニコラスが転校したはずの高校に登校していないことがわかり、父と息子は激しく言い争う。なぜ、人生に向き合わないのか? 父の問いに息子が出した答えとは──? 

=====ここまで。


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 フロリアン・ゼレール監督の『ファーザー』は、オスカーゲットで話題になっていたけれど、何しろアンソニー・ホプキンス苦手だし、認知症映画なんてあんまし見る気しないし、、、ってんで放置しておりました。が、本作は父子モノで、かなりシビアそうではあったけど、親子の確執モノに吸い寄せられる私は、劇場まで行って見に行ってまいりました。

~~以下、ネタバレしておりますので、よろしくお願いします。~~


◆誰もが逃れられない“生育環境”

 父子の確執映画かと思ったが、終わってみればそうではなかった。この父子に確執があるわけではない。もちろん、ピーターの離婚をニコラスが罵るシーンはあるものの、基本的に父子は互いに信頼し合い、尊重し合っている。葛藤はあっても、確執はない。

 確執があるのは、ピーターとその父親アンソニー(アンソニー・ホプキンス)だ。アンソニーは典型的な強権的な父親で、今は疎遠である。ピーターは父親を嫌悪していたはずなのに、不登校の息子に向けて、アンソニーにかつて言われたのと同じ言葉を吐いていることに気付いて愕然となる。で、ピーターは、ニコラスと向き合うためにも疎遠になっていた父親に、敢えて、仕事を口実に会いに行くのだが、結局そこでも確執は確執のまま提示され、ピーターはニコラスに対する身の処し方がますます分からなくなって行く、、、という展開。

 これは、かなりリアルな話だろう。嫌悪していたはずの親の価値観や物言いを、自分も共有していることに気づかされる瞬間がある、っての。私もあるもんね、、、。ホント、それはものすごい自己嫌悪に陥るわけだけど、だから、私は子を持たなくて正解だったとその度にホッとするのだが、ピーターがますます苦悩するのはよく分かる。そして、親が永遠に不変であることを突き付けられて絶望的な気分になるのも、分かり過ぎてツラい。

 結局、人間は育った環境がベースになるのだ。育てられたように育ててしまう、、、とまでは言わないが、身体にも心にも沁みついているものがあるのは間違いない。親を反面教師にしようと努力しても、ついつい同じような言動が顔を覗かせることは、絶対的にあるだろう。

 あるブロガーさん(男女不明)は、本作のことを「現実感の薄い観念的な映画」と批判していた。ピーターがほとんど交流のないアンソニーに会いに行くシーンもわざとらしく、結局、アンソニーの価値観がピーターに連鎖していると言いたいだけだ、と書いているが、それはまさにそのとおりであって、連鎖するのを回避したいからこそ、ピーターはアンソニーと交流を断っており、それを回避しきれないから苦悩しているのだ。そして、それに向き合う必要性をピーターは感じたから、わざわざ口実を作って会いに行ったのではないか。だから、この展開は観念的でも何でもなく、めちゃくちゃリアルなんである。


◆情か理性か、、、

 ニコラスは、急性うつ病と病院で診断されるが、まあ、どう見たって病んでいるのは間違いない。

 本作の最大のヤマ場は終盤。自殺未遂を犯したニコラスが入院していた病院で、退院するか、入院を継続するか、医師とニコラスと両親が話し合うシーン。このシーンは、見ているのが辛かった。

 いかに病院の環境が劣悪で医師が酷い人間かを涙ながらに訴えるニコラス。退院は危険すぎる、入院継続すれば我々プロは対処できる、と言う医師。間に挟まれる両親。

~~以下、結末に触れています。~~

 ピーターとケイトは、ニコラスに「ごめん、期待に応えられない」(セリフ正確じゃありません)と、一旦は入院継続を決める。けれど、病院を出るときにそれを翻し、ニコラスを退院させる書類にサインして、ピーターの家に連れ帰る。もう、この展開でラストは大体想像がついてしまうのだが、、、。

 見ていて不思議だったのは、医師に選択を迫られた時に、ピーターもケイトも「(夫婦)2人で話をさせてほしい」と言わないこと。医者も「2人で話し合ってみて」と、たとえ5分でも時間を与えないこと。やっぱり、あの場ですぐ結論を出せ、というのは酷ではないか。だから、あの夫婦は帰り際に決断を覆すことになったように思うのだが、、、。

 監督のインタビューが某紙に載っていたのだが、そこでゼレール監督は「罪悪感は正解を導かない、ということを伝えたかった」「罪悪感が目の前のものを見えなくしているんです」と言っている。さらに「私は、観客にもピーターと同じステップをたどってもらい、『さあ、あなたならどうしますか』と問いかけたかった」とも言っている。

 私が親ならどうするかな、、、心を鬼にして入院継続させられるだろうか。アメリカの精神医療の事情はよく知らないけど、少なくとも、日本のそれよりはかなりマシだと思われる。私がアメリカ人の親なら、やはり自殺未遂の前科があるので、怖ろしいから入院継続を選ぶかな、、、。本作内では、案の定、ニコラスは発作的に自殺を図ってしまう。 

 前述のブロガーさんは、ニコラスの人生に対する漠とした苦悩は、ピーターの父権主義的価値観と対照的に描かれており、そのピーターの価値観がニコラスを自殺に追い込んだと書いていた。また、本作は、“The Son” と言いながら、描いているのは “The Father”のエクスキューズだけだとも。……まあ、そういう見方もあるだろうが、私はゼンゼンそうは思わなかった。ニコラスの自死は、急性うつ病の症状であり、だからこそ、医者は入院継続を強く勧めたのである。発作的な希死念慮という症状に、素人は対処できないからだ。それに、息子に自殺された父親が、エクスキューズしたくなるのなんて、アタリマエではないか。後悔、後悔、後悔、、、の連続だろう。全否定されたような気分になる父親が、エクスキューズ一つしちゃいかんのか、、、と思う私は、甘いんですかね?


◆その他もろもろ

 ヒュー・ジャックマン、ローラ・ダーン、ゼン・マクグラス、みんな素晴らしい演技だったが、ゼン・マクグラスくんは、瑞々しさと、思春期特有の拗らせ感を併せ持つ複雑な人物を的確に演じていた。美形、、、て感じじゃないけど、演技派でこれからの注目株じゃないですかね。

 ……と、割と褒めて来た割にの数が少なめなのは、結末がね、、、。結局、ニコラスが自殺しちゃうという最悪な終わり方で、もう救いがなさ過ぎる。

 ラストシーンは、ピーターが、うつ病を乗り越えて作家デビューしたニコラスを家に迎える、という妄想から我に返って泣き崩れる、、、という、あまりにも辛過ぎる終わり方で、鑑賞後感はかなり悪い。しかも泣き崩れるピーターを、ベスが「それでも人生は続いていくのよ」と言って慰めるというか励ますのだが、ハッキリ言ってそれは励ましにならんだろう、、、と。

 前述のブロガーさんと、この点だけは意見が合うのだが、やはり終盤の展開は、ピーターとケイトが心を鬼にしてニコラスを継続入院させ、ウツから快方に向かう、、、という方が好かったのではないか、と思う。その方が救いがあるから、というだけでなく、ピーターが本作中でずーーーっと苦悩し続けた意味があるし、それでこそ、息子を見守る父親としてのピーター自身の成長の物語にもなると思うからだけど、、、。

 ま、これは賛否分かれるラストでしょうな。
 

◆以下、余談 

 本作を見て一番感じたことは、「子育てって難しい」である。親も、初めての子であれば、初めて親になるのであり、2人目だから親として熟達するかと言えば、子のキャラはまさにバラバラであり、上の子で上手く行った手法が下の子には全く通用しないなんてことはザラだろう。

 本作で言えば、ニコラスは感受性が強くて、適応力が低い上、読書好きで自分の世界があるので、まあ、親からすればちょっと扱いにくい(or分かりにくい)子ではあるだろう。でも、親との会話もあるし、そら親子の口論くらいはあるけど、思いやりもあるし、気遣いもできる、特に問題のない子だ。けれど、学校に行かない、、、ってのは、親からすると最大の問題児になるのである。

 私は母親とドロ沼確執を経て、今は断絶しているが、そんな母親にも感謝していることはたくさんある。そのうちの一つが、私が中学生の頃、学校に行きたくないときに「学校なんか行かんでええ」と言ってくれていたことだ。

 ちなみに、学校に行きたくない理由はこれと言って具体的にはなく、ただただ、めんどくせぇ、、、だりぃ、、、って感じだっただけである。特に、中学3年生の秋以降は、部活が夏休みで終わってしまって、急に学校に行く意味がないように思え、休みがちになったのだった。まあ、それが不登校になっていたら、また対応が変わっただろうが、週に1日とか2日とか行きたくない日があっても、ムリに学校に行けとは言わなかった。ものすごい教育ママゴンだった半面、学校教育には不信感を抱いていたらしく、成績が悪いと激怒されたが、学校行きたくないと言っても「ほな休んだら。学校電話したるわ」と率先して電話してくれる人だった。学校から早退したこともしょっちゅうあるが、早退すると学校から連絡が行くので車で迎えに来てくれ、私は親が学校に迎えに着く前にいつも学校を出てしまうので、トボトボ帰り道を歩いている途中で拾われて帰る、、、なんてこともよくあった。学校から家まで歩いて30分近くあったんだよね、、、。

 で、本作を見ながら、もしあのとき、母親が強引に私を学校に行かせようとしたら、どうなっていたかなぁ、、、ということが頭の中に浮かんでいた。多分、私は母親が怖かったので学校に行っただろうし、不登校にまではならなかっただろう。行きたくない理由が、ニコラスほど哲学的ではなかったし、学校という場所に居心地の悪さを感じていたわけでもなかったから。だけど、無理強いされれば、学校へ行くことに抵抗感が強くなったのは間違いなく、何らかの悪影響は出たかもしれない、とも思う。

 あと、私自身はニコラスと違ってもっと俗物の打算的な人間で、あんまし学校に行かないのが過ぎれば、先々(受験とか進学とか)不利になり、それがさらに先の自身の人生に良い影響をもたらさないと理解していたから、結局は自分のために、嫌でも学校に行ったと思う。

 ……というか、そんなことはニコラスだって分かっていたはずで、それでも学校に気持ちも足も向かなくなってしまっていた、ということだろう。でも、親は、そんな子供の事情を、頭では理解できても、気持ち的に受け入れにくいのだ。我が子がレールを外れてしまう!落伍者になってしまう!!ヤバい!!!って感じなのでは。でも、そんな親の焦る気持ちを、安易に責められないよなぁ。ピーターが何とかニコラスを学校に行かせよう、行かせたい!と思う気持ちは、親として当然だろう。

 だから、私は、あのとき「行かんでええ」と、迷いなく本心から言えた母親はスゴい、と今でも思っているのである。ピーターが同じように「学校なんか行かなくていい」とニコラスに言っていたら、、、。ニコラスはそれだけで気持ちが大分楽になったのではないか。追い詰められ感が緩和されたのではないか、、、。正解は分からないけど、そんな気もする。

 

 

 

 

 

 

 

ピーターの実家(アンソニーの家)のお屋敷がスゴい、、、。

 

 

 

 

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